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異世界転石  作者: 七田 遊穂
第4話 神の石
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4-2

 これが度重なると、この子…いや、もうすっかり大人だが、私の持ち主の態度も変わってくる。いつの間にか私は神格化され、あまたの人に拝まれる存在に祭り上げられてしまった。これは困った。何でも願いをかなえる便利グッズだなんて、この世に存在して良いものではない。しくじったなあ、と思うけれど、次から次へと人の願いが降ってくる。それを取捨選択して、叶えるべき願いとそうでない願いに振り分けるなんて、本物の神の所業でしかない。私が傲岸不遜で、自分を神だと思い込めるなら、善き願いと悪しき願いを区別して然るべき願いを叶えてやるのだろうが、生憎と私は己の分というものをわきまえている。私の一存でそんな判断をすべきではない。


 というか、他人の願いなんて、いちいち聞いていられるか!あれをこうしろ、そいつをどうしろと、誰が何を言っているか知らないが、途切れることのない他人の欲望を聞かせられ続けて、うるさいったらありゃしない。


 ええ、そりゃ、傾聴専門で頑張ります、と決意しましたよ。でも、こんな状態は予想していなかった。そもそも、私が聞きたかったのは家族の声だ。縁もゆかりもない、あさましい人々のむき出しの欲望なんぞ聞きたくもない。


 ああ、きっと、菅原道真公もこんな気持ちになったんじゃないだろうか。学問の神様と言ったって、もとをただせばただの人。全国津々浦々の膨大な数の受験生の願いなんて知ったことか!と叫びたくなるだろう。


 ふう、疲れた。聞きたくないけど、塞げるような耳の穴もないし、塞ぐための手もない。わんわん、わんわん、と切れ目なく欲望が降ってくる。誰もかれもが、自分の幸福を願っている。


 ああもう、知らない。みんな、幸せになっちゃえ~!


 やぶれかぶれな私がそう願った直後から、お参りに来た人々の声が聞こえなくなった。今までは願いの声がクマゼミ一万匹という感じでわんさと降ってきていたのに。ここのところ、森閑としている。


 暇になった私は、今まで降り注いでいた願いを反芻してみた。道真公への合格祈願もそうだが、どんな神通力があっても、全員の願いを叶えることは不可能だ。あちらが立てばこちらが立たず。人は他者と比較して優位に立つことを願っているが、全員を優位に立たせることはできない。のはずだけれど、どうなったのだろう。


 そう言えば、打倒魔王とか、魔物がいなくなりますように、というのもあったな。この辺りには魔王や魔物がいるのだろうか。その願いなら叶いそう、と思ったが、一方で勇者が魔物討伐をやめますように、という願いも混じって聞こえていた気がする。やはり両立は不可能か。


 うーん。私は平和になったけれど、ちょっと心配だ。私の持ち主も、どうなったのだろうか。他の参拝者に紛れてしまったが、最後に声を聞いた時には親友との仲に亀裂が生じかけていたはずだが。幸せになれたのかな。


「たとえ敗れても、再会できますように。」


 ああ、久しぶりの願いだ。わんわんと騒いでいた連中とは違う。一見さんだろうか。具体的な事情は分からないが、切実な思いがにじみ出ている。だからというわけではないが、ついうっかり、再会できると良いね、と思ってしまった。もしかしたら、叶ってしまうのかもしれない。まあ、この人が敗れるという状況にならなければ、この願いもチャラだろうが。私が望めば何でも実現するだなんて、我ながら危険すぎる。私という存在は、この世界にはあるべきではない気がしてきた。


 持ち主に、私が元居た場所に戻してもらうと良いのだろうか。子どもが石ころを拾ったのだから、河原とか、野原とか、そういう場所だろう。ひと気はなさそうだ。人がいなければ、誰かの願いを聞くことも叶えることもない。


 しかし、私の方から持ち主に話しかける手段がない。捨ててきてくれと頼もうにも頼めない。そして、私の神通力には致命的な欠点がある。私自身の望みを直接に叶えることができないということだ。ああ、どうしたら良いのやら。どうしてこんなことになった。私はただ、漸く元通りに回転しだした脳みそで、最期に家族の言葉を聞いてから旅立ちたいと思っただけなのに。


 はあ~。息は吐けないけど、ため息をついた気分。すると、久方ぶりに持ち主の声が聞こえた。


「石太郎、石太郎!」


 はい、はい。まだその名前で呼んでくれるんだな。石神様とか、お石様とか、上に上にと持ち上げられていたけれど。こうなると、そのセンスのない純朴な名前が嬉しい。


「何だかね、ずっと幸せなんだよね。何していても、幸せなんだ。」

「あいつとは結局仲直りできなかったけど、まあ良いやって思えるし。向こうもそう思ってるし。」

「仕事で大失敗してさ、取り返しようのない大損出しちゃった。でも、不思議と幸せなんだよなあ。」

「もうお金も家もないんだけど、幸せだから特に不満はないだ。」

「ずっと食べてないし、冬も来るし、もうじき死ぬんだろうな。でも、こんなに幸せに死ねるのは、石太郎のおかげだよね。」


 あれ、あれれ。なんだか、様子がおかしい。この人、こんな壊れた能天気だったっけ。


「村の人たちもみんな、感謝してるよ。どんなに不幸でも幸せなんだもんね。」


 言葉遊びみたいになってるぞ。この人も、村の人も、何がそんなに幸せなのだろうか。


 確かに、たとえ貧しくて物のない生活であっても、足るを知り過剰に欲をかかず今あるものに感謝するという多幸感はあるだろう。でも、私の持ち主はただ単に、無理やり絞り出されている幸せホルモンだか何だかに踊らされているだけではないのか。これでは、強烈な麻薬を常に打ち続けているようなものではないか。これは、人間の幸せなんだろうか。違う気がする。


 どうしてこうなったのだろう。私が、皆幸せになっちゃえと、きわめて大雑把な方法で願いを叶えたからか。そんな神通力って、有りか。有りか無しかを問うたら無しだろうが、そんな私の所感とは関係なく、この不幸な幸福がもたらされたのか。


 私の責任か?私は好き好んで神のポジションについたわけじゃないぞ。願いを叶える力なんて物騒なものを、私に授けた方が悪いじゃないか。


 私の責任だというのなら、私の叶えたこのロクでもない願いを解除する力も寄越してくれ。


 そう願った瞬間、体に激痛が走った。石の体に激痛とは、これ如何に。如何にという問いに答えがあろうとなかろうと、私の意識は薄らいでいく。石なのに、死ぬのかもしれない。遠くから、雑音交じりの声が聞こえる。


「この魔石め!人心を惑わして、退廃させて、人間を滅ぼすつもりだな!もう目が覚めたぞ。子どものころから私を騙して操りやがって。こうして、こうして、跡形もなく砕いてやる!」


 ああ、私の持ち主だな、これは。明らかに幸福感はない。どうやら、強制的な幸せは失われたようだ。私の叶えた望みは消え去ったということだろう。


 やれやれ、これで私も安心してこの世から去れる。


 ただ、まあ、心残りと言えば、この持ち主だ。親友を失い、仕事を失い、家を失い、今日食べるものを買う金もない。ここまで追い詰められてから目が覚めても、打つ手があるかどうか。目の前に迫った逃れられない破局を苦しみの中で迎えるか、偽の幸福感の中で迎えるか。どちらが良いのだろう。まやかしの幸せでも、あった方が良かったのかもしれない。


 ただ、やはり、それを決めるのは本人だろう。私がお仕着せで与えるべきものではないはずだ。私はこの子の人生を奪ってしまったのだろう。それと気付いていなかったとはいえ、申し訳ないことをした。私が悪かったのだ。私がこの子に砕かれ、死を迎えるのは、当然の結末だ。


 結局、ここでも私はこのパターンなんだな。不用意に、無意識に、大切な人を傷つけてしまう。埋められない溝を掘ってしまう。そして、ちゃんと謝ることすらできない。


 どうか、この子が、自分の手で幸福を掴めますように。不幸しかないとしても、それを自分で受け入れられますように。今の私にはそれを願うくらいしかできない。本当に、ごめんな。


「まあ、大往生ってことで良いんじゃないの。」


 この声は、娘かな。どうやら、私は石を離れて、元の人間の体に戻ったらしい。


「死ねってわけじゃないけど、無理に長生きしてほしくもないってのが本音だよ。これ以上の介護、無理。」


 まー、正直だこと。お前らしい。だけど、この子は嫁ぎ先の家庭もあるのに、本当によく介護してくれた。感謝している。


「どうせ、本人に訊いたって理解できやしないし。もう良いでしょ、延命とか。」


 理解してるんだぞ、ホントは。


 でも、良いんだ。私の命の最後を、娘が決めることになっても。娘が決めても良いと、私が決めた。誰が与えてくれた奇跡か分からないが、私の最期の望みは叶った。


 こんなふうに、願いを叶える力を使えたら良かったな。塩辛い思いで、私は息を深く吐き出した。

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