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異世界転石  作者: 七田 遊穂
第17話 通りすがる石
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17-2

 それから、随分時が流れた気がする。何しろ、何も見えなくなってからというもの、私の思考はほぼ停止していた。8割寝ていて、残りの起きている2割はぼんやりしているような状態。何の感覚も無い。うたた寝以上熟睡未満みたいな心地よい所で、たゆんたゆんと揺れていた。どれほど時間が過ぎたか、分かったものではない。気が付けばまた、例の気持ち悪いゆらゆらが始まっていた。


 となると、今度はあのピンボケ風景がやってくるかな。私は覚醒し始めた頭で考えた。すると予想通り、周りの暗闇が明るくなってきて、ぼんやりとした情景が見えるようになった。何となく、前より鮮明じゃないか、これ。私はかなりの近眼で、ランドルト環の一番大きいのも見えないのだが、その私が裸眼で湯気の立ち昇る風呂に入ったときくらいには見える。…まあ、つまり、実際よく分かんないということだ。


 でも、例の、おそらく要リフォームの古民家?の茶色い建物らしきものは近くに無い。ぼけぼけの視界で目を凝らすと、遠くにそれっぽい茶色が見つかった。しょうがないので、私は建物目指して歩き始めた。ん。おやおや、今回の夢では動くことができるらしい。前はじっと耳を澄ませるしかできなかったのにね。でも、動きにくい。身体が重いし、脚は動きづらいし、ちっとも建物が近付いて来ない。もう、やめよっかなーと思わないでもないが、夢が醒めないから他にすることもないし、私はえっちらおっちら、少しずつ前進を続けた。


 千里の道も一歩から。初めから目標が視界に入っていたのだから千里もないけれど、何にせよ、私は一歩ずつ近付いて、とうとう目標に到達した。近くから眺めると、前はただの茶色い塊にしか見えなかったものが、本当に古民家っぽい佇まいであることが分かる。リフォームのせいではなくて、多分、元からこれくらいの外観は保っていたんだろう。でも、リフォームはまだ途中なのか、周りに資材っぽい塊が積んであるし、何だろうな、端材で急ごしらえしたような椅子と机が外にちょこんと置いてある。この間いた工務店さん用の休憩場所かな。器用に作るねえ。


 大した距離ではないけれどちっとも詰まらない道のりを歩いて、疲れてしまった。私は誰もいないのを幸いに、勝手にその椅子に腰かけさせてもらった。あら、意外と良い座り心地。ふー、と脱力してしまう。


「誰かいますよ。」


 と声が聞こえて、私は振り返った。お邪魔だったかな、すぐどきますよ。ごめんね。


「ああ、石が帰るみたいだ。寄り道かな。」


 こっちはこないだの施主?このピンボケ視界だと相変わらず、人物の同定が難しい。でも、前よりは分かる。ずんぐりむっくりと、ほっそりなのがいる。どっちがどっちかは、まだ不明。


 あ、そう言えば、声もちょっと声っぽく聞こえる。前は、ただの意味信号って感じだったのに、今回は人の声だというのがはっきりしている。ただ、まあ、こちらも視界と同じで、個々の明確な特徴は掴めない。ずんぐりとほっそりの声の違いも、曖昧だ。


 ほっそりの方が、私に近寄ってきた。


「こんにちは。」

「ああ、どうも、勝手に座ってすみません。」

「いえ、ゆっくりなさってください。丁度お茶を淹れる所なので、召し上がりますか?」


 そう言われて初めて、喉の渇きを覚えた。何か飲みたいなあ。


「では、持ってきますね。」


 飲みたいと言う前に、察されてしまった。これ、どっちかな。施主かな、工務店かな。


「茶なら私どもがやりますよ。そんな、わざわざ魔王様に淹れていただかなくても。」

「お前たちは作業で疲れているだろう。これくらい私にもできるから、皆休みなさい。」


 何か言ってる。てっきり、ずんぐりとほっそり二人組だと思っていたけれど、もう少し人数がいるような口ぶりだ。っていうか、施主って、工務店の作業員をお前と呼んだりはしないよな。どういう関係?施主はいなくて、工務店の親方とその下もろもろの取り合わせなのかな。雰囲気だけなら、前回の施主っぽいんだけど。


 うーんと首をひねって辺りをもう一度よく見ると、あらら、ずんぐりむっくりが何人かいる。表情とか姿勢がボケてるのではっきりはしないが、所在無さげにぼんやり立っている感じ。ずんぐりチームは、下っ端ということだろう。


 そのうちにほっそりが、おそらく何かを捧げ持って現れた。よく見えないんだけどね。


「どうぞ、お召し上がりください。」


 ことり、と机に何かが置かれた。さっきから「何か」ばかりだが、ボケボケなのだからしょうがない。色味からすると木のカップだろう。ほっそりは同じものをずんぐりに一つずつ配っては、いちいち恐縮されている。やっぱり、ほっそりは上司なのだろう。


 まあ、折角だから頂きましょうか。熱そうな雰囲気なので、ふうふうと吹いてから啜る。うーん?味もそっけもない。まずいわけじゃないけど。というか、お湯の味すらしない。何も感じない。熱い冷たいも分からないし。これは、お茶がどうこう言う前に、私の夢では味覚や嗅覚まで再現できないということかもしれない。それでも、先ほど感じた喉の渇きだけは確実に癒される。変なところだけリアルだな。


 しょうがないので、ごくごくと味のない水分を摂取していたら、ずんぐりとほっそりがもぞもぞ動いて話し始めた。


「うわあ、あっちにも出ましたよ。」

「お茶ならまだ残っているから、分けてあげよう。」

「やめましょうよ、際限ないですよ。ここんところ、よく出ますし。」

「それはそうだが、折角来てくれたのだから。」


 と言って、ほっそりはまたいそいそとカップをご新規さんに渡している。なお、ご新規さんは、ずんぐり&ほっそり達よりさらに輪郭が曖昧で、人影なのか岩なのか気のせいなのか、私には分からない。もしかしたら、向こうが私を見ると、同じようにうすらぼんやりにしか見えないのかも。


 ほっそりがずんぐりのそばに戻ると、ずんぐりは半ば呆れたように言葉を続けた。


「あれ、かなり変わりましたよね。前は私にゃ見えなかったし、見えても通り過ぎるだけだったのに、とうとう喋ってお茶まで飲み始めちゃって。何でですかね?」

「分からない。」

「魔王様のせいと違うんですか。」

「えっ。そうだろうか。何もしていないんだが。」

「他に考えられないじゃないですか。それを、まあ、通り道だって知っていながら、こんなとこに家持ってきて。良いんですか、このまま続けて?」

「うーん…しばらく、皆には内緒にしておいてくれ。バレたら叱られそうだ。」

「どうせいつかバレて、余計にひどく怒られますよ。」


 出るとか出ないとか、見えるとか見えないとか、お化けか。お化けだとすると、私もお化け扱いになってしまうが。でも、お化けなら喉も渇かないし、お茶飲んで癒されることも無いよな。じゃあ、出たー!と言えばのあの虫か。虫扱いされるのは御免だなあ。あ、待てよ。虫にお茶は出さないよね。じゃあ、何だ?


 大したことを考えているわけでもないのに、何となく頭痛がしてきた。座って楽になってきていたはずの体も、ひどく疲れて重たいものに変わっている。しんどい。一体、どういうことだろうか。今のお茶に毒でも入っていたのか?まさか。みんな同じものを飲んで…いや待て。私が見た時には既にカップに注がれていた。つまり、キッチンで細工することは十分に可能。私のカップにだけ何かの毒物を…って、いやいや、そんなことをされる理由がない。ちょっと椅子を借りていただけで殺されたんじゃ、夢にしたって割に合わない。


 でも一応、カップの中身を確認しておこうか。


 私はカップの中を覗こうとして、目を見開いた。眩しい。風景がはっきり見える。カップなんか、どこにもない。ここは…病院?


 ああ、変な夢が覚めたんだな。やれやれ。お化け扱いされた上に毒殺されるだなんてね。


 そんなふうに安心したのも束の間、私が毒殺されるような苦しい夢を見た理由はすぐに分かった。どうやら、私はゴルフ中に頭の中で出血し、バタンといったらしい。一命は取り留めたものの、今なおICUに横たわっているという次第だ。身体、しんどい。毒殺じゃなくて、ただの現実だった。お茶淹れてくれたほっそりさんに謝らないと。いや、夢の登場人物だし、謝るも何もないか。


 医師の説明によると、しばらくは新たな出血の起こる危険性が非常に大きく、予断を許さないらしい。今はまだ現れていない脳機能障害が生じる可能性もあるとか。困ったものだ。困ったところで、打つ手は打ってもらっているのだし、なるようになるしかないな。まあ、いきなり死ななかっただけマシというものでしょう。ほんのちょっぴりではあるけど、家族とお別れらしきものをする時間ももらえたし。


 あーあ。私はどうなっちゃうのかなあ。もう死ぬのかなあ。それなりに人生楽しんだけどねえ。ああ、もう一杯で良いから、最後に紅茶を飲みたかったな。こないだの夢のお茶は、白湯の味すらしなかったし。

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