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異世界転石  作者: 七田 遊穂
第18話 第一の石
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失われし古代文明の禁呪

 私は褌の紐をきつく締めた。気合いだ。気合を入れねばならん。私の気合に呼応して、背中の刺青の虎が一声吠えたように感じる。よし、行ける。


 両手で顔をはたき、本部を出た。親父のためなら、この命、今日を限りと散っても惜しくはない。


「おどれらぁ、覚悟せぇ!カチコミじゃあっ!」


 私は犬塚組の事務所の扉を蹴破った。


 犬塚組は、言わずと知れた、我が猫ヶ洞組の仇敵。我らは江戸の末世よりこの地で縄張り争いを続けている。何故奴らが滅びないのか、私には全く見当もつかない。


 そもそも、組の名前がおかしい。奴らは、伏姫より賜った数珠の珠と名刀村雨を先祖代々守り続けているとかほざきやがる。アホか。いい歳こいた非合法おっさんの集団のくせに、フィクションと現実の区別もついていないのか。永遠の中二病か。


 大体、犬より猫の方が圧倒的にええやろが。マフィアのボスの膝の上にチワワでも置いてみやがれ。威厳もへったくれもあったもんやないわ。絶対に猫やろ。


 私は常日頃から抱き続けている不満を爆発させ、暴れ回った。ここで死のうと、生き残って逮捕されて死刑になろうとも、構わない。覚悟ならできている。


「ぬおおおぉっ!」


 雄たけびを上げたところで、頭に猛烈な衝撃を感じた。その直後、私の視界は暗転した。


 何も見えない。音も聞こえなくなった。体も動かない。痛みすら感じない。私は死んだのか。それならそれで、本望ではあるが、犬塚組はどうなったんだ。それだけは知りたい。誰か、頼む、状況を教えてくれ!


「おっかしいなあ…。」


 むっ、誰かの声。…声?これは本当に声なんだろうか。私は職業柄、声で威圧しあうことには慣れている。相手の声音から実力や心情を推し量るのも技術のうちだ。殺る気満々なのか、内心ビビッて虚勢を張っているだけなのか、こちらの出方を窺っているつもりなのか。だが、今聞こえたものには、そう言った声の質が一切含まれていない。そのくせ、裏の本心を読むまでもなく、相手の不快感が直にこちらの心奥まで伝わってくる。何だこの気色悪いものは。


「魔法陣も間違っていないし、構築式も間違っていないし、お日柄もよろしいんだけどなあ…。」


 魔法陣、だと?いくら犬塚組でも、そこまでどっぷりファンタジーにのめりこんではいないはず。こいつ、何者だ?


「どうして、何度やっても石しか出てこないんだ。魔石ならともかく、ただのくず石だし。折角の禁呪だっていうのに、腹立つなあ。」


 相手の声にはかなりの疲れと苛立ちが混じっている。声じゃないのに、そんなことは分かる。不気味だ。不気味だが、受け入れるしかない。聞こえてくるものは拒めやしないのだ。


「この本が間違っているのか?それとも、そもそも本当に石を出すだけの秘術なんだろうか。おいおい、待ってくれよ、どれだけ苦労してこの魔導書を手に入れたと思ってるんだよ…。」


 そんなこと、私に言われても知らんわ。


「死と生の狭間にひしめく異界の魔形を召喚せし秘術。」


 棒読み。魔導書とやらのタイトルか、小見出しだろうか。物々しいが、そういう本は推奨年齢15歳くらいに設定しておいた方が良い。


「あー…。異界の石ころを出す禁呪だったんだな、これは。誰かが編み出したものの、使ってみたらこんなザマだったから、使用が禁じられたんだ。無意味すぎるくせに、準備に手間暇かかるし、金も要るし、根こそぎ魔力持っていかれるし。クソ魔法め。禁じて当然だ。ええい、私も封印してやる、こんなもん。っていうか、この魔導書は燃してしまうのが後世のためだ!」


 恨みつらみが込められた呪詛。この声の主は魔法を使えるという設定くさいが、こんな独り言を吐き散らしていたら周りに呪いの一つや二つも発動するのではなかろうか。魔法だとか伏姫だとかに全く縁のない私でさえ、言霊は重要視する。ネガティブな言葉は、大事の前には決して口にしない。ましてや、魔法使いともなれば、言葉はもっと慎重に扱うべきであろう。まあ、魔法なんて、知らんけど。


「…でも、疲れたから、今日はもう寝よ。いいや、片付けはまた今度で。」


 ふてくされて、声の主は寝てしまったらしい。辺りには静寂が広がった。


 そんなことより、犬塚組はどうなったんだろうか。あの声の主は理解不能すぎるので脇へ置いておくとして、私にとって重要なのは犬塚組の始末だ。私が意識を失う前に、既に何人かは倒していたはず。奴らはどうなった。それに、私と一緒にカチコミに来た兄弟たちは無事なのか。


 そんなことを考えていたら、不意に気配を感じた。犬塚組の残党か。誰だ、と声を上げたいところだが、身体の感覚が何もない今、下手を打ったらやられる。息を潜めて様子を探るしかないな。


 私はじっと相手の出方を窺った。だが、待っても待っても、相手はピクリとも動かない。死体か?いや、生きている気配だったと思うが。何者だろうか。分からない。調べに行きたいが、こちらも動けない身なので、膠着状態となるしかない。


 くそっ。打てない舌を打っていると、またふっと気配が増えた。さっきの奴とは違う。はっきりとは分からないが、身を隠している場所が違うようだ。だが、全く動かないのは同じ。どうすりゃいいんだ。


 一体どれほどの時が経過しているのか分からないが、ぽつりぽつりと、この気味の悪い気配は増えていった。お互いに押し黙り、身動きもせず、ただまんじりともせずに時が過ぎるのを待つ。


 スナイパーが森に潜伏しているのではあるまいし、正面切ってカチコミに行った先でこんな沈黙の艦隊を形成したって、こっちにも向こうにも意味がない。一体、こいつらは何者なんだろう。せめて、相手の正体だけでも分かればいいのだが。


 そう思っていたら、またあの声が聞こえた。


「うわっ、何だこれ。増えてる。」


 増えてる?そう言えば、石がどうとか言っていたな。石が増えたのか。


「あっ、そうか。道を閉じるのを忘れていたな。迂闊だった。ええと、どうやるんだっけな、魔導書、魔導書…」


 声の主は何か、魔導書だろうな、それを探し始めた。ところが、すぐに邪魔が入ったようだった。


「な、なんだこの石…何で動くんだ?」


 石が動くわけないだろう。何言ってんだ、こいつ。


「わ、やめろ、こら、大事なところで邪魔するな。何なんだこれ、魔物ってやつか?異界のゴーレムを召喚する禁呪だったのか?黙れ、動くな!チッ、人間様の命令を聞かないゴーレムだなんて…ああ、そんなこと考えてる場合じゃない。クソッ、道が閉まらないぞ。」


 道とは、何だろう?私が蹴破った、事務所の扉…ではないよな。


「ああ、もう、邪魔だ、叩き割ってやる!こら、待て、コンチキショウ!」

「ぎゃあっ!」


 うわ。断末魔。聞き覚えがあるぞ、この手の悲鳴には。殺られたのは誰だろう。まあ、あの感じだとまだ息があるだろうが。


「はあ、はあ…割れた後もただのくず石だな。魔力も何もない。いや待てよ、これ、部屋にゴミが残るのか?ますますクソ魔法じゃん…ああ、良かった、消えた。」


 何だか知らんが、ホッと一安心している。命は消えても物理的な死体は消えないぞ。殺すよりむしろ、その後の処理の方が面倒なんだがな。


「そう言えば、さっき悲鳴を聞いた気がしたけど、空耳かな…。」


 気のせいではないぞ。確かに誰かが悲鳴を上げた。お前がやったんじゃないのか、と訊きたいが、どうも状況が分からない。こいつの独り言の通りなら、こいつはくず石を割っただけのようなのだが、石が声を出すわけが無い。どうなっているんだ?


「…はっ!うわ、しまった、どうしようこれ…。」


 急に周章狼狽。どうしたんだ、声の主?


「道が、どんどん広がる…うわあ、どこまで行くんだよ、もう道ってか大海原だよ!ああ、どうしたら良いんだ。ええと、こういう時の方法は…何も書かれていないじゃん。クソ魔導書が!役立たずめ!」


 なんだか分からないが、致命的なミスを犯したらしい。物にまで八つ当たりしやがって。見えていれば顔色真っ青で脂汗を流している姿を拝めたことだろう。こいつが犬塚組の手下ならざまあみやがれだが、絶対違うしなあ。


「…もう、どうしようもないな…」


 しばらくすると、声の主は放心したように呟いた。何も考えたくないし、実際既に考えることを放棄した様子だ。


「…まあ、くず石が時々この世界のどこかに出現するだけだしな…もう道も見えないし、誰にも分からないさ…大したことじゃない、そうだ、こんなこと、何でもない。」


 自分で自分に言い訳をして暗示をかけていやがる。小物だな。


「念のため、証拠は隠滅しよう。」


 む?まあ、確かに、状況によってはそういうことも必要ではある。コンクリに詰めて海に沈めたりな。しかし、どうにもこの声の主は気に入らない。己の不注意で何か大ごとをやらかして、保身のために隠そうとしているだけじゃないのか。往生際の悪い奴め。お前みたいな三下じゃあ、禁呪だか何だか知らんが、大した仕事はできやしねえだろうな。


 そんなふうに心の中で毒づいていたら、突然、我が身が砕け散るような凄まじい痛みが全身に襲い掛かった。この真っ暗闇にやってくる前の、頭部への打撃よりもひどい気がする。


「ぐああ!」


 思わず叫んで、私は目を見開いた。


 あれ、目が開ける。そしてここは、どこじゃ?


「アニキ!良かった!」


 弟分がしがみついてきた。どうやら、ここは病院らしい。


 私はカチコミに行った先で頭部を殴られ、意識を失ったようだ。だが、私にも、私がやった相手も命に別状はなく、お互い深刻な人的被害は出なかったため、うちの親父と向こうの組長が膝突き合わせて話し合い、無かったことにしましょうで事態は終息と相成ってしまった。私の決死の覚悟は何だったのであろうか。


 だが、まあ、組の仕事とはこういうものだ。滅私奉公。理不尽だとか、意味不明だとか思うようなことも命じられるが、黙々とこなすしかない。あの謎の声の主みたいに、ケツまくって逃げりゃ済む話ばかりではないのだ。それに、あんな格好悪いのは、私は御免だしな。裏稼業にだって、プライドってものがある。


 さあて、とりあえず今日もお仕事だ。親父の猫ちゃんのトイレを掃除しないとな。10か所もあるから大変だぜ。

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