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「それに、私はこの城下町が好きでしてな。この城と町を守るために役立っていると思うと、私は自分で自分が誇らしく感じられます。」
「ほお…城下町ですか。」
魔王城を含むエンタメ施設と、運営会社のことだろうな。
「かつてはこの辺りには争いが絶えず、それ故に荒廃し、我々は生きるために随分な苦労をしてきました。人間を駆逐し、土地を取り戻し、地力の回復と養生に努め、ようやくここまでたどり着いたのです。長く険しい道のりでした。」
「それは大変でしたね。」
人間の駆逐、というあたりは不穏だが。エンタメ施設建設に反対運動を繰り広げる地元住民を何とかしたってことだろうか。そこでもこの武闘派は活躍したのか。それは違法じゃないのかなー。大丈夫かなー。聞かなかったことにしとこう。
「そのおかげで、こうして温泉を引いたりする余裕も生まれましてな。いやはや、やはり、平和は良いものですな…私がなしてきた業と矛盾しておるのは、分かっておりますが。」
「その、乱暴なこともなさったとか?」
「ええ、やむを得ず。こちらもあまたの生命が懸かっておりますので。」
こえー。なんだ、なんだ。暴力団の抗争みたいになってるぞ。
いや、落ち着け。生活が懸かってる、という意味かもしれない。仕事を失えば、金が無くなり、生きていけない。煎じ詰めれば、生命を懸けてこのエンタメ施設建設・運営に奔走したということだ。おっさん、本当にここを愛してるんだな。すごいな。私は、収入源を失うのが怖いというだけの理由で仕事をしている。愛してなんかいない。
いいな。自分を誇れる仕事かあ。そこまで高みを目指さなくても良いから、自分が嫌いにならない仕事をしたいな。今の私は、自分で自分を下らない奴だと思っている。苦痛でしかない仕事にしがみついて自分をすり減らして、でも、仕事を辞めたからってやりたいことなんか何もない。きっと明日も死んだ目で出社して、終電で帰る。明後日も、明々後日も。
勇者を殺して食うよりはマシかなー。と、冗談めかして考えるくらいしか、自分を慰める手段がない。私は、本当につまらない人間だ。
「さて、と。そろそろ私は上がります。」
とおっさんが言った。
「偵察部隊の情報によると、非常に危険な勇者がそろそろ魔王城にたどり着くようなのです。」
「非常に危険な勇者ですか…どんな奴なんですか。」
「何でも、単独行動を旨とし、己を磨き上げた孤高の戦士だそうです。」
おっさんの言い方はカッコいいけど、つまるところ、社会的に孤立して過激な思想と行動に走っている奴のことではないだろうか。何するんだろう、そいつ。刃物を持って暴れ回るとか、銃を乱射するとか、爆弾を積んだ車で突入するとか、そういうことか。こえーよ。テロは絶対にいかんぞ、テロは。
「どうぞ、気を付けてくださいね。そういうやつは、なりふり構わず攻撃してくると思いますよ。」
「そうでしょうな。」
「こい…」
恋人も待っているんですから、と言いかけて、私は慌てて口をつぐんだ。それ、死亡フラグじゃないか。おっさんがテロ対策で殉職しては、私も悲しい。おっさんには、このまま誇り高く仕事を続けてほしい。自分にできない夢を他人に託すみたいで、格好悪いけど。
「気を引き締めて、行ってまいります。」
「はい、応援してますね!」
おっさんが上がったのか、湯が揺れた気がする。
「そう言えば、このままお帰りになるのですか?」
おっさんがついでのように声をかけてきた。帰る?ああ、そう言えば、私はどうやってここに来たんだろう。いつの間にか当然のように温泉に入っていたけど。晩にはいつも通りぐたぐたに疲れて帰ってきて、シャワーを浴びる力が出なくてとりあえずソファに横たわったような気がする。その後は?記憶がない。じゃあ、これは夢なのか?
「そのまま湯に入っておれば、じきに溶けるでしょう。そちら様は、石灰質のようですからな。」
「せ、石灰質?」
「もし、もう少し逗留されるのであれば引き上げていきますが、どうされますかな。」
「あ、いや、このままで良いです。」
私は反射的にそう答えた。特に考えがあったわけじゃない。お湯が気持ちいいからだ。
そうですか、とおっさんは言い、軽く挨拶をして去って行った。後に残されたのは、ぴりぴりする熱い湯と、静寂と、暗闇。
そうか。やっぱ、これ、夢だな。夢にしては、おっさんの話が面白かったし、何よりお湯がめちゃくちゃ効くんだけど。シャワー浴びなきゃと思いながら寝たから、風呂の夢を見たんだろうな。ああ、こんな夢なら毎晩見ても良いなあ。回復しそう。
眠りが浅くなってきたのか、段々とお湯の感覚が薄まっていく。それと入れ替わりに、身体が果てしなく重くなってきた。私はソファと同化したか、ソファに転生したんじゃないのかってくらい、重い。周りがぼんやりと明るい。
明るい?
ヤバい、起きなきゃ。仕事行かなきゃ。寝坊か。今、何時だ?
私は頭元に手を伸ばし、携帯電話を探した。無い。焦る。待て待て、そうだ、寝落ちしたから着替えてない。ポケットに入れたままだ。私は何とか携帯電話を探り当て、現在時刻を確認した。
午前11時。マジか。終わった。私は画面を見たまま硬直し、そして、次に気付いた。日付も違う。終電で帰って、家に着いた時には日付が変わっている。だから、その日付の午前11時なら単に数時間の寝過ごしだ。でも、画面が示しているのは、帰り着いた日の更に翌々日だった。丸ッと2日半、寝ていたことになる。いくら何でも、寝すぎじゃないか?人間ってそんなに連続して眠れるものだろうか。おトイレとか、どうなってんのよ。
と思ったら、急に尿意が切迫して、私はトイレで用を済ませた。喉がカラカラだから、ついでに水道水をガーッと飲む。腹も減った。何か食いたい。
いや待て、それより、仕事だろ。どうやって言い訳しよう。温泉行く夢を見て意識を失っていました?馬鹿か。
策は思いつかないが、とりあえず連絡しなきゃ。私は再び携帯電話を手に取った。きっと、会社から何度もしつこく連絡が入ってるんだろうな。水で膨らんだ胃が痛い。
と思ったのに、携帯に入っていた連絡は、実家の母からの、パソコンの調子がおかしいから一度見に来てという催促だけだった。何度携帯をいじって、眺めまわしても、会社からの連絡は一本も来ていない。
あー。
私は携帯を放り出して、ソファに寝転がった。もう、どうでもいいや。向こうもそう思っているらしいし。お互い様じゃないか。嫌いなもの同士が付き合うのは不毛で、且つ不可能だ。
「よっし!」
私はだんっと足音高く立ち上がった。下の部屋の人、今だけごめんな。
私はスーツを脱ぎ捨てて、適当な服に着替えた。温泉に行こう。めっちゃ酸っぱいやつ。石灰岩なら、すぐ溶けてなくなるような。これからのことは、溶けてから考えればいい。何なら、魔王城でマナーの悪い勇者を摘まみだす係にでも転職するか。おっさんと同僚ってのも、悪くないぞ。
玄関の戸を開けると、久しぶりに日差しが眩しかった。




