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久しぶりに、頭がすっきりしている。昔の思い出と、最近の思い出が、頭の中で整然と並んでいる。私と、私でないものの区別がつく。物事を筋道立てて考えられる。こんなにも私の思考がすっきりしたのは、一体いつぶりだろう。混沌としていた時期が長すぎて、全く分からない。
家族から物忘れを指摘され、病院で検査を受け、ありがたくもない宣告を受けた。それからは、ぷちんぷちんと頭の配線が切れる一方。できていたこともできなくなる、知っているはずのことも思い出せない、怒りとか悲しみは消えないのに、言葉にならない。ずっと、そうだった。今はこうして整然と振り返れるけれど、当時は何故自分が不快なのかも分からないままに、それを振り払おうともがいていた気がする。
あの頃は、人の言葉も理解できなかった。いや、違うな。聞いた瞬間は理解するのだけど、片端から意味が零れ落ちて、頭に留めておけなかったんだ。抜け落ちた分は今もほとんど残っていないけど、断片は少しある。私は、皆に随分とひどいことを言ったりやったりしたみたいだ。
その罰が当たったのかもしれない。今は、世界は真っ暗で、体は指一本動かない。感覚すらない。おなかが空いたとかトイレに行きたいとかも無いから、胃ろうとカテーテルでもつながっているのかな。そんなにしてまで生かしておかなくていいよ。そう伝えたいけど、もしかしたら、この口から出る言葉はまた暴言とか妄言になってしまうのかもしれない。
もう、黙っている方が良いんだろうな。家族やお医者様が話すことを、黙って聞いて、受け入れよう。それが私にできる唯一の孝行だ。
でも、せめて、家族や友達の言葉を聞きたい。理解したい。記憶に留めたい。それがどんなに冷たい言葉であったとしても。理解できないままの最期は、やりきれない。
そんなことを考えていたら、他人の声が聞こえてきた。
「すべすべで、うす緑色で、きれいな石。宝物にしよっと。」
んん?誰だろう。こんな可愛げのあることを言う家族は、思い当たる節が無い。私の昔の思い出?
「石さんに、名前つけよっかな。石だから、ええと、石太郎。」
待て、待て。何だそのネーミングセンスは。私の昔の思い出じゃないな、こいつ。きれいな石に太郎って、無いんじゃないかな。せめてイッシーとか、いっちゃんとか、ストーニーとか、私でも多少マシなのをすぐ思いつける。
ああ、ダメダメ。そんな責める言葉は、言っちゃダメ。私は黙っているって決めたのだ。誰だか知らないけど、小さい子だろうな、この子の話に静かに耳を傾けよう。
「動物はダメだって怒られたけど、石太郎ならいいよね。」
ふむ、ペットの話かな。石なら、文句を言う親もいないだろう。
というか、石って、私のことなのか?私は石になったのだろうか。
兎にも角にも、こうして、謎の子どもの話し声をひたすらに聞くという私の生活が始まった。一体全体、この子は誰で、私の体と意識がどうなってしまったのかはさっぱり分からないが、聞くしかないのだ。もしかしたら、そのうちにどこかで家族たちとつながるかもしれない、という一縷の望みも抱いている。
「石太郎、あのね、ヒミツなんだけどさ。お父さん、ウワキしてるんだよ。」
おーいおいおい。そりゃヒミツだけどさ。そんな告白、石ころにしてどうするだ。一瞬焦ったが、どうも浮気という言葉の意味を知らずに使っている雰囲気だ。母親や近所の人が話しているのを耳で聞きかじったのだろう。
「お母さんとお父さん、ケンカばっかりなんだ。帰りたくないなあ。」
「お母さん、ずっと元気がない。泣いてばかりだし。」
「お父さん、時々おうちに帰ってこないんだ。」
「お父さんと川遊びの約束してたのに、行こうって言ったら、叩かれた。なんで?」
「おなか空いたなあ。お父さんもお母さんも、ごはん作ってくれないんだ。」
何だろう、これ。気が滅入る。何故、私は幼い子どもからこんな愚痴を聞かされねばならないのだろう。この子の親は、この子にこんな思いをさせているのに、気付いていないのだろうか。自分たちの問題で頭がいっぱい、視野狭窄なのか。しかも、子どもに八つ当たりまでして。何という親だ。腹が立つやら、悲しいやら、居ても立ってもいられない心地だが、おそらく私は赤の他人。しかも、この子の話によると石ころに変じているらしい。そんな私が、この子のために何ができようか。
最近では、この子も元気がない。私に語りかけながら、しょっちゅう泣いている気配がある。腹も減っているようだ。きっと、風呂だってロクに入れてもらっていないだろう。ネグレクトというやつか。
ぐぬぬぬ。許せぬ。石は石でも、ご神体にされているような石なら神通力で親どもに天罰を下すことができように。私は子どもに拾えるようなサイズだ。神通力なんて、あるはずもない。
いや待てよ、大きさが大事なのか?例えば磨き抜かれたダイヤモンドなら、占い師の水晶玉なら、ただでかいだけの岩よりも力がありそうではないか。私はすべすべできれいな石だぞ。何かできるかもしれないぞ。多少なりとも、親に天誅を加えられるのではないか。
「石太郎、何とかならないかなあ。お父さんもお母さんも、一緒にいたいよ。みんな仲良くしてほしいよ。」
そこで私はハッと気づいた。親を罰して苦しめるのは、この子の願いではないし、この子を幸せにしない。私に神通力があるなら、両親の仲を取り持ち、この子を大切に育てる家庭環境を取り戻すべきだろう。
ああ、どうか、この子の願いが叶いますように。人間が石になるなんていう不可思議な事態が生じるんだったら、願いを叶えるくらいのことが私にできたって、良いじゃないか。理屈の通らない、不思議なことだらけでも、良いじゃないか。私のすべすべ石パワー、顕現せよ。頼むから。
そう願いながらも、具体的には何一つ行動できることなどないまま、私は時を過ごした。この子の両親は相変わらず不仲であり、この子は養育を放棄されている。ああ。
と思っていたら、ある日、この子の声が少し明るくなっていた。
「お父さん、帰ってきた。もう、どこも行かないって。」
ほう。光明が兆したか。
「はー苦しい、食べすぎちゃったよ。お父さんとお母さんが、好物をいっぱい作ってくれたんだ。」
「明日、お弁当持って、お父さんとお母さんと3人で川遊びに行くんだ。石太郎も一緒に行こうね。」
「勉強サボったら、お父さんに怒られちゃった。へへへ。後でお母さんに教えてもらおうっと。」
ああ、良かった。どうやら、この子の両親は危機を乗り越えたらしい。無論、起きたことを無かったことにはできないのだから、元通りにはならないだろうが、それでも構うまい。この子の願いは叶ったということだ。
ふう、安心した。私の神通力のおかげか、私がいてもいなくても元の鞘に納まったのか、それは分からない。でも、私を拾ったこの子が幸せになれたのは事実。まあ、気分も良いし、私の神通力のたまものということにしておきましょう。私がそう思う分には私の勝手だろう。
しかし、私が良い気分でいられたのも束の間だった。両親が仲直りしたのは私の力によるものだ、とこの子もまた信じ込んでしまったのだ。そのせいで、何か困ったことが生じると私に願を掛けるようになった。あの菓子が食べたい、町に遊びに行きたい、かっこいい服が欲しい、そんな程度の可愛い願いは聞き流しておけばいいのだが、意中の相手と仲良くなりたい、難しい仕事を成功させたい、親友の難病を治したい、などと頼まれるとこちらも無視できない。何とかならんかなあと考えると、不思議なことに、願いが叶ってしまう。何ということだろうか、本当に神通力が宿ったらしい。