6-6
ふあああ。私はあくびをした…気になった。石だからあくびなんかできるはずがないのだが。それにしても、だるい。力が出ない。変だな。石になって以来、眠気や疲労は感じたことが無いのだが。金属疲労という言葉があるくらいだから、石も疲労するのだろうか。金属疲労を起こすような役立つ部品と違って、路傍の石たる今の私は何もしていないんだが。
あまりにだるくて、私はステータスサーチをする気にもなれずにふさぎ込んだ。これ、回復するのだろうか。回復せずに、石転生が終わるというのを期待したいところだが。
ああ、そうだ、こういう時は自分のステータスオープン。ぴろん。
「小石 Lv.1 瀕死」
ををっ!私、瀕死か。やっぱりなあ。石としての生活に終止符の打たれる時がきたか。やれやれだぜ。
でも、突然どうしてだろう。調べたら何か分かるかな。私はもう少しだけ粘ってみることにした。しつこく、ステータスオープン、そりゃ。
「小石 Lv.1 瀕死 スキル:魔道具」
ええっ、いつの間に、何このスキル。何の魔道具になっていたんだ、私は。まあ、でも、そういう工房にいたんだから、そういう事なんだな。魔道具のどの部分かは不明なので、魔力担当か、ただの飾りか、物理的な部品かは分からないが、何かに使われたんだろう。魔王城産の石、ということで重宝されたのかもしれない。確かにそう言われたら、少しくらいご利益がありそうだもんな。
そうか、小石から魔道具の部品へステップアップして、今生は終わりか。もう、転生は要らないなあ。解脱しないと終わらないのかなあ。めんどくさいよ。
よほど状態が悪いのか、もうステータスサーチも使えない。周りに誰がいるのかも分からない。いつも通り、職人がうろうろしてるんだろうけど。
「今までありがとうございました。」
え、誰。何だこれ。突然心内にメッセージが浮かんで、私はたじろいだ。ステータス開示の時と同じ感覚なのだが、こんな会話文みたいなものが来たことは無い。
「私は魔王です。聞こえますか。せめて最後だけでも、届いていてほしいのですが…。」
聞こえてるよ、魔王。さては、これが石テレパシーなんだな。もしかして、ずっと送信してくれていたのか?気付かず、ごめんな。こちらから発信はできるのだろうか。いや、私にはそのスキルが無いし、無理か。
「お力を吸い取ったような形になって、申し訳ありません。でも、あなたの技能を活かして、何としても平和を手に入れるつもりです。」
どうやって。私の技能って、力って、何だ?モブの隠遁術か?周りの風景に気配を溶かし込んで傍観するのは得意だが。それをやっても、争いは避けられるかもしれないけれど、領土はあっけなく奪われるぞ。
「どうか、また…」
また、何?そう思ったけれど、こっちの意識がもたなかった。全身から力が抜けて、体が冷たくなる。石だから、元々冷たいはずだし、力も無いのだが。
なんて考えることができるということは、また何かに転生させられるのかな。嫌だけど、どうも私には拒否権が無いみたいだからな。今度は何だ、ナマコか、ぺんぺん草か、釘か?できれば、動けるものが良いんだが。
「あら、やだ。お味噌切らしちゃってた。急いで買ってきてくれない?」
誰の声だ、と反射的に考えたが、すぐに答えが出た。母だ。母ちゃんだ。僕は5歳。父ちゃんと母ちゃんと、2つ下の妹と一緒に暮らしている。
「分かった!」
ああそうだ、人間に転生したんだ、私は。家を出て、狭い路地を駆け抜けて、お味噌やお酒を売っているお店に行く。母ちゃんのお気に入りのお味噌の店は、家から2番目に近いお店だ。1番近いところは、人間がやっているお店だけど、母ちゃんによると2番目に近い店の方がコクと香りが強いらしいので、うちはいつも2番目のお店の方で買う。
「いらっしゃい!ああ、坊やか。甘酒飲んでくかい?」
毛むくじゃらでおっきなオークのおばさんが振り向いた。僕はにっこりして頷く。僕もこのお店の方が好きだ。こうして、お遣いのたびに甘酒をくれるから。変な匂いが無くて、トロッと甘くて、すんごく美味しい。でも、僕は猫舌なので、熱々の甘酒は少しずつしか飲めない。ちびちびやっていたら、お店の奥から見たことのない生き物が出てきた。何だろう。
「ポイズンウルフ(幼体) 好物:甘酒」
ふーん。チビ助かあ。
いや、フーンって言ってる場合じゃないぞ。甘酒、取られちゃう。
「だめ、ダメ。これは僕のだからね。」
僕は立ち上がって、甘酒を頭の上に掲げた。チビが飲みたそうに見上げている。すると、オークのおばさんがひょいっとチビを抱き上げた。
「ごめん、ごめん。知り合いからちょっと預かっててね。さっきおやつに甘酒やったら、気に入ったみたいでさ。」
おばさんがチビをがっちり抱えている間に、僕は急いで甘酒を飲み干した。
「良かったら、一緒に遊んでやってくれないか?あたしもこの後、配達に行かなきゃならなくて。」
「えっと、お味噌を母ちゃんに渡して来てからでいい?」
「もちろんさ。子守のお駄賃の分、多めに入れとくね。」
僕はおばさんから受け取ったお味噌を持って、大急ぎで家に帰った。予想よりお味噌がたっぷり入っていて、母ちゃんはすごく喜んでくれた。よし、じゃあ、子守をしてやらないとな。僕はまた超特急でお味噌屋さんに取って返した。オークのおばさんは、配達の荷物をいっぱい背負って、すぐにでも出かけられるよう準備万端だった。
「助かるよ。すぐ戻るから、よろしくね。」
「うん。」
「その子、虫が好きだから。」
「知ってるよ、ステータスに出てる。裏の庭で、一緒に虫取りしてるね。」
のしのしと出て行ったおばさんを見送って、僕はチビと一緒に裏庭に向かった。チビはふわふわな毛に覆われていて、かわいい。でも、ポイズンってくらいだから、毒があるのかな。
「ねえ、お前さ、毒あるの?」
「あるよ。でも、普段は使わないよ。疲れるし。」
「じゃあ、いつ使うの?」
「すっごく気になる虫見つけた時。」
「へえ。使うとこ、見たいな。」
「いい虫がいたらね。」
僕とチビはせっせと虫捕りに励んだ。残念ながら、毒攻撃を使わなきゃならないようなレアな虫はおらず、二人で手で摘まんで集めて終わってしまったけれど。
じきにおばさんが戻ってきたので、僕はチビと明日も一緒に虫を捕ろうと約束をして、家に帰った。
道中で、路地の隙間から差し込む夕陽が町を照らすのを見て、私はふと立ち止まった。ここでは人間も、魔物も、当たり前のように共存できている。一体、いつの間に、どうやってこうなったんだろう。魔王が目的を達成したのだろうか。この平和な世なら、勇者はもういないのだろうか。
分からない。分からないけれど、この転生は悪くない。私はおそらく今生でもこの世界の末端のモブだが、モブはモブなりに、平和を維持する原動力になれるんじゃないか。だって、世界の圧倒的大多数はモブなんだからな。マジョリティたる我々が魔物と人間の垣根なく暮らしていれば、きっと、それはこの世界の潮流となって、持続していく。モブの選択は、世界を変えうるのだ。
早く帰らなきゃ。暗くなると母ちゃんに怒られるぞ。そうだ、母ちゃんにも、あのかわいいチビのことを教えてやろう。僕は家に向かって全速力で走り出した。