第一話 砂漠の原石
山や森から離れた鉱山街にある、小さな農場でオウビは働いている。この鉱山街は比較的治安が安定していた。周りは年上の農婦ばかりで、同い年の娘は一人もいなかった。朝水を撒き、土を耕し、季節によって収穫できるものをもぐ。日が昇り日が沈むまで働く。
休みになるとオウビは顔に布をくるりと巻いて、外に出た。街はほこりっぽくて、竹を組んで土で固めた家が密集している。どの家も一見違いがないが、家の扉の上に置かれた飾りや、窓の形で区別がつく。裕福な家の前には囲いがあって、ヤハクや鳥を飼っている。
オウビは動物がいる家の前で、一軒一軒その動物の顔を見て行く。不思議と、動物達もオウビに挨拶をしてくれるように寄ってくる。飼い主が親切だと、小屋の掃除をさせてもらい、卵や乳をわけてもらえる。
今日オウビはそれが目的で家を出たわけではなかった。この街の外れ、岩の密集した場所に小さな家がある。岩の中に隠れるような場所に、ひっそりとある。オウビはよその家から逃げ出したヤハクの子供を追いかけているとき、ここを見つけた。初めて会ったのはこの家の主が飼っている、山犬だった。
オウビは初めて山犬を見て、驚いた。灰色と黒が混じった毛をし、ヤハクよりも小さくて、毛が柔らかくふわふわしていた。黒くて大きな眼と、鼻。わふっと鳴いてオウビのそばまでやってきた。
オウビはこんなに愛らしい生物がいるなんて知らなかった。それまでは、世界で一番可愛いのは、ヤハクの子供と鳥のヒナだと思っていた。
オウビはこの鉱山街に来るまで、空に浮かぶ羅倶汰で暮していた。土いじりをしたことはほとんどなかったし、動物に触れることもまったくと言ってよいほどなかった。
犬がオウビの身体にすりっと寄り、その温かさとふわふわした毛並みに感激した。ヤハクの子供を抱えていなかったら、思う存分抱きついてほおずりした。
しかし、オウビがヤハクの子供を降ろす前に、家の方で犬を呼ぶ声がした。オウビは怖くなって、ヤハクの子供を抱えて逃げ出した。犬がきゅーんと切ない声をあげたのが、オウビにも名残惜しかった。
宿舎に帰って調べると、その生物は山犬だと分かった。オウビは、一晩中山犬のことばかり考えて、次の休みにはその家にこっそり行った。山犬はオウビが来たことに気付いたのか、出てきてくれた。けれど、飼い主も一緒だった。
顔を隠した、青白い男だった。低い声を聞くまで、オウビは男だと気付かなかった。
男はオウビのことを怒鳴ろうとしなかった。代わり名前を教えてくれた。 ニジと名乗った男は学者だった。彼は乾いた土地に負けない植物の研究をし、定期的に、実地研究をするのだそうだ。
ニジの家は書物だらけで、揺り椅子が書物に占領されていた。
「お嬢さん、時々ここに来て、水あげてくれるかい? 」
そこには針をはやした緑色の奇妙な植物があった。瑞々しい緑色の奇妙な植物に、オウビは眼をぱちくりした。
「水をやりすぎたら腐る。」
そう釘を刺され、オウビは気をつけて世話をした。
水は時々でいいようだった。オウビは水をやらなくても来て、部屋の本を片付けた。難しいものばかりだが本は中々手に入らない。ニジが読むことを許してくれたので、オウビは夢中になって読んだ。
ニジが来ていると、彼の飼っている山犬が必ず先にオウビを出迎える。今日も岩場を曲がりきらないうちに、茶色の毛のかたまりが飛び出した。
「ツナ。」
わふっと嬉しそうに鳴いて、山犬のツナがオウビに擦り寄る。
「先生は? まだ寝てるの? 」
きゅーんとツナが言うので、多分寝ているのだ。家の中を覗くと、今にも崩れそうな本の間に寝ている姿が見えた。片付けるたびにニジは汚していくので、仕事のやりがいがある。
ニジは銀髪の髪をし、病的に白い肌をしている。眼の下には黒々としたクマが浮かんでいた。オウビはこっそり、寝顔を見た。揺り椅子の中で沈む姿は、かわいそうなほど疲れている。
ニジの肌の色や髪の色は、空に澄む天人の色だ。オウビは懐かしく思いながら、ニジの寝顔を眺めた。
「学者さんって大変。」
オウビが言うと、ツナがきゅーんと賛同するように鳴いた。
ツナと一緒に外に出て、岩陰にいる虫を探した。人気の無い岩陰には殻虫が多い。焼くとぷりっとしていておいしく、栄養も多い。
オウビは家の前で火を起こして、焼いていた。ちょうどニジが起きてきた。
「待たせたね。お茶があるよ。」
オウビは火に土を被せてツナと家に入った。
ニジが本を片付け、発掘した机の上で虫と一緒に食べた。
「オウビのおかげでよく育ってる。」
ツナが冷めた殻虫を殻ごともぐもぐ食べる。
「もう少ししたら実もなる。葉を焼いても美味しいがね。」
「食べれるの? このとげとげ。」
ニジはまだ寝ぼけた顔のまま、お茶をそそぐ。
「棘と周りの皮だけはいて、脂でやいて塩ふると美味しい。育ったら食べさせてあげよう。」
オウビがじっと、今まで自分が育てていた植物から、食物に変わった様子を見てニジが噴出した。
「オウビ、お前は賢くて良い娘だ。親はどこにいるんだ? 」
ニジは初めて、オウビの素性を尋ねた。
「私の父様と母様は死んでしまった。二人共空の上にいる。」
ツナの頭をオウビはなでた。ニジは、じっとその小さな頭を見た。
「私は街の農場で働いてる。羅倶汰に運ばれる野菜を育ててるよ。でも、本当は……笑わないで聞いてくれる? 」
オウビは少し不安そうに、ニジを見た。ニジはうなづいた。
「本当はね、月帝の護衛兵士になりたかった。」
ニジは笑わなかった。オウビは話を続けた。
「でも、どんなに強くても、勉強ができてもだめなんだ。護衛兵士は男じゃなきゃなれない。だから、私、一回だけ選抜試験を受けた。こっそり、級友の男の子に頼んで。でも、女だからだめだったの。」
ニジはじっとオウビを見つめた。
「私と供に来ないか? 」
オウビはきょとんとした。
「私は月帝に頼まれ、この研究をしている。お前はここにいるのは勿体無い娘だ。」
ニジの眼はからかって言っているのではない。ツナも誘うように、オウビを見つめた。
月帝の護衛になるには、年月を要求する。教養、体力、精神。その全てを試される。義務教育課程を修了し、志願した者は選抜試験の受験が認められる。ふるいにかけられ最終的に残るのは、一握りだ。その後兵役を五年得てなれる。
男であれば。
昨年、最も優秀な合格者がいた。教養もあり、長い訓練に負けぬ精神を持ち、どの受験者達よりも武術に長けた者だった。義務教育課程での成績はそれほど優秀ではなかったが、選抜試験においてはどれも眼を見張るものがあった。
しかし、合格後発覚した事実により、その受験者は落第させられた。
家柄よりも、成績よりも、ただ女であったというだけで。
オウビは身寄りのない娘だった。そんなことをしでかしたオウビを、養女に迎えるものもなく、羅倶汰を降ろされここで労働をするしかなかった。
オウビは宿舎に帰る間中、わくわくしていた。月帝の役に立てる。今よりも、もっと大切な仕事が出来る。夢のような話だった。
けれど眼が覚め、朝になり、仕事の支度をしていると、不意にそれらは全て幻ではないのだろうかと思った。
女の自分に、そんな大事な仕事をもらえるものか。
ニジは自分を哀れんでそんなことを言ったのではないか。
そして一月ほど経ったある日、管理課の女性がオウビを呼び、客間に案内された。
整った制服を着たニジがいて、オウビに笑った。
「支度をしなさい。必要なものをまとめて。」
オウビは、思わずニジに抱きついた。管理課の女性が、顔をしかめたが、ニジは微笑んでオウビの頭を撫でた。