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異世界転石  作者: 七田 遊穂
第14話 響く石
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14-1

章立てのためのダミーです 小さい頃、神童だと言われた。自分でもそう思っていた。ピアノを3歳で習い始めて、すぐに大人顔負けの演奏をするようになったからだ。難しい曲であればあるほどやりがいを感じて、いくらでも練習できた。基礎練習も全然苦にならなかった。テレビや動画で見るピアニストと自分を重ね、自分も必ずこういう輝く存在になるのだと信じて疑わなかった。


 そんな私は当たり前のように、トップレベルの音楽学校を志した。そして、知った。神童なんて、世の中にいくらでもいるんだってことを。神童であることがベースライン。そこから如何に頭抜けるか、それを求められる世界だった。


 私には、ただの神童から抜け出すだけの物はなかった。けれど、音楽そのものを捨てることはできない。もうそれは既に私の半身として融合してしまっている。


 今日も、部屋の明かりを消して、窓もカーテンも下ろし、瞳を閉ざして、お気に入りのカルヴァドスを舐めながら音楽を聴く。グレン・グールドの奏でるイギリス組曲。素晴らしい。どうしてこんな大胆かつ精緻な演奏ができるんだろう。指が自然に曲をなぞる。私の指ではこの響きは出せないけれど、自分が弾いているかのような気持ちに浸れる。


「…良い音色が聴こえる。」


 あれ、誰の声だ?私は一人で部屋にいたはずなんだけど。お酒も入っていたし、半分夢見心地かな。まあ、それはそれで良いか。


「こんな楽器があるとは知らなかった。何人で演奏しているんだ?それとも、一人か。」


 ピアノを知らないのか、この人は。そういう時代の設定かな。ピアノが楽器として確立されたのは、そんなに大昔のことじゃない。それ以前の時代の人がピアノの本気の演奏を聞いたら、ビックリするだろうな。


「分からないけど…合わせてみようか。」


 ビィン、とやや硬質な撥弦楽器の音が聴こえた。シタールっぽい?違うかな。それをこの曲に合わせるのか?えー。ほら、全然なじんでないよ。明らかに異質だよ。


 と思ったのもわずかな間のことで、その人はすぐにグールドの音色とバッハの楽曲の本質を掴んだ。そして、巧妙に、したたかに、バッハの組曲に弦楽器の音を忍び込ませた。こんなアレンジ、ありなのか。私は鳥肌が立つのを感じ…あれ、感じない。こういう時は鳥肌が立つんだけど、何も反応しない。身体の感覚が無い。どういうことだろうか。幽体離脱でもしてるのか。


 うーん…心配ではあるけれど、それよりもこの人の演奏を聞いていたい。私はその欲求にいともたやすく負けた。とりあえず音は聞こえるわけだし、まあ、生きてるんでしょ。なら良いや。この物分かりの良さが、私をピアニストの道から遠ざけた原因であり、それでいて、音楽から離れずにいられる理由でもある。


 結局、全曲演奏すると2時間近いこの長大な組曲を私は聴き通してしまった。聴き惚れてしまった。


「ブラボー。」


 体が動かないから拍手も立ち上がることもできないが、声は出るみたいだから、そう呟く。


「素晴らしい演奏でした。」

「いえいえ、そちら様こそお見事でした。おかげさまで心地よく乗ることができました。」


 そう言われると、面目ない。私の演奏ではないのだから。私のピアノだったら、こんなふうに褒めてもらえただろうか?無理だろうなあ。


「ところで、どんな楽器をお使いですかな?初めて聞いた音色でしたが、実は私は盲いておりまして、見えんのですよ。」


 と相手が言った。琵琶法師みたいな方だろうか。


「奇遇ですねえ、私も何も見えないんですよ。音以外の感覚もないし。」


 私はそう答えてから、ピアノについて簡単に説明しようとした。が、あれを簡単に説明するのは並大抵のことではない。チェンバロが近いけれど、それもご存じないときた。金属の線を棒で叩くと言ったらまた別のイメージになりそうだし。お手上げであるが、四苦八苦しているうちに何となく伝わるものがあったらしい。


「ほうほう、知らぬうちにたまげた楽器が生まれていたんですなあ。」


と感心してもらえた。


「またお聴かせいただけると嬉しゅうございますな。」

「私も、あなたの演奏をまた聴きたいです。」


 またセッションしても良いし、ソロの演奏も聴いてみたい。この人はおそらく技術的にも卓越したものをもっていそうだ。今日はグールドのサブ的な立場だったが、主役を張ったらすごいものを聴かせてくれるに違いない。今から楽しみだ。


「そうですか。それなら、この小屋にしばらく逗留させていただいて構いませんかな?私は諸国を放浪する身ですが、寄る年波でちと疲れやすくて。休み休み、移動しておるのです。」


 ああ、やっぱり琵琶法師なんだな。楽器が琵琶か何か、訊きそびれているけれど。


 それはともかく、私は一体どこにいることになっているんだろう。小屋って言っていたからには、私の暮らすマンションの一角ではなさそうだ。


「すみません。どうぞごゆっくりと言いたいのですが、私もこの小屋に仮住まいの身でして。持ち主ではないんです。」


 と私は答えた。その程度しか答えようがないではないか。これが単なる夢なら、小屋を自分のものと設定したって良いのだろうけど。でも、夢なんてものは理不尽だから、後から別の登場人物が現れて所有権を主張するかもしれない。当たり障りない方向でいこう。


「ああ、そうだったのですね。しかし、これだけやかましくしても何も言われないのですから、近所に主はいないのでしょう。しばしお借りすると致しますよ。」


 琵琶法師は意外とふてぶてしいらしく、遠慮なくその小屋での逗留を決めた。

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