SIDE: ワナン2
謁見の間をあとにして以来、ワナンは色々と考えた。
アレクは、自分が幼くして皇帝になり、なんの後ろ盾もなく、誰にも頼れない状況で、一番自分が楽に過ごせる場所に傾いた。
それ自体は仕方がない気もしたし、今は機が熟すのを待つ、と言ったアレクの言葉にも、一定理解はできた。
(対立候補を待っていると言っていた。それを育てるのを「やりたければ、きみがやれ」とも)
……では、やってやろう。
ワナンは、人材の育成と聞いて、すぐに魔術学園のことが浮かんだ。
良い人材など、一朝一夕に出てくるわけではないことは十分理解しているが、だからといって何もしなくて良いわけではない。
(俺はまだ12だ。なんの力も無い、グリュイエールやマヴァンからすれば、捻り潰すのに造作もない、ただの小僧だ)
家柄は良いのだろうが、アレクを助けたいと訴えても、何の助力もできない家など、父親など、全く頼りにならない。
(俺が力をつけねば。まずはそこからだ)
ワナンは魔術の練習と研究・実験に精力的に取り組んだ。
王族の血を受け継いでいることで、魔力だけは普通の貴族より高いのが、ワナンにとっては唯一の救いだった。
とは言え、何をすればよいのか、どうすればできるだけ早くアレクの役に立つのか、ワナンに明確な答えはなく、ワナンは焦燥感を募らせた。
行き場のないわだかまりを抱えたまま魔術を行使して、公爵邸の一部を燃やしたり、庭を凍らせて草木を全滅させたりしたのは序の口で、父が、亡き先々代陛下に賜った大事な絵画を火だるまにした時、とうとうワナンは、父の手により、魔術学園に異例の特別聴講生として投げ込まれた。
それは、ワナンが15歳の秋のことだった。
ワナンはオーディン他、当時の棟官たちに様々な魔術について教えを請い、確実に知識を得ていった。
18で魔術学園に正式に入学すると、4属性をバランスよく行使した魔術具を製作し、どんどん研究者としての頭角を現していった。
(3年で学生の身分を終え、すぐに棟官になってやる。そこからは研修生を育てて、貴族派に対抗できる陣営を作る)
ワナンは、持てる力を全て、世の中の役に立つような研究や、頼もしい人材を育てることに注いだ。
そんな中、アレキサンド陛下の婚約が取り沙汰された。
「意外だったな。貴族派の家から后を取ると思われていたのに」
「北の国には、資源が豊富にあるらしいからな。我が国の騎士団は魔獣退治に歴史があるから、おおかた、北の国の資源と引き換えに、魔獣への共同戦線を敷いて、婚姻でさらに縁を結んだんだろう」
学園で、他の学生たちがそんな噂話をするのを、ワナンはぼんやりと聞いていた。
(貴族派を一掃するために、身内に貴族派など入れるものか。アレクは戦っているんだ)
翌年にはアレキサンド陛下と、北の国の姫の結婚式が行われ、ワナンも、大聖堂で行われた挙式を、遠くから眺めていた。
姫はカトリーヌという名で、とても美しい姫だった。
何となく、アレクが嬉しそうにしている気がして、ワナンはホッとしたのだった。
ワナンは、貴族派に与さない派閥がなかなか出てこないため、貴族派ではない派閥を立ち上げることも考え始めた。
(学園で得た仲間たちを誘えば、きっとうまくいくはずだ)
これまで共に学び、教え合った学園生達に話を持ちかけると、皆一様に、表情を曇らせた。
「実家が貴族派だ。親戚も全てそうだし、私だけが違う思想を持つのは、まだ時期尚早だ…」
「ワナンの考えは分かるが、どうやって貴族派に悪事を認めさせるんだ?今だって、陛下も、知っていて助長しているんだろ?」
学生たちの話を聞き、ワナンは打ちひしがれた。
(……そうか。アレクは、だから「機が熟すのを待つ」と。俺はこの約10年で、何の成果も上げていない。こうして、人一人説得することもままならない)
ワナンは、やるせない気持ちのまま、学園を出て平民街を歩き出した。
平民街は、貴族街に比べて整備が行き届かず、一言で言えば不衛生だった。
大通りを少し入れば、道端に寝そべった者がそこかしこに見られた。
そこに、掃除道具を手に道を急ぐ、1人の少女を見かけた。
少女が目の前で石につまずき、盛大に転び、バケツや箒をひっくり返した。
「大丈夫か?」
ワナンは、驚いて少女を助け起こした。
少女は泥だらけになった手を引っ込めて、ワナンに礼を言った。
「恐れ入ります。お洋服を汚してしまいますので、あまり私には触れないほうが」
少女がそう言うので、ワナンは水の魔術と火の魔術を行使した。
「水の神チャウチルトリクエ、火の神ケツァルコアトルに告ぐ。彼女の汚れを洗い流せ。そして、彼女を乾かせ」
ワナンの魔術で、目の前の少女はみるみるうちに泥と埃を払われ、綺麗さっぱり汚れを落とされた。
「わぁ!ありがとうございます!なぜ貴族の方がこのような場所にいらっしゃるのかわかりませんが…心より感謝申し上げます」
そう言って少女は、粗末な服装ではあるが、美しくカーテシーをした。
それが、ワナンと妻、フィリジアの出会いだった。
フィリジアは子爵家の出だが、魔力が少なく、財政的にも恵まれず、一家で平民に身を落としていたのだそうだ。
彼女は微弱ながら光の魔術が使えることもあり、教会で人々を治療したり、酷い状態の公衆トイレを清めに行く仕事を任されていた。
フィリジアは、ワナンからすると、驚くほど劣悪な環境に暮らしているにも関わらず、自分の境遇をカラッと笑い飛ばし、「唯一自分に役に立てることだから」と、教会に来た病や傷で弱った人々に、その少ない魔力で光の魔術を行使していた。
(人の役に立つとは、こういうことだ)
ワナンは、自分が人の役に立ちたい、と志していた研究は、真に多くの人々…それは貴族でも平民でも…にとって、役に立つのかと、恥じ入る気持ちになった。
衣食住がままならない人々が多くいる時に、いくら便利な魔術具ができたとて、意味がないのだ。
(ここでも私は、「機が熟す」ことを知らぬままで居るところだった…)
公爵家に生まれ、何不自由ない生活を送ることに慣れきっていたワナンにとって、帝国の現状を知り、貴族も平民も多くの者が助かるような方法を考えることが最も重要なのだと、痛感した出来事だった。
やがて、二人は結婚し、幸運なことにすぐに子供に恵まれた。
生まれてきた子供にはほとんど魔力がないことが分かり、フィリジアは落ち込んでいたが、魔力差のある夫婦から子供が生まれることすら奇跡だと思っていたワナンにとっては、あまり気にすることでもないと思った。
(魔力が高いとか低いとか、貴族だとか平民だとか…。そのようなことに関係なく、志のある者が報われる世の中になってほしい)
ワナンは、グレンの誕生は、自分のこの意思を試す良い試金石になるのでは、と思った。
グレンが2歳になったある日、久方ぶりに、アレクに手紙を送ってみた。
「元気か?
アレクの息子と、うちの息子は歳が近い。
これもなにかの縁だ。
幼少期にアレクと過ごした日々が私にとってかけがえのないものだったように、アレクの息子とうちのグレンにも、そのような機会を与えたい。
良ければ、ジョイス皇太子殿下とグレンを一緒に過ごさせてやれないだろうか?
ワナン」
すると、返事の代わりに、王宮から迎えの馬車がやって来て、ワナン達一家は、王宮に招かれたのだった。
10年ぶりに来た離宮は、以前来た時よりも小さく思えた。
(俺が大人になったからか)
感慨深げに緑の離宮へと足を踏み入れると、アレクがジョイスと共に木の根元で寝転んでいるのが見えた。
ワナン達の足音に気づき、体を起こしたアレクが、穏やかな表情でワナンに声をかけた。
「久しいな。息災だったか?」
「アレクこそ。会えて嬉しいよ。…カトリーヌ妃は?」
「彼女は体調が悪くてな。ほらジョイス、ご挨拶は?」
アレクは優しげにジョイスに笑いかけ、客人へ挨拶を促した。
「はじめまして。ジョイス・ゼメルギアスです」
そう言って胸に手を当てて礼のポーズを取ったジョイスは、遠くからみたカトリーヌ妃の面差しに似ている気がした。
「こんにちは、ジョイス皇太子殿下。私の名はワナン。ワナン・オルドリッジ。そして、こちらは妻のフィリジア。それから息子のグレンだ」
「グレン…」
ジョイスは興味深そうにグレンを見つめ、仲間だと判断したのか、遊びに誘った。
「あっちに虫がいっぱいいるから、とりにいくぞ」
「むし?」
「ああ。さっきあのしげみに、カマキリがいた」
「ぐれん、かまきり、みる!」
「ふふ、私、殿下の乳母たちと、子どもたちについてまいります。お二人はどうぞごゆっくり」
そう言って、ジョイスは一目散に駆けていき、その後をグレンが今にも転けそうな足取りで追いかけようとした。
フィリジアはそんなグレンの手を取り、ジョイスの後を二人で追いかけて行った。
「幸せそうだな、アレク」
ワナンがそう言って笑うと、まんざらでもない様子でアレクは笑った。
「親になるというのは、なかなか面白い体験だ」
「そうだな。俺も、生まれたてのグレンを抱き上げて、抱く最中に、何度ゲロまみれになったことか数え切れない。あんな体験、なかなかできるものじゃない」
ワナンの言葉に、アレクが可笑しそうに声を立てて笑った。
久しぶりのアレクの笑顔に、ワナンは、子供の頃の面影を探した。
「……俺は、結局お前に何もしてやれていない」
ワナンは、肩を落として呟いた。
貴族派の牙城を崩すのは、想像以上に難しかった。
奴らは味方に甘い汁を存分に吸わせているため、悪事を暴き、それを引き剥がすのは、並大抵のことでは不可能のように思われた。
ワナンの気持ちを理解してくれる者であっても、実際に手を取るかどうかは、やはり利害の関係で難しい、と断られることばかりだった。
そんなワナンが、フィリジアと共に平民街の衛生向上のための魔術具を作り、広めたことは、一定評価を受けたのだが、これも根本的な解決には至らず、その活動も、貴族たちからは『平民への施し』として、単なるボランティア活動のように捉えられていた。
(俺が不甲斐ないばかりに、アレクは…)
「なにを勘違いしている、ワナン」
アレクは、ため息をついた。
「きみには遠くから見ていてくれと言ったはずだ。きみは、変わらず私のことを見守っているじゃないか」
「………」
「私にはそれで十分だ」
アレクはそう言って少し微笑んだ。
エメラルドグリーンの瞳は、今日は優しく輝いていた。
ワナンが何か言おうと口を開いたが、言葉は出なかった。
(俺が今何を言っても、ただお互い虚しくなるだけだ)
「……願わくば、この時間を永遠に過ごしたいな。今は、父上の気持ちが少しだけ分かる気がする」
「アレク?」
アレクは、ジョイスが遠くでグレンと笑い合って遊んでいる様子を、どこか遠い目で見つめていた。




