命の大切さとは。
皆さんは子供の頃、もしくは大きくなってからでも、「虫取り」をどのくらいして遊んだだろうか。
私はさんざんした。すごくした。アホかというくらいした。
親の影響もある。子供の頃、休日になると、親は自然の中に連れて行ってくれた。
キノコをとって、栗を拾って、サンショウウオにびっくりし、ハマナスの実を採取してお酒を漬け、またたびの実と間違えて家族でごっそり桐の実をとってきたこともある。結局何にもならなかったな、桐の実は。
そんなふうに山で遊んでいたから虫ともよく触れ合った。気をつけて歩かないと踏んでしまうくらいの殿様バッタの群れに出会ったり、巨大な女郎蜘蛛に息を呑んだり、巨大な水槽の底に3段くらい敷き詰められるほどにコオロギをとってきたり、黒と水色のアゲハ蝶をとってもらって興奮したり。
トンボなんかは、糸トンボ、ギンヤンマ、オニヤンマ、しおからとんぼ、そうそうたるメンバーだが、いずれも触ったことがある。
私の住む地方では、寒すぎてカブトムシはいないとされているが、カブトムシもとってもらった。クワガタムシはたくさんとってもらった。夜に、スイカの皮をしかけておいたところに懐中電灯をもって見に行くと、わらわらとクワガタムシが群れているのである。
もうそうなるとメスはとらない。角がないからつまんなーい、というわけである。オスばかり採取しては喜んでいた。
さて、そうして採取した虫だが、その場で放してやらないと、必ず死んでしまう。大丈夫なのは案外カブトやクワガタの類で、きれいだと、珍しいと思って大事にしていた虫が、あっさりコロンと死んでしまうのである。
これは悲しい。色々あがく。口のところに水をやって水を飲ませて生き返らせようとしたり、蜜の代わりに砂糖を与えようとしてみたり、温めたり、色々するが、虫は決して生き返らない。絶対に絶対に、生き返らない。
この瞬間、人は命のはかなさ、ひいては大切さを知る。これを人間に置き換えた時にも、命は大事だということが理解できる人になれる。
先般の、秋葉原連続殺傷事件、またはその模倣犯の犯人などは、こういう経験が足りなかったのではないだろうか。この事件の犯人は、被害者への謝罪の手紙の中で、「私には、あたたかい家族や友人などがいないので、それを奪われたあなたの気持ちはわからないが」というようなこと(相当まとめてあります)を書いていたそうである。
でも、それでは家族がいない人や、友人がいない人全員が犯罪者になるのか。それは違う。結局、命の大切さを分れなかった、それが犯行原因ではないだろうか。
この犯人が、家族とうまくいかなくても、虫取りをして大事な虫が死んだときに、悲しい、と感じる気持ちを知っていたら。少なくとも、誰でもいいから殺してやる、なんて思わなかっただろう。
みなさんも、何でもいい、花が枯れてしまうことからでも、命の大切さを分れる人間になってください。