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異世界転石  作者: 七田 遊穂
第17話 通りすがる石
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 しかし、これ、本当に夢なんだろうか?体の重さやら味覚やら、妙に実感を伴うし、登場人物にも一貫性がある。夢の登場人物なんてものは大抵無秩序で、すぐ名前や属性が入れ替わったり混ざったりして、目が覚めてから考えると辻褄が合わないものなのに。でも、夢でなかったら何なのか、分からないしなあ。


 ああ、毎回あの経営者さんの名前を聞いてみれば良かった。もしかしたら、最初は山田で次はテケレッツノパーとか、支離滅裂な設定だったのかもしれない。まあ、全然山田っぽくない顔立ちだったけど。


 それはともかく、こんなところでぼさっと突っ立って物思いにふけるのもつまらない。折角だから、またあの美味しい紅茶を頂こうかな。フロア担当は満席だって言っていたけど、一人くらい入れないものだろうか。私はドアをそっと開けて、中の様子を確かめた。大賑わいだ。やかましくはないけれど、ほぼ満席。


 そう、ほぼ。カウンターの一角が空いている。さっきとは打って変わってにこやかな営業スマイルのフロア担当に案内されて、私はその空席に着いた。カウンターの上には、以前には無かったこぎれいなメニュー表が置いてある。ほうほう、ドリンクの種類が増えているじゃないか。手作りスイーツもある。それに加えて数量限定ランチに、地元のクラフトビールとな。あらあら、まあまあ。しっかりきっかり素敵な古民家カフェになったもんだ。


 悩んだけれど、空腹は感じなかったので、紅茶だけを頼むことにした。以前にも感心した、流れるような手際のバリスタに声を掛ける。


「温かい紅茶をお願いします。」

「かしこまりました。」


 こちらも柔和な営業スマイル。以前、経営者さんを叱っていたのと同一人物だとは思えない。あの時には愛想の欠片も無かったからなあ。どうやら、バリスタとしてのやる気を出したらしい。よしよし。


 夢とはいえ、随分長いことこのカフェの歴史を眺めてきたものだ。建物の移設と修繕から、黎明期、そして今に至る。こういうつもりじゃなかった、と経営者さんは言っていたけれど、これはこれで良いんじゃないですかね。スタッフさんはしっかりしてるし、他のお客さんもほわんほわんと魂が抜けていそうなくらいリラックスしているし。


 そして、ここの紅茶は、相変わらず気が遠くなるほどに美味しい。たぶん、私も他のお客さんと同様に、ほわんほわんしている。ああ…溶ける。折角鮮明に見えていたはずの情景が、またぞろピンボケになってきた。キッチンの奥で中華鍋を振るっている調理担当と、目の前にいるバリスタが重なって、見分けがつかない。時折、ランチだろうか、香ばしいものが通り過ぎていくけれど、最早何の料理なのか見た目では判別できない。あれれ。


 あ、そうか。また毒か。毎回、飲み物に混入された毒で夢が終わるもんな。今回もそろそろ、気が遠くなるか、あの気持ち悪いゆーらゆーらが始まるのだろう。そう思って、紅茶をすすりつつその時を待っていたのだが、今回はこれ以上の変化がちっとも生じない。もやもやとボケた視界の中で、紅茶が美味しいだけだ。どういうことだ。と、夢に理屈を求めてもまともな答えが得られるはずもない。それより、視界と同様に味覚までボケたら勿体ないので、美味しく感じられるうちに紅茶を飲み切ろう。


 ごちそうさま、とカップを置いたのは良いけれど、相変わらずゆーらゆーらは来ない。意識は鮮明。私はカウンターでつくねんとしている。周りを見ると、まだ店内の混雑は続いているようだ。いつまでもこうして席を占拠し続けるのも気が引ける。私はフロア担当に声をかけて、お勘定をお願いした。


 財布、財布、と考えたところで、思い出した。私は何も持ってやしないじゃないか。完全な手ぶら。私は財布をポケットに入れて歩くタイプではない。鞄が無けりゃ、財布も持っているはずがない。しまった!無銭飲食になってしまう。私はフロア担当を目の前にして、一瞬で青ざめた。


「ええと、お支払いの方法は…。」


 体で払うとか、できるかなあ。と思いつつ、フロア担当に尋ねる。皿洗いと掃除くらいならできますけども。すると、フロア担当は妙なことを答えた。


「お支払いになる意志が使えます。エンとカードとデンシケッサイは、使えません。」

「はあ、石?」

「いえ、意志です。」


 イシ違いだった。でも、いずれであっても意味が分からん。石ならまだ、旧石器時代の石の硬貨とかあるが、意志って。


「払いたいって思えば、済むんですか?それで儲けになるんですか?」


 私は思わずストレートに聞いてしまった。フロア担当は、おそらく訊かれ慣れているのだろう、営業スマイルを一ミリも崩すことなく頷いた。


「あなた方の意志は、私たちにとって価値のある資源になります。ご安心ください。」


 安心しろと言われてもねえ。支払いたい気持ちは山々だけど。


 そう思ったけれど、何故か自然とそれを受け容れている自分がいた。フロア担当が差し出した小さなトレイに、お金を払うときのように私は何かを置いた。これ、何だろう。話の流れから行くと、支払う意志なんだろうけど。視界はすっかりぼやけていて、私は自分で自分が何を置いたのかよく分からない。白っぽくてぽよんと丸い何か。石?ちょっと違うか。


 夢の中の通貨なのかな。そういうことにしておこう。


 支払いも終えたので、私は席を立って外に出た。振り返って、カフェをじっくりと眺める。もうかなりぼやけているとはいえ、見てくれは何の変哲もない古民家っぽいんだけどな。中の人たちも、紅茶の美味しさも、システムも、何だかあれやこれや不思議な空間だった。


 また来ることがあるんだろうか。また来たいけれど。


 無理だな。何故かはっきりとそう感じて、私はカフェに背を向けて歩きだした。


 どことも知れぬ川沿いを、私はどこまでも歩いて行く。足取りは軽く、軽すぎて、感覚がすうっと抜けていく。景色は全てが輪郭を失い、色が混ざり合って同一化する。それでも、ここは川なんだろう。死者の通る川。私も、ここを通って、いなくなるのだな。そんな思いも、ぼやけた景色の中に溶け込んで消えて行った。

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