SIDE: ジョイス3
※一部過激な内容が含まれています。ご注意ください。
転移の後、二人は王宮の地下にある闘技場までやって来た。
ここは転移でしか入れない仕組みになっており、今二人が足を踏み入れたことで、十数年ぶりに壁面に明かりが灯された。
6歳のジョイスにとってはとてつもなく大きな、出口のない楕円形の建物に思えた闘技場は、今こうしてこの場に立つと、何の変哲もない、単なる空間だと思えた。
陛下は着ていた上着を脱いでその場に放ると、ジョイスに向き合って対峙した。
「いつでも来い」
陛下はそう言ってジョイスに促し、自身はその場から動かなかった。
ジョイスは右足を踏み込み、陛下に向かって走り出し、詠唱した。
「土の神オメテオトルに告ぐ。土の波よ、彼を飲み込め」
ジョイスの言葉の通り、陛下の周囲に突如土の大波が現れ、陛下を飲み込もうと迫ってきた。
陛下は自身を中心に風の魔術を行使し、猛烈な爆風を起こして迫りくる土の大波を破り、風の衝撃波でジョイスを吹き飛ばそうとした。
ジョイスは地面に踏み込むと跳躍し、土混じりの強風を風の魔術で防ぎながら、光の魔術を行使した。
「光の神テクシステカトルに告ぐ。雷よ、彼を穿て」
ジョイスの身体からバチバチと電光が走り、激しい雷鳴と共に陛下に電撃が落とされた。
陛下は土の魔術と水の魔術を使って二重に盾を作り、電撃を防いで魔術を霧散させると、上空から剣を抜きながら舞い降りたジョイスに、自身も剣を抜いてジョイスの剣を受け止めた。
ガキイィィンッ!!
重たい剣戟の音が闘技場全体に響き、ジョイスが風の魔術を強めて陛下の剣を弾き飛ばした。
陛下は剣を飛ばされて顔をしかめたものの、ジョイスの二太刀目をすぐに土の魔術の壁を出して防ぎ、出した土壁をグンッと伸ばして、ジョイスをそのまま土の壁で飲み込もうとした。
「風の神エエカトルに告ぐ。土を砕け」
風は土壁を破砕し、ジョイスは陛下に光の魔術を纏わせた刃で肉薄した。
「なぜ詠唱など。まさか緊張か?」
陛下はニヤリと笑うと水の魔術で水流を放ち、ジョイスにぶつけた。
風の力では耐えられないほどのとてつもない鉄砲水をまともに喰らい、ジョイスははるか後方に吹き飛ばされた。
「ぐっ…!」
ジョイスは体勢を崩しながらも風の魔術を強めて水を弾いて霧散させると、さらに風の魔術を行使し、自分自身を前へ突き出すと加速して陛下に迫った。
陛下は自分の周囲に炎の渦を出現させた。
さらに左手をかざし、渦の中から炎の大蛇を出現させると、ジョイスにけしかけた。
真正面から大口を開けて迫りくる大蛇から、ジョイスは素早く身をかわし、また土を蹴って跳躍しようとした。
すると、ジョイスの背後から、いつの間にか土の魔術でできた鋭い一本の矢が飛んできていた。
ジョイスは自身を風の魔術で包み、矢を砕こうとしたが、矢は陛下の風の魔術で加速し、ジョイスの防御の発動の前に、ジョイスの右肩を貫いた。
「……っ」
(大蛇に気を取られて背後の気配を探るのが疎かになった。くそ)
ジョイスは右肩を貫いて通り過ぎた土の矢に、さらに自身の風の魔術をかけて、炎の渦の中めがけて打ち込んだ。
土の矢は炎の渦を切り裂くように進み、その瞬間にできた炎の切れ間から陛下の姿が見えた。
ジョイスは加速して走りながら、地面から新しい矢をいくつも生み出して、風の魔術で押し出して陛下に追撃した。
最初の矢でできた隙間から、無数の矢が陛下めがけて飛んでいくと、陛下は左手を振って土の壁を出して矢を防いだ。
炎の大蛇は、そばをすり抜けたジョイスを追いかけるように体を翻し、ジョイスのすぐ後ろから迫っていた。
ジョイスは自分の背後に氷の柱をいくつも立て、大蛇の進行を妨げ、炎の威力を削いだ。
陛下はジョイスの無数の土の矢の攻撃に耐えるのがやっとのようで、土の壁を貫いて来ようとする矢を、どうにか魔術の重ねがけで防いでいた。
と、そこにジョイスが炎の大蛇を引き連れて陛下のもとに走り込んできた。
陛下はやむなく火の魔術を解除し、走り込んできたジョイスの剣を土の魔術で防ごうとした。
ジョイスはそれを読み、陛下の背後に炎の壁を立てて、逃げ場を無くすように炎で追い立てた。
「ぐっ…!」
追い詰められた陛下は、自身の背後に水の壁を出して炎から身を防ごうとしたが、土の矢のさらなる追撃と炎に囲まれ防戦一方となり、正面から来るジョイスの攻撃への反応が遅れた。
ジョイスは素早く陛下に迫ると、陛下の頭上に黒い煙を出し、陛下の顔を覆った。
「錯乱か」
陛下は黒い煙に包まれながら、呟いた。
やがて陛下は足元がおぼつかなくなり、フラフラとよろめいて、自分の立てた土の壁にもたれかかった。
ジョイスは陛下の胸ぐらを掴み、喉元に剣を突きつけた。
「勝負あったな」
ジョイスがそう言うと、どこからか陛下の声が聞こえた。
「闇の魔術を使えるのはお前だけではない」
ジョイスは声のする方に振り返ったが、何も見えなかった。
(何も見えない?)
ジョイスはこの場の違和感に気がつき、辺りに見えていたはずの闘技場の壁や天井が全く見えないことに、ハッとした。
そして、気づいた途端に、左手で捕まえたはずの陛下は砂になり、サラサラと崩れた。
「まだお前には負ける気がしない」
陛下の声が至近距離で聞こえて、黒い煙が薄れて辺りが見えるようになると、ジョイスは砂でできた柱に手足を拘束されて磔にされていた。
「動きの多彩さは流石だ。早さと、それに合わせた風の魔術の使い方が秀逸。まともにやりあえばお前に敵う者は居らんだろうな。しかしお前の思考が読めれば、いくらか対策は立つ」
ジョイスは陛下の言葉を聞きながら、自分の魔力がそろそろ尽きそうな感覚を覚えた。
「いつの間に、闇の魔術を…」
「一撃目だ。接近時に闇の魔術を使うのは常套手段だろ。仕込んだ闇の魔術を、お前に再度近づかれた時に行使した。
まあ、闇の魔術の使い手との戦闘は稀だから、反応が遅れるのは致し方ないのか。さらに、お前は剣技で私を倒したがっている様子だったので、諸々と対策が取りやすかった。
……しかしながら、ここまで来るだけでも魔力も体力も使い果たしただろうに、よくもまあ、あんなに動いたものだ」
陛下は呆れたような、面白がっているような表情でそう言った。
そしてジョイスを拘束している土の柱を砂に変え、前のめりに倒れそうになったジョイスを真正面から抱きしめるようにかかえると、ジョイスに光の魔術を行使した。
「お前は昔からこうと決めたら聞かない子だった。そういう性格は、彼女にとても似ている。……カトリーヌのことは、悪かった。あんな状態でも、お前にとっては母だ。居なくなって、寂しい思いをさせたな」
ジョイスは、光の魔術のおかげで少し体力が回復した。
多分、こんなふうに陛下に抱きかかえられなくても、立つくらいはできる。
でも、なぜだか今は、こうして父の胸にもたれかかりたいような気分だった。
「私にはいつも、自分ではどうあっても決められない二つの選択肢が突き付けられるんだ。貴族派を粛清するか否か、カトリーヌを解放するか否か。……決められず、ただ流れに身を任せてここまで来た」
ジョイスはぼんやりとした頭で、父上の言葉を聞いていた。
「私が10歳で帝位に就いたのには、秘密がある」
陛下はふぅ…と長い溜息をついて、言葉を続けた。
「父上は…お前の祖父は、魔獣に囲まれて死んだ。だが、それは計画されたことだった。騎士の中に居た貴族派の者たちが、父上のもとに高位の魔獣を引き連れて来たのだ」
ジョイスは瞠目した。
「父上は貴族派の者たちに恨まれても仕方のないことをした。その結果、彼らに力ずくで帝位を降ろされた。……死という形を取って」
陛下は、淡々と話を続けた。
「あの時代、疫病で多くの民が亡くなった。なすすべもなく、貴族も平民も、多くの者が散っていった。父上は自分の力不足で国を滅ぼしてしまうかもしれないことに恐怖を抱いていた。そんな弱さから、父上は、教会の教えにのめり込んだ。疫病は全て、貴族が力を使わないことが悪いのだと、そんな聖下の言葉を信じ込んだ。
光の魔術の使い手は全て教会に集められた。教会は、集めた使い手たちに倒れるまで魔術を行使させ、引き換えに金や供物を得た。そして、それだけではなく、使い手を増やすためと称して、集めた者のうち……」
陛下はそこで言い淀んだ。
しかし少し間を空けた後、簡潔に言い切った。
「女たちを辱めた」
ジョイスは、息を呑んだ。
陛下は遠くを見つめながら、なおも話を続けた。
「私は知ってしまった。だから、娘や妻や母が受けた屈辱を晴らしたいと、皇帝が憎いと思う貴族派の連中の心情も、少しだが理解はした。その上で私は、選択を迫られた」
「悪事に手を染める貴族派を滅ぼすか、生かすか」
「……いつか彼らが踏みとどまり、自分自身で気がつく時が来ると……。甘い考えで時を過ごした。過ごしすぎた」
陛下は幼い子をあやすように、ジョイスの背をポンポンとたたいた。
「母上は、なぜ石になったのですか。貴方が母上を裏切ったというのは、一体何だったのですか」
ジョイスは顔を上げ、陛下の顔を覗き込んだ。
陛下はジョイスの顔を見て、眉を寄せると、土の魔術で椅子を形作り、ジョイスを座らせた。
「カトリーヌはお前にそんなことを言っていたのか…」
陛下は、やれやれといった様子で話を続けた。
「カトリーヌは北の国の女だ。あそこは女に徹底して歴史・兵法、そして政治を学ばせる。雪に閉ざされる北の国では、男が外で魔獣と戦う間、城に長く帰れぬことがままある。そこで女にも城で仕事が与えられる。政治だ」
「そんな北の国の女であるカトリーヌにとって、自分が城で何もせぬなどと、不甲斐ないことは許せなかった。城で王妃がやることは、夫である王を支えるため、城内の派閥をまとめて掌握すること。彼女は悪い噂の絶えない貴族派を王に従わせるため、彼らに接触し始めた」
「カトリーヌは、貴族派が皇帝を恨んでいることなど知らなかった。教会での出来事は、貴族派にとっては思い出したくもないことで、もししゃべろうとする者が居れば、消したり、鉱山に送ったりして、徹底的に口をつぐんだからだ。当時の教会の者たちも、貴族派に大分消された。だから、ただ疫病の流行る中で貴族が教会で光の魔術を行使した、という表立った事実だけが残った。
カトリーヌは貴族派のその善行を褒め称えて近づいた。それは奴らにとっては侮辱に等しく、彼女は怒った奴らの悪意むきだしの中傷にさらされた。私が貴族派の娘と懇意にして愛妾にしているだの、貴族派に与して悪事に加担しているだのと。
もちろん、そんな話をすぐに真に受けたわけではなく、カトリーヌはなぜ貴族派がそのように頑ななのかを独自に調べた。そしてその背景にある、過去の教会での出来事も、根気強く調べて、ついに知った」
「正義感の強いカトリーヌは、当然私を糾弾した。彼女は教会の蛮行やそれを受けての貴族派の悪事を全て白日のもとに晒し、あらゆる悪事の罪人を裁くことが解決法だと信じて疑わなかった。だが、私はそうはさせなかった。辱めを受けた者たちの傷口を抉れば、また貴族派は反発する。奴らに時間を与える必要があると思っていた。
だがカトリーヌには、私のやり方は手ぬるいと感じられた。貴族派をこのまま好きにさせて増長させれば、国そのものが危うい、王として失格だと詰られた」
「私はカトリーヌを離宮に閉じ込め、遠ざけた。悪意ある貴族派と接触させないためでもあったが、私の方も、彼女の正論を聞き続けることに疲れていた。彼女は不安定になっていった。自分の正義は間違っていると、貴族にも夫にも否定されて、自分の存在意義を見失ったんだろう。そのうち私のどんな言葉も、彼女には届かなくなった」
「さらに、6歳のお前に試練を与えたことも、彼女の私への不信を決定的にした。私がお前を殺して、愛妾との間にできる子供を帝位につけようとしていると、本気で信じ込んだのだ。
試練が始まって数ヶ月後、お前が眠っている間に、彼女はお前を抱き、部屋を抜け出した。……彼女はお前と共に死のうとしたんだ」
ジョイスはハッとした。
「深夜、お前がいないと気づき焦った私は、お前に手紙の魔術の化身を飛ばしてすぐに場所を察知した。彼女は離宮の屋根に登ろうとしていたようだった。
私は試練の間は、お前にしか魔術を行使できない。それは制約により子に集中的に魔術を行使し、少しでも早く魔術を覚え込ませるためだが、その時ばかりは困った。落ちてきてもカトリーヌを助けてやれんからだ。だから私はカトリーヌにこう呼びかけた」
『身を投げてはだめだ!そんなことをすれば、北の国の者は、君の姿に悲しむ。それ以上自分を傷つけるのはやめてくれ。私は君たちを幸せにしたい』
「私がそう言うと、カトリーヌはとても傷ついたような表情になり、こう叫んだ」
『嘘つき!わたくしがどんなに苦しんだのか、貴方になど分からない。せいぜい、わたくし達が死ぬ姿を目に焼き付けて、苦しみなさい』
「そう言って、カトリーヌは、身投げする代わりに土の魔術を行使した。そしてゆっくりと、自分自身を足元から石化させていった。私はお前を引き剥がすために、下から風の魔術でお前を浮かせて離そうとした。すると彼女は一層悲しい表情で涙を流した」
『そう…。やはり貴方は、わたくしのことなど、いらないのね』
「カトリーヌはジョイスを隣に放ると、どんどん自分の体を石化させ、絶望しながら目を閉じた。私には、彼女を救ってやることはできなかった。
……私が、彼女を解放して、国に返してやればよかったのか。今もそれが悔やまれるよ」
陛下は話し終えると、ため息をつき、疲れたようにその場に座り込んだ。




