たしなみ4
ドメル先生の研究室は、第1研究棟の4階の奥にあった。
扉を開けた先には机や本棚がある書斎のような空間が広がり、入って右側の扉の奥は実験室だ。
ちなみに2、3階は生徒たちの個別の研究室や合同研究のための部屋が並んでいて、4階は主に教職員用のフロアらしい。
「第1研究棟は主に土の魔術に関する研究を行っている。各研究棟には責任者……棟官がそれぞれ配置されていて、ざっくり言えば、棟官は将来性が期待される研究を担っている。
2、3階の生徒たちは、教育を受けながら、棟官の研究のスタッフとして駆り出されることがある」
ドメル先生は執務机の手前のソファに腰掛け、メイシーにも向かい側に着席を促して語りだした。
「君の入学時の研究論文を見て、着眼点の鋭さに驚いた」
「ありがとうございます」
「扇風機…風を人工的に作り出し、部屋などの匂いを散らすのだったな?」
「左様にございます」
(石像を壊しかけたことを怒られるのかと思ったら、よくわからないけど褒められたわ)
この世界では「空気」という概念がまだよくわかっていないようで、風の動きには神の意思が宿っていると信じる人もいる。
お父様に扇風機を見せたときに、他の人に見せてはいけないと言われて説明された話だ。
この論文を書くときも、お父様のアドバイスで、神の逆鱗に触れないようにこのように対処した、とか、現代人には少々理解しづらいことも書かされた。
メイシーは「空気」をすべて「動いていない風」と書いて、どうにか論文を書き上げた。
「実験の最中、嗅ぐと体調を崩したり、最悪死に至るような匂いがありましたので、部屋から動かない風を追い出すために、扇風機を作りました」
「ふむ、君の論文の面白いところはな、全く華々しさはないが、実際我々魔術師には扇風機がかなり重宝するところだ。
大体の学生は、いかに火の魔術を最大化するかだとか、土の魔術でどれだけ固さを追求するかだとか、研究としては興味深いが、何らかの利益になるかが読めないような内容が多い」
「まぁ。それは……おそらく父の考え方に感化されたからだと思います」
(お父様には、変わってるだとか珍しいだ何だと言われたときは、「お父様にそう聞きました」と言っておきなさいと言われたのよね)
「なるほど、マクレーガン侯爵は実業家としてもかなり高名だからな。君にもそういう着眼点を仕込んだというわけか」
「はい。私の考えは、父の事業に役立つかどうか、という視点に準じております。
たとえば王都の下水道の整備では、水道管を埋める前に、土の状態を魔術や手製の魔術具で探ったりいたしました。父の理想を実現するために何が必要か、そのために役に立つ魔術具を作れないか、常々考えておりました」
(お父様の理想というか、自分の理想なんだけどね。街中が臭いとか、本当にあり得ないし!)
「おいおい、王都の下水道整備は5年以上前に開始されたはずだぞ?君はそんなに幼い頃から父君と事業を進めていたと?」
「え!?ええと、はい……」
(えっ、まずいかな?せっかくお父様に矢面に立ってもらって、私は単なる事業のお手伝いをしてる、少しだけ賢い娘っていう設定なのに)
「きっとマクレーガン侯爵は、ゆく先々に君やご夫人を連れて家族の時間を惜しまなかったんだな。そこで好奇心旺盛な君に、仕事の話もしたのだろう?君も、父君の役に立ちたい気持ちで、色々と発言したのだな。侯爵の、娘の溺愛ぶりが目に見えるようだ」
「ほ、ほほほほ…」
(よかった、ドメル先生が、なんかいい感じに解釈してくれた!)
ドメル先生は表情をふっと緩めてソファに深くもたれかかり、鷹揚に足を組んだ。
「さて……それで君は先程のイシュトリルトン神像の件を、どう弁明する?」
(う……)
「あの……石像をあやうく壊すところでした!申し訳ございませんでした!!」
メイシーはパッと頭を下げた。
「いや、問題はそこではない」
(え?それ以外で??)
メイシーは、振り返ってみたが、それ以外はとくに謝るようなこともない気がした。
(あっ、もしかして)
「先生のお返事も聞かずに、勝手に石像を止めたことでしょうか?」
「それも違う。……あの詠唱の不気味さに気がついていないとは言わせないぞ?」
「えっ、ああ……。オリジナルで神の名を省略したところですか?」
(不気味って……。そんなにおかしいのかしら??)
「あの場で君の詠唱を聞いたのは、私と、ラグナーラ・ルデルニエ子爵令嬢、ヨゼフ・メナージュ侯爵令息、そして腰を抜かして放心していたが……一応キャラファエル・ヴァナス伯爵令息も聞いていた可能性があるな」
ドメルはふうっとため息をつき、左手で口ひげを触った。
「学園創設以来…つまりこの400年の間で、神の名を告げず、あんな巨大な動く像をほんの瞬時に制御できるほどの魔力を持ち、かつあそこまで短い詠唱で魔術を行使した者は、王族以外には存在しない」
「えっ!」
「一応聞くが……君は王家の血筋という可能性が?」
「いえ!いえいえ!そんなまさか!」
「ふむ……。違うのなら、君は魔力量が底抜けに多いご令嬢ということになるが……?」
「多少、人様より多いかもしれませんが、そんなに大したものではないと思います!」
ドメルは片眉を上げ、鋭い眼光でメイシーを見つめた。
(うぅ、詠唱なんて他の人と比べたこともなかったし、全然気づかなかったわ。あの石像を止めるのって、そんなにヤバいことだったの!?)
慌てつつ、ひとりショックを受けているメイシーは、あうあう、と声にならない声を上げている。
「せ、先生……私、どうなりますか?私、このままモルモットにでもされてしまうのでしょうか……」
(普通に好きな実験に邁進したいのに……!)
「ふ……君は全く欲がないな。その詠唱が他の者にもできるような仕組みなら、論文としてまとめれば、この国の、引いては世界中の魔術師から称賛される大発見だぞ?」
ドメル先生は身を乗り出し、大きな目を更に見開き、次第に饒舌に語り始めた。
(え、そんなにすごいことなの、私のオリジナル詠唱…)
「さらにはまず間違いなく、情報は高い値で売れるだろうな。他国との交渉のカードにもなる。私もあれを見てから、原理を知りたくてたまらない!」
「その……考え方だけでしたら、お教えしますよ?」
「君!今の話を聞いていたのか?値千金の詠唱を……いや教えてほしいが!そんな扱いでいいのか?!」
「うーん……価値があることはわかりました。でも私は、その話から、2つの可能性を思いつきました。
まずは、そこまでの価値があるなら、私の身の危険がある、という点。そして2つ目は、考え方が普及すれば、魔術師の負担が減って、もっと多くの人が救われるかもしれないという点です」
「……君は13歳の少女だからな。ただ、突出して魔力量がある分、ほとんどの場合は自分で身を守れるだろう。しかし確かに、君より老練で魔術の扱いに長けた者なら、君を拐って閉じ込めるくらいのことはできそうだ」
「怖いことを言わないでください!」
「可能性の問題だ」
「だとしても、そんなことをされるくらいなら、世界中の人が当たり前に知っている情報にしてしまったほうが、私には利益になるということです」
「……確かにな」
「それに、詠唱が短く済むなら、魔獣と戦う魔術師にとっては、生きる確率が上がりますよね?」
「その通りだ。帝国騎士団には魔術を使う戦法がある。王都に魔獣が少ないのは、騎士団が地方の魔獣退治をしているからだ。彼らにとっては詠唱のほんの少しの時間の差は死活問題だろう」
「それなら、私はこの考え方を積極的に開示するほうがよいと思います」
(危険と隣り合わせなら、利益は別の方法で上げたほうがいいし、外交のカードなんて、私にはよくわからないし……)
メイシーはローブから紙と羽ペンを取り出し、ローテーブルの上でサラサラとペンを走らせた。
「ドメル先生が私の味方になってくださるなら、私は詠唱の考え方をお教えします」
ペラっと紙を見せ、ドメル先生に差し出すと、先生はサッと内容に目を走らせた。
「契約の魔術を出してくるあたりが、いかにも商売人らしいな」
「私はまだまだ商いをするには半人前ですが、父から重要な取り決めは必ず契約書を作るように教わりました」
ドメル先生は興味深げに契約書を見て、自分の羽根ペンを取り出し、契約書に記載を加えた。
「だがまだ契約の縛りが甘い」
ドメル先生から紙を受け取り、中身を確認すると「メイシー考案の詠唱の簡素化をメイシーの許可なく口外した場合、金貨1万枚をメイシーに支払う。また、ドメルが口外した瞬間、口外した者にも同じ条件を適用する」という一文が加えられていた。
「よろしいのですか?」
「構わない。むしろ安いくらいだ。私としては、口外すれば命を落とすと記載されてもおかしくない内容だとは思うが」
「いやいや、それは恐ろしすぎます!」
「君がこれでいいなら、契約の魔術の詠唱をしよう」
ドメル先生はそう言うと、契約書に手をかざした。さらにメイシーも、同じく手をかざす。
「風の神エエカトルに告ぐ。メイシー・マクレーガンとの契約を結び、神の名のもと、契約をとこしえに受け入れる」
「ドメル・ハルガンディとの契約を結ぶ」
すると、契約書の文字がボウっと光り、二人の手に光が吸い込まれ、消えた。
(何度見ても面白いわ)
契約の魔術はお父様から教わって以来、これまで何度か交わしてきたが、契約書の一文字ずつを頭に叩き込むイメージで魔力を放出するのだ。
もし破れば、その条件を満たすまでは魔術が使えなくなるので、ほぼ100%の人が契約内容を守るというすぐれものだ。ちなみに紙は破損しても紛失しても魔術自体に影響はない。
メイシーは、紙を巻き、ローブの中にしまった。
「さっそく詠唱の簡素化の仕組みを聞きたい」
「承知いたしました」
メイシーは、魔術を行使する前に自分がどれだけ鮮明にイメージができるかが重要で、頭の中に、まるで見たことがあるくらいに具体的に想像するのだと解説した。
「見たことがある……というのが肝だな」
「はい。逆にそれ以外には特に必要なことはないかと」
「たとえば君は、火の魔術で大爆発を起こすとしたら、何を想像するんだ?」
「そうですね……。まず何を爆発させるかを決めて、爆発の大きさや範囲を想像します。たとえば木1本よりも山一つの爆発のほうが大きいですし、さらに街全体とか国全体のほうが、より広範囲の爆発・燃焼が予想できます。
爆発の対象を決めたら、どこを中心に爆発させるかを決めて、一つの爆発で粉砕するのか、複数の爆発で地面を崩落させるのかなど、求める結果を具体的に想像します。それらを滑らかに何度かイメージできれば、詠唱は無くても、魔力を放出するタイミングに合わせれば魔術として行使できます」
「……それは例え話ということでいいんだな?実際にやったことは?」
「やったことはないですが、やろうと思えばできるかと」
「………なんてことだ」
ドメル先生は眉間に深い皺を刻み、目を閉じてうなだれた。
「あの……先生、どうかされましたか?」
「君は絶対に、絶対に!火の魔術の連中の手には渡さない。私の独断だが、もう一つ契約の魔術を結ばせてもらうぞ」
先生は、言うやいなや、執務机の引き出しから紙を取り出し、すごい速さでペンを走らせ始めた。
「君をこの私の研究棟の研修生とし、他の棟官および研修生の前での実演および研究や実験への参加は、私の許可を得るまで禁止とする」
「そんな……!他の方の実験を見るのを楽しみにしていたのに……!!!」
「まだある。君自身の行うすべての実験や研究は私の許可を得た者以外には公開禁止。もし無許可に見聞きした者は、口を縫い留める」
「それはひどくないですか……?」
「つべこべ言うな。これは君を守るためだ」
ドメル先生はそう言うと、サッと紙の上に手をかざし、メイシーにも同じことを促した。
「1つ目の契約は私にはつらすぎます!入学したからには、学園内でしか見られない貴重な実験や研究に参加したいですし……。
それにこの契約ですと、他の研究棟の先生の授業には参加できないことになりませんか?」
「問題ない。私が危険ではない授業を選別して許可を与える」
「それでは出られない授業があるということですよね?」
「……はぁ。言っておくが」
頑張って食いつくメイシーに、ドメル先生はギラギラと鋭い目で話し続けた。
「君は即刻退学となるか、条件をのんで学園生活を送るか、二つにひとつだ。ちなみに退学者の復学は認められない上に、学園の敷地をまたぐことは生涯許されない」
「……!」
メイシーは、驚きのあまり声を失った。ドメル先生はたたみかけるようにメイシーに契約の魔術を迫った。
「さぁ選べ。学園を追放されるか、私の庇護のもとで裁量をふるうか。君には選ぶ権利がある」
「…………契約します」
メイシーはがっくりと肩を落とし、先程行ったばかりの契約の魔術を、再び行使するはめになったのだった。