16-1
騙された。
時給が良くて、空調完備、座ってできる、接客要らずの、楽なバイト。友達からそう聞いて誘われ、始めたが、大ウソだった。
ああ、大ウソではないな。間違っていたのは、最後の1点だけだ。他は、事実。
効きすぎくらいに空調が効いた部屋には外部からの侵入者=客は来ず、私は椅子に縛り付けられたまま延々と与えられた仕事を捌く。時給は、飲食店ホールとかに比べれば高い方だ。
でも、全然楽じゃない。まず、目が死ぬ。それと同時に、首と肩と背中の筋肉が石化する。次いで、腰とふくらはぎ辺りに石化の範囲が拡大する。やがて、耳がキーンとなってきて、色んな感覚がヘドロのように溶け、心も壊死していく。
はー。この仕事自体をデバッグしたいよ。というか、無料でゲームしまくるやつらが社会のバグなんじゃないの?誰の労力もなくゲーム開発できるわけないじゃん。犠牲になってる底辺がいるって、気づけよ。広告見りゃいいでしょ、じゃねえんだよ。こっちの懐は潤わねえよ。対価払えよ。
と言いつつ、私も無料アプリをガンガン使っているのであるが。
そう、私のバイトは、ゲームのデバッグ。やってらんねえ。死にたい。
私は自販機コーナーに行き、缶コーヒーを手に横のベンチに腰掛けた。僅かな休憩、微かな慰め。この時間くらい、何も見ずに過ごしたい。私は目を閉じて、眉の辺りをぐりぐりと指で押した。効くわけじゃない。おまじないみたいなものだ。目薬も濫用しているが、効かない。おまじないにしては高いから、やめようかと思いつつ、やめられない。これも薬物依存の一種だろうか。
はー。目を閉じたまま、背後の壁にもたれる。肉体労働していないのに、全身が疲れて、石みたい。このまましばらく、何も視界に入れたくないなあ。
そう思っていたら、辺りが急にしんと静まり返った。自販機の唸る音も聞こえない。
「力が欲しいのですか?」
な、なんだ?急に声が聞こえた。何この、テンプレ。ギャグマンガの始まりか?
「力より、休息が欲しい。」
面白い返しも思いつけず、私の正直な心の声がそのまま漏れ出した。
「力じゃ、ダメですか。」
なんだ、そりゃ。急に押しが弱弱しくなったな。
「あんた、誰ですか?魔王とか、その手のキャラ?」
と私が問うと、相手はうーん、うーんと悩み始めた。何故悩む。何を悩む。お前が誰かと訊いただけじゃないか。
「魔王って、何ですか。」
「そりゃ、魔物の王様というか、株式会社魔物の社長というか、魔物の取りまとめ役みたいなもんでしょ。」
「ふーん。今のところ私しか魔物がいないんですけど、そういう場合は魔王になるんですか。」
「名乗ったもん勝ちっすよ。これから部下増やすんでしょ、どうせ。」
「そのつもりです。では、これからは魔王と名乗ります。」
何なの、このノリは。この人、どう考えても力を与えてくれそうにはないけれど。与えてくれるとしたって、コンビニおにぎりの海苔が千切れにくくなるとかとかその程度のご利益しかないんじゃないの。
「あんたに力をもらうと、どうなるんすか。」
「魔物になれます。」
「いらねえよ。」
「でも、あなた、今のままじゃ石ころですよ。何にもできないじゃないですか。私以外とは話せないし、何も見えない聴こえないだし、動けないし。そのくせ、放っておくと寿命は長いですよ。」
おやおや、押しが強くなった。っていうか、何それ。私は石になってるという設定?いやー、ないでしょ、そりゃ。登場人物が石って。真っ暗な中で何も操作できないって、バグ以前の問題じゃないか。まあ、身体は石じゃないかってくらいにガチガチに凝っていたけど、それは比喩でしかない。
でも、改めて考えてみると、こいつの声以外の音は何も聞こえないし、目を閉じているにしたって真っ暗過ぎる。身体の感覚は何もない。凝っていることも分からないから、肩と腰がらくち~ん…って喜んでる場合じゃなさそうだぞ、これ。マジで石なのか?ゲームデバッグやり過ぎて、脳がゲームに侵されたか。これ、労災降りるのかなあ。
まあ、じたばたしてもしょうがないか。とりあえず、パソコンの画面を見なくていいこの状態は、バイトよりは楽だ。しばらくここで休もっと。
「私は、あなたみたいな石を拾って、魔物を増やしているところなんですけど、これがなかなか捗らなくて。ぜひ、仲間に加わって頂きたいんですが、ダメですか?」
「ダメっすね。っていうか、他にも候補者いるんだ。」
「いるんですけど、適性が低かったり、あなたみたいに断ったりで、全然集まらないんです。」
「あんた魔王なら、無理やり変えちまえば良いじゃないですか。魔王ってそういうもんでしょ。」
「そうなんですか?でも、それだと、かわいそうじゃないですか。」
あらあら、心優しい魔王様だこと。でも、私は魔物になって人間と戦うとか、土地を侵略するとか、働くとか労働するとか苦役するとか、もう嫌だ!断固お断りである。力じゃなくて、休息をプリーズ。
私が頑なに拒絶したせいか、魔王はしょぼんとしてしまった。私も人の子であるので、この新米魔王を悲嘆に暮れさせたとあれば、多少の良心の疼きを覚える。
「餌があった方が良いんじゃないですか。魔物になってくれたらこんな良いことがありますって。」
「良いことですか。うーん…そもそも魔物が私しかいないので、魔物になる利点が分からない。」
ええい、この正直者め。
「何かないんすか。あんたが何でも願いをかなえてあげられるとか。魔物になれば世界征服できるとか。」
「願いを叶える力なんかあったら、まず私が仲間をいっぱい作っています。それに、世界征服なんて、そんな怖いことしたくないです。私はみんなで穏やかに暮らせればいいなと思ってるだけなんです。」
ええい、このヘナチョコめ。それでも魔王か。いや、まあ、私がそう名乗れと勧めたようなもんだけど。ネーミングに失敗したかもしれない。このほのぼの野郎なら、スライムにでもしておくべきだった。ぼく悪いスライムじゃないよ、プルプル、とか言いそうじゃないか。
「穏やかに暮らすだけなら、別に魔物を増やさなくていいじゃないですか。あんたが田舎で自給自足とかでロハスに過ごしてりゃ。寂しけりゃ、お友達でも彼女…彼氏?でも連れて。」
言いながら、相手の性別が分からんことに気付いた。声の質も分からんし。まあ、どっちでもいいや。
「いえ、魔物は増やします。それは私の意志です。」
魔王は随分はっきりと言った。これまで割とゆるゆるだったのに。
「なんで?」
「この世界には人間を抑制する存在が必要です。」
「急に魔王っぽいじゃん。じゃあ、その勢いで人間を根絶やしにしちゃえばいいのに。それは嫌なんすか?」
「根絶やしだなんて、酷いことを思いつきますね。一緒に仲良くすればいいじゃないですか。」
あちゃー。あっという間に元通りのヘナチョコ。ちょっと、焚きつけた方が良いかもしれない。
「だって、人間を抑制したいんでしょ?」
「抑制と、0にするのは話が違いますよ。人間って、みんながみんな、絶滅させなきゃいけないほど邪悪なんですか?」
「いやあ、まあ、その点に関しては様々な考えを持つ人がいます。」
ピュアな返しを受けて、私はごにょごにょと胡麻化した。やりにくい魔王様である。何らかの理由で頑なに人間を滅ぼそうとしてくれている方が、扱いやすい。
「あなたが魔物になってくれないなら、また一から探し直しですね。」
「悪いけど、そうしてください。」
「気が変わったら、教えて下さいね。時々見に来ますから。」
はーい、と私が答えたのを区切りに、魔王の声は聞こえなくなった。後に残るのは完全な闇と静寂。完膚なきまでの暇時間。わーい、好きなだけたっぷり寝られるぞ、と思ったのに、全然眠くないし、眠れやしない。ただただ、暇なだけだ。それが延々と、いつまでも続く。バイトをサボれるのが嬉しいと思っていたのは一瞬のことで、すぐにこの無刺激生活に飽きた。
いやこれ、選択間違えたな。さっきのは、魔王の誘いに乗るのが正解ルートだった。しまった。この状況はどう考えてもバッドエンドだろ。