たしなみ2-37
王宮に到着したお父様とメイシーは、談話室へと案内された。
陛下はまだ来られていないようだった。
談話室は、豪華ではありながらも、どこか親しみやすさのある空間で、王族が、親しい貴族らを呼んでもてなす場所なのかも、とメイシーは予想した。
陽の光が差し込み、開けられた窓からは風がそよそよと通り抜けてカーテンを揺らし、白い丸テーブルが陽の光を受けて柔らかく光っている。
机や窓際には見たことのない花が生けられており、壁際で待機する侍女のお仕着せも、何となく、民族衣装のような、あまり王都で見たことのない服装だと感じた。
お父様と2人、席に座って待っていると、陛下がやって来た。
陛下は手を挙げて、立たなくてよいという仕草を見せ、お父様は椅子から浮かした腰をそのまま下ろした。
陛下が事前に伝えていたのか、陛下の入室とともに、侍女たちは礼をして去って行き、部屋には陛下とお父様とメイシーの3人だけになった。
「マクレーガン侯、メイシー嬢。今日はよく来てくれた。メイシー嬢は倒れていたと聞いていたが、もう調子は戻ったのか?」
陛下の質問に、お父様が軽く手を挙げて答えた。
「本日はお招きありがとうございます、陛下。娘はまだ復調したとまでは言えません。本日はご挨拶の後、早めに切り上げていただければ助かります」
「そうか……。侯爵も、北から戻った直後だったしな。2人とも、無理を言ってすまなかった」
陛下の謝罪に、お父様は無言になった。
「では手短に。先日の王都の暴動や王宮内の騒動だが、メイシー嬢の魔術具のおかげで、かなり手際よく現行犯を捕らえられた。マヴァンも其の方の連絡のあと、捕らえることができた。其の方の貢献に感謝する」
「それはよかったです」
「倒れるまで魔術を行使させたことは申し訳なかったが、おかげで市民は救われた。ありがとう」
「そんな。私はやれることをやっただけです。ドメル先生やハイド先生が一緒に居てくださったので、頑張れました」
メイシーの言葉に、陛下は優しく微笑んだ。
「其の方はいつでも、誰にでもそうなのか?……これだけの能力がありながら、本当になんと謙虚なのだ」
「うちのメイシーは天使ですから」
「お、お父様…!」
メイシーは、恥ずかしさに赤面した。
「天使、か……」
陛下は微笑んだまま束の間、口をつぐみ、何かを思い出しているような、感慨深げな様子になった。
「我が后のカトリーヌが、結婚式の後、帝国には天使が居ないのかと、私に問うてきたことを思い出した。北の国では、天使の存在が信じられているらしい」
「天使というのは…?」
メイシーは不思議に思って尋ねた。
「さぁ。彼女は天使の正体を教えてくれなかった。北の国出身の、他の者に聞こうとしても、彼女が口止めをしてしまっていて、私にはまだ答えが分からぬままだ」
「まぁ…」
陛下は微笑んだまま、呟いた。
「其の方が我が国の天使なのだとしたら、会えば、喜ぶのだろうか」
「妃殿下とですか?……私などで良ければ、お会いできれば嬉しいです」
メイシーの答えを聞き、陛下はテーブルの上の花を見つめたまま、沈黙した。
「彼女は……カトリーヌは、人と話せる状態ではなくてね」
「……?」
「私が彼女を追い詰めたせいで、彼女は自分自身に魔術をかけて石になってしまったのだ」
「な……」
「!」
お父様は、初めて聞いた様子で、驚きに目を見開き、言葉を失った。
メイシーも、あまりの事実に衝撃を受けた。
「ずっとあのままなのか、それとも、いつかもとに戻るのか…それも分からない。私にできることは、彼女に常に光の魔術をかけることくらいだ」
「だから、王宮を離れられないと…?」
メイシーの問いに、陛下は頷いた。
「ああ。離れると魔術を行使できなくなるからな」
「そんな……」
メイシーもお父様も、衝撃的な事実に、何と言えばよいのか分からなかった。
「こうして北の国の花を飾り、北の国の衣装に身を包んだ侍女を揃えて彼女の目覚めを待っているんだが、彼女がそれを目にすることは、まだ無い。
……ジョイスは母親似だ。あいつを見ていると、カトリーヌがそこにいるような気になることがある」
陛下は薄く微笑み、メイシーに視線を向けた。
「私は、長いこと貴族派をのさばらせてきた。奴らを増長させたのは間違いなく私だ。その科は、受けなければいけない」
「陛下、それは…」
お父様が陛下に語りかけようとした。
だが、陛下は首を横に振り、お父様を制止して口を開いた。
「貴族派の悪事を詳らかにした後、私は帝位を降りようと思う」
「えっ!?」
メイシーは驚きの声を上げたが、お父様は苦い表情のまま、ため息をついた。
「私は、皇帝としての職務から、逃れたかった。……幼い頃から、なぜ自分ばかりこんな目に遭うのかと、そればかり考えていたのだ。今にして思えば、単なる甘えだと分かるのだが、10歳で帝位を継いだ当初は、とにかく全てに絶望していた」
メイシーは、陛下にそんな思いがあったことに、驚くと同時に同情する気持ちになった。
「愚かにも私は、国が荒れたとて自分には関係ないとすら考えていた。……カトリーヌに出会い、ジョイスが生まれるまでは」
陛下は遠い目をして宙を見上げた。
部屋には相変わらず心地よい風が吹き、陽の光が陛下の横顔を照らした。
「彼女は輿入れしてすぐに懐妊した。しばらくは自身の体調の変化や、慣れない帝国での暮らしに適応するのに一杯だったのだと思う。ジョイスが生まれてから、彼女は彼女なりに調べて帝国の内情を知り、貴族派を排除しようと動いたのだ」
「妃殿下が、内政に関わろうと?」
お父様が驚きに声を上げた。
「ああ。すぐに手ひどい仕打ちを受けたのだがな」
陛下は、眉間にシワを寄せて、当時のことに苛立った様子を見せた。
「貴族派の連中は、国内にまだ大して地盤のないカトリーヌに、有ること無いこと吹き込んで、精神的に追い詰めた。
……私が甘かったのだ。貴族派の家から后をとると思われていたのに、外から嫁を娶ったため、我が家からこそ后を、と思っていた貴族たちが怒り、結託して彼女を……」
陛下は拳を強く握り、言葉を途切れさせた。
「私が后以外に愛妾を囲っているだとか、貴族派と深く繋がって悪事を働いているなどと…。彼女は正義感のある女性だったが故に、そのような妄言に簡単に精神を蝕まれた」
メイシーは、ギュッと手を握り、眉を寄せ、陛下の方を見つめた。
「ジョイスを産んで1年後に、彼女は自らの手首を切って死のうとした」
「……!!」
「だが、その時は私が彼女の異変に気づいて、すぐに傷を癒やし、命に別状はなかった」
陛下は悲しげに視線を下げ、話を続けた。
「そこから数年は小康状態で、私は、彼女の傷は少しずつ癒えていると思っていた」
「私は、彼女を離宮から出さなかった。彼女が人目に触れぬよう配慮するのが一番だと考えていた。そうすれば彼女を傷つける者に対峙せずに済むからだ。
だが、それは彼女の考えとは違っていた。私が彼女を守ろうとすると、彼女は自分が王妃にふさわしくない人間だから排除されているのだと、疎外感を感じていたようだった」
陛下は、話を続けた。
「……私と彼女の溝が決定的になったのは、私が彼女からジョイスを取り上げた時だ」
(属性の試練の時かしら…?)
「彼女は皇子を自分の手で育てる仕事を取り上げられ、自分の価値を見失った。そして絶望の淵に追い詰められ、自分自身に土の魔術をかけ、石化した」
陛下の話に、メイシーもお父様も黙り込み、何を言うのも躊躇われた。
「ジョイスは、カトリーヌがどんどん荒んで、弱っていく姿を見てきた。それはつまり、私が彼女を守れなかった姿を見続けてきたということだ。あの子にとっては、私は、ただ彼女を追い詰めただけの冷酷な父親だ」
「…幸いなことに、ジョイスはオルドリッジ家の者達に可愛がられ、騎士団の者達とも絆を育み、今まで皇太子として、大きく道を外れることもなく成長した」
「私自身は、貴族派の策略に呑まれ、后を守ることもできず、息子からは厭われているがな……」
メイシーは陛下の言葉に、首を横に振った。
「良い。自分で分かっている。だが、いささか疲れた……。其の方のおかげで、最後に貴族派の悪事を明るみに出し、奴らのせいで苦しんだ者へ救済措置を取ることくらいはできそうだ。感謝している、メイシー嬢」
「陛下……」
メイシーは、何ともやりきれない表情で、陛下を見つめた。
「そこで頼みなのだが……メイシー嬢、ジョイスとの婚約の儀を早々に行ってもらうわけにはいかないか?」
「……!」
「戴冠式を行えば、ジョイスが皇帝になる。その際に伴侶が居なければ、近隣諸国からは縁組の話が今より強引に持ちかけられる」
陛下の話に、メイシーはどう答えてよいものか、躊躇った。
すると、隣で話を聞いていたお父様が口を開いた。
「陛下。そんなものはそちらでお好きに処理なされば良いでしょう。伴侶無しに戴冠式とは、貴方とて同じだったはずだ」
「それはそうだが…」
「メイシーは嫁にやりません。15までは婚約者を立てず、結婚だって、しようと思えば16でできるが、もっと後になったとしても、メイシーには全く問題ではない」
「……侯爵は娘の幸せより自分の幸せを選ぶのか?」
陛下の問いに、お父様はムッとした表情で答えた。
「メイシーが望まないうちに、そちらの勝手な都合で縁談を進めたくないのですよ。メイシーが、心から添い遂げたいと思う相手でなければ、結婚などしなくて良い。
……無礼を承知で申し上げますが、陛下こそ、勝手ではないですか?」
(お、お父様…!?)
「ジョイス皇太子殿下が仮にメイシーを望んだとしても、メイシーの意思を確認することなく縁談を進めたいだとか、ご自身の退位に合わせろだとか、虫が良すぎます。
大体、貴方は、殿下の父親として息子のことを思うなら、1日でも長く帝位に就くべきでしょう?貴方が背負ってきた苦しみは、さぞかし大変なものだったろうと想像はできます。しかし、だからと言って、放り投げて息子にやらせようなどと、それはあまりにも無責任ではないですかね?」
「お、お父様、落ち着いて…!」
「いや、メイシー。今は言いたいことを言うべきだ。
陛下。貴方は今まで貴族派に好きなようにやらせてきた。そのツケを払うのなら、貴方が、貴方自身で、帝国をまともにしたらどうですか?」
「私だって、やれるものならやっていた」
「ほう。ではいつならやれるのですか?貴族派がひとり残らず居なくなってからですか?王妃が健康を取り戻したらですか?悲運で可哀想な陛下は、いつだって不安と恐怖を抱えていて、国事を適切にこなすことはもはや不可能なのですか?
結局貴方は、理由をつけて逃げ回っているだけではないのですか?」
「……侯爵、無礼が過ぎるぞ」
陛下が苛立った様子でお父様を睨みつけた。
お父様は、憮然とした表情で陛下に向き合い、話し続けた。
「妃殿下を害したのが貴族派だと分かっていながら、なぜ何も手を打たなかったのです?」
「打ったさ。彼女に暴言を吐いた者や彼女に悪意を持って接触した者を取り調べた。しかしなんの証拠もなかったのだ」
「はっ。当たり前でしょう。言葉など何の証拠にもならん。言い逃れされて終わりだ。私が言いたいのは貴方が確固たる意志を持って妃殿下を守らなかったのはなぜかということですよ」
「……」
「私なら愛する者が傷つけられたら、偽の証拠でもでっち上げて関係者全部を牢にぶち込む。貴方はやらなかった」
「粛清をすれば、また新たな憎しみを生む。ジョイスにそんな遺恨を残したくなかった」
メイシーは、陛下の言葉を聞き、なんて冷静な方なのだろうと感心した。
「なるほど。それは分かりました。その両天秤は、貴方にとっては悩ましいですね。
……私なら怒り狂って貴族派の一族郎党を氷漬けにするところですが。そうすれば遺恨など全てなくなる」
メイシーは、想像して青くなった。
「しかしなぜ、陛下はずっと貴族派に1人で耐えようとしたのですか?オルドリッジ公爵に、なぜ国政に関わるよう指示しなかったのでしょう」
「……こんな薄汚い王宮の陰謀に、ワナンを巻き込みたくなかった」
「ほう。公爵は、ずっと貴方のためにと戦っていたようだったが?」
「ああ。10歳の時に私が言った言葉を、あいつは真に受けて、機が熟すのを待っていたんだろう」
「公爵が貴族派に与さない新しい派閥を模索して、教育に力を入れていたのをご存知だったということですか?」
「……本人に聞いたわけではない」
「知っていて、なぜ助けを求めなかったのです?彼はずっと貴方を助けようと、長いこと努力していました。2人で手を取れば、もっと貴族派を早く退けられたかもしれない」
「……ワナンとは単なる友人で居たかった」
陛下はポツリとそう言った。
「もがき苦しんでいる私のところに、飛び込んで一緒に溺れて欲しくはなかった」
陛下の言葉に、お父様は少し時間を置いて答えた。
「陛下はどうにも深い部分での人付き合いが苦手なご様子だ。信用できない面子に囲まれて、すっかり心を閉ざしておられるようだが、信用できる人間が隣りにいることは大事です。重要な何かを決断する時に力になる」
「表面的な人付き合いなら、ゴマンと経験してきたさ。統治者に深い付き合いなど、不要だ」
陛下は冷めた目でお父様を見つめた。
お父様は、片眉を上げて陛下を見た。
「やれやれ。貴方の冷静さは皇帝向きだが、人情の分からん人間にトップは務まらない。オルドリッジ公爵に魔術長官の任を与えて、ここから再スタートを切るべきだ」
お父様は、懐から紙を取り出して机に置き、陛下の目の前にズイッと差し出した。
「辞表です」
「なに…?」
「財務長官という名の肩書は、今日でお返しします。他にも環境長官やら国土長官やら、諸々兼務していますが、それらも全部。」
(そ、そんなに肩書を持っていたのね…?)
お父様は、ムッとした表情のまま、陛下を睨みつけるようにしてこう言った。
「私を宰相に任命ください。ハァ…。私が妻とゆっくりバカンスにでも行ける日は一体いつになるのやら…。
言っておきますが、私がやるからには、貴方に甘えは一切許されませんぞ。随分とぬるい環境で担がれていたようだが、そんなだから貴方は駄目なままなのだ。傷つくのを恐れて何も踏み出せない、頑固で無駄にプライドが高い、臆病な陛下」
(ひぃぃぃ!)
メイシーは陛下の顔が見られなかった。
「お喜びください。そんな陛下には、私から最初の仕事を差し上げましょう。民草の暮らしを目で見るのです。
王宮を出られない理由がはっきりしましたので、これからは王妃殿下を馬車に乗せて、どこへでも一緒に出かければよろしい。うちの馬車は揺れませんからな!」
「「……!!」」
お父様の厳しい指摘に、思わずメイシーまで背筋を伸ばした。
「まずは各地を回り、貴方の国をよくご覧ください。話はそこからだ。
それから、これは単なるお節介ですが、殿下と話をされたほうが良いのでは?貴方の精神衛生のためにも、お二人で過ごす時間を取られたほうが良いと思います」
お父様は、言いたいことを言ってスッキリした表情になった。
メイシーは、途中でかなりハラハラしたものの、最後はお父様に完全に同意して頷いた。
「お父様、さすがです!お父様なら、きっと帝国を素晴らしい国になさるでしょうね!」
「任せなさい。メイシーが望むなら実現しよう!」
陛下は呆気にとられた様子で、お父様とメイシーの会話を聞いていた。




