お約束はお隣に・エピローグ
過ぎ去った激戦に疲れ果てた身体。
テンションをあげ過ぎた精神の方が疲れ果てているのかもしれないが、とりあえず文化祭後の休日を楽しむように、暖かな布団に挟まれながら秋空は腕を伸ばした。
今日の朝食は、昨日の帰りに袋一杯に買ってきたパンがある。冷蔵庫を開ければパックのコーンポタージュ。サラダ。それにデザートとしてヨーグルト。
ヨーグルトソースは秋空の趣味で、イチゴ、ブルーベリー、フルーツの三種類が常備で置かれている。
冷凍庫にはタッパーに詰められたおかず類。レンジで温めるご飯は常備。何も問題はないとばかりに、伸ばした腕を膝に巻きつけるように背中を丸め、二度寝に突入した。
普段なら既に活動している時間帯。それなのに二度寝。何て贅沢なんだろうとニンマリとした笑いを隠す事無く漏らすと、秋空は半分程落ちていた瞼を完全に閉じる。
トン、トン。
瞼を閉じるとほぼ同時に、室内に響く音。
誰かがノックをした音。
この家には秋空と音哉の二人だけ。誰かなんていうのは今更で、音哉しかいないのだが珍しいと、秋空は眠たい目を擦りながら布団を頭に被せるようにしながら立ち上がった。
珍しい音哉のノック。珍しい所じゃなく、こうして秋空の部屋を訪れるのは初めての事。流石にそれを無視するのは憚られると思いながら、それでもすぐに寝なおせるように布団をズルズルと引きずりながら歩いていく。
「どうしたの??」
カチャ、とノブを回し、秋空は自分よりも高い音哉を見る為に顔を上へと上げた。
「…スープとか、温めたから。後、父さんと母さんが帰ってきてる」
「帰ってきたの? 急だね。パンも多めに買っといて良かったよね」
お腹がすき過ぎて、膨大な量のパンを買ってしまったのだが、どうやら無駄にはならないらしい。
「ありがと。顔を洗ったら行くから」
二度寝に突入しようとしていた瞼はすっかりと重くなっている。仕方無しに右手で擦りながら、箪笥の上に置かれていたタオルへと右手を伸ばす。可愛いウサギがプリントされたタオル。秋空のお気に入りの一品だ。
名残惜しそうに掛け布団をベットの上へと放り投げると、秋空は後ろ髪を引かれる思いで自室に背を向けた。
リズムよく、ではなく、のんびりと、寧ろ途中で止まりながら階段を下りた後、洗面台に向かう前にリビングに顔を出す。一応、帰ってきたならおかえりなさい、は言った方がいいだろう。流石に素通りは出来ないとドアノブに手を伸ばし、欠伸をかみ殺しながら龍哉と恋華の姿を確認した。
「おかえりー。顔洗ってくるねー」
「あらアキちゃん」
「ただいま、アキちゃん」
音哉に膨大な量の土産を押し付けている恋華と、別の土産の山の袋を手に取っている龍哉の姿。
二人が旅行に行ってから一ヶ月。この程度の時間で何かが変わるという事はないらしい。相変わらずの二人の姿と、恋華に猫可愛がりされている音哉に欠伸ではなく笑いをかみ殺しながら、にこりと笑顔を一つ浮かべ、今度こそ洗面台へと向かう。
文化祭の時から楽しみにしていた家族の団欒。
「うん。やっぱりいいね」
しみじみと呟いてしまう。
姉弟になる前の音哉と秋空の関係も捨てがたいが、やはり自宅だとこっちの関係の方がいい。
「お母さんとお父さんに何て言おうかな。それとも、言わずに突っ込んでもらおうかな」
きっと、今の秋空の態度も驚きかもしれない。
リビングに顔を出した秋空は、音哉に対しても笑みを浮かべたのだ。それに、母親である恋華が気付かないはずがないのだ。
だから、今頃リビングでは音哉が二人から詰め寄られているだろう。 その状態で放置を決め込んでもいいのだが、それだと音哉が可哀想かもしれない。仲良くなってから気付いたのだが、音哉は身内の存在に対しては不器用だ。
学校ではあんなに要領良くやっているのに、身内にはそれがまったくと言っていい程発揮されない。
パシャリ、と水音をたてながら手早く顔についた泡を洗い流し、タオルで水分をふき取りながらついでに洗濯機のスイッチを押す。
今日の天気予報は晴れ。洗濯物を干しながらのんびりと話しをするのもいいかもしれない。今から干せば、日が陰る前には乾いているだろう。
旅行から帰ってきたばかりの両親の洗濯物。音哉と秋空の洗濯物。これだけの量だと干し甲斐があるなぁ、なんて呟きながら、鏡に映る人影に首を傾げた。この家の住人は、秋空を除いてリビングにいるはず。
「……あれ? どうしたの??」
不思議そうに振り返ってみれば、音哉の姿。
最近ではまったく珍しくないこの構図。文化祭後の短時間ですっかり慣れてしまった秋空は、驚いた様子も見せずに首を傾げる。
「母さんの土産攻撃がすごくてさ。アキもこいよ。アキは、父さんからの土産攻撃な」
「生贄ですか」
矛先を逸らす気だろう。
音哉はやる。
平気でやってしまう。
「あぁ。勿論」
そんな秋空の思考を裏切る事無く、音哉はきっぱりと言い切る。秋空に矛先を逸らして脱出する気だと。
「……ま~、いいんだけどね。お土産嬉しいし」
「変なものは買ってきてないから大丈夫だろ」
「多分ねー…ってその前にご飯食べようよ。温めてくれたんでしょ」
「じゃ、土産攻撃は食後の運動な」
唇の端を上げて笑う音哉。
「らじゃー」
苦笑しながらも、確かに、と頷く秋空。
あの量だと、見るだけで一苦労だろう。
ふふ、と笑いを零しながら音哉の横を通り抜ける秋空。そんな期限の良さそうな横顔を眺め、音哉はちらり、と回っている洗濯機へと視線を向け、口をへの字に曲げるように顔を顰める。
「また、一緒に洗っただろ」
置いといたはずの場所から消えた洗濯物。その後ろには回っている洗濯機。
「そっちの方が効率いーし」
あっさりと言われ、更に口を噤む音哉。
「……服だけなら、別に気にならないんだけどさ」
まったく気にしていない秋空は、音哉のそんな心からの呟きを拾う事無く、早々とリビングへ戻ってしまう。
ぽつり、と一人残された音哉。
「………はぁ…家族って、難しいな」
本音を小さな音にのせ、空気にのせてみるが、拾ってくれる存在は既にこの場にはいない。もう少しここにいれば迎えに来てくれるだろうが、両親のどちらかが来ればからかわれるだけ。
しょうがない。
とりあえず今は目をつぶり、音哉もゆっくりと足を動かし始めた。
秋空の事だからコーヒーをカップに注いでくれているだろう。
ひょっとしたら両親が色々と注文をつけて、紅茶も淹れているかもしれない。
そんな家族の初めての団欒を楽しみに、開いたままの扉から一歩、リビングに足を踏み入れた。
暖かな陽気。
でも、暖かいのはきっと、それだけじゃない。
「音哉。コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「今日は紅茶。甘めで」
やっぱりと思いながら、今日の気分でリクエスト。
「りょーかい」
秋空の返事に満足気に笑みを浮かべ、呆気に取られている龍哉と恋華にも笑みを向けておく。
返ってきたのは二人の嬉しそうな笑み。
こういうのも悪くないと、秋空の淹れてくれた甘めの紅茶を、喉の奥へと味わうように流し込んだ。




