10-1
私は多分、よその世界から事情があってここに飛ばされたんだと思う。私が本当にいるべき場所は、ここなんかじゃない。だから、ずっと居心地が悪いし、違和感があるんだ。
本当の私の世界では、私には使命がある。世界を救う。そんな大それたものではないかもしれないけれど、誰かの役に立ち、感謝され、みんなが私を認めて褒めてくれるような何か。
そんなことを考えながら、教科書を閉じた。英語なんて、無駄知識。本当の世界に帰ったら、そこの言語を自然に読み書きできるようになるんだから。魔法があるから、この世界の科学技術も通用しない。この世界の歴史なんか知っても無意味すぎる。全科目、私には要らない。
昼休みなので、私は鞄を持って、学校の裏門から出た。すぐ隣に工事の資材置き場がある。人の出入りがない物陰を見つけて以来、私はそこで昼ごはんを食べることにしている。誰にも邪魔されない。いずれ私は本来の世界に帰るのだから、努力してこの世界の人たちと交友関係を結ぶ必要はない。ボッチ飯で十分だ。トイレの個室で食べたこともあるけど、トイレはうるさいし、用を足したい人の邪魔になるから、すぐやめた。こっちのほうが、落ち着く。
がさがさと音を立てて、チョコチップメロンパンの袋を開けた。しょっちゅう食べるからもう飽きたけど、コスパが良いから今日もこれ。どうせかりそめの肉体に与えるかりそめの栄養だから、何でも良い。いただきます、と呟いた直後、後ろから変な音が聞こえてきて、何だと思う間もなくものすごい衝撃が私を襲った。
はずだったんだけど、気が付くと私は真っ暗闇の中にいた。真っ暗なだけじゃない。身体の感覚もない。さっきの衝撃、何だったんだろう?
あっ!
理解した。そうだ。私は、私のいるべき場所に帰ったんだ。ここはきっと、本当の私の世界。ああ、やっとその時が来たんだな。やったー!
やったーは良いけど、この真っ暗と無感覚は何なんだろ。暗いのは夜だとしても、身体が動かないって変じゃない?いつもは通学リュックに石でできた教科書が詰まってんじゃないかってくらい身体が重くて、頭も痛くて、すぐ息が切れるのに、重くも軽くも無くて、楽ちん。でも待てよ、呼吸もしてないんじゃないか。私、生きてるのに息してないってこと?あっ、そうか。私、精霊とかになっちゃたのかもしれないな。あー、そういうことね。はい、はい。了解。
ってことは、じきに伝説の勇者とか光の戦士とか、そういう選ばれし存在が私のもとに来るんだな。あるいは、こんだけ真っ暗なんだから、闇の魔王とか妖魔が私の力を求めて来るのかもしれない。あー、どっちだろ。勇者と世界を救うっていう王道もきっとスカッとするけど、闇系キャラと冥府魔道を行くというのも捨てがたい。
んー、んー…やっぱり、まずは王道かな。そっから闇落ちっていう手段も残されてるわけだし。主人公は大天使として悪魔と戦っていたけれど、あることをきっかけに堕天して、冥界の守護天使ルシファーになるんだ。いいじゃん。で、私は主人公がどんな道を進むことになっても、ずっと信じてそばに…
「おい、この石、何か喋ってないか?」
あっ、誰かの声。何、誰?正義の方、悪魔の方?
「たまにあるんだよ、何か分からんがぶつぶつ言ってる石。お前は聞こえないか。」
誰かと話してる。ということは、仲間が既にいるのか。え、待って。そっちの声も聴きたい。もっと大きな声出して。精霊様に、祈りが届いてないよ。頑張って。
「安心しろ、魔物じゃないよ。ただの石ころだ。ほら、こいつだよ。持ってみろよ。さっきから騒いでるぞ。ま、何言ってるかは私にも分からないんだがな。」
ちょっと待って、石ころって、どういう意味?私、石ころに憑依してるんだろうか。精霊のままの姿だと、見えづらいってことかな。
「…よく分かりません。そんなことより、剣術を教えて下さい。石の話す事なんて聞いたって時間の無駄です。そんな石ころが魔王を倒す役に立つんですか。」
ムカつくやつだな。
あー、そういうキャラか。ツンデレ?最初は精霊様に興味も関心もなく、感謝もないし、頼ることもないんだけど、行動を共にするうちに心が通い合って、やがては…みたいな。はい、はい。分かった、そういうことなら、私もしばらく我慢する。付き合ってあげるよ、精霊様だからね。折角本当の世界に帰ってきたんだから、今度は私も頑張る。
まずは、少し頭を整頓しよう。私は精霊。石に憑依中。ここには二人の男子がいる。あれ、待てよ。女子かも。分かんない。どっちも良いな。いかんいかん、また思考が突っ走るところだった。とにかく、師匠&弟子っぽいコンビがいる。魔王を倒したいらしい。ということは、光側の立ち位置。私は光の精霊だな、これは。よし。理解完了。いざとなったら、光のご加護だね。できるかな。できるはず。でも、多分まだその時じゃないな。弟子の方はまだまだ初心者っぽいし。こういう生意気な口を利く奴は、もう少し辛い目に遭って練られないと主人公としての格が備わらない。師匠の方は、あー、たぶんこれ、死ぬやつだな。弟子の成長のために、いい場面で死ぬやつだわ。
でも、死ぬからと言って、最初っから精霊様が見放していてはいけないよね。精霊様も最大限努力をしてサポートするけれど、凶悪な魔王には力及ばず…そして師匠の遺志と私の力を受け継いで、弟子が目覚める。そういう筋書でしょうな。
分かった。まずは師匠に力を貸してあげるんだな。よーし。
と決意したけれど、私が活躍するシーンはその後も一向に訪れなかった。二人がいつも私のそばにいるわけではないのだが、二人が現れると決まって剣術のトレーニングが始まる。声を聞いているだけだけど、かなりストイックだ。師匠は厳しいし、弟子はそれによく付いて行っている。生意気だけど、頑張り屋さんだ。
だけど、まあ、何というか…根は良いやつなんだろうけど、友達にはなりたくない。無口だし、喋り方硬いし、言葉がストレートでキツイし、それに、魔王を倒すという目的のことしか頭にない脳筋でもある。師匠の方はかなり喋りやすい感じなのに。剣術より先に、コミュニケーション技術を教えてもらったらどうなんだろう。私も他人のことは言えないけど。
私、ゆくゆくはこの弟子と上手くやっていけるんだろうか。小説やアニメだと、ちょっとしたきっかけでデレ始めて、あとは流れで溺愛状態になるんだけど。無理かもなあ。師匠の方が良いなあ。死なないで欲しいなあ。
そう思っていたけれど、ある日、師匠は弟子を置いて旅立つことにしたらしい。
「お前はもう十分やっていけるよ。大丈夫。あとは、仲間を見つけてみろ。やっぱり、単独行は危険だからな。」
弟子君にとって一番難しいであろう課題を投げかけやがる。
「途中までで良いので、連れて行ってください。その…師匠に仲間ができるまでで良いですから。」
弟子も言うこと言うなあ。確かに、こいつらいつも二人きりで、他の仲間の声を聞いたことがない。いる様子もない。勇者が魔王を倒しに行くなら、複数人のパーティを組むのが定石だよね。なのに、二人そろって、お友達無しのご様子だ。
「私の仲間なら、ほら、これ。これで十分。」
「これって…例のやかましい石ころじゃないですか。これでどうするんですか。」
「効果音代わり。じゃきーん、どかーん、ちゃららちゃーちゃっちゃーらっちゃちゃー、レベルアップ!みたいな。」
「それ、要りませんよね。」
弟子のツッコミが鋭すぎる。
「師匠に人間の仲間ができるまで、お供します。戦力という意味では不足はないでしょう。」
「それだとさー、お前に仲間ができないじゃん。」
「ふ…ふたりで、良いじゃないですか。私と、師匠と。」
トクン…二人が頬を染めて見つめ合う…みたいな展開か。視界が無いのがもどかしい。見たい。
師匠の方は、はーっとため息をついて、私に分かる音が出るほど頭をがりがりとかきむしった。
「分かんねーかな。お前じゃ足手まといだって言ってるんだ。お前の力量じゃ、まだ魔王には勝てやしない。」
えっ。突然の、冷たいお言葉。
あ、あれか。嘘を言って突き放して、一人で危地に乗り込もうとするあれか。師匠、そういうこともできるんですね、さっすが。師匠なら仲間の一人二人、すぐ作れると思うな。
などと私はワクワクしていたのだが、そうでもなかった。
「なーんちゃって。ドッキリ?」
「…」
「怒るなって。正直、お前がいりゃ頼りになるよ。ただ、お前はまだ若くて、身体が完全にできてない。それに、魔法もまだまだだよな。」
「はい。」
「だから、大人になるまでは修練を続けなさい。私はそろそろ年齢的に上限ギリギリって感じだけど、お前はまだ伸ばす余地がだだっ広く残ってる。今魔王に挑んで死んだら勿体ない。」
「師匠と一緒に旅をしながらでも修練はできます。」
「私は大人同士でパーティを組むの。で、酒飲みながら魔王倒すの。お子様はお呼びでない。」
弟子が涙ぐんでいるような気がする。実際には嗚咽とか、音が鳴る行為は無いのだけれど。弟子はそういうのをぐっとこらえるタイプだろう。
こういう場面って、私の出る幕はないよな。ここで聖なる精霊がぱーっと現れて、師匠のことは私に任せなさい…みたいなご宣託をしたところで、雰囲気ぶち壊しだな。




