文化祭 (2)
※展開が早いです。
何でこんな事になったんだろうかと、頭を抱えずにはいられない。
わざとらしくポンッという音をたて、右拳を左手の平の上へと置いてみる。けれど事態が好転するわけもなく、秋空は壁際に追い込まれたまま迫り来る壁。もとい女性陣に怯えきっていた。
事の起こりは30分前。書き物部に顔を出した後、クラスの様子を見に行こうとガラリ、と引き戸を開けた瞬間、慄いた。
それはもう馬鹿正直に隠す事無く、一歩後ろに下がるというおまけ付きで頬を引き攣らせたまま人の塊を確認していく。
大半が女子。男子は荷物持ちよろしくとばかりに背後に控えさせられている。顔を見てみれば、金城と聖城で半々と言った所だろう。実行委員としてはこうして当たり前のように一緒にいてくれる場面を見ると、苦労が報われたかなぁ、なんて嬉しくなったりもするのだが、今だけは嬉しくない。
嫌な予感、というかこれは脅威だろう。
「な…に?」
珍しく秋空の声がどもる。
それでも、この団体を目の前に突破をする為には、状況把握をしておきたいと自身を奮い立たせた。
本音を言えば…。
「(すっごーい逃げたい。ホント逃げたい。普段は可愛いけど、これだけ集団になると怖いしかない)」
だったりもする。
「鈴乃音さん」
「何?」
戦々恐々とする秋空とは対照的に、口を開いた女子は興奮気味にも見える。だが、この表情は何処かで見た事があると気付いた瞬間、最近度々感じた警報が脳裏に鳴り響いた。
これは、非常にまずい。
自分の好きなジャンルなら、ひゃっほー、と間抜けな声を上げながら先頭をきっていくのだが、如何せんそれ以外は消極的だ。
面倒だから当事者にはなりたくない。でも見学はさせてねとばかりに人の会話や行動を見ていたりもする。
そう。当事者は嫌だ。
それなのに、どうして目の前の団体は、お祭り中のテンションマックス的な表情を浮かべているんだろう。わかりたくないが、嫌でも男子が持っているレースをふんだんに使った可愛らしいドレスに目がいくんだろうか。
「……」
チラリチラリと気付かれないように隙間を探す。
探すけど、人間どころか猫の子一匹通れないっていうのはきっと、こういう事を言うのだろうとこの時ばかりは実体験で実感した。
「鈴乃音さーん。覚悟してね?」
「嫌だなぁ。すっごく遠慮したいな」
「無理よ。だって鈴乃音さん。選ばれたもの」
「何に?」
実行委員の秋空の管轄外で、何かが行われていたらしい。
きっと、というより絶対、玲奈も知らないだろう。こういう時の強制力はお祭りならではだが、秋空としては未だに逃げる機会をうかがっていたりもした。
「装いをかえたらきっと雰囲気が変わるよね女性部門ベスト10に選ばれたのよ!」
「わんぶれーす」
鬼気迫る様子に、思わず間抜けな言葉を漏らしてしまう。確か運動部だっけか。と同じ金城の女の子を見ながら、肺活量は流石だなぁ、と現実逃避とばかりにそんな所に焦点をあてながら感心した。
「さぁ、いくわよ。鈴乃音さん」
「えーー」
同じ女子とはいえ、秋空よりも筋力がついた女子は凄まじい。
抱き上げられ、変わる視界を堪能しながら、秋空は遠い目をしながら部活の仲間に手を振っていた。
勿論、生き延びれよーとばかりに手を振られたりもしたのだが。
そして、空き教室に連れ込まれ壁際に追い込まれる。
ここまできたら覚悟をするべきだろうかと、半ば自棄になりながら秋空は両手を挙げた。降参ですとばかりに。
壁際に追い詰められたままこの攻防戦を続けて実力行使に出られた方が、はっきり言って怖い。トラウマになってしまいそうだ。
諦めた方がきっと楽だと、瞳を輝かせる女子たちにひん剥かれるのだけは阻止しながら、淡いピンクのドレスを着込み、髪をいじられ、化粧を施され、鏡に映った自分を恐る恐る見てみれば……。
「おー」
髪はふんわりお姫様ヘアー。
ほんのりと施された薄化粧。取られた眼鏡。伊達だが、いつもあるモノがないと落ち着かない。踵のない靴なのはせめてもの救いなのだろうか。
「やっぱ可愛い」
「さすがベスト10」
「おおー」
三者三様の声があがるが、秋空は気づかない振りをしたまま机の上に置かれてあった紙に視線を向けてみた。
確かに、鈴乃音秋空という名前がある。
誰だこんな余計な企画をたてたのはと、内心苛っときた感情を押し込め、視線を更に下へと移す。
「あぁ。ありがちなスタンプラリーね。動き回るスタンプ要因に選ばれちゃったのか」
どうやら、聖城と金城を自由に行き来しても良いらしい。まさか公共の道路でこんな格好をお披露目したくはない。移動という手段は即座に却下しながら、秋空は続けた。
「すぐに押しちゃっていいの?」
参加賞のノリの記念品か、それとも商品か。それによって変わると思って聞いてみれば、返ってきたのはにんまりとした笑み。
思わず後ろに下がりながら返答を待っていると、さも当然とばかりに首を横へと振られた。
「逃げて逃げて逃げまくっちゃって。スタンプラリーは二種類あって、鈴乃音さんがやる方は、成功者がいなければいないほうが嬉しい企画だから」
「へー、そうなんだ」
そんな企画を作るなというのも、今更なのだろう。
「はい、スタンプ」
そして反論不可とばかりに手の平に押し付けられたハート型のスタンプ。
「さぁ、鈴乃音さん! 行っちゃって!!」
「……はーーい」
反論は無理そうだと、何度目かになるか分からない腹を括りながら、秋空は女生徒が怖い魔窟から足を一歩外へと踏み出した。
「白雪ちゃん。スタンプ押してもらってもいい?」
なんてお約束な。
いかにも軽そうな他校生に呼び止められ、秋空は自分のとりあえずの名前が白雪だという事を確認しながら、にこりと愛想よく笑う。
「可愛いねー。これが終わったらさぁ…俺たちと…」
「捕まえられたらスタンプねー。さらばーー」
男が最後まで言い切るより先に、隙をついて走り出す。
踵のない靴は善意でもなんでもなく、これの為。余程スタンプを押したくないらしい企画発案組み。
人の隙間を縫う様に。寧ろ廊下を歩いている人たちを壁にしながら、一目散に逃げ去る。これで白雪を見たという目的情報が多数のぼるだろうが、ここは金城。秋空の慣れ親しんだ学校である。
逃げ場所なんてどうとでもなるとばかりに、ひたすら走って追いかけてくる人間を撒く事に集中していたのだが、何でか追っている人間の数が増えているような気がしないでもない。いや、してる。始めは二人だけだったはずだと横目で確認すれば、10人は越えるであろう男の集団が秋空を追いかけていた。
「(今度は男かっ。嬉しくないっっ)」
こんなふうに目がぎらついた男に追いかけられたくない。
女の子はまだ許容範囲内だが、追いかけてくるのは掴まったら身の危険がありそうな男性の集団。一心不乱で隠れられる場所に逃げ込もうと身体を動かす。
でも、撒かなきゃいけない。この人数を前に逃げ切れるかなと不安が脳裏を過ぎった瞬間、後ろの方で声が上がる。
けれど確認している時間はない。
秋空は疲れた身体に鞭をうつように、廊下を蹴り上げようとした瞬間横から伸びてきた腕に身体を絡め取られ、本当の空き室へと連れ込まれた。
ぐえっと腹にかかる衝撃。
文句を言おうと口を開こうとすると、そこには指が当てられる。どうやら喋るなという事らしい。大人しくその通りにしていると、外をバタバタと走り去る音が聞こえた。
「(…助けて……くれたのかな? 文句を言わなくて良かった)」
文句を言おうとしたら、目の前の人間に止められたのだが、無理に口を開かなくて良かったと心底思う。
改めて礼を言おうと、顔をあげてみれば。
「……なんてべたな展開…」
そこには音哉の姿。
どことなく疲れ果てているようにも見えるが、それ以上に助けてくれるとは思っていなかった人物だけに、秋空は驚いたように目を瞬く。
「…手。怪我してたみたいだし。流石にあれは怖いだろ? だから、その、余計なお節介かもしれないけど、俺の姉、でもあるわけだし」
聞いてもいないのに、つらつらと忙しなく言葉を吐き出し始めた音哉に、秋空は更に目を見開く。
「今更って思うかもしれないけどっつーか俺も今更だと思うけど。今回の件で見直したっていうか。なんていうか。いつまでも反発してる俺が子供っぽいっつーか」
「……」
「男に免疫なさそうだし。あれは怖いだろうし。手は怪我してるし」
「(怪我ネタ二回目……なんていうか、いっぱいいっぱい?)」
澄ました表情の音哉しか知らなかった。
まさか、こんな風に助けてくれるとは思わなかった。
驚きで見開いた目を弧に描き、秋空は笑みを漏らした。
「助けてくれて、ありがとね」
初めて会った時から数ヶ月。
秋空と音哉の視線が、初めて絡まった。
「――ッ。いや、別に家族だろ。礼を言われる事じゃない」
照れたようにそっぽを向く音哉に、秋空は止まる事無く笑い声が漏れる。ここ一週間、音哉と秋空は一切顔を合わせなかった。文化祭の準備で忙しかったというのが理由。
お互いが一切それを気にしていなかったのだが、少し間を空けてみれば何でか姉弟の関係が成り立っていた。
「手はね、玲奈がやってくれたの。ちょっと切っちゃって。血は止まってたんだけど、一応ね」
だから酷い怪我じゃないよ、と笑えば、音哉が安堵したように眉尻を下げた。つり目がちの音哉にしては珍しい表情。秋空は初めて見たが、嫌な気分所か寧ろ嬉しいとさえ思った。
そんな秋空の心境を知ってか知らずか、音哉は何処か照れたような表情を浮かべ、視線を秋空の後ろの方を見ていた。今までが今までだけに、やはりこうして真正面から対面するのはお互い照れるらしい。
「そっか。良かったよ」
秋空の手を取り、包帯の上から優しく触れる音哉の指先。
「(…そっかそっか。音哉さんは、至近距離の人なんだ)」
くすぐったい感触に目を細めながら、改めて音哉の距離感を再確認。慣れてしまえば、秋空よりも音哉のほうがソレは遥かに近いのかもしれない。
ならばここで照れるよりも新しい家族との接触を楽しもうと、音哉に掴まれている手とは逆の手を伸ばし、ゆっくりと手を動かした。
兄弟がいたら一度やってみたかった事。
頭撫で撫で。
「…秋空?」
「アキでいーよ。一度やってみたかったんだ。こうやって甘やかすの」
どうやらさん付けはやめたらしい。
「――ッッ」
「ね。音哉?」
音哉に倣い、秋空もさん付けを止めてみる。
なんだかとってもいい家族になれそうだ。と、助けてもらった感謝の気持ちが後押ししながら、今までグダグダと考えていた事が全て吹き飛ぶ。
こうなってくると両親が帰ってくるのが心底楽しみだと、笑みが湧き上がる秋空とは対照的に、熱を持った頬を誤魔化す様に眉間に皺を寄せる音哉。
浮かれた秋空は、そんな音哉の様子にはまったくといっていい程気付かずただ笑うだけだった。




