17-4
こうして、紅茶を飲みかけのまま、私の意識はまた無感覚な暗闇の中をどんぶらこすっこっこと揺蕩い始めた。熟睡5割、うたた寝5割。時間がとろーんととろけて伸びて、どこかに消えてしまうような心地よい眠り。こんなに気持ちよくうつらうつらできるなら、あの紅茶の毒も捨てたものではない。毒かどうか、知らんけど。
どれほど長い時間うとうとで過ごしたか測るものを持ち合わせていないが、何にでもいつかは終わりが来るらしい。やがて私は快いうとうとの狭間に、例の気色悪いふわーふわーが混じってきたのに気づいた。こうなるともう、眠ってはいられない。気持ち悪いのに集中してしまう。
吐きそうなくらい気持ち悪くなってきたところで、幕が開けるように視界が明るくなった。今回は、くっきり明瞭だ。どこかの町はずれだろうか。遠目に、人家らしきものと立派な大木が見える。でも、何故か私の足はそちらに向かおうとしない。とっとこ、とっとこ、景気よく川沿いを歩いて行く。軽快だ。今までの夢の中の歩みは非常に重くてのろかったが、今はまるで若い頃に戻ったかのよう。懐かしい感覚だ。こうなるともう、先は読めてくる。ほらね、例の古民家カフェが見えてきましたよ。
私はずんずんカフェに近づいて行った。当然ながらもう資材など影も形もなく、店の外観が少し小ぎれいになっている。しかも、周りには畑ができていて、誰かが草をむしったり何やらかんやらまめまめしくお手入れしているのが見える。あれか、自家菜園の野菜を使ったメニューでも増やしたのかな。前回は何というのか、店をやるんだかやらないんだか中途半端な姿勢で、メニューもコーヒーと紅茶しかなかった。覚悟を決めて、真っ向からカフェとして勝負する道を選んだのかもしれない。前の3人では畑までは手は回らないだろうから、従業員も増えたんだろうな。
私は窓の外から中の様子を窺った。テーブルが少し増えて、整然として、格段にプロの店っぽい仕上がりだ。前は少々とっ散らかっていて、そこが素人臭くていい味ではあったのだが、やはり今の方が断然やる気を感じる。
フロアの店員は、どうだろう、前と同じ人かな。前は老眼風ピンボケで細かいところが全然見えなかったから、断定はできないが、雰囲気は似ている。バリスタも同様だ。よく見えないが、キッチンにもう一人増えたかな。あの叱られていた人がキッチンに入ったのだろうか。奥に引っ込んでいろと文句言われていたしなあ。
客席は良い感じに埋まっている。今が何時か分からないけれど、おてんとうさまは高いし、昼前後だろうか。その時間帯でこれだけ客がいるなら、なかなかのものではあるまいか。
ようし、私も入ろうかな。満席ではなさそうだし。私はカフェの正面に回って、ドアに手を伸ばした。
「お久しぶりです。」
声を掛けられた。あれ、この声には聞き覚えがあるかもしれない?前回までの耳ではろくすっぽ声質が分からなかったのだが、何となく懐かしい心持になって私は振り返った。叱られさんがそこに立っていた。ピンボケだった顔に見覚えはあるような無いようなだけど、このどこか心惹かれる微笑には心当たりがある。あれ?ということは、キッチンの2人目は、別の新規従業員か。じゃあ、この人ここで何やってんだろう。油でも売ってるのか。という疑問は心の内にしまっておいて。
「カフェ、立派になりましたね。」
と私は感想を述べた。
「はい。ちゃんと店として事業計画を練り直して、部下に実務を委ねるようにしました。私が余暇に片手間にやるのでは追いつかなくて。方々から叱られましたしね。」
また叱られたのか。お可哀そうに。しかし、事業計画を練ったということは、この人は経営者サイドなのかな。現場からすぐ突き上げられちゃう、立場の弱い経営者。そんな雰囲気はある。だから、忙しそうな時間にこんなところでぶらぶらしているのか。
「でも、これだけ繁盛していれば嬉しいんじゃないですか?」
「ええ、部下には安全な仕事を任せられますし、収益も安定していますし、それは良いのですが。当初はこういうつもりではなかったので、複雑です。」
「あ、保養所のつもりなんでしたっけ。」
「そうですね。ここで通りすがりの石と話しながら、まったり仕事するはずだったんですが。いつの間にかカフェになっていました。どこで道を誤ったんでしょう。」
小首をかしげて悩ましげな表情。いやしかし、ツッコミどころが多いな。石は通りすがらない。石とは話せない。仕事をしていたら保養できない。いつの間にかではカフェは繁盛しない。天然でどっかズレてる人だな。
待てよ、石については前も何か言っていた。そうだ、いい機会だから聞いてみよう。
と思ったら、扉が勢いよく開いて、フロア担当がつむじ風のような勢いで出てきた。じろりと経営者をにらみつけて、苦々しそうに言う。
「そんなところに突っ立っていられたら、どんどん石が入ってくるじゃないですか。もうすぐ満席なんですよ。どっか消えてください。」
「言い方…」
思わず、私が突っ込んでしまった。が、この天然経営者は意に介しないようだ。ぷりぷりするフロア担当に、素直に謝っている。
「すまない。すぐに帰る。勇者も来ることだし。」
「あ、ちょっと待って下さい。御髪が乱れてます。ちゃんと直して。そんな恰好じゃ舐められます。」
「別に構わないよ。顔を売っているなんだけだから。」
「構って下さい、うちのボスなんですからね。…はい、これで良し、かわいくなった。」
「うん、ありがとう。」
「いつも言ってますけど、自分で戦っちゃダメですからね。魔王様、めちゃ弱いんだから。もう怪我しちゃいけませんよ。」
「分かっているよ。」
細かい事情は不明だが、散々な言われような気がする。でも、言われた本人は髪をいじられながら、言葉でなじられながら、ただニコニコするばかりである。このニコニコに釣られるように、ふいーっとお客さんが店に吸い込まれていく。それに気付いて、フロア担当はまた慌ただしく店内に戻って行った。むろん、去り際にも「とっとと居ね」の意味の台詞を経営者に対して放つのを忘れなかった。本当に、この人、立場弱いな。
フロア担当を店内に見送ってから、弱き経営者さんはこちらに向き直った。
「私は帰りますが、どうぞゆっくりしていって下さい。これで、最後でしょうから。」
「最後ですか。」
「ええ、さすがに三度目は無いでしょうね。」
三度?この場所に来るのは、既にもうかれこれ四度目だけど。この人に私を認識されるのなら、今日が三度目だし。どういうこっちゃ、と私は思うが、相手は勘違いをしているふうでもない。
「もしまたお越しになったら、お呼び下さい。お話を伺いたいです。」
「はあ、覚えていたら、そうしましょう。」
「本当は、石でいる間にお会いしたいんですけれどね…。」
また出た、石。そうだ、この人が帰る前に、石とは何ぞやについて聞いておかないと。と思ったのに、その暇はなかった。
「では、失礼します。」
そう言うと、経営者さんはふっと片手を振った。バイバイという感じではない。どこかで見覚えがある。ああ、そうか、最初のぼけまくりで何も見えない視界の時に、似たようなものを見かけた。白いちょうちょだ。それを思い出して、あーと思った時には、経営者さんの姿はどこかに消え失せてしまっていた。あー。どういうこと?
いや、まあ、そういうこともあるか。ここは、私の夢なんだから。登場人物が退場する度にいちいちその後を追っかけて、見えなくなるまで後ろ姿を追っかけるなんて面倒くさい手数を踏むはずもない。必要が無くなったら、消えるということもあるだろう。