たしなみ2-15
翌日。
朝からノアに起こされ、まだ眠い眼をこすりながら、湯殿へ直行した。
花の香油を全身や髪に揉み込まれ、湯上がりにはお肌がしっとりして、髪もツヤツヤになった。
「ノアにやってもらうと、気持ちよくてついまた寝そうになるわ…」
「だめですよ、お嬢様。これから準備がありますからね!」
メイシーが部屋に戻り、ポカポカした体を冷ましたあと、お母様がやって来た。
「うふふ。娘を着飾る楽しみが、ようやく回ってきたことに、少しは殿下に感謝するわ」
お母様はそう言って、メイシーのお化粧をしてくれた。
お母様の手つきはとても優しく、おしろいをはたいたり、目元を飾る粉やラインなど、どれも細かく調整を入れつつ、じっくりと時間をかけてメイクを完成させた。
「次は髪よ。今日のヘアスタイルは、貴女の長い綺麗な髪にとても似合うわ」
お母様は、引き続きヘアメイクも担当してくださるようで、ノアがメモを片手に凝視する横で、メイシーの髪の上半分を三等分し、しっかりと三つ編みを作り、その三本をぐるりと後頭部を覆うように配置し、何やら形を作ってくれた。
また、いつもは前髪は眉の上に流しているが、今日はきっちりと上に上げ、下がらないように固めてくれた。
ノアが髪を見て感嘆の声を上げた。
「まぁ……!!お嬢様の頭に、まるで薔薇の花が咲いたようです。三つ編みで、こんなふうに形作ることができるのですね……!」
「私、器用なのよ。侍女の髪で遊んでいるうちに、色々とできるようになったの」
お母様はそう言って微笑み、薔薇の花のハーフアップアレンジを完成させた。
「さ、ドレスを着るわよ。今日のドレスは大人っぽい、フォーマルな雰囲気を意識したの」
お母様とノアが、衣装部屋から濃紺のドレスを持ってきてくれた。
両肩・肘までが繊細な黒いレースでできており、胸元から切り替わって、やや光沢のある青い生地が続いている。腰でくびれて、ストンと足元へ裾が降りたスカートは、くるぶしが見える位置で切れており、たしかに、大人っぽい印象のドレスだと思った。
ノアに着付けてもらって、お母様とノアに振り向いた。
「……似合うでしょうか?」
メイシーが二人に問うと、ノアはわなわなして、口元を両手で押さえた。お母様も、目を丸くしてメイシーを見つめている。
「素敵すぎて危険です……!」
「予想以上ね!貴女ったら、ドレス一つで、こんなに大人の女の雰囲気になるのね……。これは陛下と殿下の表情を間近で見られないのが残念だわ」
メイシーは、少々照れながら、お母様にお礼を言った。
「ありがとうございます、お母様。陛下の前でも、萎縮しすぎず、平常心を心がけますわ」
そう言って、ニコリと微笑むと、ノアがふらついた。
「お嬢様の中に、こんなに素敵な淑女が…!」
メイシーは、ノアのその反応に、お母様と目を合わせて、うふふ、と笑い合った。
イヤリングを付け、銀色のハイヒールを履いたところで、部屋の扉を執事がノックした。
「メイシーお嬢様、殿下の従者の方がいらっしゃいました」
メイシー達は部屋から出ると、驚き、瞬きせずメイシーを凝視する執事に3人で笑いながら、屋敷の外へと向かった。
グレン様は、今日は深緑のウエストコートをおしゃれに着こなし、とても紳士的な装いをされていたのに、メイシーの登場に目を丸くして、固まってしまった。
「ごきげんよう、グレン様。本日はよろしくお願いいたします」
メイシーの声がけに、グレン様が一拍遅れて返事をした。
「……これはまた、ずいぶんと趣きの異なった装いですね。大変素敵だと思います」
「まぁ、ありがとうございます」
メイシーが王家の用意した馬車に乗り込むと、次にノアを乗せ、グレン様は外から扉を締め、ご自分は御者の隣に座られた。
そうして、お母様に見送られ、メイシーは、王宮へと向かったのだった。
王宮は、王都の北、小高い丘の上にあり、白い壁と深い青の屋根が、どこかのおとぎ話のお城のように思えた。
メイシー達の馬車が、王宮の馬車付場まで到着すると、グレン様が降りてきて、馬車の扉を開けてくれた。
「メイシー」
あの遺跡の旅以来、久しぶりに聞く彼の声は、今はなぜか甘く響いた。
メイシーは、馬車の中から手を伸ばして、殿下のエスコートを受けた。
「ごきげんよう、殿下」
そう言って、微笑みを浮かべて扉の外へと降りると、殿下がメイシーの姿に息を呑んだ様子が感じられた。
殿下はメイシーの手を取ったまま、じっとメイシーを見つめた。
「……だめだ」
殿下は眉を寄せ、頬を染めて、これ以上メイシーを直視できない様子で、そっぽを向いた。
「今日の其方は、目に毒だ。そんな、大人の色香を振りまく装いは、もっと何年も先にしてくれ」
「で、殿下……」
メイシーも頬を赤らめ、困った顔で、殿下を見つめた。
「では……殿下はお一人で向かわれますか?このまま私は帰ったほうがよろしいでしょうか……?」
「そんなことができるとでも?私だけが其方を愛でるのに、帰すわけがない。……どこか静かな場所に行こう」
「……!!」
殿下の言葉に、メイシーはさらに赤面し、俯いた。
「で、ですが……これから陛下とのお約束です。直前で取りやめなど、殿下の品位を下げかねません」
「……仕方がない。さっさと終わらせて、其方と二人きりになろう。私のことはいいが、其方の印象を悪くするのは本意ではないからな」
殿下は渋々といった様子で、メイシーに右腕を差し出した。メイシーは、殿下の腕に手を絡め、ノアを伴い、王宮へと入っていった。
殿下は、今日は軍服ではなく、黒地に金糸で刺繍の入ったタキシード風の服を纏い、黒いスラックスに、よく磨かれた靴を履いている。
正直に言えば、メイシーよりもよぼど目に毒な、とても素敵な装いで、メイシーは、殿下の姿を目にしてから、ずっとドキドキしているのだ。
赤い絨毯の長い回廊を抜けて、シャンデリアの下がる大きな回廊を抜け、いくつか扉の前を通り過ぎ、1つの部屋の前で、足を止めた。
扉を前にして、殿下はチラリとメイシーを見てこう言った。
「あの人が何を言うのか想像がつかんが、其方は気を楽にして居ればいい。必要なら私が其方を守るから」
メイシーは頷き、殿下に微笑んだ。
「頼りにしております」
「ああ」
殿下は衛兵に扉を開けさせ、入室した。
ノアは、別室に通されていった。
扉を開けると、そこは食堂だった。
大きな窓からは光が差し込み、白いテーブルクロスがかかった長い机の上には、季節の花が飾られて、明るい雰囲気を醸している。
一番奥の席には、すでに陛下が着席していた。陛下はダークブルーのロングコートに、深い赤の飾帯を肩から掛け、どっしりと佇んでいた。
陛下には、ただそこにいるだけで威厳を放つ、王たる風格を感じさせる何かがあった。
「……お前から時間を取れだなどと、一体どんな要件だ?」
陛下は、殿下とメイシーが入室するのを見ると、開口一番に、そう切り出した。
殿下は無表情に陛下に向き合い、陛下の言葉に返事をした。
「先日はお手間をおかけいたしました。私のために魔術師や騎士を派遣してくださったこと、どのような意図があったのかは分かりかねますが……。人として筋を通すため、お礼を申し上げに参りました」
そう言って殿下は、じっと陛下を見据えていた。
「そんなことを言いに、わざわざ?……本当にお前はあのジョイスなのか?一体どういう風の吹き回しだ」
陛下は、驚いた様子で殿下を見つめ、顎髭を触った。
そして隣のメイシーに目を向けた。
「マクレーガン侯爵令嬢だな?」
「は、はい……。マクレーガン侯爵家が長女、メイシー・マクレーガンでございます。どうぞ、以後お見知りおきを」
メイシーは、殿下の隣で礼のポーズを取り、頭を下げた。
陛下はすぐに頭を上げるように告げ、殿下に声をかけた。
「……ジョイス。今日彼女を連れて参ったのは、やはり彼女に決めたということか?各所で噂だけは耳にするが、こうして対面するのは祝勝会の日を除けば初めてだ」
「いずれ正式な場を設けるつもりですが、良い機会なので同伴いたしました。陛下には、事前にお耳に入れておきたく」
「ほお……?」
陛下は、面白いものでも見るような表情で、殿下とメイシーをそれぞれ見つめた。
(せ、正式な場って、なに……?それに、今日は殿下と陛下の親子のランチなのでは……?この緊迫感は何なの……??)
メイシーは、自分の考えが全く不足していることに、気が遠くなった。
「私がいくら縁談を勧めても頑なだったジョイスが、一体どんな令嬢を選ぶのかと思えば。まぁ、侯爵の後ろ盾を選んだということは、お前の治世は安泰だろう」
「……侯爵は今は陛下の忠実な臣下です。彼は今まさに、陛下の御世で尽くしています。私は別の方法で、国の発展を目指します」
「侯爵の後ろ盾など要らぬと?娘を大層可愛いがっているあの男が、娘の嫁ぎ先に目をかけぬことは考えにくいが。……まだまだ青いなジョイス。お前は人心を掌握する術をもっと学ばねばなるまい」
「……ふ。后に愛想を尽かされれば、後ろ盾などあってないようなものかと。私は私のやり方で、国を治めてゆきます」
殿下の言葉に、陛下は目を細め、顎を撫でて、ニイッと笑った。
「その顔で言われると、まるでカトリーヌに責められている気分だ。アレの直情型なところまで似てしまっては、お前に国は治められんぞ?清廉潔白なだけでは、王など到底務まらん」
「お言葉、ありがたく頂戴いたします」
殿下はフン、と不機嫌に陛下にそう言って、メイシーの背をそっと押し、退室の気配を見せた。
「待て待て、ジョイス。私はぜひマクレーガン侯爵令嬢と話がしたい。お前は去っても良いが、彼女はしばし置いていけ」
メイシーは、目を丸くして隣の殿下を見た。
殿下は無表情ながらも、纏う空気を冷たくして、陛下を見据えた。
「私も残ります。彼女はまだデビュタント前のご令嬢ですので」
「それは心得ている。多少のことは大目に見る気でいるのだが?」
「……私が居たら、何か不都合でも?」
何故か陛下と殿下は、目には見えない火花を散らしているように見えた。
(どうしてこうなるのかしら……?)
メイシーが困惑するうちに、二人は昼食の席へと通され、殿下もメイシーの隣に席を移動させた。
長いテーブルのお誕生日席が陛下で、陛下の右手の最寄りにメイシー、メイシーの右隣に殿下、という席次だ。
陛下を挟むように組まれていた席を、わざわざ殿下が移動させたことに、陛下は呆れたように笑っていた。
「なんとまぁ……。お前、くれぐれも、彼女に愛想を尽かされぬようにせねばな?」
「私の心配は無用です。陛下はご自分のご心配をなさるのがよろしいかと」
陛下の言葉に、殿下はツンとした感じで対応している。
メイシーは、二人の間に挟まれ、どうしたら良いのやら、かなり困惑していた。
「さて、メイシー嬢。其の方は、新しい魔術具の開発が得意なのだな?祝勝会で申しておったことが全て真実だとすると、其の方はほんの子どものうちから開発に携わっていることになるが……何をどのように思いついたのだ?不思議で仕方がなくてな。本人に聞く機会がないものかと思っておった」
メイシーは、少し思案して、陛下の質問に答えた。
「私は5歳から、魔術について学び、自ら魔術具の開発をしておりました。王都の衛生状態の向上は、当時の私にとってはもう、喫緊の重要課題でして……。
あの、お食事中にするお話ではございませんが……。街中が、その……異臭だらけで、とても生きた心地がしなかったのです。なぜと問われると、それを解消したかったからにほかなりません。
幸いなことに、父の協力を得られましたので、私が下水道整備の素案を作り、街への視察や下水管の試作などを繰り返して、工期や人件費を試算し、父とともに実行に移しました。
父は、子どもの私ではできない、貴族同士の折衝や、整備に必要な法案の策定などに奔走してくれました。私が成したことはほんの僅かです。
……父は本当に大変だったと思います」
メイシーは、黒歴史の混じる当時を思い出しながら、少々苦い気持ちになりつつも、陛下にできるたけ簡単に説明した。
陛下は感心したような表情になった。
「侯爵令嬢なら、自宅周辺だけ浄化していれば良いと考えそうなものだが、なぜわざわざ王都全部の整備を考えたのだ?」
陛下の問いに、メイシーはキョトンとした。
「貴族だからと言って、皆自宅から出ないのですか?貴族だろうが、平民だろうが、皆で同じ空気を共有しているのですから、気付いた人が、きれいにすれば良いと思ったのですが」
メイシーの答えに、殿下はそっとメイシーの手を取った。
「メイシーに貴族の考えなど聞かせる必要はありません。彼女は自分の倫理観のもとで自由に行動するのが一番なのです」
「はは!余計なことを言うな、と。そうかそうか…。お前の変貌ぶりに、俄然メイシー嬢に興味が湧いてきた。さ、他の魔術具についても聞かせてくれ」
殿下は、陛下のその言葉にうんざりした表情になった。




