SIDE: ジョイス2
伝令役が単騎で駆けて10日ほどはかかる道のりを、ジョイスは途中の町で馬を替えながら、5日という驚異の早さで走り抜けた。
ほぼ不眠不休で走ったため、3日目の夜は崩れるようにして野原で眠ってしまったが、それでも翌朝には立て直し、また王都目指して一直線に馬で走った。
4日目の昼に王都から東へ100kmほど離れた町に入ったジョイスは、いつもとは違う町の様子に気がついた。
町には王都から逃れてきた市民が大勢いた。
普段は人気もなく閑散とした田舎町なのだが、知り合いを頼って疎開してきた人々で溢れていた。
人々はジョイスを見ると、仰天して固まったが、ジョイスが何やらふらふらと疲れた様子で馬を引いていたためか、心配して寄ってきた。
「皇太子さま、大丈夫ですか?お疲れならお休みください」
「俺が馬を引きますよ。厩舎に行って水と飼い葉をやりましょう」
「おーい!皇太子様がおいでだ!何かお飲み物をお持ちしよう」
ジョイスは市民たちの気遣いに、くすぐったいような気分になったが、皆の申し出を断った。
「其方らの気持ちはありがたいが、長居はできない。馬だけ、任せてもいいか?」
ジョイスはここからは転移を使おうと思い、馬を置いていくことにした。
「王都へ行かれるんですか?もし光の女神様に会ったら、お礼を伝えてください」
「オルドリッジ公爵にもです」
「俺たちは焼け出されたけど…でも、何とか命は助かった。火事を消してくれてありがとうと、騎士団にもお礼をお伝えください」
ジョイスは、市民たちの声を聞き、メイシー達がどれだけこの事態に奔走したか、想像した。
(……それに引き換え、あの人は。)
ジョイスは、あの赤い絨毯が敷かれた階段の上の玉座に鎮座して、頬杖をつく男の姿を思い浮かべ、沸々と湧く怒りを感じた。
周りにいた市民たちは、様子が豹変したジョイスに驚き、一歩、また一歩と、後退してジョイスから距離を取った。
「あ、あの、馬に載っていた荷物です……」
馬を厩舎まで引いてくれた男が、恐る恐る荷袋をジョイスに渡した。
ジョイスは硬い表情ではあったが、男に礼を言った。
「ありがとう」
そして、市民たちが遠巻きに見守る中、ジョイスは転移の魔術を行使した。
王都まで何度も転移を繰り返す中、ジョイスは不意に、母上の言葉を思い出していた。
「陛下はわたくしを裏切った。わたくしは何を信じればいいの」
まだ幼いジョイスにとっては、言葉の意味を深い部分で理解したわけではなかったが、母上が悲しそうに、苦しそうに話をする姿は、今も時折思い出された。
ジョイスが物心つく頃には、すでに母上は心を病んでしまっていたが、北の国に居た頃からから仕える年老いた侍女は、母上のことを「利発で好奇心が旺盛で、芯の真っ直ぐな方」と言って褒め、毎日甲斐甲斐しく世話をしていた。
母上の気分が落ちて、誰も母上に近づけなくなってからも、この侍女だけはずっと側にいたのではないかと思う。
(母上がああなった原因はあの人だ。それなのにあの人は、貴族派の連中におもねり、奴らにばかりいい顔をして、母上を顧みることはなかった)
ジョイスが6歳になると、陛下はジョイスを転移で連れ回し、ある時は誰もいない荒野の断崖絶壁から突き落とされ、またある時はダークペガサスのいる森に放り出されたりして、城に戻るのは決まって瀕死の重体になってから、という生活が始まった。
ジョイスは目が覚めると母上のもとに駆け込み、「助けて!」と泣きながら助けを乞うた。
母上はそんなジョイスの様子に、さらに心に深い傷を負ったのだった。
事態が悪化したのは、何度もこの恐ろしい試練を受け、魔力使用過多とダメージの蓄積でジョイスが数週間倒れてしまった時だった。
ジョイスが目覚めて母上の部屋に駆け込むと、母上は寝台の上で物言わぬ石になっていた。
あの人は暗く冷たい瞳で石になった母上を見つめていた。
その口元にはなぜか、笑みを浮かべて。
そして、ゆっくりと振り返り、ジョイスに手を伸ばしてこう言った。
「乗り越えろ。お前に王家の血が流れる限り、この運命から逃れることはできない」
ジョイスは恐ろしさに身動きできず、なされるがまま、あの人に頭を掴まれて、再びサラマンダーが火を吹きながらうろつく森に転移させられた。
(……思い出すだけで、吐きそうになる)
ジョイスはたった6歳で自分の身に降り掛かった悪夢の数々を振り返り、我ながら、よく持ちこたえてここまで真っ当に生きてきたなと思った。
(多分、私は周りの人間に恵まれたんだろう)
ワナンやグレン、そして共に切磋琢磨した騎士団の連中。
時には兄のように、時には父のように、皆がジョイスを温かく迎えてくれた。
そして、抜きん出た手腕で国を盛り立ててくれたマクレーガン侯爵。
それから何よりも、メイシーと出会えた。
(父上が皇帝になった当時に比べてはるかに幸運なのは、認めよう)
ジョイスは十数回の転移の後、王都の南端の平民街の入口に到着した。
平民街は、西側に何もなくなり、代わりに更地のように区画を区切られたような盛り土が、貴族街の方まで続いていた。
(伝令が届くまでに10日、私がここに来るまでに5日かかった。ほんの二週間ほどで、瓦礫を撤去して土を整えたのか)
誰がここまでやったのかは、ジョイスにはすぐに分かった。
だが、玉座に座して動かないあの男は、ここに至るまでに何をしたというのだろう。
(もう、はっきりさせてやろう。あの人は敵なのだと)
ジョイスは瞳を閉じて再び転移の魔術を行使した。
……目を開けると、母上の部屋で、石になった母上を見つめるあの人の横顔が見えた。
「帰ったのか」
あの人はこちらに顔を向けることなく、母上を見つめながらそう言った。
ジョイスの到着など気にも留めていないように見える。
「……貴方は、母上を裏切ったのか?」
ジョイスが尋ねると、陛下は視線を動かしてジョイスを見据えた。
「お前はその問いにどういう答えを望んでいるんだ?私が弁明するのか、それとも悪事を全て事細かに話せば満足なのか?」
ジョイスは陛下の言葉を受けて、じっと陛下を見つめて考えた。
「貴方はいつもそうやって、誰とも向き合わないで、煙に巻こうとする。まるで本心を悟られるのが恐ろしいと怯えているかのようだ」
「本心か。そんなものが重要か?」
陛下は退屈そうにジョイスを一瞥し、ふっと鼻で笑って、寝台の横のソファにどっかりと背中を預けるようにして座り直した。
「私が正義感に燃えて貴族派に強硬な姿勢をとれば良かったのか?あるいは、ほぼ全ての貴族を皆殺しにでもすれば、万事がうまくいくと思ったか?」
「そんなことを言ってるわけではありません。貴方にとっての正義とは何なのか、真実を知りたいと思ったのです」
「……私にとって正義という言葉はとても厄介で不気味な言葉の一つだ。
ジョイス。お前は国とは何だと思う?私にとって、国とは人だ。たくさんの人の集合体だ。人は、それぞれに【正義】を抱えて生きている。そして正義とは不思議で、多くの人間や権力のある人間が考える正義がなぜか【国の正義】となる」
「貴族派がのさばっていたのは、貴族派が権力を持ち、貴族派を良しとする者が大勢居たから、ということですか?」
「そうだ。私が帝位に就いた当時は、まさにその流れの只中だった」
「……しかし、そうだとしても、貴方が皇帝となり権力を握れば、貴族派を退けることは容易なはずだ。なぜずっと言いなりで居たのです?」
「……私は、私の知る物事を全てお前に知らしめたいとは思わん。知ってしまうことで感じる重みは、知れば、取り去ることは不可能だからだ」
「何ですか?それでは貴方は、さも私のために何かを黙っているとでも言うのですか?
……可笑しなことを仰る」
ジョイスが嫌そうに眉を寄せてそう言うと、陛下は悩ましげな表情で、石になった母上に視線を動かした。
「私は、私の正義に照らして言えば、カトリーヌを裏切ったとは思っていない。しかしカトリーヌの正義では、私は真っ黒に染まった悪だったんだろう。だから彼女はこうしてここに居るんだ」
陛下は母上を見て、皮肉げに笑った。
ジョイスは、その様子を不快に思った。
そして、苛立ちから魔力を立ち上らせた。
「……なぜ怒る?」
「母上を見て笑う貴方が、許せない」
「ああ…」
陛下は言われて気づいたとでもいうように、口元に手をやり、指で顎髭をなぞった。
「私は、彼女が石になったことに最初こそ驚いたが、よくよく考えると、この姿のほうが彼女にとっては良かったのではと思ったのだ」
「は?」
ジョイスは陛下の答えにさらに苛立ち、強い口調でこう続けた。
「石になって、良かった?貴方のせいで追い詰められて、苦しんで、この姿になった母上に、なぜそのような非道な言葉が出るんだ?」
「……知りたいか?」
「貴方の歪んだ世界観など知りたくもない。どうせろくでもないことは分かりきっている。……貴方は昔も、……母上が石になった直後も、今のように笑っていた。
その全ての行為を懺悔して、母上の名誉のために母上の前で謝罪しろ」
そう言ってジョイスが怒りを露わにすると、陛下はふっと笑ってジョイスにこう言い放った。
「いいだろう。私の背に泥をつければ、お前の望み通りにしてやる。お前が知りたがっていることにも、全て答えてやるとしよう。闘技場へ来い」
陛下はそう言うと、転移の魔術を行使した。
そしてジョイスも同じく転移の魔術を行使し、その後を追った。




