たしなみ2-6
ハイド先生は、壁画をじっと見つめ、壁画に描かれたものの意味を考えているようだった。それから、殿下が壁画に見入る様子を、静かに見つめていた。ハイド先生は殿下に話しかけた。
「先程貴方が感じたのは、この壁の先の何かかもしれない。……貴方は、ここから先に進むことを望むか?」
「……なに?」
ハイド先生の質問に、殿下が不可解だ、という雰囲気で返答した。ハイド先生は、フードの奥から、その殿下の様子を、探るように見つめていた。
(ハイド先生は、何を仰っているのかしら?)
メイシーには、ハイド先生の質問の意図がよく理解できず、黙って見合っている二人に声をかけた。
「ハイド先生、入るのに躊躇う理由があるのなら、一旦引き上げますか?北にも遺跡がありましたし、ここで足踏みするよりも、他の場所で、できる作業を優先いたしませんか?」
メイシーの言葉に、ハイド先生は肩をすくめて答えた。
「それもそうだ。一度外の空気を吸おう。北の遺跡群は、ここよりもさらに広範だからな。先にそちらから片付けるとしよう」
ハイド先生は、そう言って踵を返し、さっさと来た道を引き返していった。お父様は、殿下の方を気にしながらも、ハイド先生について行った。メイシーも、お父様のあとを付いていこうとしたが、殿下が動かないので、少し待つことにした。
殿下は、壁画の前で、メイシーに背を向けたまま、じっと動かなかった。
「……殿下、どうかされましたか?」
メイシーは、しばらく殿下を待ったものの、動く気配がなかったので、殿下の背に向かって声をかけた。
「……何でもない。行こう」
殿下はそう言って、メイシーの方へ歩み寄った。見上げた殿下のエメラルドグリーンの瞳は、少し遠い場所を見ているような、何となく、いつもより近寄りがたいような印象を受けた。
外へ出ると、騎士たちは、持ってきたロープを入口付近から下に向かって次々と杭で打ち込み、次に入口に入る時の補助になるよう、作業を始めていた。
お父様とハイド先生は、すでに建物を降りて、北にある別の遺跡に向かって二人で歩いていた。
「殿下、大丈夫ですか?お顔の色が優れませんが……」
メイシーは、外に出て、日の光の下で見た殿下の顔色が、何だか先程より血の気が引いた感じに見え、心配になった。
「大丈夫だ」
そう言った殿下は、やはりいつもとは違う様子だ。メイシーは返事を聞いても心配な気持ちは変わらなかったので、提案をしてみた。
「……光の魔術を行使してもよろしいですか?」
メイシーはそう言うと、殿下の前で手を組んだ。殿下の無言を肯定と受け取り、メイシーは目を閉じ、祈りを込めて光の魔術を行使した。
「光よ、温かな春の日差しのように降りそそぎ、殿下の心と体に、穏やかな癒やしを」
メイシーの言葉に、細かな光の粒が螺旋を描いてメイシーから飛び出し、殿下の周りで、ゆっくりと溶けるように光を広げて、消えていった。
「……其方の魔術は、安心するな」
「お役に立てたなら、良かったです」
殿下はメイシーの魔術に、少し顔色を取り戻したようで、微笑を浮かべた。
殿下のその様子に安堵し、メイシーも笑い返した。
「其方の愛を感じる」
殿下は優しく微笑んで、そっとメイシーの左手を取り、指先に軽くキスをした。
「………!!!」
メイシーは、殿下の言葉と行動に、ボボッと顔を赤くすると、殿下から目をそらしてそっぽを向いた。
「メイシー」
殿下は、後ろからメイシーを包み込むように抱き寄せた。
「私のことが心配なら、今はしばらくこうして居てくれないか」
耳元から、いつもより弱気にも聞こえる殿下の声がした。
(殿下……?)
殿下とメイシーは、そのままそこに腰掛けて、しばらくの間、二人で遺跡の上から景色を眺めていた。
その後メイシーは、ハイド先生の指示のもと、北の遺跡群の周りの土を広範囲で掘り返し、埋もれてしまっていた遺跡の一部を露出させたり、鬱蒼とした茂みが遺跡を隠している部分を、風の魔術で草刈りして遺跡が外から見えやすいようにしたり、といった作業を進めた。
殿下は外側から闇の魔術を行使し、内部に罠などの危険がないか探ったり、風の魔術で中に溜まった砂を押し出したりした。
お父様は得意の水の魔術で、メイシーが露出させた遺跡を洗い流したり、遺跡内部のハイド先生に呼ばれて、中にある遺物を洗浄したりしていた。
夕暮れ。
日が落ちてきたので、騎士たちが松明を付けて回り、遺跡周辺を照らしてくれた。
ハイド先生は皆の今日の働きを労った。
「ここまで魔力の高い方々との調査は初めてだが、これほど作業が早いとは思わなかった。感謝しかない」
なんでも、魔術具では威力が弱かったり、すぐに使えなくなることもあるし、今日の作業は、普通の魔術師にとっては、何日もかけてやる作業だらけだったらしい。
メイシーは、ハイド先生の作業のお役に立てたことに安堵し、殿下が来てくれたことで、さらに作業が加速したことに、とても感謝した。
ハイド先生は、携帯食料と水を荷物に入れると、これから明け方までは、1人で作業に当たると告げ、北の遺跡群のほうへ戻っていった。
「本当に大丈夫なのでしょうか?」
メイシーは、ハイド先生の働きぶりに感謝しつつも、夜通しの作業が数日間も続けられるのか、不安になった。
「ご本人はこのような作業は慣れていると言っていたが……。さすがに休息なしというわけにもいかないだろうな」
お父様も、メイシーの言葉に同意した。
「お父様、ハイド先生と一緒に遺跡を回られている間、何かお話されたのですか?」
「ああ。彼はこれまでにも各地で遺跡を発掘したり、古文書や遺物から、古王国に関する情報を集めていると言っていたよ。今回の遺跡は、その彼の経験からも、かなり貴重な遺跡に違いないとのことだった」
「そうなのですね。ハイド先生がそう仰るのでしたら、道路の敷設は、やはり……」
お父様は、メイシーのその言葉に、そこまで落胆する様子はなかった。
「道路はこの場所を迂回する形で建設することになるだろうな。資金の問題があったが、それも何とかなりそうだ」
お父様はそう言うと、上着のポケットから、何かを取り出してメイシーに渡した。
「これって…」
手の中の物はチャリチャリと音を立ててこすれ、キラキラと輝いていた。
「北の遺跡群は、古王国の王族の墓だった。埋葬品は、このような金貨や魔宝石に溢れていたよ」
「すごいですね……!」
メイシーは、100円玉くらいの大きさの魔宝石のきらめきに見入った。
「これまで盗掘に遭わず、こうして我々が財宝を発見できたことは、僥倖だった。迂回工事の資金や、工期が遅れる件を北の貴族たちに補填する分を差し引いても、お釣りがくるくらいの量だと、マージー卿と話していた」
「まぁ……!」
お父様は、心配事が減った様子で、表情が明るかった。
メイシーがお父様とおしゃべりを楽しんでいると、ノアが野営地からやって来て、そろそろ夕食の支度が調ったと教えてくれた。
殿下はやはり体調が良くないようで、夕食には来ず、天幕の中で、先に休まれているとのことだった。
(お昼間、顔色が悪かったもの。その後も、もしかしたら無理をなさったのかしら……)
メイシーは、殿下のことが気にかかった。
夕食後、メイシーは自ら水の魔術で大きな盥いっぱいに湯を満たし、露天風呂気分で湯浴みした。
ノアにももちろん盥いっぱいの湯を出したし、騎士たちにも必要かと、声をかけてみると、皆が目を輝かせて、自分たち用の盥を持ってきて、湯を持って行った。
騎士たちからは「こんな野営初めて……!」と、感動の声が上がったのだった。
メイシーは、騎士の方にお礼を言いたいと告げ、騎士の天幕まで案内してもらった。
「重たい天幕をここまで運んでくださり、私達の護衛もしてくださった皆様、ありがとうございました。お湯でこんなに喜んでいただけて良かったです!」
メイシーが騎士たちに感謝を伝えると、騎士たちからは、歓声が上がり、拍手が起こった。
昼間はあまり話す時間もなかったので、騎士たちと交流を持てる時間が来たことに、メイシーは少しわくわくしていた。
(皆さんは普段はどんな訓練をしているのかしら?ドメル先生や殿下のお話も、聞けるかなぁ)
そう思い、騎士たちの天幕で、勧められるまま腰を下ろそうとした時、背後からガシッと左肘を掴まれた。
「なんの真似だ、メイシー」
不機嫌な殿下の登場に、騎士たちが明らかに顔色を悪くした。
「殿下?あの、お休みになられたのでは……」
「騒がしいので来てみれば……。なぜ其方がここに居る?」
「えっ?お湯をお出ししたら、喜んでいただけたので、私からも本日のお礼をお伝えしたく……」
「私の許可もなく、メイシーを天幕に連れ込むなど、断じて許せん。……お前ら全員、魔獣のエサにしてやろうか?」
殿下の言葉と威圧感に、和気あいあいとしていた天幕内が、一気に氷点下以下になり、騎士たちがブルブル震えて俯いた。メイシーは殿下に向き直り、訴えた。
「殿下、皆様にお礼を言いたいと勝手なお願いをしたのは私です。お怒りなら、私に仰ってください」
「……来い」
殿下はイライラした様子で、メイシーの腕を掴んだまま騎士の天幕をあとにし、そのまま二人で殿下の天幕までやって来た。
天幕に入ると、殿下は無言でメイシーの腕を離した。
「……気に障ることをしたなら、申し訳ございません」
「男だらけの天幕に一人で乗り込むなど、其方は無防備過ぎる」
「あら……。すみません、そんなふうに考えもしませんでした。騎士の方々は、殿下のご兄弟で、ご家族のようなものかと」
「……」
「私よりずっと長い時間を共に過ごされた方々でしょう?てっきり、家族のように信頼し合っている間柄だと信じておりました」
「……ハァ。わかったぞ。其方がそういう論法で来るなら、私は其方を責めにくい」
殿下は呆れたような、毒気を抜かれたような表情になり、どかっと床のラグの上のクッションに座り込んだ。
「私、殿下の普段のご様子を知る良い機会かと思い、騎士の方々と交流を持ちたくなりました」
「そんなもの、聞く必要はない」
殿下はやはり不機嫌に、メイシーの意見を切り捨てようとした。メイシーは、なにかまた殿下が格好つけたいポイントがあったのかな?と想像し、少し可笑しくなってなってしまった。
「殿下のことを知りたかったのです」
メイシーがにこにこしてそう言うと、殿下は急に真顔になり、こちらに来るようにと手招きした。
殿下のいつにない真剣な表情に、メイシーは、どうしたのだろうと不思議に思い、殿下に近付き、腰を下ろした。
「やはり其方は無防備過ぎる」
「え?」
そう言って殿下はメイシーを抱き寄せ、顔を近づけた。
「………!!!」
メイシーは、ギュッと固く目を瞑った。
唇に軽くキスをされた感触があった。
「あまり私を誘惑しないで欲しい。其方の貞操を保証できなくなる」
「………!!??」
メイシーはその言葉に、驚いて目を見開いた。誘惑など、全く身に覚えのないメイシーは、至近距離にある殿下の欲情混じりの視線に耐えられず、殿下から距離を取ろうと身じろぎした。
「だめだ。逃がさん」
殿下はメイシーをクッションの山に押し倒し、上から見下ろした。
「其方は、私にばかり苦しい思いをさせる」
「そ、そんな……!」
「少しは付き合え」
「………っ!」
殿下はメイシーの胸元から首筋までゆっくりと口づけて移動し、メイシーの左の耳たぶを甘咬みした。
「……やっ」
メイシーが怯えて抵抗すると、殿下の目は、より獰猛さを増し、口元に不敵な笑みを浮かべた。
「だ、駄目です、殿下」
殿下はメイシーに胸を押されてもびくともせず、メイシーの煩い口元を黙らせるように、熱い唇で蓋をした。
「……っ」
メイシーは、このまま流されてはいけないと思い、渾身の魔力を殿下にぶつけた。
「……っ、水よ!!!」
ーーーバッシャ〜〜〜ン!!!
殿下めがけて大量の水が放出された。
ついでに水は氷点下ほどの、氷水だ。
殿下が水に流されてひるんだ隙に、メイシーはサッと起き上がって天幕の出口へと向かった。
「貴方は頭を冷やしてください!」
メイシーは真っ赤な顔でそう言い捨てて、一目散に天幕を出て、自分の天幕まで駆けていった。




