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異世界転石  作者: 七田 遊穂
第7話 怒れる石
24/76

7-1

 辺りに光が無い。何も見えない。誰だ、電気を消したのは。消すなと言ってあるのに。新しく入った奴か。それなら、しっかり引継ぎくらいしておいて当然だろうが。その程度のことすらできないのか、ここは。これだからあの市立の病院なんぞは駄目なんだ。院長から事務屋にいたるまで、皆公務員だろう。クビになることもなく、税金で安穏と暮らしているような輩に、良質のサービスができるはずもない。だからさっさと転院させろと言ったんだ。それを、まったく、あの若造め。あんなぽっと出の若い医者に何が分かる。どうせ、田舎の医大の出身だ。ロクな診療ができるはずもない。大体、妻も妻だ。医者が何を言おうと、もっとしっかりした安心できる病院に夫を移すくらいのこと、すぐにできなくてどうする。いつものろまだとは思っていたが、本当に愚図だ。誰が養ってやってきたと思っているんだ。恩返しの一つもできんのか。


 何もかもが腹立たしいが、まずは明かりを付けさせねば。私はナースコールに手を伸ばそうとして、体が動かないことに気付いた。動かないどころではない。何の感覚もない。もちろん、声も出ない。


 まさか、脳に障害が起こったのか。冷汗が流れる…ような気持になるが、実際には身体には何も生じない。いや、生じているのかもしれないが、知覚することができない。


 忌々しい。やはり、あの若い医者では何の役にも立たなかったではないか。クソ、どいつもこいつも、判断は間違っているし、指示を出してやっても動きが遅いし、無能ばかりだ。どれだけ私に迷惑を掛ければ気が済むんだ。冗談じゃないぞ。私はまだこんなにも明晰な意識を保っている。死んだことにされてたまるか。何とかして、私に意識があることを理解させねばならない。


 おい、おい!聞こえないのか!何とかしろ!それがお前らの仕事だろうが!


「うるせえ。」


 誰かの声が聞こえた。


「うるさいだと!与えられた仕事もまともにできない無能が、偉そうな口を叩くな!」

「仕事とか、ないから、ここ。あんた、状況、分かってます?何も分かってないよね。分からないなら、せめて黙っててくれないかな。うるせえんだよさっきから。迷惑って言葉、知ってる?」

「お前、どこの科の看護師だ。名を名乗れ。然るべきところに報告を上げておく。」

「看護師?ああ、あんた、病院で死んだ口か。さぞ迷惑な患者だっただろうな。死んでくれて、今頃医者も看護師も、あんたの家族も、諸手を上げて喜んでるよ。」


 死んだと言われて、私は一瞬言葉に詰まった。心当たりが全く無いわけではない。何の感覚もないのだから。だが、こうして頭はしっかり動いているし、言葉も交わすことができている。脳機能に障害が生じているとしても、まだ死んではいないはずだ。


「勝手に人を殺すな。失礼な奴め。名を名乗れと言っているだろう。日本語も分からんのか、お前は。」

「マジでうるせえな。何でこんなやつがここに転生してきやがったかな…。」


 転生てんせい。生まれ変わることか。それを言うなら、転生てんしょうだ。どうやらこいつは、漢字もまともに読めないらしい。最近増えてきた、外人の労働者だろうか。話も通じないような奴に看護をさせるだなんて、どうなっているんだ。世も末ではないか。


「お前では話にならん。上の者を出せ。」

「上とか下とか、ないっての。あのさ、もううざいから、これで最後な。あんた、石だから。この辺の奴らも、みんなそう。路傍の石。石ころに転生したの。仏教用語の輪廻転生じゃないからな。そんな御大層なもんじゃないし、そもそも、石は非生物だ。六道のどこにも入らない。それくらい、ご存じですよね~?あなた様は上の者としか話さないくらいお偉くて、有能でいらっしゃるんですもんね~?」


 じゃ、そゆことで。そう言ったきり、そいつは私が何を言っても反応しなくなった。腹立ちまぎれに捨て台詞を吐いて、病室から出て行ったに違いない。


 いや、そうではない。


 転生てんせい。存在は知っている。現実逃避したい馬鹿者どもが貪るように消費している架空の物語だ。小説、漫画、アニメ、ゲーム…市場としてはかなりの規模であり、利用価値はあるが、ユーザーになる意義は微塵も無い。手を変え品を変え、多様な媒体で大量生産されているようだが、どうせどれも大同小異のストーリーで全くの空虚な妄想だ。そんな駄作に付き合っても、何の学びもない。ただの時間の浪費だ。問題解決のための努力もせずに、現実から目を逸らすことに時間と労力を注ぎ、消え去らぬ現実に立ち返って打ちのめされ、また逃避する。こんな繰り返し、愚の骨頂ではないか。下らん。


 そう考えていたし、今もそれは変わらないのだが、この私が、その転生だと?


 馬鹿々々しい。あんなものはただの絵空事であり、現実には生じない。だからこそ、逃げ口として阿呆どもが群がるのだ。実際に転生という現象が誰にでも一般的に生じうるもので、その実体験が生々しく語られるとしたら、どうだ。そんなものに夢を見ることは無くなるはずだ。逃げた先もまた現実であり、逃げ出したくなるような問題が山積しているのだから。


 だから、今の私は断じて転生などではない。ましてや、石だと?石が思考や会話をするとでも言うのか?そんな判断すらできないとは、呆れた。あいつは完全に自分の言葉が真実であると確信していたようだが、明らかに妄想幻覚の類である。おそらく、精神に異常があるのだろう。そんな気違いのたわごとを鵜呑みにするほど、私は耄碌していない。


 とにかく、ナースコールだ。それから、どうにかして私の意思を外部に伝えないと。


 無感覚の中、私は必死になって人を呼び続けた。看護師でも、介添人でも、妻でも、医師でも、娘でも、何でも良い。誰か、私の言うことを聞け!この状況を何とかしろ!元通りとまではいかなくても良い、そこは諦めよう。とにかく、この無感覚は駄目だ。おい、返事をしろ。


 何故、いつまで経っても、誰も反応しないのだ。


 私の状況が深刻過ぎて、処置をしても目立った効果が得られないのだろうか。だから、あの無能な若い医者では駄目なんだ。ずっと私はそう言っているだろう。とっとと、担当を変えろ!


 私はずっと、闇に向かって叫び続けた。それ自体は、これまでの人生で行ってきたことと、然して変わらない。成すべきことを然るべき手順で成さない輩に、適切な指示を出して、軌道修正してやる。当たり前のことだ。目の前に人がいるかいないかというだけで、本質は同じだ。だが、私の指示が実行されているのか、曲解されているのか、そもそも無視されているのか、それが分からないと次の対応が取れない。私の置かれている状況に一分の変化もないということは、今の私のやり方が有効ではないということだが、どうすれば良いのか分からない。手詰まりだ。


 クソ。


 本当に、私は石になったのだろうか。だから、何も感じられず、人に伝わる声を発することができないのだろうか。


 ちらりとそんなことを考えかけて、私は即座にそれを打ち消した。人は石にならない。大体、石になったというのなら、ここはどこなんだ。病室から瞬間移動でもしたのか。益々あり得ない。


 そうだ、試しに耳を澄ませてみよう。感覚が無いと思っていても、弱っているだけのことかもしれない。私はじっと周囲の様子に耳をそばだてた。一筋の毛が床に落ちる音さえも拾ってやろうという覚悟だ。


 しばらくの間は、全くの無音だった。最近気になっていた耳鳴りも無くなっているが、血管を血が流れる音さえ聞こえない。駄目か。いや、まだ、もう少しの辛抱だ。私は更に集中する。すると、案の定、何かが感じられた。やはりな。私は断じて石などではない。よし、この音は何だ?


 いや、音、ではない。気配、とでも呼ぶべきものか。視覚障害者が聴覚に鋭敏になったりするように、全感覚喪失の私も別の知覚能力が発達したのだろうか。何だ、誰の気配だ。妻か、医師か。


 …違う。いずれでもない。もっと小さくて、沢山の気配だ。小動物や虫だろうか。病院の周りの植え込みにも、そういった生物ならいるだろうが。だが、虫にしろ小動物にしろ、動きがあるはずなのに、私が察知した何物かは微動だにしない。まるで、そう、石のように動かない。


 いや、違う。認めない。私は断じて、石などではない。ましてや、こんなどことも知れぬ場所で、他の有象無象に混じって打ち捨てられているような無意味な石であるはずがない。私はただ、病室で深い眠りについているだけだ。


 クソッ、誰か返事をしろ。何でも良い、おい、お前、以前私に生意気な口をきいた奴、出て来い。お前ならどうにかする方法を知っているんだろう。こら、返事をしろ。聞こえないのか。黙っていないで、何とか言ったらどうなんだ。クソが!


「うわっ…」

「やっと口をきいたか。さっさと私の言うことを聞いていれば良いんだ。無駄に斜に構えて反抗して、格好でもつけているつもりか。下衆が。」

「…こんな石もいるのか…ここには置いておけないな…」

「石だと?まだそんな戯言を言っているのか。そんなことより、この状況だ。お前はあんな大口を叩いたんだから、どうにかできるんだろうな。やって見せてみろ。ほら。ん?どうなんだ。え?」


 私はそいつに迫った。


 だが、そいつはもう、うんともすんとも答えなかった。そればかりか、先ほど感じられた数多くの小さな気配が、すっかり消え去っていた。


 それからも、私は大声を張り上げ続けた。諦めるわけにはいかない。石に転生だなどと、妄想を受け容れることはできない。


 だから、幾度でも叫ぶ。


 誰か、助けてくれ。頼む。


 だが、誰も応えない。終わらない。

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