SIDE: ジョイス
近頃、メイシーへの感情を持て余している自分が居る。
(……苦しい)
恋とは、こちらの想いと同じだけ、相手の想いが感じられないと、こんなに辛く、苦しいものなのか。
女一人に入れ込むなど、想像もつかなかった時の自分に教えてやりたい。
(私がメイシーに抱く愛は、メイシーが私に向ける好意より、深くて苦しい)
あの闇の神の神殿の壁画には、闇の神には、ありとあらゆる欲望に応えられる力がある、そんな絵が描かれているように見えた。
あの壁画を見つめていると、ジョイスは、古代の人々が、己の欲望を満たすために神の力を利用していたことへの嫌悪感を抱くと同時に、簡単にこの恋の苦しみから解放されれば、どれだけいいだろうか、と想像する自分が居て、自分の穢らわしさを露呈させられた気がした。
(あの部屋からは、闇の魔力が感じられた。……闇の魔術を振るわれると、度々こうなってしまうのは、どうにかできないか)
ジョイスは、闇の魔力に当てられた、ぼんやりした頭を振って、ふらふらと起き上がり、上着を着て外へ出た。
(……メイシーが悪いのだ。あんなに愛らしい笑顔で、私のことが知りたいなどと言うから)
メイシーは時々、ドキッとするようなことを言う。
彼女の近くに居ると、彼女のほんの一言や、些細な仕草で、たちまちジョイスは彼女に翻弄される。
(大切にしたいと思うのと同じくらい、私のことを理解して、全て受け入れて欲しいと思ってしまう)
……またメイシーを怒らせてしまった、と、ジョイスは気落ちした。
辺りは静かで、夜警にあたる騎士たちが、ポツポツと点在しているだけだった。
何となく、足があの神殿の方へ向かった。
神殿の前には騎士がおり、ジョイスに気づくと胸に拳を当てた。
タンッと跳躍し、神殿の真上に飛び、上空から神殿を眺めながら落下した。
月の光と松明のゆらめきに照らされ、ぼんやりと輪郭が見える闇の神の神殿は、森に守られるように鎮座していた。
神殿上部には、ジョイスが空けた空洞があり、騎士が1名、見張りで立っていた。騎士は、上空のジョイスに気がつくと、近づいてきた。
「中に、先程マージー教授が入っていかれました」
騎士はそう告げると、またサッと元の位置に戻った。
(彼は何を調べているんだ?)
単純に疑問を抱いたジョイスは、騎士の言葉に頷くと、中へ入っていった。
中は乾いて息苦しい。
メイシーがあの時に渡してくれた魔術具のマスクのことが思い出され、また胸が疼いた。
(……メイシーはいつも、誰かの役に立とうとふるまう)
騎士たち全員に湯を配ったり、天幕で騎士たちを労い、感謝を伝えたりなど、おおよそ普通の侯爵令嬢らしからぬその行動は、誰に言われたわけでもなく、彼女自身が望んでしていることだ。
彼女が下水道整備の本当の提唱者だというのも、祝勝会のあと、改めてレナルドに聞き、胸を打たれた。レナルドが娘を溺愛する気持ちも、理解できた。
(仮にメイシーなら、たとえ魔力がなかったとしても、その状況でできることを考え、人の役に立とうとするのだろうな……)
そんな彼女だから好ましく思うし、仲間や周囲の人々に愛され、人々と笑い合う彼女は、輝いて見えた。
(でも、私は……彼女を自分だけのものにしたい)
どうすれば自分のものにできるのかなど、見当もつかない。そもそも、メイシーは動かぬ『もの』ではないのだ。
野に咲く可愛らしい花を手折って持ち帰れば、花は萎れ、手に入れたはずのきらめきは、たちまち失われる。
空を飛ぶ美しい小鳥も、捕らえて籠に入れられれば、すぐに弱り、儚くなるだろう。
自分がメイシーを欲するのは、そうやって彼女の羽根をもいで鎖で繋ぎ止めるような、そんな横暴なやり方ではない。
………でも、本当は、メイシーにあの剣を送られた時に、彼女が自分の命すら顧みずにジョイスを助けようとしたことに、不安も感じたが、一方で、湧き上がる歓喜を感じたのも事実だった。
彼女は、自分に全てを捧げてくれる。
そう感じられた気がしたから。
(……私が彼女を望めば、こんな極端な表現でしか満足できなくなるのか?これではただの支配欲だ。私は……)
彼女に笑って欲しい。
できれば、そばで、ずっと。
そう頭で思ってはいても、メイシーを困らせたり、怒らせたりしてしまうたび、メイシーを求める自分は、果たして正しいのだろうかと、疑問に思ってしまうのだ。
ジョイスは、メイシーとの間には大きな溝があって、自分が彼女に抱く欲望と、彼女が自分を想う気持ちは、どこまで行っても交わらないように感じられた。
彼女を知るにつれ、ジョイスは坂道を転がるように彼女にのめり込む一方、彼女は学園で着々と世界を広げ、さらには、これからどこか自分の知らない場所へ羽ばたき、たちまち自分から離れてしまうのでは、と感じられた。
(望めばすぐに手に入ると、必ず手に入れると、思ったのに)
火の魔術の灯りしかない、暗くて狭い下降する階段は、普段考えたくないと思っていることを、暗闇に炙り出すようにして思い起こさせる。
思考が定まらないうちに、ジョイスはあの壁画の前にたどり着いていた。
「……こんな夜更けに、どうなさった?」
ハイドは、手元の光の魔術で照らしながら、壁画や、その周辺を見ていた。どうやら足音で、ジョイスが来るのがわかっていたようだった。こんなに暗い場所で、いつものようにフードを目深に被り、検分に支障はないのだろうかと、不思議に思う。
「……其方、なぜ私にあんな問いかけをした」
「なぜって?」
ハイドは手を止めて、ジョイスを見た。
「其方は、何を知っている?この壁画を見て、何を掴み取った?」
ジョイスは、訝しげにハイドを睨んだ。
ハイドは、フードをゆっくりと取り、ジョイスに向き合った。
暗闇を照らす火の魔術がゆらめき、ハイドのオッドアイが妖しげにきらめいた。
その黒と金の目は、闇と光が共存するような、まるで二つの神の化身だと言われても不思議ではないような、印象的な目だった。
「その目……。其方は…」
ジョイスは驚いた。
金と黒のオッドアイ。それは、伝承の中で知っている、ある一族の特徴だ。
「オレは古王国の、王族の末裔だ。……遠い昔に、滅んだはずの、な。オレは、オレ自身のために、古王国のことを調べている」
そう言って、ハイドは壁画に手を付き、極彩色の中に描かれた、白と黒の模様の辺りを撫でた。
「なぜ古王国は滅びなければならなかったか、こうして遺跡を見れば、理由がよく分かる。古王国は、魔術の力に傾倒しすぎた。行き過ぎた信仰が、王族を自滅へ導いた。……だから、貴方達が同じ道をたどろうとしていることが、残念でならない」
「どういう意味だ?」
ハイドは黒と金の瞳を思案げに動かし、ジョイスの方に向けた。
「……皇帝は貴方に、闇の魔術の儀式を行わせた」
ジョイスは目を見開いた。
「それは古王国の王たちが、かつて喜んで行ったものだ。……ここまで言えば、わかるよな?」
ハイドの話に、ジョイスは言葉を失った。
「全属性を得る代わりに……貴方は自分の命の一部を、闇の神に捧げた」
ハイドが、黒と金の目を向け、射るような視線でジョイスを捉えている。
そして、眉を少し下げ、憐れむような表情を見せた。
「……馬鹿なことを」
ハイドがため息をつき、呟いた。
その一言に、ジョイスが苛立った。
「なにを……。知ったような口を利くな」
ジョイスは、ハイドに明らかに憐れまれたことが、癪に障った。
(何を探っていたのかと思えば、まさかそんなことを)
あまりに見当違いな推論に、ジョイスは否定するのも面倒くさくなった。
それに、これまでの自分の、あの血反吐を吐くような日々が、そんなもので片付けられてたまるか、と、無性に腹が立った。
怒りから、ジョイスの周りにゆっくりと魔力が漏れ始めた。
「オレを睨んだところで、何になる?貴方のその呪いが消えるわけではない」
「……呪いなど、私には関係ない」
ジョイスの発言に、ハイドは、何とも言えない表情を浮かべた。ジョイスには、ハイドがまた自分を憐れんでいるように感じられ、さらに苛立ちが募った。
ハイドがジョイスを見つめてこう言った。
「貴方は、どういう気持ちであの娘に関わっている?」
ジョイスはハイドのその言葉に、固まった。
「あれは善良な娘だ。………貴方は、男として彼女を幸せにできるのか?」
ハイドの真っ直ぐな問いに、今度は鉛のように重たい何かが、ずしん、と胸に積もった。
「……王の墓の埋葬品は全て外へ運び出した。儀式場には、大した宝などない。ここは……なくしてしまったほうがいいと思う」
ハイドは、そう言ってジョイスの側を通り抜けた。
「オレはこの神殿のことを口外するつもりはない。闇の魔術で無に還すなり、土深くに埋めてしまうなり、貴方の好きにしたらいい。……オレは、貴方達が護るこの国の安寧を願っている」
ハイドはフードを被り直し、来た道を戻っていった。
ハイドが去ったあと、しばらくその場に佇んでいたジョイスは、ゆっくりと顔を上げ、目の前の極彩色の壁画を見た。
青い色で描かれた闇の神の化身が、黄色や赤、緑で描かれた様々な人々の欲望をはるかな高みから見下ろしている。真ん中には白と黒の模様が円形に広がり、何かの世界観のようにも見える。
ふと、魔が差した。
中に何があるのか、見たくなった。
(……全属性を、そんなに簡単に得られるのなら、なんと都合が良いことだ)
壁画の中央、白と黒の模様のあたりに手を付き、魔力を込めた。
ーーーービシッ!!
掌から放射線状に亀裂が入り、ポロポロと細かな破片が頭上から降ってきた。
ーーーービシッ!ドッ!!
さらに魔力を込めると、亀裂は深まり、耐えきれずに一部が崩落し、壁の向こうの闇が見えてきた。
ーーーガラガラッ
分厚い壁は音を立てて崩れ、土埃が舞い上がった。
目を凝らして壁の向こうを見ると、闇の中で何かが蠢いているように感じられた。
そこへ光の魔術を放ってみたところ、闇に紛れていた二つの双眸が一瞬反射した。
「何だ?」
ボゥ……
目は金色の光を帯びて、同時に獣の声が聞こえた。
「グルルルル………」
ジョイスが剣に手をかけると同時に、闇の中から、見たこともないほど大きな青いジャガーが素早く飛び出してきた。
ジョイスは瞬時に剣を振り、その黒黒とした牙を剣で薙ぎ払おうとした。
「な……!」
確かに急所を狙ったはずなのに、剣が刺さる感触はなく、まるで空を切るように剣が空振った。
青いジャガーは、それが分かっていたかのようにジョイスめがけて突進し、左肩に噛みついた。
「ぐっ!」
牙はジョイスの肩に深く食い込み、ジョイスは右によろけた。鋭い痛みに顔を歪めたジョイスは、しかし咄嗟に光の魔術を獣めがけて放った。
獣は光を嫌がる素振りでジョイスから離れたが、それも一瞬のことで、またジョイスに飛びかかってきた。
(剣が通らない。実体がないのか?)
ダランと左腕を垂らし、ジョイスは飛びかかる獣を避け、奥の暗闇に目を向けた。
(あちらに仕掛けがあるのか?)
ジョイスは自ら壁の向こうの、暗闇の中に身を投じた。
「光の神テクシステカトルに告ぐ。全てを照らせ」
ジョイスは昔のクセで、つい詠唱をしてしまった。
(……父上の試練に比べれば、こんなもの)
光はあたり一面を照らし、極彩色の絵が上下左右、全てに隙間なく描かれているのが見えた。
その中で、そこだけ、まるで抜け出たかのように絵が欠け落ちた箇所を見つけた。
入口の右側、壁の中央だ。
(なるほど、すでに私は、闇の魔術の錯乱にかけられている状態だ。実態のないジャガーに攻撃をされているのは、錯乱のせいか)
闇の魔術の錯乱にかかったときは、術者を倒す・術を解かせる、もしくは原因の魔石を壊す以外に錯乱を解く方法はない。
ジョイスは、抜け落ちた絵の部分の壁が怪しいと踏んで、壁に向かって土の魔術を行使した。
壁は中心から、砂となってサラサラと崩れだした。
青いジャガーが、ジョイスに再び襲いかかってきた。
(斬り伏せられないなら逃げるしかない)
ジョイスは飛び退き、ジャガーから距離を取ろうとした。しかしジャガーはそれを見越していたかのように、ジョイスのいる方へ素早く方向転換し、黒い大きな爪を振りかざした。
爪はジョイスの上着を裂いたものの、ジョイスには届かなかった。
(あの場所に魔石はないのか?)
ジョイスは獣から逃げながら、視線を壁に移した。崩れた壁の中には、特に何も埋まっている様子はない。
部屋には壁以外は何もなく、手がかりが掴めそうもない。
(闇の魔術を使うか)
獣から逃げながら、闇の魔術で探索をするのは、少々骨の折れる作業だが、この状況でそれ以外の方法が思い浮かばなかった。
「闇の神テスカトリポカに告ぐ。部屋を探れ。魔石を見つけろ」
ジョイスの両腕からサァッと闇のモヤが生み出され、壁面をスルスルと覆った。
と、同時に、獣がジョイスの闇で隠れて見えなくなった。
「殿下」
「……!?」
獣がいた場所から、声がする。
手に入れたくて仕方ない、あの娘の声だ。
「殿下、力がほしいのですか?」
闇が薄れ、あの祝勝会の時のドレスを着たメイシーが現れた。
誰もが目を見張り、その美しさに息を呑んだあの姿は、今はジョイスだけのものだ。
自分の瞳と同じ、エメラルドグリーンのドレスに身を包まれ、メイシーが自分に微笑みかけてくれている。
「この闇の中では、どんな力も叶います。貴方はどのような力を望むのですか?」
「……」
「貴方の望みを教えて?」
そう言って、メイシーはゆっくりこちらに歩いてくる。
「……そう。貴方は、私を望んでいるの?」
メイシーは、ジョイスの側に立つと、艶めかしい表情で身を寄せてきた。
細い指でジョイスの頬をするりと撫で、首に手を回し、妖艶な笑みを浮かべ、顔を近づけた。
ジョイスは、分かってはいても、この甘美な闇の魔術を止めたくなくなった。
メイシーは、目を閉じ、ジョイスの唇にそっと触れ、口づけをした。
「私が貴方に力を授けます。全てを薙ぎ払う、力を」
その言葉に、ジョイスの手の中の剣が鈍い輝きを放った。
「その代わり、貴方は私に、全てを捧げて……?」
そう言って、メイシーはもう一度口づけ、ゆっくりとジョイスを後退させた。
ジョイスが後ろの壁に背をつくと、メイシーはジョイスの左手を取り、頬に触れさせた。
「我慢しないで。私が欲しいのでしょう?」
体から急速に魔力が抜けていくのを感じ、抗う力はどんどん削られていく。
(……メイシー)
ジョイスは、闇の中で目を閉じた。




