たしなみ3
入学式の翌日。
メイシーはウキウキとオリエンテーションに向かっていた。
広大な魔術学園の敷地内には、第1から第10研究棟が点在しており、その他には学生寮や食堂、カフェ、また、敷地の中心には帝都一の蔵書量を誇る図書館棟があり、まるで敷地内が遊園地のような(そう言うとノアにはやんわり否定されたが)ワクワクとドキドキが詰まった宝箱のような場所なのだ!
「お嬢様、あちらが本日見学会が開かれる第1研究棟でございます」
ノアが示す先に、石造りの堅牢な建物が見えた。
(まるで小さなお城みたい)
大きな石を積み上げて作られたそびえる壁を見上げると、上の方に小さな窓が取り付けられている。
入口は数メートルはありそうな、重厚な木と金属で作られた分厚い扉のみで、両脇には扉の開閉を行う門兵数人が待機していた。
メイシーはノアとここで別れ、扉をくぐって研究棟の中へ入った。
中ではすでに多くの生徒が玄関ホールに並んでおり、メイシーが近づくとジッと見つめる者や、関わりたくないといったふうに目を合わせない者がいた。
メイシーは、近くの女の子に声をかけてみた。
「おはようございます。メイシー・マクレーガンと申します」
声をかけられた少女は、驚いて少し戸惑ったものの、淑女らしいカーテシーで返事をした。
「……おはようございますメイシー様。ラグナーラ・ルデルニエですわ。お声がけいただき光栄です」
ラグナーラは濃紺のウェーブの髪を右肩で軽く結び、学園のローブの下には髪より少し明るいブルーのドレスを着ている。
濃灰色の瞳にくっきりとした太めの二重と目元のほくろが、艶めかしい雰囲気を漂わせている。
メイシーは、少し声をひそめて、ラグナーラに訊ねてみた。
「その……私って、どこかおかしいですか?昨日も、皆様から、何となく遠巻きにされていた気がして……」
すると、ラグナーラは、少しためらいがちに答えた。
「あの……恐れながら……。メイシー様が飛び級で最年少で入学されることや、噂のマクレーガン侯爵のご息女でいらっしゃること、それから……殿下と……その、ただならぬ仲とお見受けされたことが理由かと思いますわ」
「ええぇぇっ!?」
メイシーはとっさに口元を抑えたが、溢れた叫びが消えることもなく、周囲の生徒は皆メイシーを見ていた。
「それは、誤解です!」
「まぁ……そうですの?」
「道に迷った私を、親切な皇太子殿下が案内くださっただけなので!」
「殿下が親切……?あらやだ、獰猛な雄ライオンの罠にハマった仔ウサギが、食べられるとも知らずに懐いているのかしら……あぁ……妄想が止まらないわぁ……ハァハァ」
「……? あの、何かおっしゃいました?」
「いいえ、お気になさらず」
「そうですか?」
(そっか……皇太子殿下と一緒に来たのがまずかったのかな?今度から気をつけよう)
メイシーが少し考えていると、目の前に影が落ちた。
「失礼、マクレーガン侯爵令嬢。僕はキャラファエル・ヴァナス。僕のほうが高位の爵位なのだから、そこの子爵令嬢よりも先に僕に声をかけるべきでは?!」
(うわぁ……、何この人!)
突然メイシーたちの間に割って入ってきたのは、特徴的な三白眼の、顎が割れた男性で、クリーム色の髪は外側にカールしている。
見た感じ、とても10代には見えない。
「まぁ、無粋な」
ラグナーラは扇を広げ口元を隠し、メイシーにだけ聞こえるくらいの声でボソッとつぶやいた。
(面倒くさそうな人だなぁ…まだ先生が来ないし、それまで一緒にいるのも嫌だなぁ……)
「はじめまして、キャラファエル様。私は皇太子殿下より、学園内では身分に関係なく接してほしいとのお言葉を賜りました」
周囲がシーンとした。
(こういうときは御威光をフル活用して黙らせるに限るわ)
「まだ入学したばかりですし、殿下のご意向が十分に行き渡っていなかったようですね。殿下が推進なさることを、家臣として共に実行してまいりませんか? ……失礼」
メイシーはそう言うとニコリと微笑み、ラグナーラの手を引いて玄関ホールの端のほうに移動した。
キャラファエルは勢いをなくし、その場に立ち尽くしている。
メイシーは、この場が何となく凍りついているのを感じたが、ラグナーラに向き合った。
「私が声をかけたばかりに、すみません」
「いえいえ、メイシー様はお若いのにとても機転のきく方なのですね。とてもうちの妹と同じ13歳だなんて思えません!……お陰様で面白いものを見られましたわ」
「え?何かおっしゃいましたか?」
「いいえ〜!何でもございませんわ」
それから、しばらくラグナーラと会話していると、玄関ホールの大階段を降りて先生がやってきた。
「ごきげんよう諸君、少々立て込んで遅れてしまった。申し訳ない」
立派な口ひげをたたえ、目はギラギラと眼光鋭く、髪は後ろにきっちりと撫でつけられている。
言葉とは裏腹に、急いで駆けてきた様子もなく、とくに悪びれてもいない尊大な佇まいは、長年彼に染み付いてきたのだろう。
深い緑のローブを着ていても、中年とは思えない厚みのある胸板がよく分かる。
「私はこの棟の責任者、ドメル・ハルガンディだ。君たちとは、以後魔術総論や土の魔術の講義で相見える。
……なお、皇太子殿下はご公務のため欠席だ。学園には合間を縫ってお出でになるとのことで、皆に通達するよう言付かった」
なぜか、ドメルはメイシーのほうを強い眼力でジッと見つめた。
メイシーは、何の意図があるのか全く理解できなかったが。
「……殿下はわざわざ先生に言付けを頼まれたのね?ご自身が居ないことを、ご心配なさらないように、と」
ラグナーラがすすす、とメイシーに寄ってきて、口元を扇で隠しながらドメルの言葉を反芻した。
「? そのようですわね」
「……メイシー様のほうには、脈はなし、と……」
またラグナーラがブツブツ言っていたが、先生の言葉が続いたので、メイシーは口をつぐみ、話し手の方を見つめた。
「本日はこの第1研究棟の中を見て回る。説明しながら進むので、くれぐれも勝手に物に触ったり、ひとりはぐれてウロウロしないように」
(ああ!ついにこの時がきたわ!!!この棟ではどんな研究が見られるのかしら!自分の研究ばかりに夢中で、魔術学園の研究についてはあまり知らないままなのよね…)
ドメル先生に続いて、ぞろぞろと黒いローブの団体が大階段を登り、踊り場で階段の向きを変えると、大きなアーチと柱が目に飛び込んできた。
「なんて美しいの…!」
隣を歩くラグナーラが目をキラキラさせて豪奢な装飾品を見ている。
アーチの奥には回廊が広がり、間隔を空けて石像や大きな瓶が飾られている。
「貴重かどうかは知らんが、これらの調度品や、この壁には、防汚の魔術がかけられている」
ドメル先生は、そのへんの段ボールでもたたくような感じで、高価そうな石像をべしべしたたいた。
「ーーーおやめなさい、ドメル」
「……はぁ。しまった。五月蝿いのが起きたぞ」
ぬうっと向かい側の大きな石像が動き出し、こちらに頭を向けた。
「ひぎゃぁぁぁ!!」
石像の近くにいたキャラファエルが、鳥が潰されたかのような、耳障りな悲鳴をあげてその場に尻餅をついた。
「イシュトリルトン神の像が動いてる!!」
生徒たちの中には動転している者もいれば、メイシーやラグナーラのように、少し離れた場所でジッと様子を見る者もいた。
「ドメル、子どもたちを粗末に扱わないでと何度言えば分かるの」
石像は、ドメル先生に文句を言うと、回廊を逃げ惑う生徒たちが気になるようで、ズシン、ズシン、とそちらへ向かっていった。
「諸君、あ〜、これはだな……。かつて研究や魔術の行使で建物内を破壊する生徒があとを絶たなかったため、数代前の学園長が、このイシュトリルトン神像にいくつかの魔術をかけた。そのおかげでこの像は、まるで我が子を守る母のように、建物内に何らかの危険が及ぶと、眠りから醒めて、危険行為をする者を追いかけるのだ」
「先生!これは土、火、水、あとは光の魔術の複合で駆動していますね」
メイシーは目をランランと輝かせながらイシュトリルトン神像に近づいた。
「ほう…正解だ」
ドメルは、片眉を上げてメイシーを見た。
メイシーは石像に目が釘付けで、淑女にはあるまじきことだが、口からよだれが垂れてきそうだ。
(なになになになに!?こんな面白い魔術見たことない!石像の粒子を常に滑らかに、石像の形を維持したまま変化させて、排除対象を追いかけ回すなんて!土の魔術でできた像に、さらに光の魔術で発動、火と水で制御かな。一体どんな計算をしたらこんなすごい仕掛けが作れるの!)
「あの!一度これを止めて、じっくり見てもいいですか?!」
「なに…?」
メイシーはそう言うと、ドメルの次の言葉も聞かずに詠唱を始めた。
「粒子よ、止まれ」
(一粒一粒の粒子の動きを止めるイメージ……。うまく術がかかれば、1時間ほどはそのままフリーズしてくれるはず)
メイシーはまず石像の中の粒子……砂粒が一つずつ意思を持って動いている様子を思い浮かべ、動画の一時停止ボタンのように、砂粒が止まるところを想像した。
メイシーが魔術の練習中に独学で考えついたのは、魔術の詠唱が、術者のイメージを具現化するためのツールだということ。
つまり脳内で強く具体的なイメージができる場合は必ずしも詠唱が必要な訳ではないということだ。
メイシーは前世の記憶から、分子や電子などのミクロの世界のイメージがつく。
たとえばこれまで見聞きしてきたもの、映画の爆発のシーンや、科学実験で真空を作る様子や、その結果炎が消えることなどは、現象を理解して映像として脳内で再生できるくらいのレベルなので、詠唱せずとも、この世界の魔術という不思議な力が具現化を手伝ってくれる。
ただし、メイシーの場合は「これから魔術を使いますよ」という意思表示のために少し詠唱をするようにしている。完全な無詠唱は、タイミングが難しい気がしているのだ。
一応この世界では、簡単な魔術……たとえば手紙を送る、などは詠唱が簡素化されているが、普通は属性の神の名を呼び、その後で自分の希望を伝える、というのが詠唱の形とされている。
メイシーには神の名がいまいち覚えづらく、自分の想像力を頼りに魔術を行使するので、基本形からは外れている。
「…止まった」
石像は、ピタリと動きを止めた。
ただし、歩いている途中で止めたので、ぐらりと傾いてきた。
「わー!危ない!!!」
逃げ惑っていた生徒たちが、さらに蜘蛛の子を散らしたように遠くに駆けていった。
「土と創造の神オメテオトルに告ぐ。堅き岩を柔らかな砂の地に変えよ」
ドメルが、よく通る低い声で詠唱した。
石像が大理石の床に倒れ、誰もが砕け散ると思った瞬間、床がまるで砂漠の砂のように巨大な石像を受け止めた。辺りには砂埃がもうもうと巻き上げられている。
「流石です、ドメル先生!」
生徒たちがドメルのもとに駆け寄り、誰からともなく拍手をした。
かなりの面積の床を、瞬時に砂漠に変えたドメル先生は、少し汗をかきながら石像を睨みつけたあと、石像に走り寄るメイシーの姿を険しい表情で見て、発言した。
「突然だが、私は急用ができたのでこれで失礼する。諸君らは、これから私の代理の者から研究棟の説明を聞くように。以上!」
「そ、そんな…!」
生徒たちは、残念そうに落胆の声を上げた。
ドメルは指輪に何かをつぶやき、誰かと連絡を取っているようだ。
まだざわめきが止まらない生徒たちをよそに、メイシーは砂まみれになりながら石像に触れており、ドメルの言葉は全く耳に入っていなかった。
「メイシー・マクレーガン。君には話をせねばならないようだ」
「え……でも……」
(石像を壊すところだったから、先生も怒ってるのよね……?あ〜、でも今のうちにもっと調べたいのになぁ)
メイシーは石像をもっと見ていたかったが、ドメルがギラリと鋭い眼でメイシーを睨むので、仕方なくドメルに従うことにした。
名残惜しい気持ちで石像をさする。
(うーん、全部を調べたわけじゃないけど、多分この魔術具を作った人は、かなりの魔力を像に注いだんじゃないかしら。砂の一粒一粒に纏わせるように、光と火と水の魔術を丁寧に行使してるようだから。こんな高度な、緻密な魔術があるなんてねぇ……)
石像のひんやりと滑らかな感触を楽しみながら、メイシーは石像の魔術に思いを馳せた。
すると、いつの間にか時間が経っていたようで、目の前のドメル以外は誰もおらず、生徒たちはどこかに行ったようだった。
「気は済んだか?」
「は、はいぃ…」
ドメルはメイシーが石像をさすりながら考え込んでいたのを、しばらく待ってくれたようだ。
「この像はしばらくしたらもとに戻るんだな?」
「はい、体感ですと術をかけてから1時間ほどでもとに戻るかと」
「ならば、よろしい」
(ドメル先生は、私の魔術を近くで見て、どんな魔術をかけたのかすぐに分かったのね。やっぱり魔術学園の教師ともなるとすごいわ)
メイシーが感心していると、ドメルは石像の周りの砂漠をもとの大理石の床に戻し、倒れた石像はそのままにして歩き出した。
「メイシー・マクレーガン。君は私についてきなさい」
ドメルは深い緑のローブを翻し、メイシーを伴い、回廊をあとにした。