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隧道の点検業務の最中、変な匂いがした。と思ったら、その直後に私は真っ暗闇に包まれた。機器の故障で隧道の照明が落ちたかと思ったが、目を閉じたときに瞼の裏に浮かんでくる、あの変な模様も見えない。音もしない。さっきの変な匂いも消えて、手に持っていたはずの道具の重さも蒸し暑さも、あらゆる感覚が失われていた。
どうもおかしい。もしかすると、事故に巻き込まれて、自分の体は大変な状態になっているのかもしれない。そう考えた途端に気持ちが焦りだしたが、焦ったところで何もできることが無い。それで落ち着くかというと、そうもいかず、焦りが焦りを呼んで私はパニックに陥った。
でも、パニックに陥っても、何も起こらない。何しろ、何の感覚も無いのだ。ひきつけを起こして倒れるとか、あぶくを吹いてのたうち回るとか、大きな奇声を上げるとか、気持ちの上ではやっていてもおかしくないのだが、体が付いて行かない。というか、体が無い感じだ。
だから、私の焦りは燃え上がり、延焼し、辺りを包み込んだ後、燃える物が無くなって普通に鎮火した。後に残ったのは、キーンと冷たくなるほどの落ち着きだ。
ああ、もう、どうしようもないのだな。と私は悟った。ただ死を待つしか、私にできることは無い。
急に冷静になってしまったので、死を覚悟したけれども走馬灯のようなものは始まらない。仕方が無いので、能動的にあれやこれやと考える。
冷蔵庫や戸棚に残っている食品。間違いなく、腐るよな。うわー、マンションの管理会社の人、ごめんなさい。
あっ、しまった。同僚から新婚旅行のお土産でもらった、黒トリュフの何かの瓶詰があった。もったいながって、開けてもいないよ。くっそー、こんなことになるなら、さっさと食べておけば良かった。
ああ、洗濯物も干しっぱなしだ。待てよ、毛布も洗って干してきたな。うわー。雨降ったら、どうなるんだ。
それから、仕事も途中やりってことだな。しまった、来週の案件、まだ引継ぎしてないわ。近くにうるさい家があるんだよな。気を付けないといけないのに。あー、経理に書類出すの忘れてた…またチクチク言われる。
などと、我ながら、ちんけなことばかり思い出されて、嫌になる。こんな体になってしまってまで、冷蔵庫の中身やら、経理の嫌味を考える必要は無いのに。トリュフは確かに心残りだが。もう少し我が人生を俯瞰して振り返り、良い人生だったなとか、最悪だったから早く終わってくれて万歳だとか、最期に向けての感想を得ておくべきではないのか。
よし。ならば、人生の初期から思い出を振り返りましょう。強制走馬灯だ。
誕生。当然ながら記憶になし。
幼児期。記憶はあいまいだが、確か、保育園では独りで砂場で遊んでいた気がする。
学童期。授業では手を挙げず、休み時間は一人で本を読み、放課後は家でゲームかテレビ。
学生時代。アパートと大学を往復するだけだったな。あと、棚卸のバイト。
社会人時代。なるべく人と関わらなくて済む仕事を選んだら、穴の中で事故に遭って、おしまい。
うわー。終始一貫してボッチだ。いや、分かってはいたし、それで悩んだことも無いのだが。これでは、走馬灯が訪れないわけだ。いつの時代を映し出しても、自分が一人で背中を丸めてごそごそしている図しか浮かばない。変化が無い。面白味も無い。
ああ、だからか。こんな、外界の刺激が一切入ってこない状態になったのは。今のこの世界は、完全に私だけで構成されている。ボッチの最終形だ。自業自得というか、実に私に似つかわしい最期ではないか。理想的とは言い難いが、諦めはつく。
あとは、なるべく早めに終わってくれるといいのだが。何故か知らないが眠気もないし、時を過ごす方法が独り言しかない。いくらプロボッチでも、それは退屈である。
そう考えたのに、私だけのこの世界は、なかなか終わらなかった。時間の流れを測るものが何もないから判然とはしないが、体感としては何年、何十年と過ぎたのではなかろうか。
退屈過ぎて、いっそ心が壊れてくれたら、時の長さを感じずに済むかもしれない。そんな期待も抱いたけれど、そう都合よくはいかない。余りの退屈さとやるせなさに、順調に心が擦り減っていくけれど、それと同時に慣れも生まれてくる。何もしない何も考えないで、ぼーっとするのが得意になってしまった。
この状態になりたての頃は、仕事のことを思い出してやきもきし、終わりが来ないことを不安に思い、何の刺激も無いことにいら立っていたものだが、最近はもう、心穏やかである。私の心に思い出される何物にも動揺しない。凪そのもの。すっかり角が取れて、まんまる。私が泥団子なら、つるつるテカテカの見事な球体に仕上がっていることだろう。
あ、もしかしたら、私は隧道事故で死んで、泥団子に生まれ変わったのかもしれないな。見てくれの悪い泥の塊だったのが、私の持ち主がせっせと磨いて、今やすっかり見違えたのだろう。
そうか。私は泥団子に転生したのか。巷では、異世界転生の漫画や小説が大賑わいだそうだけれど、まさか私の場合は泥団子だとはなあ。悪くはないけれど、折角なら、ピカピカになった自分の姿を見たかったな。それは残念だけれど、泥団子ならじきに持ち主が飽きて、うっかり落として割ったり廃棄したりして、土に還ることだろう。私の最期もそう遠くは無いということだ。いやはや、安心した。
「そうはいかないよ。」
と、誰かの声が聞こえた。いや、声、なのか?頭に直接響いてくる感じだ。まあ、私が泥団子なら頭なんて部分は無いのだが。
ともかくも、泥団子としての私の終末が無いとは、いかなることだろうか。
「あなたはどなたですか?そうはいかないとは、どういうことでしょうか。」
「私は河原の小石。そして、あなたも河原の小石。泥団子じゃ、ないんだな。」
そう言われて私は少々ガッカリしたが、泥団子に拘泥していたわけではない。そもそも万事にこだわりが無くなっている。河原の小石なら小石で、受け入れるしかあるまい。
「私には何も見えないのですが、あなたには私の姿が見えているのですか?」
「石だもの、見えやしないよ。ただ、同胞の存在はそれと分かるだけ。死んで、石に転生した元人間がね。」
「ははあ。どうやったら、分かるんですか。」
「ただ分かるんだ。生きていた頃、教えられなくたってものが聞こえていただろ。それと同じさ。もっとも、あなたは鈍そうだから、無理かも知らんが。」
私は随分長いこと小石だったのだろうが、周りに同様の石がいると感じたことは無い。そうか、私は鈍いから、無理か。もともとボッチで、他人に関心が無いし、しょうがないかもしれない。生まれつき視力や聴覚が無い人がいるのと同じなのだろう。そういうこともある、ということだ。
「ここは河原なんですか?それも、分かるから分かるんですか?私は本当に、あなたの声以外何も分からないんですけど。」
「いや、河原か砂漠かは、直接は知れない。ただ、たまーに、私たち石と話せる…というか、こういう石テレパシーを使える生き物が来るんだ。そいつらが、教えてくれる。」
ああ、石テレパシーというのか、この声。やはり、正確には声ではないのだな。
「河原だと教えてくれたのは、魚のような生き物だったよ。もうずいぶん前に、いなくなってしまったけどね。」
「先生は、もうここは長いのですか?」
「先生はやめてくれよ。…まあ、長いんだろう。魚が言うには、私はもうすっかり丸くなった小石らしいから、長いこと川にいるんだろうね。」
「私も丸いのでしょうか。」
「さあ、どうだろうな。何しろ、見えないからな。」