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異世界転石  作者: 七田 遊穂
第14話 響く石
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14-2

 琵琶法師は寝たり起きたり出かけたり、人間らしい活動をしているが、夢の中では寝ること食べることもできず、身動きも取れないから、私はただぼんやりするしかない。琵琶法師に話しかけられたら返事をするが、それしかすることが無い。でも全く苦痛にならないのは、夜ごと…その後で琵琶法師が寝るから夜だと思うが、とにかく、夜と思しき時間帯になると琵琶法師とセッションできるからである。


 私の聴いていたレコードはとっくに鳴りやんでいる。もちろん、私の頭の中には他の曲が沢山詰まっているけれど、レコードを再生するように頭から終わりまで漏れなく隅々まで脳内に思い浮かべるのは難しい。はずなのだが、不思議と、今はそれができる。基本的には私の慣れ親しんできたピアノが多いが、交響曲、協奏曲、室内アンサンブル、ピアノ以外の楽器のソロや趣味で聴いていたロックにポップスまで、自由自在に思い出せる。私が心の中でそれを再生すると、琵琶法師にも聴こえるらしい。まるで人間ジュークボックスになったみたいだな。ジュークボックスの実物にお目にかかったことはないけど。


 私は自分で演奏しているわけじゃないが、楽しい。そりゃ、自分でこの場で弾いていたらもっと楽しいんだろうなとは思うけれど、私は動けないし、そもそもピアノすらない時代の掘っ立て小屋ではどうしようもない。


 さあて、今晩は何をやろうかな。久しぶりに古典的なバッハに戻ろうか。サティも面白そう。ファジル・サイはどうだろう。琵琶法師がどんな曲にでも合わせてくるので、セッションのことを考えるだけでわくわくする。おかげで、琵琶法師が寝ていたり不在にしていたりする時間も、退屈になる暇がない。


 その夜は結局プロコフィエフのピアノ・ソナタ第6番イ長調、俗に言う『戦争ソナタ』の一つに決めて、私は琵琶法師の帰りを待った。今日は遠出でもしているのか、不在時間が長い気がする。時計も日照も見えないから気のせいかもしれないが。もう帰ってこないのだろうか。放浪の身だと言っていたし、この地にもいつまでも滞在するわけじゃないだろうけど、旅立つなら一言くらいありそうなものだ。それとも、事故にでもあったのだろうか。目が不自由な人だから、心配である。


 音がしたら灯台代わりになるかな、と思い、私はプロコフィエフをぽろぽろと演奏し始めた。実際には心内レコード再生なんだけど、気持ちの上では私の両手の指も余すところなく動いている。しかし、いざ始めてみると後悔が沸き起こる。ただでさえ不安な時に、不安で心かき乱される曲はやめておけば良かった。能天気に明るい感じの曲に変えようかな。


 そう思ったとき、ピイィと澄みきった笛の音が聞こえた。篠笛…いや、木製のフルートみたいな音色だな。きれいだ。琵琶法師だろうか?まさか、別の獲物をゲットしに行っていたのか?それならそれで、やってやろうじゃないか。私は腕まくりして(気分だけ)、続きに取り掛かった。こいつは初見でバッハになじむより難しいぞ。どうする、と思っていると、なるほど初めのうちはモタモタ、付いてきているんだかいないんだかである。が、さすがは琵琶法師、第1楽章の後半にはもうするりと入り込んできた。


 ああ、やっぱりこの人はすごいセンスの持ち主だな。私は感心しきりで第2楽章に取り掛かる。と、ここでいつもの琵琶法師の音が混ざり始めた。あれ?笛を吹きながら琵琶?ギターを弾きながらハーモニカなら見覚えがあるけれど、指を使うタイプの笛と琵琶は両立不可能だよな。では、別の法師が加わったのだろうか。スカウトしてきたのか。それで帰りが遅かったのか。


 などと、自分に都合の良いように解釈していた私であるが、演奏が終わってみるとその予想は誤りであることが分かった。


「笛が増えましたな。小屋のご主人ですか?すみませんな、私は目が見えんのでして。ここを一時雨露をしのぐのに使わせていただいております。」


 と琵琶法師が言うのである。なるほど、小屋の主か。その線はありだな。


 しかし、笛の人はこう答える。


「いや、私も通りすがりの笛吹きだよ。面白い曲が聴こえたから、ついふらふら引き寄せられてしまった。お邪魔をしてしまったね、すまない。」

「邪魔だなんて、とんでもありませんよ。すごく素敵な音色でした。」


 と私は割って入る。いつもは琵琶法師と2人のセッションだけど、そこに新たなメンバーが加わって面白さが一気に増した。この人もこの小屋にしばらくいてくれたらいいのになー、近所に住んでる人だと良いなー、などと勝手な要望を抱いてしまう。小屋の持ち主には申し訳ないけれど。


「いつもここで二人で演奏しているのか?」


 と笛吹が言った。


「私がここにたどり着いてからは、そうなりますな。」

「あなた方はもうしばらくここにいるご予定かな。もしそうなら、その間は私も混ぜてほしいんだが。今日は久しぶりにとても楽しかったんだ。」

「ぜひぜひ!」


 私はうっかり一も二もなく答えた。しまった。ここから動けない私の都合よりむしろ、旅の琵琶法師の方が重要だろうに。すみません、と私は素直に琵琶法師に謝った。


「いえ、私もここを気に入り始めていたところでした。小屋の主には申し訳ないが、もう少し逗留させていただきましょう。」


 やったー。私も嬉しいが、笛吹も喜んでいるようだ。笛吹は少し離れた所に住んでいるようで、また折を見て参加しに来ると言って帰っていった。


 私の夢の中のことではあるが、一体どういう土地柄なんだとは思わないでもない。誰も住んでいないけれど居住可能な状態の小屋が放置されていて、すぐ近所には誰もいない。少し離れた所には住人がいる。炭焼き小屋とか、そういうのかな。それなら、やがて持ち主が帰ってくることになるんだろうな。せめてそれまでは、楽しませてもらう。怒られるかな。いや、小屋の持ち主にも演奏を聴かせてやればきっと納得してくれるだろう。


 ま、何と言ったって私の夢なんだから、いざとなったら目を覚ませばおしまいにできる。


 ということで、私は完全に開き直ることにした。琵琶法師は相変わらず日中は不在にすることが多いが、代わりに笛吹が寄ってくれる。おかげで、セッションを楽しむ時間がぐっと増えた。

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