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たしなみ25




天幕の中では、苦しそうなうめき声がそこかしこから聞こえ、たくさんの負傷者が藁や布の上に寝かされていた。


むせ返るような血と汗と、薬草の匂い。


メイシーは、床に転がる負傷者や、その間を縫うように、ひっきりなしに移動している光の魔術の使い手の騎士たちに気をつけながら、アドルフ総副団長のあとをついて行った。



「こちらに殿下がおられます」


アドルフ総副団長はそう言って、天幕の最奥、梁から仕切り布が垂れて、簡易的な天蓋のようになっている場所の前で足を止めた。


メイシーは、ドキン、ドキンと嫌な音を立てて鳴る心臓を抑えるように、胸に手を当てて、仕切り布の前で立ちすくんでいた。


アドルフ総副団長が目配せをして、サッと仕切り布を捲ると、寝台に乗せられた人の足がまず目に飛び込んできた。


メイシーが恐る恐る寝台へと足を進めると、横たわる人が、浅い呼吸で激しく胸を上下させている様子が見て取れた。



「……殿下……!」


メイシーは、殿下の顔が見えると足を早めて、寝台の側に膝をついて、彼に近づいた。


殿下は顔色が悪く、脂汗を流し、痛みのせいで体を揺らすように震わせていた。


肩から胸元にかけて包帯がかけられており、時折見える背中側には、包帯の隙間から紫色の痣のようなものがあった。



「……昨日は背中の傷が痛むようで、横になるのも苦痛なご様子でした」


アドルフ総副団長は、心痛な様子でそう語った。



「殿下は背後に傷を負われたのですね?この、紫に見えるのは?」


メイシーは、アドルフ総副団長に問いかけた。



「ええ。背後からウロボロスの牙に裂かれ、毒を負われました。それ以来継続して光の魔術を行使しているのですが、魔術が効かぬ強力な毒のせいで傷周りが変色しているようです。

……ウロボロスの毒は、我々にも経験がなく、定期的に毒消し草の煎じ薬を塗りつけてはおりますが、効き目は薄いようで……」


アドルフ総副団長はそう言うと、暗い表情で俯いた。



「わかりました。私も魔術を行使してみます」


メイシーはそう言うと、殿下の手を取り、そっと額を傾けて目を閉じた。



(まず、体の毒素を少しでも吸い出せないかしら。水の魔術で、水に溶かして洗い出すイメージ)


「水、出でよ。彼の背に纏い、毒を溶かし出せ」


ヒュルル、と水が出現し、殿下の背中にまとわりつき、紫の痣の辺りからじわりと毒を排出させた。


水の魔術が消えて背中側を見ると、痣が少し薄くなっている気がした。



(……完全じゃない。表層のほんの一部ってところね)


すでに傷口から全身に回ってしまった毒は吸い出せず、殿下の苦しそうな様子にも、あまり変化は見られなかった。



(毒蛇の治療といえば血清療法よね)


たしか、抗毒血清は、毒素自体を破壊するのではなく、毒の影響を取り除くもの。

作られた抗体が毒素を覆い隠し、全身に回るのを防いで無害なものにする……という原理は、毒性学で学んだ。


メイシーは、毒を破壊するのではなく、覆い隠して無害化するイメージを頭の中で再生した。



「……光よ、毒の粒を覆い、浄化せよ」


メイシーが触れる殿下の手から、全身へ光の魔術が広がって、キラキラと輝きを放った。


メイシーが目を開けると、殿下の体から紫の痣が消え、殿下の呼吸が深く、正常なものに変化した様子だった。



「おお……!殿下の容態が……!」


アドルフ総副団長が、少し離れた背後から、驚きの声を上げた。



「ひとまず、毒の治療は完了しました。ですが目覚めるまでには時間がかかるかもしれません……。天幕内に怪我人がたくさんおられますので、皆様にも光の魔術を行使します」


メイシーは、もう一度殿下の手を取り、額を傾け、皆の平癒と、森の瘴気が少しでも消えるようにと祈りを込めながら、光の魔術を行使した。



「……森を覆う瘴気を払い、戦いに傷ついた者への安らかな癒やしを」




そうつぶやいた瞬間、メイシーは、目を閉じていても分かるくらい、自身からまばゆい光が放たれているのを感じた。

メイシーは、しばらく自身の光の魔術に身を任せた。







……どれくらい、そうしていただろう。


メイシーは、聞き覚えのある声が、自分の名を呼ぶのに気がついた。



「………メイ、シー?」


メイシーは、ハッとして顔を上げた。


驚きに見開かれたエメラルドグリーンの瞳が、瞬きせずにこちらを見つめているのに気がついた。



「……殿下?」


二人は呆然として、しばらくそのままお互いにお互いを見つめ続けた。



すると背後から、ーーーワッ!という、叫び声に近い大歓声が上がったのが聞こえ、メイシーは反射的に声のする背後の方へ体を向けた。


仕切り布のせいで、シルエットくらいしか見えないものの、大声で「治ったぞ!」「痛みがない!!」「うおぉぉ!!」と男たちが叫びながら、枕や布や藁を放り投げたり、手と手を取って肩を寄せ合い、男泣きしているような姿が目に飛び込んできた。



「メイシー」


「わっ」


不意にメイシーは、寝台から伸びた殿下の腕に背後から抱き寄せられた。

メイシーは、ハッとして殿下のほうに少し顔を向けながら口を開いた。



「殿下!痛みは?」


「ない。さっきまでの地獄のような苦しみが、綺麗さっぱり消え失せた」


殿下はきれいな顔に微笑を浮かべ、上からメイシーを覗き込んだ。



「すごいな。其方のおかげだ」


「よかった……!」


メイシーは、殿下の腕に手を添えようとしたが、安心からか、魔力をたくさん使ったせいからか、殿下の腕にへにゃりともたれかかるようにして前のめりに倒れそうになった。



「おっと」


殿下はメイシーを素早く支えて、自分が腰掛ける寝台の淵のほうへ引き寄せた。

そしてメイシーの体を持ち上げて、殿下の両足の間にメイシーを座らせると、背後から腕をしっかりと回し、メイシーのほどけかかった濃茶の三つ編みの髪に顔を埋めた。


上半身は包帯だけという出で立ちの殿下がメイシーの背中に密着し、殿下の体温が伝わってきて、メイシーの緊張は否応なしに高まった。



「で、殿下……!近い、です!」


「なにか言ったか?」


「近い!近い!」


「聞こえんな……」


「ち、か、い!」



未だ止まない、男たちの絶叫のような大歓声にかき消されたようで、メイシーが一生懸命訴えた文句は、殿下に全く聞き入れてもらえなかった。






やがて、天幕に複数の足音が聞こえてきた。

足音は徐々にこちらに近づいているようだった。



「殿下、失礼します!」


声のあと、仕切り布をサッと開けて、強面の騎士たちが数十名姿を現した。



「……!!殿下!……よくぞ、よくぞご無事で…!」


先頭の一番強面の男性が、殿下の姿を見た瞬間に、眉を大きく下げ、泣き出しそうな表情で、膝から崩れ落ちるようにしてその場に平伏した。


後ろの騎士たちも、同様に膝を折った。



「このタイラー!殿下にもしものことがあれば、首をつる所存でした……!本当に、よくぞ……ご無事で……!」


タイラーと名乗るこの男性は、床に額を擦り付けて、肩を震わせて、絞り出すように声を上げている。


メイシーは、騎士たちの突然の強烈な登場に驚いたものの、すぐに自分の恥ずかしいこの状態に気が付き、パッと殿下から離れようとした。


殿下はそれをいったん制したが、メイシーの耳元で「……其方の可愛らしい顔は、私だけが知っていればいい」とつぶやき、満足げにメイシーを離した。


メイシーは顔を真っ赤にしながら、部屋の端で放心しているアドルフ総副団長の近くへと逃げ込んだ。



「面を上げよ、タイラー」


殿下はこのガタイの良い強面の男性、タイラーに声をかけた。タイラーは、ゆっくりと体を起こし、殿下の方へ顔を向けた。



「首をつるだと?…たわけが」


「………」


殿下の瞳はすでに、切先の鋭い刃のように近寄りがたいものになり、荘厳で為政者らしいそれになっている。



「其方が私の後を追って死ぬなど、許されん。お前は騎士団総団長としての役目を何だと思っておる?」


「それは……」


「お前のその腕は何の為にある?その足は何の為に?」


「………」


「其方は帝国民の平和の(いしずえ)なのだ。騎士として生きる限り、其方の体は、最後の一片(いっぺん)まで帝国民の平和の為に捧げろ。守るべきものを違えるな」


「殿下……!」


タイラー騎士団総団長は、殿下の言葉を噛みしめるように、一言一言に感じ入っている様子だった。


そしてその言葉は、まるで波紋が広がるように、後ろで控えていた一人ひとりの騎士たちの心に確実に届いたのだった。



「……アドルフ、お前ここで何をしている?」


ここでようやく、タイラー総団長がアドルフ総副団長の存在に気づき、後ろの騎士たちに、未だ呆けて混乱しているアドルフを下がらせるように目配せした。


そして、タイラー総団長は、メイシーが立っていることにも気がついた。


殿下がそれを見て口を開いた。



「マクレーガン侯爵家息女、メイシーだ。今しがた其方らの感じた光の魔術は、メイシーのものだ」


「なんと……!!」


タイラーは、メイシーに向き直ると、改めて頭を垂れた。



「マクレーガン侯爵家御息女、メイシー殿。この度は素晴らしい光の魔術の行使、誠にありがとう存じます。まさかこのようなか弱いご令嬢が、あのような強い魔術を使われるとは、夢にも思わず……。ご挨拶が遅れ、失礼いたしました」


「とんでもございません!お役に立てましたなら、光栄でございます」


メイシーのその言葉に、タイラー総団長は顔を上げ、優しく微笑んだ。



「貴女が……そうですか…」



タイラー総団長は、まじまじとメイシーを見つめている。


メイシーは、初めて会うはずのタイラー総団長に、そう声をかけられ、困惑してしまった。



「……あの日、殿下は王都まで転移を20数回ほど繰り返したようでしてな。しかし貴女様に、()く帰れと言われてしまい、また同じだけ転移なさり……。

転移酔いでフラフラなさっておいででしたが、貴女とのお約束があるからと、私共の先頭に立ち、帰任早々、アンデッドドラゴン3体を倒されたのですよ」


「えっと……?」


(あの日って……もしかして、屋敷まで会いに来てくれたあの日のこと?)


メイシーはチラリと殿下の方を見た。殿下は寝台の淵で、膝に頬杖をつくようにして、口元を手のひらで覆っている。何となく面白くなさそうだ。



「フラフラなど余計だ。お前たちが不甲斐ないせいで、いつまで経っても私が騎士団の世話に奔走せねばならんのだぞ」


「お心遣い、痛み入ります」


「違う。もっと精進せよという説教だ」


「はっはっ!そうでしたか?……しかしそれにしても、殿下にもこのような時が来ようとは。我ら騎士団、所帯のある者は皆すべからず、妻には頭が上がらない。普段は戦の神のごとく戦いに挑まれる貴方様の、あのような姿に、我々密かに安堵しておりました」


「……うるさいぞ。無駄口をたたく暇があれば、森に入って1体でも2体でも魔獣を狩ってこい」


殿下は不機嫌にそう言い捨てると、タイラー総団長にシッシッと退室を促した。


タイラー総団長は「はっはっ!」と楽しそうに笑い、ゆっくりと大股で去って行った。



「……そんなに沢山転移をなさったんですね。ご無理をさせてしまいましたね」


「さぁな。なんのことか」


フン、と殿下はそっぽを向き、メイシーと目を合わせようとしなかった。



(……少し殿下が分かったわ)


殿下は自分が格好悪いところをメイシーに見せたくないようだ。


メイシーは、ふふ、と笑った。



(男の子って、面白いわね)


なんだか殿下が、少し身近に感じられたメイシーだった。


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