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「私は勇者になりたいんだ。」
あるとき、その人がそう言った。どうやら、この世界には、人間を苦しめる魔物もいるらしい。魔物たちを倒して、世界に平和を取り戻す役割を果たすのが、勇者。なるほど、その手の話か。となると、私は元々いた地球上の、どこかの河原に転生したのではなく、異世界に飛んで石ころになったというわけだ。遠路はるばるよく来たものだと、我ながら感心する。
「勇者には、どうやってなるんですか?」
「力を蓄え、功績を積めば、人々はそう呼んでくれる。既に、幾人もの勇者が存在して、魔王に戦いを挑んできたんだ。多くは、既に命を散らしてしまったけれど。」
「あなたは、なれそうなんですか?」
「うん…剣や魔法の修練は大分こなしてきたし、魔物も退治したことがあるんだけど…」
その人はもごもごと口をつぐんだ。石テレパシーが乱れる。
「仲間が、いないんだ。」
「はあ」
「魔王も、魔物も強い。他の勇者はみんな、何人もの仲間と力を合わせて立ち向かっている。」
「その方が効率的でしょうね。仲間を集めればいいじゃないですか。」
「いや、その…友達、いなくて…どうやって作ったらいいかも、分からないし…」
その人のテレパシーに、恥じらいと哀しみが混じった。ああ、この人もまた、ボッチなのか。私は同類を相憐れんだ。私が同行できれば良いのだが、生憎とこちらは河原の小石。ポケットに突っ込んでいくことはできようが、何の力の足しにもならない。勇者の仲間と呼ぶには力不足にもほどがある。
結局、その人は何のかんのと理由を付けては、勇者として旅立つのを日延べし続けた。話を聞く限りでは、相当の腕前になっているようなのだが、一人はやはり不安らしい。そうこうしているうちにも、他の勇者パーティが魔王城であっけなくやられていったという噂が何件も耳に飛び込んでくる。
「何だか、最近、魔王の力が急に強くなったらしいんだ。かろうじて生き残った人の話によると、魔王の姿が見えないんだって。それで、知らないうちに後ろから一息にやられるんだ。」
「さすが魔王ですね。」
「うん…やっぱり、探知が得意な仲間と、回復のできる仲間が必要だな…。」
言葉ではそう取り繕っていても、本心では純粋に「友達が欲しい」と言っているように聞こえる。石テレパシーは繊細なのだ。
「はあー。君みたいに、ふつうに話せる相手が欲しいよ。」
「人間相手にも、こうやって話をすればいいじゃないですか。」
「無理無理。もう何年も、石としかまともに話していないんだ。」
「でも、私だって生前は人間だったんですから。同じですよ。」
「全然違うよ。私は君が…ああ、その、石じゃなきゃダメなんだ。」
こうして、その人はいつまでもぐずぐずと河原に通い続けていた。気配すら察することができないから定かではないが、多分、剣や魔法の修練もこの付近でやっているようだ。時折、そんな石テレパシーが伝わってくる。真面目で、一途で、照れ屋で、心根が真直ぐで、他人を思いやり、さりげない気づかいもできて、とてもいいやつだ。そばにいると心地が良い。すぐにでも友達百人できそうだが、きっと、この内面の善さを他人に伝わる形で表に出す能力が無いのだろう。もったいないことだ。
魔王は強いらしい。そうでなくては魔王は務まるまい。これまでにも数多の勇者がやられているというし、この人はこうして河原で己を向上させるだけで良いのではないだろうか。こんな好人物があたら命を捨てる必要は無いような気がする。
だが、その人はやがて、勇者として旅立つことになった。敬愛していた先輩勇者が魔王城で命を落としたから、遺志を引き継ぐのだという。
「相変わらず一人だけど、やるよ。」
石テレパシーに乗って、決意が伝わってくる。
一方私は、この人を行かせたくない気持ちでいっぱいだ。だが、それを悟られるわけにはいかない。ただの河原の石ころが、勇者の邪魔をするわけにはいかないではないか。
「仲間がいなければ、いざというとき、大事な仲間の命を無駄にしないで済む。そう考えれば、独りも悪くないな。生きるも死ぬも、すべて私の責任だけで収まる。」
冗談なのか本気なのか。半分ずつだろうか。石テレパシーを受けるこちらの心が痛む。
「あなたが旅立つなら、私もここを出ようかな。」
ふと気づくと、私はそう言っていた。
「最後に、私で水切りをして行ってくれませんか。川面に向かって。そうすれば、私も流れに乗って旅に出られます。」
私が頼むと、勇者はしばらく返事をしなかった。戸惑っているのか、何なのか、分からない。こういうとき、互いの顔が見える関係なら良かったのに、と思う。石テレパシーでは、発信しないことは何も伝わらない。たとえ、勇者が突然心臓発作で倒れていたのだとしても、私には知りようが無いのだ。
だが、勇者は、少なくとも、発作で倒れたのではなかった。ちゃんと、返事があった。
「分かったよ。水切りは得意だからな、跳ね過ぎて、ビックリするなよ。」
「跳ねたかどうか、私には感じられないんですよ。行く前に、何度跳ねたか教えて行ってください。」
「最後なんだ、それくらい感じてくれ。ちゃんと、心を籠めるから。」
「石に無茶を言うなあ。」
「元は人間なんだろう。私は、その話、信じてるよ。だから…」
だから、の後を勇者は言わなかった。ただ、柔らかいぬくもりが感じられた。まさか、手のひらの感触だろうか。石なのに、感覚が蘇ったのか?と思ったが、石テレパシーに込められた勇者の心の動きだろう。何だかんだで長い時を一緒に過ごした我々の、最後の別れなのだ。お互いを想い合って、不自然なことがあろうか。
「また会いましょう。川底か、海か、行き着く先で待ってます。」
「帰ったら、君を追って川をたどってみるよ。」
「約束ですよ。」
「うん。」
勇者は私を鋭く投げた。らしい。当然ながら、空気を割いて飛んでいく感覚は私には無いが、勇者が実況中継してくれているので、私がいかに素早く軌跡を描き、川面を跳ね、水しぶきを上げたかが分かる。どうやら、私は7度跳ねてから、水面下に沈んだようだ。なるほど、言うだけのことはある。大した腕前だ。私は頑張っても3回跳ねるのが関の山だった。
こうして、私は川底に沈んだ。もちろん、私の感じる世界は今までと何も変わることは無い。先生は消え、勇者は旅立ち、話し相手は誰もいなくなった。勇者がどうなったのか気になるが、教えてくれる者もいない。私がまだ川底にいるのか、また河原に打ち上げられたのか、あるいは海まで流れ出たのかも、分からない。