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私が一人おたおたしていると、やがてふうと琵琶法師が息を長く吐いた。
「お帰りになりましたな。」
あ、そうなんだ。帰る足音は私には聞こえなかった。さすが手練れ。
「さて、今日はこれにてお開きですな。また明日、やるといたしましょう。」
「明日も来て良いのかな?今まで黙っていたが、あの人間が言っていたとおり、私は魔物だぞ。」
笛吹がちょっぴり自信なさそうに尋ねた。
「はは、私には何も見えませんからな。私に分かるのはあなたの笛の音だけ。魔物も人間も、違いなどありませんよ。良い音はまた聴きたいと思うだけです。」
「はいはい、私も同感です。」
と私も話に乗っかる。実際、聴覚以外の感覚が無い私には、笛吹の正体なんぞどうでもいい。本当に私が石とか無生物であるなら、食われる心配だって無いし。あ、草だと食われるのか。草食って言ってたし。でもまあ、石ですから、大丈夫でしょう。
「そうか。」
どことなくほっとしたように呟くと、笛吹は静かに立ち去って行った。きっと、また来てくれるだろう。そんな気がする。
「ところで、あなた、石なんですか?」
しみじみしていたところで突然法師に問われて、私はあいまいに返事をした。
「自分じゃ分からないんですが、そうらしいです。触ってみたらどうです?」
「どれ、ではお言葉に甘えて…はあ、これですかな。はあ。石ですな。こりゃ珍妙な。」
ひとしきり私の身体?をぺたぺたして、法師は満足したらしい。
「笛吹さんが人でないのは気付いておりましたが、ピアノさんが石だとはねえ。道理で動かれんはずです。いやはや、私もまだまだ修行が足りませんな。」
あ、笛吹のことは分かっていたんだ。この法師、侮れないな。そして、その法師を欺くことのできる私、一体何者よ。
そんな謎は生まれたけれど、法師はすっきりしたように横たわると、あっという間にぐうぐう高いびきをかいて眠ってしまった。この人は十分修行済みなんじゃなかろうか。
勇者らしき人の危機も回避できたし、琵琶法師がまた流浪の旅に出るまでの間はしばらく3人で遊ぶ時間が戻って来るはずだ。私は呑気にそう考えて、翌朝また出かける琵琶法師を見送り、暇な日中をあれこれと妄想して過ごした。今日は笛吹が現れないので、そこは少し心配だけれど、今までも百発百中で昼に来ていたわけじゃないから、たまたまだろう。
ところが、全然たまたまではなかった。琵琶法師が戻って来ないうちに、笛吹が狼狽した様子で駆けつけてきた。
「大変だ。あの人間が襲われている。」
「えっ、何にですか?魔物?クマ?」
「他の人間にだ。」
笛吹が説明するところによると、琵琶法師が食べ物などの施しを受けに行く里の人間が、琵琶法師を襲っているらしい。琵琶法師が何かの罪を犯したからその折檻、というわけではない。琵琶法師が夜な夜なこの小屋に戻ってきては、明らかに複数の奏者で、聞いたこともない怪しげな楽曲を奏でていることに、里の人間が気付いた。訝しんだ里の人間は遠くから隠れて様子を覗いて、魔物が小屋に出入りしていることを知ってしまった。それで、琵琶法師は魔物の一味と目され、討伐対象になったという次第だ。
「それで、法師はどうなっているんですか?」
「あいつは気配に敏いから、何とか逃げ出したんだが、まだこの辺にいるだろう。襲われたのが小屋の近くだからな。里の奴ら、小屋に火を放って丸焼きにしようと企んでいたんだ。」
「うへえ。ひどい話だ。」
「ああ。これだから人間ってのは始末に負えない。同族を殺せるだなんて、どう考えても下等だ。魔物には魔物を殺すことはできないんだぞ。私たちの方がよほど平和的な生き物じゃないか。」
笛吹が忌々しそうに舌打ちをした。私も、人間同士が殺し合うのはいかがなものかと思う。そう思うけれど、事件でも謀略でも戦争でも、人間は人間を殺す。魔物同士が殺し合うことが無いのだとしたら、その点では魔物は人間の上位互換なのかもしれないな。
「今はそんな文句を言ってる場合じゃないな。あいつを助けないと。」
「ええ。でも、私は石なんですよね。動けない…。」
「私は戦いに適していない。多分、里の人間との一対一でもすぐやられる。」
「草食ですもんね。」
「食性は戦闘能力と関係無いけどな。ただ、見かけはまずまずだから、はったりで騙して追い払えれば良いんだが…。」
「それなら不意を突いて、ドッキリおどかさないといけませんね。里の人たちの挙動を掴まないと。」
付近の音を聞くしかできない私と、荒事にはからきしの笛吹。里の人に先に見つかったら、アウト。さあ、この状況でどうすりゃいいんだ。
そうだ、石テレパシー。声じゃないんだから、琵琶法師が近くにいるなら届くんじゃないか。一般的な人間は不得手だっていう話だから、里の人には聞かれないだろうし。よし、物は試し。私はめいいっぱい大声を張り上げているつもりで琵琶法師に呼びかけた。
「はい、はい。聞こえておりますよ。」
あ、反応あり。とりあえず、生存は確認できた。
「このまま、何とかして逃げおおせるつもりですよ。小屋には行かないようにしますから、笛吹さんもその隙にどこか遠くへとお伝えください。」
そんな、目も見えないのに、里の人の追撃をかわせるだろうか。笛吹の話では、一人二人ではない人数が追ってきているということだし。心配しながらも、テレパシーで聞いた内容を笛吹に伝えると、
「逃げろと言われて、私だけ逃げるわけにいかないだろ、この状況で。後味悪すぎだ。」
と笛吹もむすっとしている。さりとて、良策も思い浮かばない。琵琶法師も里の人の状況をつぶさに掴んでいるわけではない。むしろ、視覚のハンデゆえかじわじわと追い詰められている気がする。それに、年だとも言っていたし。
どうしようと思っているうちに、琵琶法師からの石テレパシーではなく、直に外から物々しい騒ぎが聞こえてきた。
「ドジを踏みました。古い肥溜めを踏み込んで、捕まってしまいました。」
これは法師の石テレパシーだ。文字通り、ドジで踏みたくないものを踏んでいる。
ああ、いやいや、そんなことを考えている場合じゃないぞ。ほら、里の人と思しき人間たちが、法師に怒号を浴びせているのが聞こえるじゃないか。かてて加えて、笛吹の実況中継が始まる。
「まずいぞ、あいつ、タコ殴りだ。」
「何てことするんだ。」
「あ、小屋の周りに油を撒かれた。」
「何てことするんだ。」
「小屋に火を点けようとしている。あいつごと丸焼きにするつもりみたいだ。」
「何てことするんだ。っていうか、あなたも早く逃げて下さいよ。焼けたら死んじゃうでしょ?」
「ああ、さすがにな。」
じゃあどうしてそんなに泰然自若としてるんだ、と思ったけれど、よくよくテレパシーを味わってみると、ガタガタ震えているような気もする。腰が抜けて動けないとか、そういうことだろうか。
「いや、まあ、うん。」
「うんって。」
「一応動けるけど、これでは逃げる前に捕まるだろう。情けないな。人間を食える種族だったら良かったよ。あいつらは強いからな。」
「いや、あなたはそのままでよろしゅうございますよ。」
と、琵琶法師の声が扉のすぐ向こうから聞こえてきた。タコ殴りに遭っても、まだ息はあるらしい。




