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ランドル5

 フィリアがわたしを捜している。

 そのことを知ったのは、彼女に最後に会った雨の夜から、一ヶ月は経った頃だった。知らせてきたのは父であるナイトで、彼は事の顛末を語ってくれた。

「俺が、時間のあるとき、一晩のうちに何軒かのパブを回ることは知ってるよな。

 それはいつも同じ店というわけではないんだ。まぁ、ロンドンのパブのことならまかせてくれ。

(長くなるので中略)

 ある日、店のカウンターでバーマンと言葉を交わしていると、黒髪の女が仲間とともにやってきて、後ろの席に着いたんだ。

 そして、驚いたことに彼女の話の中に、お前の名前が出たんだな。

『私の友達が人を捜しているの。ランドル・ウェルボルンという名前で、黒髪、ブルーアイの男らしいわ。分かるのはこれだけなんだけど、誰か心当たりはない?』

 彼女は仲間たちに話しかけていた。

 まったく驚いたな。手にしていたグラスを落としそうになったよ。ファーストネームはともかく、ラストネームまで出てるんだぞ。しかも、それがこうも簡単に公の場で話されている。俺は少しばかり慌てて声をかけた。

『ランドル・ウェルボルンだって?』

 背中を向けていた女は振り返った。金の輪っかのピアスを付けてたな。彼女はその店の常連客だった。名前は思い出せなかったが、何度かおごった覚えがあった。

『すまない。話が聞こえたもので』

『いいえ、かまわないわ。その人を知ってるの?』

『知ってるも何も……』

 俺は言葉を濁して、彼女に隣に来るように示した。あまり大勢の前で話すべきではないと思ったんだ。

 彼女はグラスを持って、俺の隣の席に座った。バーマンとは顔なじみで、“やあ、ルース”と声をかけられていたな。

『ずっと捜していたのよ。新聞にも出したけど、音沙汰なしだって。もう駄目かと思い始めていたわ』

 彼女はようやく見つけた興奮に黒い瞳を輝かせていた。

『で、その人とどういう関係なの?』

 じれったそうに聞く。俺の答えはずいぶんと遅いものだった。別にV字の襟から見える胸の谷間に気を取られていたわけじゃないぞ。本当の関係は言えるわけがないからな。人間の年齢の観念からは外れたものだ。

『……俺の弟だ。外見の特徴も合っているから、まず間違いはないだろうね』

 彼女は、まじまじと俺を見た。お前の特徴から、兄として外れてないか見るためだったんだろうな。実際は親子だから外れようはないんだがな。

『それで、ランドルを捜しているのは誰なんだ?』

 もちろん、答えは想像できたさ。だけど、念のためということだ。

 彼女はグラスからビールを一口飲んだ。その飲み方から、かなりいける口だと俺は読んだね。

『私の友達。フィリアって娘なんだけど、彼とどうしても話したいことがあるんですって。でも、連絡先が分からなくて困っているらしいの』

 俺は黙り込んでしまった。お前たちの関係がどうなっているか、そのときは知らなかったからな。安易に返事をするべきではないと思ったんだ。

『あの……連絡先、分かりますよね?』

 雰囲気の変化に気づいたのか、彼女は恐る恐るといった感じで聞いてきた。

『分かるが、教えていいものか。あいつがどう思ってるのかも分からないし。どうだろう、俺があんたの話をあいつに伝える。フィリアが捜してるって事をな。それで、あいつの方から連絡を取らせるっていうのは……』

 今度は彼女が考え込む番だった。

『その人、フィリアの連絡先は分かるのかしら』

『あいつなら知ってる』

 言い切る俺に、不思議そうな目が向けられる。

『あっ……、たぶんだけど。その名前、あいつの口から聞いたことがあるんだ。家に行ったことがあるとか。フィリアに聞いてくれ。きっと知ってるって言うから』

『でも、そんな不確かな情報、彼女に伝えられないわ』

 正論だった。それでも、こちらの連絡先を教えるわけにはいかない。どんなにいい体つきで血が美味そうだとしてもな。

『ランドルには、必ず何らかの形で連絡をとらせるから』

『だけど……』

 彼女はそれでも納得していなかった。まったく友達思いの娘だ。

 そろそろ潮時だと思ったよ。これ以上話しても彼女を不審がらせるだけだとね。お得意の暗示で切り抜けて、ここから去ろうと考えていた。

 だが、そうはいかなかった。彼女が話を続けたんだ。

『私、どうしてもその人をフィリアに会わせたいの』

 その言葉は熱に溢れていた。すがるような目でこちらを見つめている。これほど他人のことに情熱を傾けられるなんて、あっぱれだとは思わないか。

『彼女、ずっとそのランドルって人を捜していたの。名前と特徴だけじゃ見つからない、もう諦めたらって何度か諭したけど、駄目だった。あの娘にあんな頑固なところがあるなんて知らなかったわ』

 彼女は微笑みを浮かべた。きっと、フィリアを目の前にしたときのことでも思い出していたんだろう。

『君はフィリアとランドルの事を……』

『何も知らないわ。彼女話してくれないから。でも、特別な人だってことは分かるわ。彼女を見てるとね』

 その微笑みを俺は複雑な思いで見ていた。このことをお前に話すかどうか迷ったな。だけど、話さずにいて後々それが分かったとき、お前がどう思うかと考えたら、自ずと答えが出た。

 俺は席を立った。

『帰ってランドルに話してみるよ。早いほうがいいだろう。あいつがどう答えを出すかは分からないけどな』

 慌てて彼女も立ち上がった。俺が逃げていくとでも思ったんだろう。

『俺を信じてくれ』

 カウンターに置かれた彼女の手に触れて言った。暗示も何も必要なかった。

 一瞬の戸惑いの後、彼女ははっきりと頷いた。ほかに頼るものがないから仕方がないといった類のものじゃない。彼女は俺を信用してくれたんだ。

 それで、そのまま家へ戻ってきたというわけだ。さあ、どうする? 選ぶのはお前だ」

 ナイトは答えを待っている。

「少し考えさせてくれ」

 わたしは静かに言った。彼は「そうか……」と短く答えた。

 革張りのソファに座ったわたしに、ナイトは手にしていたものを投げてよこした。膝に落ちたそれは、インクの匂いも薄れかけた三週間前の新聞だった。

「お節介だな」

 わたしは、身じろぎしてナイトを見上げた。

「あの娘との約束は守りたいんだ。それに恋の邪魔は本意じゃない。それが本気ならなおさらな」

 これまでの自分の態度など、忘れたかのような言い草だ。

 目を細めるようにして、わたしの全身を眺め回した彼は、ふっと小さく息をついた。

「自分への罰か、彼女への見えない復讐か……」

 独り言のような細い呟き。辛うじてそれを聞き取ったわたしは自分の体を見下ろした。襟をくつろげた白いシャツには皺が入っていた。黒いスラックスさえもよれてしまっている。

 彼が何を言わんとしているかを感じ取ったが、非難する気は起きなかった。

 トパーズ色の瞳に宿るのが哀れみなのか苛立ちなのか、今のわたしにとってはどちらでもよいことだった。

「あんまり格好ばかりつけるんじゃないぞ。それで身を滅ぼしちゃ元も子もない」

 周りのことを考えず、情熱だけで生きているような父だけには、言われたくない言葉だ。わたしは暗い目つきで彼を見つめるだけだった。

 聞く耳を持たないわたしに業を煮やしたのか、それ以上何も言わずに彼は背を向けた。別段、引き止める理由などなく、その後ろ姿を黙って見送る。

 扉が閉まり、ナイトは去っていった。そして、わたしは部屋に残っていた。

 膝の新聞を見やる。パブの女性が話していた、これがその新聞なのだろう。これで人捜しとはフィリアも随分と古典的な方法をとったものだ。思わず笑い声を上げてしまう。

 だが、彼女がわたしを捜している。自分の意志で、わたしに繋がるものを捜しているのだ。

 何が彼女にそうさせているのか。彼女に何が起こっているのか。何か悪いことが……?

 それはわたしの中で、細々と点るともし火が大きく揺らいで見せた瞬間だった。それを力づくで押さえ込もうとする。

 発作のような笑いは治まっていた。代わりに残ったのは風を受けた炭のように焦がれた思いだけだった。

 今更どうしようというのだ。彼女の元から去ったこのわたしが……。

 手に取った新聞を握りしめる。くしゃくしゃになり、形を変えたそれを前のテーブルに投げやった。

 狙いは定まらず、テーブルの端を掠めて、床に落ちる。傷ついた鳥が羽を広げ、地に伏したようなその形。

 それを横目で見ながら、わたしは疲れに似た気だるさにとらわれていた。片手で顔を覆い、ソファに身を預ける。父の心配も何もかも、全てどうでもいいことのように思われた。

 夜はまだ長い。食事にも出かけなければならなかったが、今はそんな気にはなれなかった。

 ソファに包まれながら、ともすれば床へ行ってしまいそうな視線を引き剥がし、目をつぶる。そして、このまま朝が来て、眠りの時が来ても構わないと、ぼんやりとそんなことを考えていた。


――ランドル・ウェルボンへ

至急連絡をください 待っています

フィリア・ノマ

(新聞の通信欄に載せられていたメッセージ)

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