言葉が欲しい SIDE:ジョイス
祝勝会が終わり、国中が一気に沸き立つような、どことなく浮かれ気分だった雰囲気が、今は少しずつ日常に戻りつつあった。
ジョイスにとっても同様で、会議や式典への出席、執務室での書類仕事、騎士団での定期訓練など、今までと変わらぬ皇太子の日常が舞い戻ってきたわけではあるが、今のジョイスにとっては退屈でしかなかった。
それは春を境に、ジョイスの世界が一変したからに違いなかった。
メイシーに出会ってからの自分は、もはやそれ以前の自分とは全く考えの主軸が変わってしまい、メイシーの居ない日常など、無味乾燥でほとんど意味がないように思えた。
(このところメイシーから手紙が来ない)
書類仕事にも飽き飽きしてきたところで、ジョイスは思い立ち、ふと顔を上げた。
「私はメイシーのところへ行く」
「えっ!では馬車を……」
「一人で転移して行く」
「えぇ……」
なぜか残念がるグレンは捨て置いて、ジョイスは一応、先触れのためにメイシーに思念の指輪を使った。
すぐに連絡が取れるように、ジョイスがメイシーに渡していたのだ。
「これから其方のところに向かう」
すると、すぐに返事が返ってきた。
「すみません殿下」
「このところ実験室が慌ただしくて」
「研究で手一杯なのです」
ジョイスは顔をしかめて、グレンに向き直った。
「ドメルから報告はあるか?メイシーの様子は?」
「あ〜……。それが、ウロボロスの試料が欲しいと、大勢の研修生や学生が大実験室の方へ来たようなのですが、配る試料が足りず、過半数ほどが大実験室で一緒に研究を行うことになったとかで」
「はぁ?」
ジョイスは思わず悪態をついた。
「メイシーのもとに、素性も分からん不特定多数が押し寄せているというのか?」
「素性もわからないって。学生も研修生も、入学を認められた子女・子息ですよ?そんなにご心配なさるほどでは……」
「簡単な筆記試験を通ったくらいで、人格に問題があるか無いかなど、測りようもない」
「あの試験が簡単ですか……」
「行って見てくるのが早い。……転移ではお前の連れ歩きに不便だ。馬車を回してこい」
「かしこまりました」
魔術学園は相変わらず、広大な敷地に、城のような各研究棟が点在し、研究所とは思えぬような優雅な雰囲気を醸し出していた。
第1研究棟は学園の敷地内の北の方に位置する。南端の学園入口からは、敷地中央の図書館棟を越えるために、ぐるりと東側から迂回して移動しなければならない。
馬車が止まり、第1研究棟の、鉄と木でできた巨大で重厚な扉に向かった。
ちょうど昼時だからか、研究棟の中では沢山の生徒とすれ違った。
誰もがジョイスの姿に驚き、おしゃべりをやめて礼をする。
(ローブを着てくればよかったな)
学生たちは皆、揃いの黒のローブを着ているので、ジョイスの青い軍服姿は、少々この場では浮いてしまっていた。
階段を上がり、イシュトリルトン神像を横目に、さらに階上の大実験室へと歩を進めた。
3階の大実験室の扉は開け放たれていて、学生たちは自由に出入りできるようになっていた。
ウロボロスの検体が持ち込まれてから、大実験室は実質的にヨゼフが取り仕切っているようで、メイシーはというと、小さい方の実験室で、また好きな素材と魔術を組み合わせて楽しんでいる、と聞いていた。
(基本的にお人好しな彼女のことだ。困っている連中を見て、手助けでも申し出たのだろう)
ジョイスが扉から入室すると、学生たちがパッと顔を上げ、驚いた様子でその場で腰を落とし、胸に手を当てた。
「殿下!」
13歳で背の低いメイシーは、学生たちがかがんでできた空間からジョイスの方を見たため、一拍遅れて驚き、軽くカーテシーをしたあと、ジョイスのほうへと近づいてきた。
「お出でくださったのですか?」
「其方が困っているのではと思ってな」
「まぁ……」
メイシーは少し思案して、後ろで畏まっている学生たちの中に混ざっていたヨゼフ・メナージュに声をかけ、またジョイスのもとへやって来た。
「殿下、よろしければ森を歩きませんか?」
メイシーはそう言って、にこりと微笑んだ。
森の中は、木漏れ日が差し、頭上では小鳥のさえずりが聞こえた。
「殿下はお忙しいだろうと思って、ご連絡をせずにすみませんでした」
「……」
メイシーは何を察したのか、すんなりジョイスに謝った。
(こういうところが、子どものくせに妙に鋭い)
「わざわざ来て下さって、嬉しいです」
メイシーはにこりとジョイスに微笑んだ。
ジョイスは少々出鼻をくじかれた気がしたが、自分の考えをそのまま口にした。
「……何故其方が謝る?メナージュの三男坊にでも泣きつかれたのか?それともルデルニエの娘に?……私は、其方が自由に研究を楽しむためだと思い、学園生活には口を出さないつもりだった。しかし其方は、私の知らないところで学生たちのお守りをしているという。……気に食わん」
メイシーは、ジョイスの不機嫌な顔を見つめて、困ったように笑った。
「私の配慮が足りませんでした。殿下のお気持ちを推し量らずに、自分の考えと都合を優先してしまいましたわ。だから、謝ります」
「……其方に謝らせたいのではない」
「でも……」
メイシーはまた考えを巡らせるように、ジョイスから目を逸らして俯いた。
(これではどちらが子供だ)
ジョイスは、ため息をついて、口を開いた。
「もういい。私は……」
(もっと頼ってほしい)
そう言おうとして、口をつぐんだ。
メイシーは、ジョイスの言葉が途切れたと見て、話し始めた。
「……殿下、先程は私のためにと、実験室で、皆を叱ろうとしたでしょう?私がお誘いしなければ、あの場で皆が、居心地の悪い思いをするところでした」
「……」
「殿下には力があります。その使い方を、どうぞよく考えてください。私は貴方を孤立させたくはないのです」
メイシーはそう言って、近くの樫の木の根元に腰を下ろした。
ジョイスを見て、横に座るようにと、タン、タンと左手で隣をたたいている。
(なんだ、この窘め方は。……まるで私を心配する老臣のようではないか。私に、感情に溺れて、周りに当たり散らすな、だと?何をどこまで見て、理解しているんだ)
ジョイスはこの少女の奥深さに、また興味をそそられた。そして無言のまま、ジョイスはメイシーに近づき、促されるまま彼女の横に腰掛けた。
「ほんの数日だと思って、学生たちが来ることを伝えなかったのは、伝えればきっと、心配なさるだろうなぁと思ったからです」
「……」
「お忙しい中、余計な……私のことで煩わせたくなかったのですが……」
「……」
「そのせいで貴方に寂しい思いをさせてしまった」
メイシーはそう言って、思案げに遠くを見つめた。その横顔が、彼女の姿が、理知的で不思議に美しくて、ジョイスは彼女の全てを知りたくてたまらない気持ちになった。
「……其方と話していると、なぜか私のほうがずっと子供のようだ。不思議だ」
その言葉にメイシーは、ハッとして左側のジョイスを見つめた。
メイシーの青い目は、驚きに見開かれ、木漏れ日が揺れて、キラキラと反射している。
「殿下は流石ですわ。……あの、少し気味の悪い話なのですが、やっぱり貴方は、知るべきだと思うので……。もしそれで私のことを嫌だと思うなら、仕方がないと受け入れます。だから……」
「其方、何の話をしているのだ?」
「私が、本当は貴方よりずっと年上だという話です」
「………なに?」
メイシーの発言が全く理解できず、ジョイスは面食らった。さっきまでのモヤモヤとした気分が、一瞬脇に追いやられた程には。
「本当は私、貴方よりも随分年齢が上なのです。見た目は13なのですが、生きている時間を単に合計すると、41になります」
「……其方の両親と変わらぬではないか?レナルドたちは、ほんの赤子の時に其方を産んだとでも?」
「えっと……。それは違うのです。私、メイシー・マクレーガンとして生まれる前の、別の人生を歩んだ記憶がございまして。……日本の、東京という場所で、28歳まで生きたのです。それが、亡くなって、気がつくと5歳のメイシーになっておりました」
ジョイスは言葉を失った。
「ですので、18歳の貴方から見れば、私は一度28歳だったことがあるので、最低でも10歳は年上ですね……」
そう言って、メイシーはジョイスの反応を伺い、ジョイスが驚いた様子で口を閉ざすのを見て、気まずそうに俯いた。
「あの、こんな妙な話をする女など、きっとお嫌だと思います。殿下は、他の女性をお后に……」
「其方は色々と奇抜だが、今の話で合点がいったことが多々あるな」
ジョイスはメイシーの言葉を遮って意見を言った。
全て信じきれたわけではないものの、なるほど、そのような背景があれば、今までの彼女の知識や行動が一般的ではないことにも、納得がいく。
「その、トウキョウとかニホンとかいう所は、こことは別の時代なのか?歴史上にそんな国の名は聞いたことがないが……」
「全く別の世界だと思います。あちらの世界には魔術は無く、代わり……と言えるのか、科学技術が発展した世界でした。海を超えた遠い他国の人々と、音声や、時には映像……姿も交えて会話することができました」
「……にわかには信じがたいが、其方にとっては、それが『普通』なのだな?その世界で其方は、28の歳まで何をしていたのだ?」
「えっと、薬剤の研究者として働いていました。小学校、中学校、高校、大学、大学院まで勉強して、卒業後4年間しか働けずに亡くなったのですが……。そんなに出来の良い人間ではなかったので、ひたすら勉強ばかりして、恋愛相手の男性もおらず、もちろん結婚もせずに、好きな研究に捧げた人生だったのです」
メイシーは、遠い目をしてうなだれた。
「薬師か……。研究が好きなのも、前の人格が影響しているのだな?」
「ええ、そうです。魔術がある分、こちらの世界は不思議なことが多くて、探究心がくすぐられます!」
メイシーは、楽しそうにそう言い切った。
そのあと、ハッとして、また気まずげに俯き、こう言った。
「あの……気味が悪いですよね?」
不安げなメイシーの言葉に、ジョイスは少し考えて口を開いた。
「信じがたい気持ちだが、確かめる術はない。それに、其方の話が真実だとすれば、其方は種も仕掛けもないところから事業や魔術具の発案をしているのではなく、どこかから持ってきた知識を我々に披露していることになる。単に神童だから、ではなく、種も仕掛けもある智者の戯れだと分かれば、其方のこれまでの功績にも、なるほどと納得感がある。……気味が悪いかと言われても、不思議な気持ちになるだけで、そこまでの嫌悪感はない」
「そう、ですか……」
メイシーは、すこしホッとした表情になった。
「前世がどうの、と聞いても、其方が善良な、周囲への思いやりに溢れる女性だということには変わりない。私の后は其方だ、メイシー」
「……!」
メイシーはジョイスの言葉に顔を上げ、頬を赤らめて、また俯いた。
「其方の話を信じれば、私は其方よりも歳下なのか。ふむ……」
ジョイスはここで、ふと、気がついた。
(そう言えばメイシーに、自分のことをどう思っているのか、聞いたことがなかった)
「年下の男は其方の好みに入るのか?年下は、頼りにならない?」
「……!そ、そんなことは!ただ、えっと……。私自身が、男性に頼ることに慣れていないのです……。殿下のことは、とても……人望のある、頼れるお方だと思っております」
(……もっと私に頼るように仕向けねばならんということか)
ジョイスはもう一つ、好奇心で聞いてみた。
「其方はすでに私のことを好いていると思っているのだが、間違いないか?」
「……っ」
メイシーは、みるみる顔を赤らめて、困ったように顔をそむけた。
ジョイスは、逃げ場をなくすように、メイシーの手を取り、顔を覗き込んだ。
「其方の言葉で聞きたい」
「………」
「さあ」
「………」
「私が好きか?」
「す………」
「………何だ?」
メイシーはギュッと目を瞑って、ジョイスを見ようとしなかった。
しばらくメイシーがそんな風に固まっていたので、ジョイスは手を離して、ふ、と息を吐いて、木の幹に頭を預け、遠くを見た。
メイシーの話は不思議だった。きっと勇気を出して秘密を打ち明けてくれた。それを思えば優越感を感じたし、自分に少しは心を許してくれているのかと安心もした。
でもメイシーの話を聞いてもなお、隣にいる彼女のことを知りたい、今何を考えているのか分かりたいと、そう思う気持ちは止まらなかった。
誰も知らないメイシーのことを、自分だけが知りたいのだ。
しばらくそうやって考えていると、ジョイスの右側でメイシーが体を動かす気配がした。
メイシーが、膝をついて、おずおずとジョイスの右肩に両手を置き、ジョイスの右耳に口元を寄せて呟いた。
「好きです、ジョイス様」
顔を赤らめたメイシーが、目の前で美しいその青い瞳に、自分を映していた。
頭が真っ白になり、自分の理性が吹っ飛ぶのを感じた直後に、ジョイスはメイシーの頭を左手で引き寄せ、唇を重ねた。
「……っ」
メイシーは身じろいで、両手でジョイスの肩を押したが、ジョイスはメイシーを追うように、深く角度を変えて唇を味わった。
何度かそうしているうちに、両膝をついていたメイシーの腰が抜けたようで、カクンとジョイスにもたれかかってきた。
まだ全く足りないと思いつつ、ゆっくりと顔を離すと、メイシーは涙目でジョイスに抗議の視線を投げかけていた。
「……私、もう言いませんから!」
「……なに?」
「貴方にねだられても、もう言いませんからね!」
「先程の言葉を?……それはひどい」
メイシーは腰が抜けているため、ジョイスの腕の中に抱きしめられながら、という格好だったが、どうやら初めてのキスだったのにディープキスだったのが許せない、という、謎の理由で怒っているようだった。
「……其方は体は13なのだからな。結婚まではやはり其方の愛らしい言葉は封印してもよいかもしれん……」
自分の理性がいとも簡単に吹っ飛んだことに、我ながら危機感を新たにしたジョイスだった。
「け、結婚……したあとはどうなるのですか!?」
メイシーが問うと、ジョイスは、ニヤリと悪い顔で笑って答えた。
「其方には先程の言葉を、私が良いと言うまで言い続けてもらう」
「……!!!」
「其方は研究どころか、しばらく寝所から出られないだろうな」
「……っ!!」
「私を好いているなら、それくらいはできるな?」
「〜〜〜っ!無理です!!」
「なにを。其方もすぐに楽しめる」
ジョイスが事もなげにそう言うと、メイシーはみるみるうちに、困ったような顔から怒ったような顔へと表情を変えた。
「で、で、で、殿下の……バカぁぁぁーーーーっ!!」
顔を真っ赤にして、涙目になりつつ叫んだ、メイシーの渾身の罵倒は、森の中に響いたのだった。
おしまい




