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いつの間にか、何にも聞こえない、何のにおいもしない。
あーあ。耳と鼻も、だめになっちゃったんだ。私はガッカリした。目は、ちょっと前に見えなくなった。でも、耳と鼻は動いていたから、ママやパパとお話しできたし、ママのお化粧のにおいとか、消毒のにおいとか、汗のにおいと洗濯のにおいが混じったパパのくさいのも分かったのにな。パパが私をぎゅってするときに、くさい~って言うと、パパは笑うけど放してくれないんだ。
あ、そう言えば、体の感覚も無いかも。もともと、もうほとんど動けなかったから、そこはまあ、しょうがないか。でも、耳も鼻もだめなら、せめて触った感じだけでも分かれば、パパかママか別の人かを区別できるのにな。それも無しになっちゃったんだ。
さみしいなあ。私、ひとりぼっちだ。本当はきっと、パパもママも、看護師さんも、せんせいも、みんないてくれてるんだろうけど、分かんない。分かんないと、すごくさみしい。心細い。私、もうすぐ死んじゃうのかな。それとも、もう死んじゃったのかな。死んじゃったらどうなるのか、誰も本当のことは分からないんだって、パパが言っていた。私は、死んだらふわふわ空を飛べるようになって、ママやパパや、これから生まれてくる妹のそばにずっといるんだって、思っていた。そう話したら、ママは笑ってくれた。でも、違うんだなあ。現実って、きびしい。
さみしいなあ。ママ、さみしいよ。パパ、会いたいよ。さみしいの、嫌だよ。
「誰かいるの?」
あっ!誰かの声が聞こえた。えっと、声、なのかな。ちょっと、違う感じだけど。まあ、いいや。私も呼びかけてみよう。
「おーい、おーい。私、ここにいるよ。ごめんね、病気で目が見えないんだ。あなたがどこにいるか、分かんないの。」
「病気?石に病気なんてあるの?」
「石?何のこと?」
「だって、きみ、石じゃん。」
ふえっ。私はびっくりして、変な声を出しちゃった。私、石になっちゃったの?病院のベッドの上に、石がころんって転がってるってこと?えーっ。いくらなんでも、そんなことになったら、ママもパパも、私だって思わないよね。もしかしたら、もう窓の外に捨てられちゃって、どこかの地面の上にいるのかも。えーっ。
あっ、人間って、死んだらすぐ石になるのかな。なんか、死んだ人をツボに入れるって聞いたことあるし、そういうことなのかも。じゃあ、私もママとパパがツボに入れて、しまってくれたのかな。じゃあ、この人は、誰?石仲間?
「ねえ、あなたも石なの?」
「違うよ。私は魔王だよ。」
「まおーって何。」
「そういう種類の魔物。」
「まものって、何。」
「そういう生き物。」
「人間じゃないの?」
「人間ではないけど、そんなに違わないと思うよ。」
ふーん。ぞうさんとかでんでんむしとか、そういう、人間じゃない生き物ってことなのかな。テレビや動画では見たことが無いけど、人間みたいにお話ができる生き物もいるんだね。
あっ、分かったぞ。私、目が見えたときはよくテレビを見たんだけど、マギ☆ピュアが大好きなんだ。マギ☆ピュアっていうのは、変身して悪をやっつける女の子たちのこと。女の子たちのそばにはいつも、お手伝い係のかわいいキャラがいる。いろんな形や色があるけど、あの子たちも喋るし、人間じゃないし、「そういう種類の生き物」だ。あっ、さらにひらめいちゃった。マギ☆ピュアのそばにいる生き物、で、マ物なんだ。ああ、そっかー。きっとまおーも、何か丸くて、ふわふわで、飛んでて、目がキラキラしてて、そういうのに違いない。
あー、残念だなあ。体が動けば、ぎゅうって抱いてみたいのに。
「ええと、夢を壊して申し訳ないんだけど。」
おそるおそるという感じでまおーが話しかけてきた。
「なに、なに?」
「私は、きみが思い描いているような生き物じゃなくて、もう少し、人間寄りかなあ…。」
「えーっ。ふわふわ、してないの?」
「してない。あ、髪の毛は生えてるよ。」
「羽とかしっぽ、ないの?」
「頑張れば出せるけど、いつもはないよ。」
「えーっ。じゃあ、悪者と戦ったりは?」
「しなきゃ、いけないんだけど…。」
まおーはもごもごと口ごもった。しなきゃいけないんだけど、してないってことだろうな。お部屋のお片付けとおんなじ感じ。でも、とにかく、悪者はいるってことだ。それなら、まおーはマギ☆ピュアの方かもしれないね。名前かわいいし。まおちゃん、って呼ぼうかな。
「ねえ、まおちゃんの悪者って、どんなやつなの?」
「人間。」
「えーっ。」
さっきから、私、えーっばっかり言ってる気がする。でも、ビックリするようなことばっかり言うんだもん。ふつう、人間の敵が悪い王国とか悪い世界からやってきて、人間の世界を乗っ取ろうとするんだよ。人間が悪者って、どういうことなんだろう。
「人間が、悪いことするの?何したの?」
「魔物の住んでたところに攻め込んできて、家とか全部壊して、火も付けて、いっぱい魔物を殺して…。」
「ひどい!どうしてそんなことするの?」
「知らないよ。でも、そこは、人間にとって大事な場所らしいんだ。」
まおちゃんの説明はムズかしくて、私には分からないところもあったけど、分かったところをつなぎ合わせるとどうやらこういうことらしい。
むかしむかし、あるところに、人間が住んでいました。人間は、そこに、人間の神様と一緒に暮らしていました。神様のおうちもありました。でも、あるとき、別の人間がよそからやってきて、自分たちもそこに住もうとしました。もといた人間は怒って、追い出そうとしたから、ものすごいケンカになって、ケンカのせいでその場所は壊れて人間が住めなくなってしまいました。しばらくして、そこに、マ物が住み始めました。マ物は人間より体が強いから平気だったし、もっといい場所は人間が使っていて他に行くところがなかったのです。マ物がそこで暮らすうちに、その場所は直って、人間でも住めるようになりました。すると、人間が戻ってきて、マ物にいなくなれと言い始めました。でも、マ物にも大事な場所なので、そのまま暮らしていたら、いっぱい殺されたんだそうです。
「殺されるくらいなら、お引越しすればいいんじゃないの?」
と私はまおちゃんに言った。まおちゃんは、うーんとうなった。
「その場所に、魔物のなる樹があるんだ。だから、引っ越したくないんだよ。」
「えーっ。マ物って樹になるの?パパとママはいないの?」
「親がいる魔物もいるよ。でも、へんてこな魔物は、樹から採るんだ。私もそうなんだよ。」
「じゃあ、まおちゃんはパパもママもいないの?」
「そうだなあ、親はその樹ってことになるのかなあ。でも、育ててくれる魔物がいるから、家族はいるよ。」
まおちゃんのお話は、私が今まで聞いたことのないことばっかりだ。動物が樹になるなんてことが、あるんだなあ。どんな動物にもパパとママがいるんだと思ってた。テレビでも絵本でもそうなってるし。アリさんにだって、ウサギさんにだって、パパとママがいる。まおちゃんが樹から生まれただなんて、信じられないなあ。でも、まおちゃんがウソを言っていないってことは、分かるんだ。あー、まおちゃんから聞いたこと、パパやママにも教えてあげたいなあ。




