たしなみ8
魔術学園に入学し、メイシーにとっては、この一週間はあっという間だった。
一人で実験や研究をしていたメイシーにとっては、意見をくれる友達ができたことが、心から嬉しかった。
ノアと二人で馬車に揺られ、1時間ほどで見慣れた侯爵邸に到着した。
(皆で考えた新しい魔術具を、お父様にも見ていただいて、意見を聞きたいわ)
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「メイシー、お帰りなさい」
屋敷の執事や侍女たちの列の前には、お母様も立ち、メイシーの到着を待ってくれていた。
「ただいま戻りました、お母様。皆もお出迎えありがとう」
ニコニコと再会を喜び合う私達は、連れ立って屋敷の中に入っていった。お茶を飲みながらお互いの近況を話すことにしたのだ。
「お父様は、相変わらずお忙しいのですね」
「そうね、でも今日はメイシーが帰る日だから、できるだけ早く帰宅すると仰っていたわ」
「私も、早くお会いしたいです!」
「うふふ、きっと旦那様も喜ぶわ。
……ところでメイシー。入学式では殿下が貴女をエスコートなさったのね。どこでお会いしたのかしら?」
何となく、横で控えているノアが、ピリリとした雰囲気になり、構えた気がした。
「えっと……。学園内に入り、ノアは寮の部屋を整えるために私とは別れました。それから私は一人で入学式の会場を目指したのですが、道に迷って森に入ってしまったのです。ノアはちゃんと、まっすぐに進めば大講堂に着くと教えてくれたのですが……。
森に入ると寝転んでいる人がいたので、入学式場に行きたいと道を訊ねたところ、その方が皇太子殿下だったのです。驚きました」
「……そう。なんとまぁ、そんな偶然があるものなのね。……ノア、貴女が付いていながらこの失態、旦那様からの責めは免れないと思いなさい」
お母様が厳しい顔でノアを見た。メイシーは驚き、お母様に訴えた。
「お母様!なぜノアが責められるの!?」
「申し訳ございませんでした。すべて私の落ち度ですので、どのような罰も受ける所存です」
「責められるべきは、ノアではなく私の方向音痴でしょう!?」
メイシーは、ノアの前に立ち、守るように両手を広げた。固い表情のお母様が、メイシーを見つめている。
「お母様、これは誰も予想できなかったことなのです。それに、殿下が入学なさるなら、入学式の前に会うか、式の最中に会うかの違いで、会うことは止められないことだったのでしょう?」
「……式場には貴族が多く集まっていたの。その公然の場に二人で現れたことが、我が家にとっては問題なのよ。聞けば、貴女は殿下に腕を絡めて仲睦まじい様子だったとか?」
「仲睦まじい……!?そ、それは誤解で……!
で、でも、そもそも殿下が私を伴うのが、そんなに問題だと思っていなかった私にこそ、一番の責任があると思います!」
メイシーがそう言うと、お母様はハァ……とため息をついた。
「……そうね。結局のところ、貴女に何も伝えなかったレナルドも、私も、いけなかったのだと思うわ」
「うーん、違うのです。私は、自分以外は誰も責められるべきではないと思っております!けれど、私のことで、そんなにも大変な事態になるのは、私も望みません。……ですので、これからはお母様もお父様も、私に必要なことは教えていただけると、私も助かります」
メイシーは、眉をふにゃりと曲げて、困った顔をしてみせた。お母様は、固かった表情を、少し表情を和らげた。
「はぁ……。そうね、私も狼狽えすぎたわ。貴女は私達にとってはデビュタントも迎えていない子供だと、レナルドも私も、多くを伝えなかった…。ごめんなさいメイシー。それにノア、貴女の頑張りは認めているのに、あんなことを言って悪かったわ」
「いいえ奥様。この件では、そのような勿体ないお言葉をいただく資格は、私にはございません。……ですが、どうか、どうかこれからも、お嬢様のお側に控えることをお許しいただけますでしょうか」
「もちろんよノア。メイシーのことを頼むわね」
「ありがとうございます、奥様」
お母様とノアの空気が柔らかくなり、メイシーは安心して顔をほころばせた。
「私のほうが、ノアが居ないと困るのよ?お母様、分かってくださってありがとうございます」
メイシーがそう言って、二人にニコニコと笑いかけた。
雰囲気がほどけたところで、別の侍女が紅茶と焼き菓子を持ってきてくれた。甘い香りに、何とも心が落ち着く。
メイシーは、学園での出来事をお母様に話し出した。
「お母様、私、もう実験室を頂いて、自分の好きな研究をしているのだけれど、実験室にお友達が来て一緒に魔術のことを教え合ったり、研究について話し合ったりしているの」
「ノアからの報告で聞いたわ。貴女がとても楽しそうにしている、と。家では手に入らないような貴重な素材も使わせていただいたそうね?」
「そうなの!!」
メイシーは、パアッと顔を明るくして、お母様にこの数日の出来事を話し始めた。
「ミスリルドラゴンの鱗は、想像していたよりずっと綺麗でしたわ。鱗1枚を薄く延ばして、ヨゼフ様の護衛騎士の方の盾を覆ったのですが、その技術が色々な応用が効きそうだから、またお父様にもお話したくて!
ドメル先生やヨゼフ様やラグナーラ様は、私には無い視点で色々な案を発展させてくださるの」
「少し気になるところがあるけれど、事業の話はレナルドがまた後からするでしょう。
……ヨゼフ様、と言ったわね?メナージュ家の人間が、なぜメイシーに近づくのかしら」
お母様は眉を寄せて、ちょっとムッとした表情になった。
メイシーは、ドメル先生やラグナーラ様から聞いたように、やはりメナージュ家とマクレーガン家には深い溝があるのだな……と感じた。
「……実はヨゼフ様には、初めてお話をした時に、結婚を考えてほしい、と言われました」
「な……!何ですって?」
お母様はひっくり返った声を出し、ノアは驚いて、目を見開いている。
お母様はテーブル越しにおもむろにメイシーの手を取り、こう言った。
「メイシー。返事はまだ、してはいけません。曖昧に濁しておくこと。いいわね?」
「は、はい、お母様」
「全くあのジジイ……!息子にそんな入れ知恵を……!」
お母様がいつもの美しいお顔を最大限歪めてそう言った。
「メイシー……貴女が色々な意味で規格外であることを理由にして、私は貴女の淑女教育は最小限に控えていました。……でも、それではいけなかったわ」
「えっと……お母様?」
「いいこと、メイシー。……この際もう色々とすっ飛ばしますが、貴女に最終奥義を伝授するわ」
「えっ、さ……最終奥義を……?」
「女性の武器は、情報です。腕力では男に敵わない。でも頭を使って、顔はにこやかに、自分や家族を貶める人間には徹底的に対抗するの。自分がその場で最も優位に立つために、他人の情報を握るのよ」
「例えばどのような情報でしょうか…?」
お母様が侍女に頼み、部屋から大きな箱を持ってこさせた。
そして箱を机の上に置くと、周りの侍女たちすべてを部屋から出した。
二人きりになると、お母様が胸からペンダントの先の鍵を取り出し、箱にかかっていた鍵を開けた。
中身は書類のようで、箱いっぱいに紙が詰まっている。
そこから1枚の紙をメイシーに渡した。
「……こ、これは……!」
その紙にはこんなことが書かれていた。
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グリュイエール前宰相
妻・ジルヴァーナの実家に支援を受けている。総額金貨5億枚。
女にふしだら。アラヴィック伯爵家の奥方に手を出し、伯爵にバレたが、ジルヴァーナに黙っていてほしいと頼み込み、毎月金貨100枚を伯爵に支払っている。
息子2人と娘1人。
長男はギャンブル依存症。
娘は婚約者以外の男性と噂あり。
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「……お母様、これは私には刺激が強すぎる奥義ですわ」
「何を言うのです。これは、貴女のやりたがった下水道事業を進めるのに、大変役に立ったのよ?胸糞が悪いものも多いけれど…。
とりあえず、今後は人と会う前には、必ずその人物の情報を集めて、絶対に懐柔されないようになさい」
「そ、そんな……!私、これから学生生活を謳歌するつもりなのです。学園中の生徒や先生方の、このような、その、情報?を……。
私、覚えきれませんし、知りたくない情報が多すぎます!」
「いきなりは難しいかしら。ではまず、メナージュ侯爵とルデルニエ子爵の分だけでも読み込んでいきなさい」
「ええぇ……!お友達のお家の、そのような話は、知るのが怖いですわ!」
「何を言うのです!後になって知って、手遅れということもあるでしょう?」
「ですが……ですが……!あっ、そういえば私、ラグナーラ様に言われたのです!私は大変分かりやすく、表情に出る人間なので、嘘はつけない、と。なので、あまり知りすぎるのは、私には、逆に自分の首を絞めることになるのです!!」
「……それは困ったわね。やはり最終奥義の前に、様々な手練手管を順を追って教えなければ、貴女には難しいかしら……」
お母様はブツブツとそう言いながら、残念そうに紙を片付け、箱に鍵をかけた。
(お母様の情報、恐るべし……!)
メイシーは、華奢でおしとやかで、手折られればすぐに枯れてしまうような、美しく奥ゆかしいお母様に、まるで戦いに挑む武将のような激しさが備わっていることを、今日初めて垣間見た。
(お父様のご活躍の裏には、少なからずお母様の存在があったのね…)
メイシーは、お母様を敵に回してはいけない……と、心底思ったのだった。