フィリア2 (5)
男がいなくなった後も、私は未だ立ち上がることさえできずにいた。
腕の中には、ランディの箱。そして、床には手を伸ばせば届くほどに近い、あの写真立て。
だが、それを手にしたくはなかった。それは過去の遺物なのだ。
私は唐突に気づいた。ランディの巣箱と同じだ。いや、それ以上にたちが悪いものかもしれない。
力の抜けた手から箱がこぼれていく。つぶれた箱は、ほとんど音を立てずに床に落ちた。
「大丈夫か?」
ランドルが気遣い、声をかけてくる。彼は、視線を追いって、かつての私が封じたものに気づいた。
ガラスを払い、壊れてしまった木枠から丁寧にそれを取り出す。こちらを振り返った彼は驚きを隠さなかった。
「フィリア、これは……」
もう我慢ができなかった。彼の手からその写真を奪い取った。そして、破りちぎる。細かく復元できないくらいに。
ランドルはただ言葉を失って、それを見ていた。
「こんなの意味がないのよ!」
赤茶けた写真。幼い頃の私と両親の写真。かつての家族、かつての幸福。戻ることはできない過去。
もっと早くこうするべきだったのだ。そうだ。私に借金を肩代りさせようとした父、死んだ母。それこそ現実なのだから。過去にしがみついて私は何をするつもりだったのだろう。
「過去なんて昔のことなんて、何の役にも立たないのよ」
私は茫然とするランドルに言葉を投げつけた。
「父も母も恋人も友達も。過去だわ。ランディの事だって!」
「フィリア……」
ランドルは私の肩に触れようとした。私はその手を払いのけた。
「未練があったのよ。ランディの箱を取っていたのも、写真を取っていたのも。もしかしたらって……。そんなこと、叶うはずもないのに。分かっていたのに」
私はガラスと写真の破片をかき混ぜようとした。だが、ランドルがそうはさせてくれなかった。彼は素早く私の両手を取った。
「フィリア、落ち着くんだ」
「離して!」
再び私は彼の手を払った。
「あの人、借金取りだったのよ。父に貸したお金を返せって。蒸発するだけならまだしも、私まで巻き込むなんて。最低の父親だわ!」
私は小さな破片となり果てた、写真だったものを見た。写された笑顔の家族写真。幼かった私は今のことなど想像できただろうか。
「父が、あの男がいなければ、こんなことにはならなかったのに。もう父親でも何でもないわ。いっそのこと死んでくれたら……」
父が姿を消してから、すぐに布にくるんで引き出しにしまった写真立て。その時の私は、再びそれを飾る日が来ることを望んでいたに違いない。
だが、今は違う。垂れ込めた重い雲のような私の思いは雷に裂かれている。
「そんなこと、口にするべきじゃない……」
ランドルは床を見つめながら呟くように言った。私は逆上した。
「あなたには関係のないことでしょ!」
ランドルの表情が曇った。その言葉が決定打となったのか、彼は立ち上がり、私に背を向けた。私は彼の姿を追って顔を上げた。
「そうよ、行って!」
私には分かっていた。ランドルさえ、過去の人物になるのだ。そうなるべきなのだ。
だが、彼は玄関へとは向かわなかった。キッチンへと消え、いくらかもせず、グラスを手に戻ってきた。
どうしてそんなことをするのか。その行動は私をさらに苛立たせた。これ以上彼と関わりたくなどなかった。いっそ、去っていってくれたほうが、どれだけ気が楽だろうかと思った。
「さあ、これを少しずつ飲むんだ。気分が収まる」
彼は琥珀色の液体が入ったグラスを差し出した。その中身が何か、私は考えもしなかった。グラスを奪うように取り、感情のまま一気に飲み干す。
次の瞬間、失敗を犯したことに気づいた。グラスの中身は何か強いお酒だったのだ。喉が、頭が、体が一気に熱くなった。
ランドルが何かを言っていたがよく分からなかった。私はその場に崩れるように倒れ、彼が支えてくれるのを感じた。
「ソファに……」
彼の言葉の一部分だけが聞き取れた。
私はよろよろと立ち上がった。再び倒れそうになったところを助けられる。その手さえ振り解き、記憶だけを頼りによろめきながら歩いた。
天国か地獄かも分からない感覚の中で、私はただ、ソファにたどり着けることを祈った。