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文化祭 (1)





 慌ただしい。寧ろ慌ただしすぎる日々が終われば、文化祭本番はあっという間だった。忙しすぎる日々は時間が経つのが異様な程早いが、今回はまさしくそれだと秋空は思っていた。

 忙しくて、家に帰れば原稿を打ち込みつつ、寝落ちする直前にベットへと倒れこむように睡眠をとる。一日が48時間あればいいのに!と叫べば叫ぶほど、時間が足りなくなるような気がするのは何故だろうと疑問に思いながら、原稿が完成したのはある意味奇跡かもしれない。

 実行委員が急がしくて、部長に原稿のデータを送るだけで精一杯。出来れば部活の方の売り子もしたいのだが、残念な事に今の時間は見回り中。それを終わらせるまで部活に顔を出すのは難しそうだ。

 だが、今回の当番は城崎とのペアで、気分的には随分と楽だったりもする。

 ぽてぽてと、少し間の抜けた靴音を響かせながら、キョロキョロと辺りを見回しながら歩いていく。辺りを忙しなく見回す秋空とは対照的に、城崎は淡い笑みを浮かべながら視線を前に向けていた。

 ただでさえ人気の高い金城の文化祭。今年の文化祭は合同だという事も手伝い、金城意外にも聖城の生徒の姿も、一般のお客の姿も入り乱れるように目前に広がる。

 油断をすると、城崎ともはぐれるんじゃないだろうかという盛況ぶり。

 そんな中でも、人々の視線を集める城崎は流石だと、心の中で拍手喝采をひっそりと送ってしまう。

 空気に溶け込むような地味な秋空の存在は眼中に入らないのか、割と足止めをくらう城崎とは対照的にスムーズに見回りが出来る秋空。しっかりと見回りという役目を果たし、人通りが少なくなった頃に途中で買ったお茶のペットボトルを疲れ果てている城崎へと渡した。

 前を向いていた理由は、視線を左右に動かすと勘違いする人がいるから、らしい。

「あらら。大変で」

 疲れた城崎が漏らした言葉に、一応気の毒そうな眼差しを向ける秋空。

「すごく他人事?」

「うん」

「……鈴乃音は…なんていうか素直だよね」

「正直に生きてるから。割と」

「見てて分かるよ。二次元限定で趣味が合うし」

「大丈夫。否定はしてないから」

「知ってる。というか、金城で引かれた事ないし」

「そだね」

 二人が揃うと、大体がこんな感じでのんびりとした時間が流れていく。好きな漫画やゲームの話しをしたり、人物観察でどんな人を見たか等など。話すネタは尽きなかったりもするのだが、やはり文化祭。

 いつものように趣味の話しに勤しんでいたが、時間が経てば別の女性たちが城崎を見つけ、再び女性たちの包囲網が完成されようとしていた。

 そんな中、ここぞとばかりに城崎とお近づきになろうとする女性に弾かれ、秋空は窓の手すりに掴まるようにして、なんとか体勢を整えた。


「……(恐るべし。女性の執念)」

 隙間から手を伸ばし、後をよろしくとばかりに手を振る城崎に頷きながら、目立たないように戦線離脱を試みる。ここで顔を覚えられ、後々絡まれる要因だけは作りたくない。

 城崎にはほんのちょっぴり申し訳ないと思いながら、見捨てさせてもらうことにした。

本部に報告をすれば、漸く書き物部に顔を出せる。

 ちなみにクラスの方は実行委員の見回りがあるという事で、当番から外させてもらった。下準備は全力で手伝ったりもしたが、それは部の方に顔を出した後にでも確認しに行こうと思いながら歩いていく。

 実行委員の本部は、放送室にある。

 本部待機も当番制で、今の時間は玲奈と相田の二人組み。この場合一人端数が出るのだが、その助っ人として放送部部長が力を貸してくれる事になった。

「あ…」

 放送部のドアに手を伸ばした瞬間、秋空は思わず声をあげていた。

 右手の平に見せるのは、ちょっとした切り傷。痛みがないから気付かなかったが、窓のサッシでやったらしい。弾き飛ばされた勢いが相当だったのかどうなのか。

「これなら絆創膏だけで十分かな」

 血は止まっている。けれど切ってる部分だけは気になるかなと、ドアを開ける前に制服に入っていた絆創膏を取り出し、それを手の平にぺたりとつけた。

 クラスのお菓子作りが今日じゃなくて良かったとしみじみ思いながら、放送部のドアをノックする。

「玲奈ー。悟君ー」

「どうぞ」

 声をかけたら、中から玲奈の声が返ってきた。その声は退屈そうで、秋空は内心肩を竦めながら遠慮なく開けた。

 目に飛び込んだ光景は、机の上に置かれたお菓子の山とポット。淹れられたばかりであろう紅茶とコーヒー。カップは三つ。

「アキはカフェオレだったわね。どうぞ」

 玲奈が差し出したものは、アイスカフェオレ。放送室で座っている二人はホット。見回りを終えたばかりの秋空にはアイス。

「ありがとー。お茶は買ったんだけどさ。甘いのも飲みたかったんだ」

 秋空の席を一つ開けてくれている二人の間に入るように、礼を言いながら腰を下ろす。この人通りの中、校舎を端から端まで集中しながら見回ったのだ。その疲労は相当のものだったらしい。

 氷の入ったカフェオレがものすごく美味しく、一気に飲み干してから秋空はホッとしたように椅子にもたれ掛かった。

 肩ががちがちで、ここ数週間の疲れを収束したような固さ。今日はお風呂でゆっくりと身体を解そうと思いながら、秋空は二人の視線が集中している事に気付いた。

「ん?」

「アキ」

「先輩」

 もう一杯カフェオレを淹れてくれようとしていたであろう玲奈の手は止まり、クーラーボックスからイチゴオレを取り出し、秋空の前へと置こうとしていたであろう相田の手も不自然に止まっている。

 これを全部飲んだらお腹がたぽたぽになりそうだが、飲みきれるから問題なし。なんて秋空は思っていたのだが、動きを止めた二人の視線は、腕を伸ばした秋空の手の平へと注がれていた。

 それに、いつもとは違った感じの呼ばれ方。

「あー。これ? 少し切っちゃったみたい。もう止まってるけどね。玲奈。カフェオレ淹れてくれるの??」

「えぇ。珍しいわね。運動神経は悪くないのに転んだの?」

「そうですよ。アキ先輩、見た目とは反比例して運動神経は良いじゃないですか」

「そりゃこの分厚い眼鏡はほとんど伊達だし。じゃなくて、転んでないけど。転びそうになっただけ。窓のサッシで切ったみたいだね」

 二人も気をつけてねー。

 そう言葉を続ける秋空に、玲奈はカフェオレをグラスに注ぎながら視線を相田へと移す。玲奈の視線に答えるように、相田が一回頷くと、棚に置かれていた救急箱から治療道具一式を取り出し、それを玲奈へと手渡した。

「大げさな」

 思わず口から出た言葉だが、その瞬間ものすごい強い眼光を浴びせられ、秋空は頬を引き攣らせながらおとなしく手を差し出す。

「どうせ、城崎君のファンの子に弾き飛ばされたんでしょ。だから、相田に任せとけば良かったのに」

「俺と城崎先輩だと、囲まれちゃって見回りにならないから──っていう理由でしたけど、俺もそう思いますね」

「大丈夫大丈夫。見回りはあれで終わりだし。包帯まで巻くの?」

 されるがままにしていたら、何故か包帯まで巻かれ始める。このままだと相当大げさになりそうだと思うが、玲奈と相田が怖くて、やはりされるがままにしておく。

「結構深いわよ。相変わらず血が止まるのは早いわね」

「んー。そう? そんなに深いとは思わなかったんだけど」

「こうしておけば、アキに用事を頼もうとする人間は激減するでしょ。遠慮なく休んでおきなさい」

「え? 目的それ?」

「私が治療したって言うのよ」

「オッケー」

 普段はサバサバとしているのに、こういう時は過保護だと苦笑が漏れる。

 隣で相田が相槌を打つように頷いているのも面白くて、秋空は礼を言いながら治療を受けたばかりの手に視線を落とす。

 秋空が手を動かしやすいように、動きを妨げないように巻かれた包帯。

 そして、目の前に置かれるイチゴオレ。

「どうぞ。これで糖分を補充どぞ。でも、書き物部であんまりテンション上げ過ぎないようにして下さいよ? 一時間後に俺が合流するまで、それは取っておいて俺と一緒にはしゃいで下さい」

「はは。その時までいたらね? クラスにも顔を出したいし。あ、見回りはオッケー。問題なし。人は多いし聖城の生徒も結構いたけど、やっぱり問題なかったし雰囲気も良かったよ」

「わかったわ。アキはこれを飲んで、相田から貰ったソレは後にしなさい。パックだから問題ないでしょ。どうせ部活に顔を出せば喋って喉も渇くだろうし」

「…いつ飲んでもいいんすけどねー。比良先輩に言われると微妙って言うか」

「相変わらずテンポがいいねー。ごちそうさま。じゃ、行ってきます。二人も気をつけて無理しないようにねー」

 二杯目のカフェオレを一気に飲み干し、秋空は二人の頭を数回撫でた後に席を立つ。秋空の言葉に不満そうな玲奈と相田だったが、特に反論の言葉を言う事はなく、手を振る秋空を見送った。

 パタン、と閉められる扉。

 途端に静まり返る室内。


「………相田」

「………なんです?」

「アキに手を出さないように」

「ソレは、比良先輩に言われる事じゃないですけど?」

「「………」」

 

 秋空は未だに気付いてはいないが、玲奈と相田の二人の性格は非常に似通っている。似ているが故にこうして言葉の応酬を水面下で。もしくは視線だけで行ったりもするのだが、秋空に関してだけは気が合うのは今更だろう。

 その二人のいつもの冷戦には気付かず、人の合間をぬう様に部室へと向かう秋空。左手に巻かれた包帯はパッと見痛々しいが、本人だけが気にせず腕を振りながら歩いていく。

 そんな秋空の後姿をタイミング良くなのか。それとも悪くなのか。判断に迷う所だが、偶々見てしまった音哉は左手の白に目を奪われ、手に持っていたパンフレットを落としたのも気付かずにその場に立ち尽くしていた。


 


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