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異世界転石  作者: 七田 遊穂
第19話 纏める石
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19-1

 小さいころから本が好きだった。父や母に読み聞かせてもらうところから始まって、小学校の図書館にあった本を全部読んだり、受験勉強するために通った図書館でつい小説を読んじゃったり、荷物を軽くしたいのに旅行には必ず文庫本を持って行ったり、その挙句旅先で気になる本屋に入って買い足してしまったり。


 本を読むのも好きだけど、本という存在自体も好きだ。新刊のぴんとしたインクの香り、古書の複雑なひだのような甘い香り。何気なくテーブルの上に置かれた一冊も、いくつも重なってそれ自体が本のような移動式書架に整然と詰められた本たちも、確かにそこに在るというその佇まいが良い。


 だから、本に囲まれる仕事をしようと思って、大学では司書の資格を取った。でも、図書館司書を職業にするのはかなりの狭き門である。数少ない募集枠に、私みたいな本の虫とか、とりあえず司書資格を取った人とか、静かな仕事に憧れる人とか、とにかくまあ沢山の希望者が群がる。私はそんな荒波を颯爽と泳ぎ切って我先にゴールへたどり着くことができず、散々漂流した末に、有期嘱託としての司書の地位を手に入れた。崖の途中の枝先に引っ掛かってぶら下がっている気持ちだけれど、ひとまず本で食っていけるようになったわけだ。


 それで本に囲まれる生活ができているかと言われたら、ノーではないけれど、イエスとも言い難い。確かに、職場である図書館はどこに視線を向けても本がある。でも、やってることと言ったら、返却貸出の手続きを延々繰り返すとか、色んな機器の操作法を教えるとかとか、本より人に接することばかり。レンタルDVD店のバイトをしてるのとあまり変わらない気がする。


 たまに書庫で作業している時だけは、ほっとする。お客さんの来ない地下で静かな圧倒的な量の書物に囲まれていると、本たちの囁きが聞こえるような気がする。ああ、ずっとこうしていたい。


 と良い気になっていた私は、足元に置かれていた踏み台に蹴躓いた。やばい、両手が本でふさがってる。とっさのことで受け身を取れない。


「がはっ」


 頭に強烈な刺激が加わって視界に火花が散ると同時に、ゴンという派手な音が聞こえた気がしたところで私の意識は焼失した。


 にもかかわらず、何か考えてるじゃん、私。多分頭打って失神してるから、身体動かないし感覚もない、というのは道理だけれど。そういうときって、思考や判断みたいな高次脳機能も働かないんじゃないの。まさか、目を覚ました途端忘れるだけで、実は失神中もこうやって考え事してるのかなあ。


 うー、分からん。分からんけど、ずっとこの状態だ。暇だなあ。こんなに暇な時間があるなら、本読みたいなあ。最近疲れちゃって、なかなか自分の読書ができなかったし。


 そう思うと、ますます本が読みたくなる。うちには積読になっている本が山ほどある。借りたのに開いただけで返した本も数知れず。罰が当たったのか。ああ、ごめんなさい。謝るから、本を読ませてください。なんて祈って、たとえ本が許してくれても、読書は無理か。何も見えないもんね。残酷すぎる。だあー!ままならぬ!


「…静かにしていただけませんか。」

「あ、ごめんなさい。」


 誰かに怒られて、反射的に謝ってしまった。


「こんなところにあなたのような石が現れるとは…。」

「はあ、うるさくてすみません。もう静かにします。」

「ああいや、うるさいという意味ではなく、石がここに現れるのは非常に珍しいということです。」


 石?何のこっちゃ。それに、ここって私の脳内だよね。私が脳内で何を考えようと、やかましいとクレーム付けられるいわれはないんじゃなかろうか。謝っておいて今更何だけど、不条理であるような気がしてきた。


 私が心の中でぶつくさ文句を言っていると、相手の人がはー…と長い長い、ルーズソックスを伸ばしたより長いため息をついた。


 あ、今、歳がバレたか。まあ、いいや。


「あなた方に分かりやすい表現で説明をしますね。」

「は、はい。」

「あなたは何らかの事情で意識を失いました。死んだのかもしれないし、眠っているだけかもしれません。いずれにせよ、それを契機としてあなたは異世界に石として転生しました。石なので基本的に無感覚ですが、テレパシーだけは使えます。それよって、私との会話が成立しています。あなたが石としての生を全うすると、あなたは元の世界に戻ります。そこで死んでいるか無事であるかは我々には分かりません。なお、あなたのように転生された石が、この世界には多数存在します。以上。ご質問は。」


 立て板に水でまくしたてられて、私はぽかんとするしかない。が、すぐに質問が思い浮かぶ。というか、ツッコミどころ満載だろうが、その説明。


「石って、何ですか。」

「石を見たことが無いのですか?石という言葉の定義について正確に述べた方がよろしいのでしょうか?」


 うぐ。何この返し。いや、今のは私の質問がへぼだったな。石は石だ。うん。


「異世界とおっしゃいましたが、私のいた世界との関係はどのようなものでしょうか。」

「分かりません。」

「何故私が石になったんでしょうか?」

「分かりません。」

「無生物である石なのにテレパシーを使える理由とは?」

「分かりません。」


 何なんだ、この質疑応答。全然応答されてないぞ。政治家かよ、こ奴は。いや、政治家ならまだはぐらかすくらいのことはするか。遺憾ですとか検討しますとかごはん論法とか。


 じゃあ、答えてもらえそうな質問をまずは積み重ねよう。


「ここはどこですか?私にとっての異世界だというのは分かりましたが。」

「資料室です。貴重な原著など、厳重に保管すべきものが収められています。」

「あなたは誰ですか?」

「司書です。今いる司書のうち最古参なので、司書長と呼ばれています。」


 なるほど、図書館で頭を強打して、別の世界の図書館にワープしたわけか。くっそー、それなら、テレパシーとかほざいてないで、この目で書物たちを愛でたいよ。ああ、異世界の図書館ってどんな場所なんだろう。書物はどんな形かな。まさか木簡とか無いでしょうけど。活版印刷はまだだろうか。インクや墨で手書きされているのか。紙質はどんなの。表紙は、装丁は?ああ、気になる。愛する本がここにあるというのに、触れることも嗅ぐことも愛でることもできないだなんて。何で私、何もできない石なのよ。


「ここにある資料は古いものが多く、状態の悪いものも含まれます。触れるだけで崩れ落ちるような本、開けば塵となる本…。あなたはおそらく、製本された書物が整然と壁を埋め尽くすような図書室を想像されているのでしょうが、ここは保管庫の方が近いですな。あなたになじみのある図書室は、別の場所にあります。」


 私の気持ちを読み取ったのだろうか、司書長が説明してくれた。テレパシーだから、考えただけでもある程度伝わってしまうみたいだ。注意しないと。悪口とか考えたら、ひとたまりもないぞ。まあ、状況がトンデモすぎて、他人の悪口なんて考える余裕がないけど。

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