たしなみ29
王宮は広大で、メイシー達は、それからも何度か見知らぬ人に声をかけられた。
特に、ラグナーラお姉様を目当てにしたような、妙に下心を感じる男性からのお声掛かりが多く、メイシーはその度に内心憤っていた。
(なぜこんなに声がかかるのかしら……。学園では学生たちは皆お行儀よく、とても静かなのに。もしかして私が知らないだけで、ラグナーラお姉様、かなりお困りだったんじゃ……?これが普通の『大人の挨拶』なの?)
メイシーの疑問は解消されることはなく、目的地までに度々足を止めさせられたのだった。
しばらく進み、王宮の奥、王族の暮らす離宮に近づくと、流石にその数は減った。
離宮は5つほどあるらしいが、メイシーたちが向かうのは、殿下の居る【白の離宮】だ。
白の離宮は、その名の通り白亜の宮で、春の草原に佇み、柔らかい陽の光を受けて輝くその様子は、現実のものとは思えないような美しさだった。
しかし結局、ラグナーラお姉様とは、離宮の手前で別れることになった。
部屋の前まで、と思っていたメイシーだったが、王族の居住区に立ち入ることができる人は限られるとグレン様から説明があり、制限を受けてしまったのだ。
ただ、グレン様は離宮の手前にきちんと案内の人を配備し、ラグナーラお姉様が、何事もなく王宮を出られるように準備してくれていた。
白の離宮は、ひと度中に入ると、外から見たような美しい現実感のないものではなく、装飾はごく少なく、華美なものは置かれていない、シンプルな生活用の空間だった。
「……壁に絵の1つもなく、花を飾る花瓶すら、貴女がいらっしゃるというので慌てて先程置いたものなんですよ」
メイシーが物珍しそうに館内を見回すので、グレン様がそのように説明してくれた。
「殿下は常に周りを人に囲まれ、ご公務も多忙ですので……。『寝所に戻ってまで絵の中の人間と目を合わせたくない』と。それにあわせて宮の中はほとんどすべての装飾を取り払われてしまったのですよ」
「まぁ……」
メイシーは、殿下がどんなふうに生活しているのか、こうして目にして初めて実感した。
(きっと、ぼんやりと花を眺めたり、ゆっくりとお茶を飲むなんて、全然できないんだろうな……)
この無機質な宮は、殿下が唯一平静を保てる空間であることに違いはないのだろうが、心を癒やすような雰囲気は感じられなかった。
メイシーは、ノアがいつもメイシーを想って飾ってくれる花々や、屋敷にいつの間にか飾られている季節の花や調度品は、決して当たり前のものではなく、家の主やその家族を想って、皆が心から気遣ってくれたものなのだ、と改めて思った。
(殿下にとって、そういう、ふと心を癒やされるものって、何なんだろう?)
考えたけれど、メイシーには分からなかった。少なくともこの離宮は、メイシーが想像していたような、女性がたくさん入れ替わり立ち替わりやって来るような雰囲気は感じられず、メイシーは密かに胸をなでおろしたのだった。
「こちらが殿下のお部屋です」
グレン様が、二階の突き当りの部屋の前で立ち止まった。扉の前に衛兵も居らず、ガランとした印象だ。
「過去の経験上、もうすぐお目覚めだとは思うのですが……。何分今回の討伐はかなりのご負担でしたので、私の予測も、単なる希望的観測に過ぎません」
「……お倒れになったことが、今までにも?」
「何度か、ですが」
「そうですか……」
メイシーは、グレン様の言葉に、表情を曇らせた。こんな窮地に何度も遭遇しているのかと思うと、殿下のことを心配せずにはいられなかったのだ。
それでも、ここに来た意味を思い起こして、少し顔を上げてグレン様にこう伝えた。
「……殿下に光の魔術を行使してもよろしいでしょうか?」
「ええ、きっと殿下は、貴女の光の魔術で起こされることを望んでいるでしょう」
グレン様は、眼鏡の奥で優しく瞳を細めた。
「それに、貴女の今日のお姿を、他の者だけが見てしまったということになれば、殿下はへそを曲げてしまいます。……メイシー嬢に殿下を目覚めさせてもらわねば、我々の安全が脅かされますよ」
「ふふ、まあ」
グレン様の軽口は、メイシーの不安な気持ちを少し和らげてくれた。
(役に立てればいいんだけど…)
グレン様の手で開けられた扉をくぐり、メイシーは、ゆっくりと室内へ足を踏み入れた。
部屋の中央に大きな寝台が置かれ、寝台の四辺を囲うように、立派な天蓋が付いている。
天蓋からは、落ち着いた青のカーテンと、白い薄布が重なるようにドレープが垂れて、今はカーテンは開けられていた。
寝台の中央には殿下の姿があった。
「殿下……」
殿下は美しい顔で、何の苦痛もない様子で、静かに眠っていた。
メイシーは、桃色のドレスが床につくことも構わず、寝台の側で腰を折り、両膝を立て、祈りを捧げるように胸の前で両手を組み、目を閉じた。
「……殿下に、癒やしを」
メイシーの光の魔術で、天蓋の中は光りに包まれ、キラキラと輝く光の粒が、殿下の体に吸い込まれていった。
メイシーが光の魔術を止めて目を開けると、殿下の手がピクリと動いたのが分かった。
メイシーは、殿下に声をかけてみた。
「……メイシーです、殿下。どうかお目覚めください」
すると殿下の瞼が震えた。
殿下は少し眉をしかめて顔をこちら側に動かし、その目をゆっくりと開け、何度か瞬きをした。
「………メイシー、なのか?」
「はい、殿下。メイシーです」
「……その姿は?」
「……おかしいでしょうか?」
メイシーは、膝を立てた状態からゆっくりと立ち上がり、不安な顔で自分の格好を確認した。
殿下はむくりと起き上がり、大きな寝台の中央から寝台の淵に移動して腰掛けると、メイシーをじっと見つめた。殿下は白い薄手のガウンという格好で、メイシーは、はだけた胸元から目を逸らすように、少し俯いた。
「薄紅の妖精のようだ。其方が着飾ると、まさかこんなに美しいとは」
「………!」
じっとエメラルドグリーンの瞳に見つめられ、メイシーは、自分の格好がおかしくなかったことに安堵したものの、恥ずかしさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになった。
「……殿下が倒れられたと聞き、心配いたしました。こうしてお会いできたこと、嬉しく思います」
メイシーは、ドキドキしながらも、一生懸命そう伝えた。
「何度も倒れたのは心外だが、目覚める度に其方が居るのは悪くないな」
殿下はそう言って、フッと笑った。
「メイシー、ここに」
殿下は自分の座る両足の間を少し広げて、メイシーに座るように言った。
メイシーは、顔を赤くしてしばらく思案し、ためらいがちに殿下に背を向けて、そっと腰を下ろした。
殿下は、待ちわびたかのように、メイシーの後ろからするりと腕を回して、しっかりとメイシーを抱きしめた。
メイシーは、なされるがままに腕に包まれ、殿下がこうして生きて戻ってくれたことに、嬉しさを噛みしめた。
「本当によかったです……ジョイス様」
「……!」
後ろで、殿下が息を呑んだ様子が伺えた。
メイシーが顔を殿下のほうに向けようとすると、殿下が腕の力を強めて、メイシーの耳元でこう言った。
「いつか、一晩中、浴びるほど其方に名を呼ばれたい」
「……!!」
「そんな愛らしい姿で見つめられて、名を呼ばれたら、其方しか見えなくなる」
「……!」
「……だが今はこれで我慢だ」
そう言って、殿下はしばらくメイシーを抱きしめ続けた。
背中に感じる殿下の鼓動が、ドキドキと強く鳴っているのが分かった。
鼓動が落ち着くまで、二人はそのまま、ただ静かに時を過ごした。
魔獣の大量発生が収束し、王都や、他の町も、少しずつ平常を取り戻していた。
北東の地域では、大量発生に伴い避難していた人々や、滞っていた物流が、徐々に戻ってきた。
今回のスタンピードは、過去に類を見ない短期間で収束し、騎士たちに死者は一人も出なかった。
そして、スタンピードとウロボロスの関係も、まだ謎はあるものの、徐々に明らかになっていた。
沼地で発見されたウロボロスの卵は複数あり、それらは全てすでに凍結され、活動を停止した状態ではあったが、内部を割って検められた。
複数の卵のうち、たった1つのみが有精卵で、あとの卵が瘴気を生み出す卵だった。
瘴気は本物の卵の成長を促し、かつ、良い餌場を作ることにも一役買っていると結論付けられた。
どうやら、死と再生の魔獣、ウロボロスは、濃い瘴気を発して魔獣を生み出し、卵が孵化するその時に、周りの魔獣の死骸を食べて生を繋いでいるのでは、と推測された。
おびき寄せられた魔獣たちは、なぜかウロボロスには見向きもせずに、凶暴性を増し、互いを喰らい合うのだが、これもウロボロスが卵の成長のために意図しているものでは、と考えられた。
これらは、まだこれから検証が重ねられていくため、今の時点では国民への公表は行われていない。
帝国民の間では、「戦いの神が殿下に宿った」とか、「殿下が神の使徒としての力を使い、瘴気を追い払った」など、神話めいたうわさ話が飛び交った。
総合的にも、北東の村への魔獣による壊滅的な被害はなく、騎士を一人も損なうことなく、さらに過去に無い短期間での魔獣討伐がなされ、王家への信頼は今代で最も高まりを見せていた。
そうした中、今回のスタンピードの収束が国内外へ宣言された。
魔獣討伐に関わったすべての功労者を労い、褒め称えるため、この度の功労者のうちの一人である殿下の目覚めを待ち、王宮では祝勝会が開かれることとなった。
「私は絶対に行きません……!!」
メイシーは、王家から届いた、そのパーティの招待状を見て、青い顔をしてそう叫んだ。
マクレーガン侯爵邸に戻っていたメイシーは、久しぶりに両親と、3人でお茶の時間を楽しんでいた。
その席でお母様が、招待状を見せてくれたのだった。
お父様とお母様は、メイシーの言葉に、顔を見合わせた。
「では、断りの返事を入れましょう」
お母様が、にこりと微笑んでそう言った。お父様も、頷いて同意した。
「メイシーが望まぬなら、参加など不要だ」
「……ありがとうございます、お父様、お母様。そもそも私がそのような会に参加する資格など、ないのですが……。何かの間違いで郵送されたのではないでしょうか」
メイシーのその言葉に、お父様はキョトンとした。
「メイシーは十分すぎるほど、今回の戦に貢献したとは思うが……まだ不満があるのか?」
「お父様のように、道路を手早く整えて討伐隊の補給路を確保し、迅速に物資を手配なさったり、この戦のためにきちんと功績を上げた方は、褒め称えられるべきだと思います。でも私は、騎士の盾の製作には携わりましたが、それもほんの少しで……。殿下の剣を作ることと引き換えに、一ヶ月も寝込みました。その後も体調は戻らず、実質的に盾の作業に当たってくださったのは、ヨゼフ様やラグナーラお姉様、そして学園の先生方です。しかも、私はと言えば、北東の村でも、帰れと言われたのに帰らず、殿下の足を引っ張り、ご無理をさせてしまいました……」
メイシーは、しょんぼりと肩を落とした。
それを見たお父様は、頬杖をつき、メイシーを見つめた。
「私の受けた報告類と、今のメイシーの話は、ずいぶんと乖離しているな」
「そうでしょうか?」
「少なくとも、今の話の中でも、メイシーが盾の製作方法を最初に編み出したこと、製法を周りに教えて量産できるようにしたこと、それから、殿下の剣を作ったことも、メイシーの大きな功績だ」
「……それは、」
(私に前世の知識があったからなわけで、私が褒められることではないのよ……って、言いたいんだけど……)
メイシーは何と言えば良いのか分からず、口をつぐんだ。
「それに、騎士たちからは、素晴らしい光の魔術を行使してもらった、と何名かから、個別に感謝の手紙をもらっている」
「まあ……!そうですか、お役に立てたようでよかったです」
「これらすべてを勘案すると、叙爵に相当する功績だとは思うが」
お父様は、悩ましげにそう言った。
「メイシーはまだ未成年だから、そんなものを得たところで困るだけだもの。おそらくは褒章が順当なところね。ただ……」
お母様も、最後の言葉を濁した。二人の様子に、メイシーは不安になり、訊ねてみた。
「何か、懸念でも?」
「………彼なら、この場を使って、自分に優位な進行をしかねない」
「そうね……。衆目のあるところで、既成事実でも作ってしまえば、私達のメイシーは、完全に奪われるでしょうね……」
「……?一体、お父様もお母様も、何を心配しておられるのでしょう?」
メイシーがそう聞いても、二人は曖昧な表情を浮かべるだけで、はっきりと返事をしてくれなかった。
「はぁ……。メイシーの素晴らしさは我々だけが分かっていれば良いと思っていたのに。学園入学から、今回のスタンピードまで……。あらゆる流れが、見る間にメイシーを公の場に押し流してしまった」
お父様が、不服だといった様子で、メイシーについて語っている。
「そうね……。デビュタントまであと2年はあったのに。それに先んじて、メイシーは社交界に出てしまうわ。なんてことかしら……」
「あの……。私、社交界に出るのですか?いつのまに?」
「「私達が知りたい」わ」
お父様とお母様は、声を揃えて、何故か決まっているらしい、メイシーの繰り上げ社交界デビューについて嘆いた。
「あの……デビューについては、お断りできませんか?私は成人もまだですし……。なによりまだ、この家で家族一緒にいたいのです。お父様やお母様がお許しくださるなら、自立するのは少し先延ばしにしたいです」
「メイシー!!」
お父様が悲しそうに眉を下げて、テーブル越しにメイシーの手を握った。
「今回の祝勝会は、メイシーが出席する、しないにかかわらず、メイシーの名が、帝国中に……いや、国外にも知られることになるだろう」
「え!?」
メイシーは、突然の壮大な話に、驚きで思考が追いつかなかった。
(え??功績を称えるって、そんなに大々的に……?いや、それはそうかもだけど……。イメージ的には、大勢の方々のお名前が列挙されて、ついでに私の名が読み上げられるくらいのものかと……)
メイシーは、自分の想像とお父様達の考えが、かなり異なることに、今突然気がついた。
「……あの、つかぬことを伺いますが……。功労者というのは、大勢ですよね?何百人ほどでしょうか?」
「声をかけられているのは、殿下を除けば……。騎士団総団長ほか、騎士が5名。私とメイシーと、ヨゼフ殿、ラグナーラ嬢のほか、学園の棟官10名だ」
「え!?それだけなのですか?」
「祝勝会で陛下から直接言葉を賜るのはその20名で、他にも名前が読み上げられる者が何十名かはいるが、先の20名ほどの目立ち方はしないだろう」
(な、なんてことなの……!)
「あの、それは……私の名前を今から抹消いただくことはできないのでしょうか?私はただ実験を楽しんでいただけで、本当に何もしていないのです……!」
「残念だが、今回はメイシーが人目を引きすぎた。実験室の面々程度なら良かったのだが、騎士たち数百名に光の魔術を行使ししたとなると、その事実はもはや隠しようがない……」
お父様は、残念そうにそう言って、ため息をついた。メイシーはお父様の様子に、また不安になった。
「そんな……!私、祝勝会で名を呼ばれれば、これからどうなりますか?何か恐ろしいことになるのでしょうか?」
「……もう、逃げられなくなる」
お父様が、重々しい雰囲気でそう答えた。それに合わせるように、お母様が反応した。
「メイシーがそれで良いのなら、もう仕方がないわ」
「しかし、まだ13だぞ……?これから他に、メイシーが気に入る者が出てくるかもしれん。せっかく学園生活が始まったばかりだというのに……!」
「あの方に目をつけられた時点で、手遅れだったのよ……。しょせん、人との出会いなんて、時の運でしかないのね……。」
「セリーナ……」
お母様は、そっとお父様の手に手を添えた。
「でも私は、貴方との出会いは運命だったと信じているわ」
「もちろん、私もだ」
何やら突然二人の世界になってしまった両親を、そっと残して、メイシーは、一人トボトボと屋敷の廊下を歩いた。
(はぁ……気が重いわ。功労者なんて、私以外の全員でいいのに…。私は好きに実験や研究ができれば……)
そう思った時、ふと殿下のことが思い浮かんだ。
(……殿下にお願いしたら、名前を削除してもらえるかしら?)
殿下は、以前メイシーに、メイシーが望まぬことはできるだけ排除してくれる……と約束してくれた気がする。
(私が研究を楽しく続けたい、その意思を尊重してくれる、と仰っていたわ)
メイシーは、これは我ながら名案を思いついた!と思った。




