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ラウナの情景  作者: 橋本 かでん
一章 放浪編
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遺言



「そっからは短けぇが兄ちゃんも知っての通りよ。そして今、このザマだ」


 謎の痛み止めの効果で、感覚はないはずだが、ボンボルの額には脂汗が滲んでいる。体は命の危機を正確に察知しているのだろう。


「兄ちゃんに出会ったあの時、俺様はなんでか知らねぇがレンカと勘違いしちまったんだ。たぶん、俺様もあいつが居なくなって寂しさってもんを感じてたんだろうよ」

「……そうか」

「はっ!村長みてぇなことを言いやがる。兄ちゃんも大概、なに考えてるか分かったもんじゃねぇな」


 出会った頃と同じ、快活な笑顔を見せるボンボルに残された時間はあと僅かだろう。


「っと、頼みの話だったな、忘れねぇうちに伝えとくぜ。——俺様の、墓を作ってくれねぇか?」


 どんなことでも叶えてやるつもりの怜であったが、思ったような要求は来なかった。


「ははっ。俺様を殺ったあいつに復讐してくれとでも言うと思ったか?まぁそれもいいがまったくべつのもんだ。墓を作ってほしいんだ。俺様の故郷に、ワーズ村によ」


 ワーズ村。初めて聞く村だ。そこが、ボンボルの故郷だという。


「村をでた当初は故郷なんてもん、なんとも思ってなかったんだがよ、ここに来てすげぇ恋しくなってきちまったんだよ。——まぁ、傭兵なんてもんをしてたってのもあるよな。どっかの国の軍人と作戦を一緒にしたこともあったさ。そいつらが言いやがんだ、いつか故郷に帰るってよ。確かにあの村にいい思い出なんてもっちゃいねぇ。ただな、俺様にとって変わらない、たった一つの故郷ってやつなんだ。どうせ死ぬなら俺様が生まれた場所で、ひっそりと、小さな墓でも建ててくれ」

「……意外だな、お前なら豪勢な墓にしろって言い出すかと思ってたぜ」

「それはだめだ。絶対に」


 思ったよりも、強い拒絶の言葉が返ってきた。


「それだけは絶対にダメだ。墓は小せぇやつにしてくれ。石ころ一つ置いとくだけで構わねぇ。とにかく目立たねぇよう、墓と分からねぇくらいでちょうどいい」


 意外な頼みに、(さとし)は疑問を感じる。


「なぜだ?」

「決まってるだろ。それじゃあ兄ちゃんに報酬を渡せねぇじゃねぇか」

「……報酬?」


「あぁ。言ったろ?俺様の、“人生”をやるってな」

 言葉の意味を理解できずに、首を傾げる。


「兄ちゃん、ここ皇国じゃただの無職じゃねぇか。軍に入るんなら皇国の戸籍がいるぜ?だから、俺様のを使えよ。兄ちゃんが十三年前、村を離れて旅に出ていたこの俺様だ。類稀なる才能を開花させ、皇国に凱旋してきたってわけだ」


 とんでもない提案に、怜は目を丸くする。


「いけんのかそれ?お前になるったって俺とお前は全然違げぇじゃねぇかよ」

「村のやつらは俺様のことなんてどうせ覚えちゃいねぇさ。七つの頃が最後だぞ?瞳の色なんて記憶にねぇよ。村長くらいなら分かるかもしれねぇが、訳を話せば納得するだろうよ。別に俺様に興味があったわけじゃねぇ。すんなり受け入れるんじゃねぇか?」


 そんなものか?と思うも、当のボンボル本人がそう言うならその通りなのだろう。


「だいいち俺様がいなくなっちまったらいよいよ兄ちゃんは路頭に迷っちまうじゃねぇか。世間知らずも極まってんだからよ。死ぬに死にきれねぇ!——だが魔法の才だけは本物だろ?正直炎使いとしては今まで見てきたどんな猛者よりも兄ちゃんの方が強えぇ。俺様は皇聖隊のやつらとだって作戦を共にしたこともある、その実力なら皇国でもぶいぶい言わせちまうのは分かりきってるってもんだ。まぁなんたって、俺様のゲロ友なんだからよ!」

「……」

「……頼む兄ちゃん。俺様を成仏させるって思って、この報酬、受け取ってくれねぇか?」


 穏やかな笑みを浮かべたボンボルの静かな声に、怜は自然と頷いた。


「……分かった。お前の最後の依頼、冒険者として受けてやる。報酬は……お前の、人生だ」

「ふっ。ありがてぇ……そうだ、教えといてやるよ」

「何をだ?」

「俺様の名前だよ。本当のな」


 忘れかけていたが、ボンボルも木偶の坊も、この男の本当の名ではない。これから成り代わって生きていく。そのためには、当然必要なもの。


「俺様の名は……『ベルナール・バラスコ』だ」

「ははっ。お前らしい名前じゃねぇか」


 濁音が二つも入っている。ボンボルの好きそうな名前に、自然と笑みがこぼれた。


「感謝しろよ?俺様の本当の名前を覚えてるやつなんて、もうこの世にはいねぇかもしれねぇんだか

らよ。それから、こいつも教えとかねぇと——」


 (さとし)はボンボルから、村長や村の主要人物の名前、村の歴史など、成り代わりに気付かれないようにするための情報を教えられた。


「あっ!俺様に成り代わったからってヘマはするんじゃねぇぞ?もうそれは俺様がヘマしたってことになっちまう。皇都に着いたらちゃんと仕事見つけて、家見つけて、ついでに乳のでかい嫁をもらっといてくれ。皇都には行ったことはねぇがそりゃえらいべっぴんもいるだろうからよ」

「……お前にそんな野望があったのかよ」

「ったりめぇよ!男だぞ!それとこの世には俺様みたいなナイスガイばっかじゃねぇぞ?せいぜい騙されねぇようにな。師匠が言ってたぜ、なんでも皇国の『ハザ』ってのはきな臭いってな。なんのこっちゃ分かんねぇが、たぶん皇都に行ったら色んな誘惑ってもんが待ってやがる。兄ちゃんもくれぐれも余計なことには首を突っ込むな。それから……」


「あぁ、分かってる」

 身を乗り出し、取り憑かれたように喋るボンボルを、笑いながら宥める。「そうかよ」と、笑い、再び岩へ背を預けた。


「ったく。兄ちゃんも俺様の話を聞きやしねぇな。作戦Cだって言ったんだがな」

「……お前が突っ込む。やばそうだったら俺だけ逃げる、だったか?」

「あぁ。あんな大立ち回りなんてしやがってよ」

「無理な話だ。お前を見捨てて逃げられないくらいには、お前のことを気に入ってる」


 サラリと口にした怜に、ボンボルが驚いた表情をする。


「なんだ兄ちゃん?気持ちわりぃぞ?兄ちゃんもあいつになにかやられたのか?」

「……いや、そんな時もあるって話だ」

「……はっ!そうかよ。——俺様の墓には『アルスリア戦記』でも埋めといてくれ、これが顔も覚えてねぇ親との唯一の繋がりだからよ」

「……分かった」

「大剣とかは売ってもらって構わねぇ。すくねぇけど金もあるから兄ちゃんにやるっ……あぁそうだ、忘れてた。フィラーテに行くことがあったら、ケドキナの宿にでも寄ってけ。受付に俺様の使いだって伝えたら、合言葉を要求されるはずだ。そしたら兄ちゃんは、『レンカの封景』って答えりゃいい」

「……そしたらどうなるんだよ?」


 意味ありげな合言葉に、聞き返す。


「部屋に通してもらえるさ。レンカが消えた部屋にな」

「……お前、まさか……」

「ははっ。そのまさかさ。いつかレンカの野郎が帰ってくんじゃねぇかって思ってよ、部屋をむこう十年分借りてそのままにしたままなんだよ。——まぁ無駄な出費だったな。あいつは帰ってこない。俺様は死ぬ」


 ボンボルは自虐するように笑ったあと、真面目な表情になる。


「兄ちゃん、俺様から伝えることはこれで全部だ。ちょっとずつ意識が遠くなってきやがった。そろそろってとこだ」

「……」

「最後によ、兄ちゃんの名前も、教えてくれねぇか?」

 怜は迷う。伝えるべきはどちらの名か。どちらの名を伝えるのが正解なのか。そのどちらともが正解ではない、そんな気さえしていた。


「タカハシ・サトシだ。サトシが名だ」

「サトシ、か。兄ちゃんらしい、へんてこな名だ」

 少しの逡巡の後伝えた名前に、ボンボルは笑った。


 そして、体が、崩れ始めた。


「サトシ。少しの間だが、世話になった」

 感覚のないはずの左手が、怜に差し出された。その手は少しづつ砂のような粒子になり、天に昇り始めていた。


 差し出された左手を握る。強く握り返されるも、ボンボルの身体能力からして、もはやその力は弱々しいものだろう。


「こっちこそだ。ベルナール。この世界に戻ってきて、お前に会えてよかったよ」


 名前を呼ばれたボンボル——ベルナールは、苦笑いを浮かべた。

 少しづつ体が、粒子となって消えていく。


「ありがとよサトシ。最期の最期に、楽しかったぜ」

「俺もだ」

 イスティフとしての記憶がもどってから、初めて心からの笑みを怜は浮かべた。その左手を強く握っていた感覚が、消える。


 腕と足の先から徐々に、ボンボルの体は消えていった。


 ヴァレミーの痛み止めの効果で、痛みなどは全くないのだろう。その表情は穏やかなもので、いつものうるさいイビキをかきながら、眠りにつきそうなものだった。


「おっと、いけねぇ……」


 少しずつ消えていっていたボンボルが唐突に声をあげた。


 何か言い残したことでもあったのだろうか?怜はボンボルの口元に、耳を寄せる——


 大した覚悟もしていなかった。次にかけられる言葉は、予想できなかったから。


 最期の言葉を聞き取ってやろう。そう思っていた怜は、衝撃に襲われる。


 久しぶりに聞いた言葉の意味は、今もまだ、分からなかった。


「——『ラウナの情景(じょうけい)』を完遂せよ」


 ボンボルは満足そうに笑うと、装備品を残し、消失した——


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「……なんなんだよ」

 戦場に一人残された怜の声が、辺りにこだまする。

 ボンボルを看取った怜は、しばらくその場から動けずにいた。

 理由は二つ。一つはボンボルを失った喪失感。そしてもう一つは——


「『ヴィゼラの情景』ってなんなんだよ!」

 少しだけ、語気を荒げる。苛立ちを感じていた。

 苛立ちが沸々と怒りへ姿を変えかけていた時、ひどい眩暈が怜を襲った。


「おっと……魔力切れか?」

 怜の手には、召喚の魔導書が握られていた。苛立ちながらもボンボルの遺品を回収し終えた怜は魔力切れを起こしていた。持てる全ての魔力を譲渡した出涸らしのような魔力では、封印術を施すだけでも干上がりそうであった。


「はぁ……行くか」

 ひどい眩暈は、湧き上がりかけていた怜の怒りを急速に冷やした。

 幽鬼のようにゆらりと立ち上がった怜は、もたつく足に喝をいれながらもふらふら歩く。


 戦場はひどい有様だ。焼け焦げ、地面は抉れ、大型の魔物の死体さえも転がっている。激しい戦闘の痕が残る大地を歩いていた怜は足を止め、空を見上げる。

 普段は星空が広がる夜空も、今日は姿を潜めていた。雲が空を覆っている。


「……降り出す前に、急がねぇと」


 今夜は雨になると、ボンボルが言っていた。本格的に降り出す前に、雨を凌げる場所を探すことに決め、再び歩き出そうとした瞬間——



「——止まりなさい」


 背後から、感情を感じさせない冷淡な声が聞こえた。


(しまッッ!!)


 反射的に背後を振り返ろうとした怜の背中に、棒のようなものが押しつけられる。おそらく指だろう。


「——動かないでください。少しでも怪しい行動をしようものなら、貴方の心臓を撃ち抜きます」


 女の声だ。確かに、正確に心臓の位置を捉えていた。相手がその気になれば殺されるのは怜の方だ。


(油断してた……いや、魔力切れで感知がおっつかなかったか)


 こうなれば怜に取れる手段はない。大人しく従うことに決め、振り返りかけていた頭を元に戻そうと動かし——


「『動くな』、と言ったはずだよ?」


 今度は左から、別の女の声が聞こえてきた。怜の視界に女の姿は映っていない。しかし、この女もやろうと思えばいつでも怜を殺せるということを、首筋から伝わる冷たい刃物の感覚が教えていた。


(ほんのちょっとでも動くなってことか。瞬きくらいは、許してくれよ)


 心の中で不平を述べつつ瞼を瞬かせ、ほんの一瞬暗闇に囚われた直後、目の前に仮面をつけたローブ姿の男が立っていた。


「……瞬きくらいならまぁ……じゃなくて、これから貴方を拘束します。抵抗するならして頂いても構いません。命の保証はありませんが」


 聞いたところ、若い男のようだ。言外に暴れたら殺すと言っているのは、圧倒的に有利な状況のせいか、それとも自信の表れか。その両方だろうと怜は思う。

 目の前の男は少なくともスピードという点においてはボンボルを遥かに凌駕しているであろう。


 声も出せずに固まっていると、男の後ろに、不意になにかが降ってきた。

 けたたましい音と共に着地した何かが、砂煙の向こうから歩いてくる。


 体格のいい男だ。背はボンボルよりは低い。しかし——


「……捕えろ」


 低い、重厚な声が響く。そこから放たれた威圧感は、凄まじいものだった。


(こいつ……強えぇ。木偶の坊より、ずっと……)


 怜の直感がそう告げる。


 男の命令と共に動き出した三人によって、怜は無抵抗のまま、捕えられた。



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