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こうして、私は時折先生と言葉を交わすようになった。先生以外の石とはうまく話せない。ボッチ故に他者との会話が弾まない、というのではない。それ以前の問題として、石テレパシーがつながらないのだ。先生曰く、全同胞が石テレパシーを使えるわけではないらしい。私も、当初は先生の存在に全く気付かなかった。想像でしかないが、私も川の流れで角が取れて丸くなって、そのおかげで石テレパシーを会得したのだろう。
先生も私も、生前のことは殆ど話さない。そんなことを知らせ合ったところで、石としての今、どうすることもできやしない。ただそこはかとなく、先生は人であったころに既にご高齢で、落ち着いた生活を送られていたような感じがする。物腰にそんな佇まいがある。
「石として転生するだなんて、思ってもいませんでした。あまり読んだことは無いのですが、異世界転生モノの多くは人間的なもの、そうでなくても自分の意志で動ける生き物になりますよね。」
「そうみたいだね。でも、どんな物語も、主人公を頂点とするヒエラルキーの下層には、たくさんの有象無象がいるわけだから。我々のような路傍の石に転ずる人の方が、多いんじゃないか。あるいは、木とか草とか。」
「学芸会のわき役ですね。」
「うん、そうだね。私は子どもの頃、切り株の役だったな。」
「私は雪の粒です。」
「ははは、石より儚いじゃないか。」
こんな話をしていると、穏やかに時が過ぎていく。学芸会の雪の粒役では、舞台上での私語も、ぼんやりも許されるものではなかったが、今はそんなくびきも無い。一日の始まりと終わりすらも分からない闇の中、ぼーっと放心し、時折先生と雑談をかわす。何も生みださず、何の摩擦も無い。この世界のどこかにも主人公がいるのかもしれないが、私は路傍の石役で十分だ。
ただ、やはり、終わりが無いのは辛い。時折無性に、胸の内を掻きむしりたくなることがある。そんな時は先生と話す。
「あなたのそれは、不老不死の毒かもしれないな。陳腐だが、人は死ぬからこそ生が輝く。」
「はあ…」
「…のかもしれないし、そうではないのかもしれない。私は生きていたころも、今も、輝いてはいないけれど、どちらも嫌いではない。」
そんなふうに先生にけむに巻かれていると、私も益々小さく丸く削れて、何もかも無心に受け入れられる境地になる気がする。気がするだけで、発作的な不安は時折来るのだけれど。
そんなある時、私はまた、いつまで石でいれば済むのかという思いが重くのしかかってきて、先生に助けをも求めた。
「先生、先生?」
しかし、呼べども待てども、先生の応答がない。勝手に先生を高齢者だと決めつけていたので、脳や心臓のアレかと一瞬思ったけれど、石だからそんな病気は無いはずだ。先生も疲れて、石テレパシーをする気力がなくなったのだろうか。でも、ついこの前も、くだらない雑談を楽しんだばかりだが。でも、ついこの前が一体何日前のことなのか、石たる我が身には分からない。
先生に何かあったのだろうか。削れて小さくなりすぎて、川底をころころと流れて行ってしまったとか。とうとう砂粒サイズになって、石グループから進化して、砂グループに仲間入りしたとか。あるいは、砂粒サイズまで小さくなると、晴れてこの世界を卒業できるとか。
何も分からない。きっとこの先も一生分かることは無い。
それでも私は、一縷の望みをかけて、先生に向けて何度も呼びかけ、先生がいるものと仮定して勝手に一人で話をした。どうせ他にすることも無いのだ。
その辺りにいるという同胞からも返事はなく、私はずっと独り言を続けた。初めは気恥ずかしい部分もあったが、何しろ何も見えない聴こえないなので、すぐに何とも思わなくなった。アレクサやカーナビに話しかける方が、よほど気恥ずかしい。
「先生。おなかは空かないんですが、おにぎりが食べたい気分なんですよ。先生はどうです、何か食べたくなったりしますか?」
今日も今日とて、私は先生に話しかけた。すると、驚いたことに、反応が聞こえた。
「バー」
「は?バー?」
「ざりざりざー」
何を言っているのか、よく分からない。チューニングの合っていないラジオみたいだ。
石テレパシーは声ではないから、声質というものが無い。いつもの先生の石テレパシーも、今日のへんてこな反応も、同じに聞こえる。だが、私は反射的に察した。先生ではない。
「あなたは誰ですか。私と同じ、元人間ですか。あなたも死んだのですか。」
私は立て続けに質問した。私には感じ取ることのできない、同胞なのだろうか?同胞も私のように、流れで角が取れて、石テレパシーを使えるようになったのだろうか?
「イ゜ー」
「全然分からない。もう少し、強く念じてみてください。」
私は繰り返しその相手に話しかけたが、相手は不明瞭な何かを返すばかりで、結局何が言いたいのか分からないまま消えてしまった。
いったい何だったのだろう。考えてみたけれど、答えが出るものでもない。河原の小石にできることなんて、限られているのだから。
仕方が無いので、私はこれまでより頻繁に先生向けの呼びかけを行うことにした。
「先生、今日はいい天気な気分がしませんか。川の流れが穏やかなんですかね。」
「じじっ」
「深夜ラジオを思い出すな。受験勉強の時に、よく聞きました。ラジオが悪いのか、周りのマンションが悪いのか、どうやっても雑音が入るんです。」
「チッずー」
本当に、ラジオが相手なんじゃなかろうか。誰かが河原に不法投棄でもしたのかな。ラジオなら、生き物よりは石テレパシーになじみそうな気もするけれど。相手の反応が一向に変化しないので、私はそんなふうに考えるようになってきた。
が、ある時、いつもと少し違うものを感じた。相変わらずの無意味な反応の奥に、微かな意思がある。何かの具合で遠くの放送局の番組を微かに拾えているときのように、ノイズの幕の隙間から声がちらりちらりと顔を出している。何を言っているかは分からないが、向こうに何者かが存在しているのは確かだ。
私は嬉しくなって、せっせとその何者かに向けて話しかけるようになった。まあ、せっせとは言っても、すっかり石生活が染みついてしまっているので、のべつ幕なしとはいかない。先生との会話よりは頻度が多いくらいだ。それでも、ノイズはどんどんと薄くなっていき、気が付けば相手の言わんとするところがこちらに伝わるようになってきていた。
「あなたは人間なんですね。」
「ウン。」
どうやら、話し相手はまだ若い、あるいは幼い人間のようだった。やはり、この世界には主人公がどこかにいるのだろう。脇役専門の転生場所というわけではなさそうだ。
「私はどんな姿をしているんですか?」
「チッチャクテ平ベッタクテスベスベナ石コロ。」
「へー。」
初めて、自分の外観を知れた。そうか。私は小さくて平たくてすべすべの石なんだな。河原にはありがちなやつだ。そんなものに転生していたんだなあ。人生どこに行き着くか、分かったもんじゃないなあ。