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第二話 娑原

 羅倶汰らくたは空に浮かぶ島だ。中心に浮遊石と呼ばれる石があり、その大きさは羅倶汰の大きさに比例する。大きなものほど、動かすのに集中力と技術を要するが、この世界で浮遊石の数は地位や権力に比例する。

 ヘイジは上空を飛ぶ飛行艇を眺めた。木製の外観は商船だ。ゆっくり空を過ぎっていくのを見上げ白い髪を隠すように、フードをかぶった。

「答えろ。お前たちの頭はどこだ? 」

 剣を向けた先には、黒い髪に焼けた肌の男たちが三人いた。

 汚い路地裏には他に人間はいない。彼らの表情は固く、油断は感じられない。一番背の低い男が走ってきた。ヘイジよりも短い剣だった。 男よりヘイジの方が早く剣を突き上げた。一人目が倒れ、二人目も壁に叩きつけられる。三人目は逃げ出した。人ごみにまぎれればやっかいだ。路地から出る前に片付けなくてはならない。ヘイジが剣を投げつけようとした瞬間、何かが男にぶつかった。

 白い羽の大きな鳥、ではなかった。蜜色の短い髪を揺らし、男の背中に足を置く。一瞬だけ、ヘイジは目を奪われた。

 綺麗な顔だ。手も、自分より小さい。眼は翡翠のように輝き、肌は血色の良い色をしている。少し厚い唇をくっきり動かし、甘い声だが厳しい口調で言った。

「荷物はどこ? 」

ヘイジは剣を抜いたまま近づいた。蜜色の髪をした娘がこっちを振り返る。

 地人ではない。肌の透明さや、薄い色の髪は天人のものだ。娘はヘイジの剣を見た。

「良かった。警吏を呼ぶ必要はないみたい。」

 ヘイジは娘に代わって男を縛り上げた。

「月の民か。」

 ヘイジは注意深く聞いた。

 自分の姿は、警吏には見えなかった。警吏独特の蒼い紋章の入ったタスキも腕章もつけていない。娘の言葉は故郷で馴染みのある発音だった。

「何故分かった。私が警吏だと。」

 女は首をかしげた。

「剣の持ち方。剣術を学んでいる人だと思ったから。」

男がもがくと、女はその頭を蹴った。

「先生の荷物はどこ。大切なものが入っているの。おさいふとか、切符とか。先生が帰れなくなっちゃう。」

 言葉遣いは優しいが容赦はなさそうだ。こういった手合いを相手にするのになれているのだろうか。他の警吏隊もやってきたのでヘイジは任せた。

「こいつらは一旦廃棄場に荷物を隠す。他の者が回収して渡しているはずだ。」

「本当? 良かった。」

 娘が笑った。よく笑う顔だ。

「名は? 」

 立ち去りかけた娘に、ヘイジは声をかけた。

「どうして知る必要が? もう会うこともないのに。」

 娘が顔に布をかけ、あっという間に人ごみに消えた。

 月の民の娘は、けっして大地に下りない。降りるとすれば、夫がいる。羅倶汰にいても、大地にいても、彼女達は外に出ない。ましてや、男にとび蹴りをしたりはしない。では今ヘイジが見たのは何だ。蜜色の髪に、白い肌に、凛とした声をした娘。ならず者に飛び蹴りをした。

 関わらないほうが良い。それだけは分かる。ヘイジは忘れることにして、上司の下に戻った。せっかく潜入調査したのに隠れ家までは突き止められなかった。今日捕まえた男が事情を知らない、ただのひったくりでないことを祈るばかりだ。

 船着場で待機している上司の元へ行くと、荷を渡しているのか、先程の娘とその父親らしい男がいた。

「助かった。帝から任された書類も一緒になくすところだった。」

 荷物を受け取っていた老人がヘイジに笑った。上司が直々に荷物を確認している。つまり、地位のある者だ。

「ありがとう。テト家のご子息だね。」

 ヘイジはぎこちなく笑った。自分の家名を出されるのはあまり好きではない。

「立派な青年になられた。お父上は元気かい。」

「父をご存知で? 」

父の知り合いなら、かなり名のある者だ。だがこの顔を知らない。ヘイジは父の知り合いに会った時、ちゃんと顔を覚えていなかったことを後悔した。

「少しだけだがね。よろしく伝えてほしい。庭師の学者と言えば、分かってくれるだろう。」

 ヘイジの記憶力から、ふっと思い出が過ぎる。月帝から直々に城庭を任された、学者に会った。この老人が、まだ白髪が少なかったころだった気もする。ヘイジは十にもならない子供だった。

 船の出る合図がした。老人は娘と手を握り合うと、一人で搭乗口へ行く。

「ツナをよろしく頼むよ。」

娘が微笑んでうなづいた。

 老人の姿が見えなくなるまで見送ると、娘はそのままどこかに行こうとした。

「また会ったな。」

 ヘイジは、とっさに声をかけた。

「私は、ヘイジ。また会うかもしれないから覚えてほしい。」

 娘が苦笑いをした。そのまま、飛行艇乗り場の出入り口まで行く。

 よほど名乗りたくないのだろう、ヘイジが背中を向けた瞬間、娘の声がした。

「オウビというの。」

 ヘイジが振り返る。娘は微笑んで手を振った。

 後ろから首根っこを上司に捕まれた。

「行くぞ。まだ仕事はあるんだ。」

 振り返れば彼女の姿はすでになかった。


 この世界は空に住む一族と地上に住む一族に別れ、天人、地人と呼ばれる。さらに天人の中でも月の民、陽の民とに別れる。それぞれ最初に住み始めた場所が違うため、独特の文化と気性とをもつ。

 地人はもっと多くの民に別れる。空と主に交流を深めているのが、娑原しゃはら と呼ばれる場所に住む民だ。タイ族と呼ばれるらしいが、彼らはそう呼ばれるのを嫌う。元々山賊のだったのだが、そこに住んでいた一族を滅ぼした。

 天人は地人の王に興味はない。誰が王になろうとも、地人は等しく天人の目から見れば、技術もなく、文化も知性もない侮蔑の対象でしかなかった。

 しかし最近、娑原に反乱組織が潜んでいるという情報が入った。

 ヘイジの親の代で陽の民と月の民の戦争は終わった。けれど、どちらが帝か決着をつけたいらしい者たちは反乱組織という形で、活動を始めた。十五年前、月帝が暗殺されかけた。彼らは帝が乗るはずだった飛行艇を襲った。

 寸前で帝は別の飛行艇に乗り、代わりに乗った第二皇子が襲われた。皇子は重傷を負い、近衛兵が五人殺された。

 ヘイジは帝の近衛兵を志願したが、まだ若すぎた。けれど才能を認められ、対反乱組織の組織に入った。結果、羅倶汰を降り、地人達の住む場所に移らなくてはいけないのは苦痛だったが、ここで功績を残せば早く出世できる。

 ヘイジは兄と供に娑原に設けられた一区に住むことになった。最も、ヘイジは駐屯所で仕事をし、帰ってこないことも多いので、十日も顔を合わせないこともよくある。 

 兄のハルは羅倶汰に運ばれる物資の管理をしている。穏やかな男で地人に対する嫌悪はなく、誰とでも打ち解ける。今日も忙しそうに書類を整理している。ヘイジと違い、兄のハルは父の仕事を任されるようになった。今日も帰ってくると、食事をせずにせっせと書き物をしていた。

 挨拶もそこそこに、ヘイジは兄の机に手を付いた。こうでもしないと、この人は気づいてくれない。

「父の知り合いに会いました。素性が知りたい。庭師の学者だと名乗りました。」

 父の知人はヘイジより兄の方が詳しい。ハルはやぶから棒に言われ、少し戸惑った。

「ニジ博士か。月帝からも仕事を任されているのだが、娑原や鉱山街の周辺で研究していることが多いので滅多に会えない。どこでお会いしたんだ? 」

 ヘイジは兄の記憶力に感謝した。

「飛行艇乗り場で。ここに別邸でも持っているんですか? 」

 ハルは書類を片付けた。

「娑原の端に、ほとんど山みたいな場所に持っている。」

 ヘイジは自分の用事だけ済ませると兄の部屋を後にした。そして思い出したように戻ってくると、言った。

「夜遅くまで書いていると眼を悪くしますよ。」

 ハルは苦笑いして肩をすくめた。


 飛行艇は羅倶汰から削り取った浮遊石を使って造る。飛行艇から下りると時間が余っていた。ヘイジは自分の周りを見渡した。お茶を飲む者もいれば、親子連れもいる。ヘイジが見晴らしの良い場所に立っていると、背後で子供のはしゃぎ声がした。 幼い子供と顔を布で隠した父親。子供が布を外そうとすると、父親はかけなおす。

「どうして、わたしはとっちゃいけないの? 兄さまはとってるのに。」

 父親は言い聞かせながら、きつく顔に布を巻く。娘なのだろう。

「お前はいつも早いな。」

 顔を上げると頭髪のない男がいた。ヘイジが頭を下げると、男は片手を上げた。

 二人は長い溝の上を進む、箱に乗った。黒い煙を煙突から吐き、ゆっくり進んでいく。徐々に速さは増し、歩く人よりも遅かった速度は走っている馬車を追い抜いていく。

 ヘイジは眼を細めて外を眺めた。子供達が数人連れ立って歩いている。白い服を着た大人に先導され、まっすぐに余所見もせず歩く。義務教育の子供達だろう。

 箱が止まり、肩が揺れた。大きな門が開き、箱はその中に進んでいく。

 月の帝の城は純白だ。この白さを保つために、何人も掃除夫が朝から晩まで磨き続ける。ヘイジは初めてここに来た時、緊張で震えた。幼い自分の運命を決めた日、ヘイジにとってこの場所はつねに分岐点だった。

 上司の背中をヘイジは見た。ホウドはそれほど高貴な生まれではなかったが、その力を買われて近衛兵士となった。それから対反乱組織の創設に加わった。

 武術にも長け、頭も切れる。何より公平だ。そこが好かれているが、頭が固すぎるとヘイジは思うが、彼の前ではなるべく無礼な発言は控えるようにしているので、そのことを告げたことはない。今日は会議があるはずだ。ヘイジは二回目だが、こんな奥には以前はこなかった。

 箱が再び止まった。ヘイジはホウドと一緒に降りた。長い廊下を歩く間、誰ともすれ違わない。廊下の先には明るい庭が見えた。花がふわりと咲く中に、池がある。蒼い服を着た青年が一瞬見えた。

後ろにを誰かの気配を感じた。ヘイジは振り返ったが誰もいない。

「ごきげんよう。」

 ホウドの声がし、ヘイジはもう一度振り返った。

 銀色の髪の男がいた。ホウドに負けず背が高いが、髭まで銀色だった。刈り上げられた髪を見て、この男も兵士なのかもしれないと思った。ヘイジと眼が合うと、男は少し首を傾げた。

「テト家の? 」

 ヘイジは頭を下げる。男はただこっちをじっと見つめた。

「まだ若いな。」

 そして廊下の奥に消えて行った。

「隠密のソウ殿だ。」

 隠密という言葉は、一度聞いたことあるが実際にそう呼ばれる者を見たのは初めてだ。彼らは決して表には出てこない。姿も見せない。その人物と顔なじみだということは、ホウドはヘイジが思っているよりも深くこの国の中枢に関わっているらしい。

「背が高いですね。隠れられるんですか? 」

「本人に聞いてみる機会があれば、聞いてみるといい。」

 聞けば殺されそうだが、そこまで気軽に声をかけられる仲になれる日がくるだろうか。永遠にこないだろう。

「彼らも反乱組織を追っている。お前が捕まえた男が、大量の浮遊石を運びこんだことを吐いた。」

 庭に出ると、さっきまで池の向こうにいた青年がこっちにいた。ホウドがひざをついたので、ヘイジもならう。

 銀色の髪と蒼い目。帝に近しい者しか許されない烏帽子。ヘイジとそう変わらない歳だろう。ふっと相手も腰を降ろしたので、顔を上げると膝をついていた。

「やはり草は気持ちいいな。石は固いし冷たい。」

 高貴な者が草に膝をつくなんて、ありえない。唖然とするヘイジと同じく、ホウドも唖然としていた。

「ヘイジだな。私はカツキだ。よろしく。」

 ヘイジが思わず顔をあげる。家名よりも名前を先に出されるのは初めてだ。しかも自分より先に名乗った。ホウドが渋い顔をしている。

「皇子。お召し物が汚れます。」

 皇子に会えるような身分ではまだない。これから先、順調に出世して最終的に会う相手なのに、こんな初めの段階で会いたくない。恐れ多すぎる。

 ヘイジの緊張しきった後頭部を見て、皇子は苦笑いをした。

「私の顔を覚えてくれ。私が帝になるときは、お前が近衛になるのだろう? 」

 その声は冗談で言っている様子はなかった。ヘイジは顔を上げた。

 何をびくびくしている、お前の目指す場所はそんなところか。

 彼の眼差しはそう言っているように感じた。同時に、皇子の目には、月の民が滅多に見せない狡猾さと力があった。懐剣のように、幾重にも重ねた着物の下に隠す感情。この皇子は必ず帝になる。他の兄弟を蹴落とし、玉座を手に入れる。

 ヘイジはそんな予感がした。

「この干菓子は美味いぞ。持って帰ってくれ。会議の前なのに悪かったな。」

 皇子が紙に包まれた干菓子を渡した。皇子の指はガサガサしていて、節が固かった。自分の指と同じように。この皇子はひ弱ではない。戦うための術を学んだ者の手だ。

 従者達が皇子を迎えに来た。顔を隠し、青い服をまとった姿は、もう皇族の青年にしか見えなかった。

「……不思議な人ですね。」

 それは侮蔑ではなく、ヘイジは心からそう思った。

「皇子は反乱組織によって重傷を追わされた。今回のお前の働きを高く評価している。」

 ホウドが少し微笑んだように見えた。そんな笑い方をするなんて知らなかった。



 月の民の女は結婚をすると家にこもる。彼女達が外に出ることはほとんどない。ヘイジの母も家にこもっていた。彼女はヘイジが幼い頃に死んだ。父はヘイジも政治家にしたかったようだが、兄のハルの方がよほど向いていたので無理にすすめなかった。近衛兵士に志願した時は嫌な顔をしたが、最近は諦めている。

 父は自分の家族から、おちこぼれをだしたくなかったのだ。

 ヘイジは家に戻ると、兄がぼんやりと外を見ているのに気づいた。苦手なことに直面すると、兄はいつもぼんやりと外を見ていることが多かった。

「また見合いをすすめられたんですか? 」

ヘイジが言うと、ハルが溜息をついた。

 父は、自分が同じ歳の時母と結婚した、と言ってはハルに見合いをすすめる。ハルはまだ仕事を大事にしたい。結婚をしている場合ではないと言っている。そして娑原で主に仕事して、その話しから逃げていた。

「父上も長くないのだから、早く孫の顔が見たいのでしょう。」

「ならばヘイジが結婚すればいいだろう。」

 ハルは頭を抱える。

「お前の方がよほど、私よりも器が広い。」

 結婚。ヘイジはいつか自分も通るであろう難関を思い浮かべた。このまま順調に昇進していけば、父が望むような名家の娘と結婚させられる。

「ヘイジはなんでもそつなくこなすだろう。私よりもお前は器用だ。」

 兄は弟を過大評価しすぎる、とヘイジは感じる。元々気の弱い、優しい人だからだろう。弱気になると自信を失くす。ヘイジからすれば、黙々と地道に仕事をこなしている兄を尊敬している。机に向かって調べものをしたり、計算をしたり、政治の話をしたり、ヘイジにはとてもまねできない。

「私だって、困難にぶつかることはあります。」

 ヘイジは兄のうなじを見ながら言った。

「ヘイジ、お前が以前言っていた、ニジ博士の娘なのだが……。」

 ハルが思い出したように言い出したので、ヘイジは隣に座った。

「身寄りのない月の民の娘だった。ニジ博士が話してくれたよ。」

 身寄りのない娘を養女にする。それは珍しい話ではない。特に美しい娘なら、子供がいない夫婦には喜ばれる。

「お前と同じように義務教育期間を宿舎で受けていた。彼女はお前より一つ早く卒業していたよ。」

「それからどこに居たんです? 」

 身寄りのない女子は貴族の家に奉公に出されるか、器量や成績がよければ嫁ぎ先を与えられる。彼女は美しかった。言動から察するに性格は独特だが愚かでもない。ならばいくらでも嫁ぐ場所があっただろう。

「詳しくは分からなかったが、羅倶汰から降りた様だ。その先でニジ博士が身を受けたらしい。」

「何故娑原においているんですか? 助手なら、羅倶汰にもつれてくるでしょう。妾じゃあるまいし。」

 ヘイジが言うと、ハルが非難がましい眼で見た。

「お前、なんてことを。ニジ博士はそんな人じゃない。」

 ヘイジは自分が失言をしたことに気づいた。だが、それもよくある話だ。美しい娘を養女とし、妾にする。娑原に降ろしておけば、外聞も保たれる。

「あの方は妻子を亡くされてるんだ。育っていたら、お前と同じ……あの娘と同じくらいの歳だ。下世話なことを言うな。」

「申し訳ありません。」

 ハルが怒っても怖くはないが、ヘイジは素直に謝った。

「挨拶に行け。菓子折り持って。」

「今度休みがあったら行きます。」

 ヘイジが面倒くさそうに言うと、ハルは眉間に皺を寄せた。

「本当に休みがないんです。貴族の護衛をまかされたり。反乱組織の隠れ家を探したり。そういえば、兄上も何か探していたそうですけど分かりました? 」

「それがまだ全然分からない。塩の量が取れた量とまったく違うんだ。物価がおかしくなっている。どこかで抜いているみたいだ。」

ヘイジはうまく話をそらせたと感じた。

「どこかの商人が在庫隠してるんのかもしれない。」

 重い溜息をハルはついた。ヘイジは気の毒そうに兄の背中を叩いた。



 娑原の王都は治安がよくない。貧富の差が激しいからだろう。繁華街はうっかりしていると財布どころか、命までとられかねない。ヘイジはこの街が嫌いだ。男は薄汚く、女は下品だ。そして誰もがずるがしこく見える。天人が繁華街を歩くとわらわら群がって物を売りつけようとする。

 ヘイジは眉間に皺を寄せて半裸にも等しい女達を見た。

 貴族の護衛ほど馬鹿馬鹿しい仕事はない。それも、娑原で女をはべらかす宴の護衛なんか、まっぴらだ。宿屋を貸切一晩中この馬鹿馬鹿しい催しの護衛なんて、嫌な気分だ。

 胸元をさらした黒髪の娘達が宴の中心にいる人物に寄り添っている。真っ白にぬりたくった顔に赤い唇をしている。けばけばしい毒キノコみたいだ。

 どこの貴族だ。こんな趣味の悪い遊びに付き合わされるなんて、最悪だ。ヘイジは宴の中心にいる男を睨んだ。顔はショールで見えない。

 扇を持って躍っている娘達の間を、かかとの高いサンダルを履いた、黒い長い髪の娘が歩く。髪が帯のように、ひらひら揺れる。白い足と腕、胸元は出していないが、綺麗な背中が見えた。

 娘は深々とお辞儀をすると、音楽が変わった。細く長い太刀をぬく。娘は軽やかに踊り始めた。

 周りから溜息が出るが、ヘイジはじっと娘を見る。

 細い腕だが、あの太刀は女に振り回せる重さではない。刃の長さ、広がった美しい波紋、男でもあんなに軽やかに振り回すのは、難しい。娘は見えない敵を切り捨てているように見えた。

 ヘイジは踊りや音楽には興味がない。初めて、半裸で踊っている娘を美しいと思った。娘は息を切らせず、汗もかかず、くるりと回ると止まった。歓声が降り注ぐ。下品で悪趣味だった宴なのに、この娘からは気高く媚びない美しさを感じた。

 貴族が娘に手招きをする。娘は、剣をその場に置くとゆっくり近づいた。

 銀色の腕輪をつけた手が、髪に花をさした。娘は頬を赤らめ、微笑んだ。彼女の伏せた睫毛、目の色を見たとき、ヘイジはギクッとした。

 黒い髪、だがその眼はあまりに明るい翠色をしている。オウビだ。黒い髪、ぬりたくった白い肌、自分でもなぜ気づいたか不思議なくらいだが、それよりも彼女が何故こんな所で踊っているのか、そっちの方が重要だった。

 宴が終わり、ヘイジは戻ることを許されたが、帰らずそのまま娘のことを尋ねた。胸元を開いた娘達は、ヘイジが若く顔立ちの良い男だということに心をよくしたのか、話した。

「あの子は女将さんが気に入って連れてきたんだよ。今日もうまくやったから、床に呼ばれてるし。」

 話しを聞き終わらないうちに、ヘイジは走って二階に駆け上がった。護衛をしていた男達にうまく言い繕い、部屋の前でまさに入ろうとしていたオウビを見つけた。オウビがヘイジに気づいて振り返った。彼女の手は盆で塞がっていた。

 黒髪のかつらに花をつけたままだが、上着を羽織っているので、足も腕も隠れている。緑の眼がヘイジを見た。

「ニジ博士の助手が、娼妓の真似事を? 」

「貴方だって、地人の物乞いの真似事をしていた。」

 オウビはすました顔で答えた。臆する様子はない。

「それを言いにわざわざ来たわけではないでしょう。開けてくれない? 」

 わざわざ来たとも言えないが、扉を開けるわけにもいかない。しかし、扉は勝手に開いた。

 顔に布がかかっていたので、鼻筋しか見えない。襦袢の間から鍛えられた胸襟が僅かに見える。オウビは盆を全く傾けず、頭を深く下げる。貴族の男はヘイジに気づくと、指で入るよう指示する。

「テト家の剣士も歓迎しよう。」

 聞き覚えのある声にヘイジが固まっていると、オウビが部屋の中に入っていくので、追いかけた。

 ヘイジは自分の記憶違いだと思った。だが、部屋の扉が閉まり、布の下から出た顔を見れば否定するわけにもいかなかった。どこの家の者か伝えられなかった。貴族にしては、警備が厳重だと疑問に思った。だがまさか、こんなことが今まであったのだろうか。

「お茶をお持ちしました。」

 微笑んでオウビが湯飲みを差し出す。白い手が受け取る。ヘイジはこの白い手から干菓子をもらった。

「皇子、ここで何をしてるんですか? 」

 ヘイジは頭が痛かった。銀色の髪をした青年は、お茶を飲んだ。

「寝床ですることは一つしかないだろう。」

皇子の口から聞きたくない返答に、ヘイジは頭を押さえた。

「娑原の娘は明るくて可愛らしい。花のようだ。」

「花なら羅倶汰にも咲くでしょう。娑原まで足を運ぶまでもありません。」

 ヘイジが言うと、皇子は笑った。

「同じことをホウドも言った。」

 笑い事ではない。何故誰も止めない。 空の湯飲みにオウビがお茶を注ぐ。皇子はその白い頬に触れた。

「また一段と美しくなった。」

 オウビが頬を染めて微笑む。ヘイジはそれを見ていらっとした。

「こんなところにふらふら遊びに来て、暗殺されたらどうするんですか。」

「それを阻止するのがヘイジの役目だろ。信頼している。」

 何を言っても無駄だろう。ヘイジはそう感じた。

「オウビ、頭は重くないか? 」

 皇子が頭をなでながら言うと、オウビはカツラの長い髪の毛を持った。

「とても重いですけど、不思議な気分です。娑原の娘になった気分です。」

「半裸の踊り娘が? 」

 オウビはヘイジの前にドンと手を着いた。

「私の舞に文句があるの? 」

「貴方が半裸でふらふら歩くからでしょう。」

 ヘイジが立ち上がる。額を寄せ合う二人を見て、皇子は笑った。

「二人共、仲がいいな。昔からそうなのか? 」

 オウビがきょとんとした。

「昔、オウビが叩きのめしただろう。選抜試験で。」

 オウビがヘイジを見る。思い出したように両手を合わせた。

「あの小さな。」

「小さくない。」

 嫌な予感が的中した。

 選抜試験の最終選考で自分に飛び蹴りをした受験生。その時は娘と気づかなかったが、卒業後に兄から娘だったと聞いた。

「昔から変わってない。わが身を振り返る時間はあったはずなのに、何一つ変わってない。」

オウビはむっとした顔で言った。

「失礼なこと言わないで。変わった。あの頃よりもずっと高く飛べるようになった。」

「蹴りの話しじゃない。」

オウビは言い返そうとしたが、皇子のお茶がなくなったことに気づき、おかわりを注いだ。

「オウビ、ヘイジの顔をよく覚えておけ。何かあった時、助けてもらえる。」

 オウビは眉間に皺を寄せてヘイジを見た。

「私は大丈夫です。心配なさらなくても、今までのようにうまくやります。」

 ヘイジには決して向けない、愛らしい笑顔を皇子に振りまく。

「オウビ、手を。」

 皇子が掌を出したので、オウビは遠慮がちに手を差し出した。今までの行動で他にも遠慮するところがあっただろう、とヘイジはあえて言わなかった。

「オウビに似合うと思う。白蘭だ。」

 香水の小瓶を皇子が手渡す。透明な液体が入っていた。オウビは感激したように笑った。

「ありがとうございます。大切にします。」

 皇子は、外見よりもずっと大人びた笑顔をした。

「これからまた集まりがあるのだろう。気をつけて。」

オウビは深く頭を下げると、部屋を出て行った。

「彼女は、何者なんですか? 」

 ヘイジは思わず尋ねた。

忍者しのびものだ。ソウ殿の下で働いている。」

「女なのに? 」

皇子が笑った。

「彼女は昔から強かっただろ。それに軽やかに飛ぶ。」

 皇子が煙草を取り出した。これが月の民の皇子には見えない。商家の道楽息子にしか見えない。暗殺する側も、これが皇子だとは気づかないだろう。ヘイジは漂う煙を眺めた。皇子は慣れた様子で煙草を吸う。

「それだけでなれるわけではない。彼女の師は手は抜かない、娘を育てる気もなかったが、オウビにそれだけのものがあった。」

「皇子は、彼女のことをよくご存知なんですね。」

 ヘイジが言うと、皇子は苦笑した。

「彼女の父が亡くなったのは、私を守ってのことだった。」

 ヘイジは黙った。皇子の吐いた煙がふわりと漂った。

「助けてやってくれ。あの子が困ったときに。」

 皇子の笑い方は優しかった。家族を想っているように見えた。

 皇子は父親の代わりに暗殺されかかった。そして、オウビの父は皇子を守るために死んだ。それだけが二人の繋がりなのだろうか。もっと、別の深いものを感じる。

「私もしばらくは娑原にいます。できうる限りのことはします。けれど、皇子はこの遊びをやめてください。」

 皇子が苦笑いをした。

「娑原の娘は口も軽くて物知りだ。おもしろい話も聞ける。怪しい天人がどこそこにいたとかな。」

 注意深く、皇子の横顔を見た。微笑んでいるのに、なぜか緊張した。

「ヘイジも遊んでもらうといい。地人の娘は味方にすると心強いぞ。」

 ヘイジは、愚かかもしれないと思いながら、もう一度皇子に問いかけた。

「何故、わざわざ娑原に降りてきたんですか? 」

 皇子はヘイジを見つめ返した。微笑んでいたが、彼の眼は笑ってはいなかった。

「父上は守るのはうまいが攻めるのは苦手だ。平和な世では父のような力の方が重要かもしれんが、私は肋骨をへし折った者共を許す気はない。」

 先程まで穏やかで優しい笑顔を浮かべていたのに、今は別人のように冷ややかな笑い方をしている。

 皇族という存在を、ヘイジはこれほどまで近くで見たことはなかった。彼らが悪意を持ち、襲い掛かることがあればどうなるか、考えたこともなかった。

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