たしなみ23
魔獣討伐隊へのマスクや鎧の支給のほかに、メイシー達にはまだ考えるべき課題が残されていた。
(瘴気の沼をどうやって止めるか……。瘴気の発生を抑えなければ、まだ解決にはならないものね)
そもそも、通常のスタンピードの時は、瘴気はどのように消滅しているのだろうか、という疑問が浮かび、メイシーはドメル先生に話を聞くことにした。
「ノア、ドメル先生に手紙を書きたいの。代筆をお願いできる?」
「かしこまりました、お嬢様」
ドメル先生には、過去のスタンピードの収束までの経緯や、以降の瘴気の発生源の様子などを質問してみた。
小一時間ほどで、手紙が返ってきた。
「過去のスタンピードでは、魔獣討伐に多大な労力が必要で、発生源を積極的に調査できなかったことは、以前伝えたな?
湧き出る魔獣を倒し続け、瘴気が薄くなった段階で、スタンピードは収束した、と認定された。
瘴気の発生源の特定は、運良くできた時もあるが、すでに何の手がかりもなく、発生源不明として調査が終わったスタンピードのほうが圧倒的に多い。
特定ができたスタンピードは2回。
それでも、瘴気が湧き出ていることを目視したのではなく、瘴気の残渣が辺り一帯に濃く残されていたため、その場所がおそらく発生源であった、というような記録しか残っておらず、今回のように瘴気が湧き出ている場所に踏み込んだことは、記録の限りでは、無い。
しかし2回の予想された発生源については、その後も定期的な調査が入った。
1つは北西の森、国境沿いの洞窟。
2つ目は北東の森、山麓付近の湿地。
付近はいずれも低位の魔獣の死骸が散乱していた、という記載があるが、スタンピードが始まると、森の各所で魔獣同士での喰らい合いが散見されるため、その場所だけに見られる特徴というわけではない。
どちらも瘴気は地面の何処かからの噴出と思われる点では同じだったが、発生条件が何なのかは結局特定できなかった。
何か思いついたことがあれば、共有してほしい。
ドメル・ハルガンディ」
(地面からの噴出、か…)
この記載だけでは、濃い瘴気がなぜ発生したのかは分からない。
自然現象のように地面から吹き出たのだろうか。
(それにしても、タイミングに理由はあるのかしら?不思議ね)
最初に殿下とドメル先生に、ウロボロスの脱皮後の皮を見せてもらった。
スタンピードの発生を知らせるものとして、過去にも何度も見られた、という話だった。
(……あれ?)
メイシーは、実験室の皆とともに、この魔獣討伐での戦果を把握するため、獲得した魔獣素材の詳細を一覧化して記録していた。
それは、素材の不足が原因で、作る直前になって魔術具の製作ができない、という事態に陥らぬようにと、メイシーが提案したからだった。
低位の魔獣の素材は数が豊富にあったため、一部割愛した種類もあるが、基本的に中位以上の魔獣がどれだけ屠られ、騎士たちがどの部位を持ち帰ったのかは細かく記載し、次の魔術具制作をスムーズに行えるように、実験室では在庫管理をしていたのだ。
(……ウロボロス、素材になってないね?)
メイシーは、気づいた途端、なにか不気味なものを感じた。
ウロボロスはまだ、倒されていない。
(……これは、なにかあるんじゃない?)
殿下は、ウロボロスについての生態はまだ分かっていない、と話していた。
メイシーは、ウロボロスについて、できるだけ文献を集めてほしい、と、ドメル先生に手紙を送り返すことにした。
メイシーは、いつになく難しい表情でノアに手紙の代筆を頼み、そのまま手紙の魔術で早めにドメル先生に送ってほしい、と訴えた。
メイシーのその様子に、ノアも事態を察し、手早く手紙を送ってくれた。
数時間後。
「メイシー嬢、皆で学園の図書館から、ウロボロスについての書籍をすべて集めてきた」
ヨゼフ様が、ドメル先生、ラグナーラお姉様と共に、十数冊の書籍を手に、マクレーガン邸にまでやって来た。
「ヨゼフ様、ドメル先生、ラグナーラお姉様、ありがとうございます」
「何か、気になることがあるって?」
ヨゼフ様がメイシーに早速話を促した。
「はい。……殿下とドメル先生が、最初にスタンピードの予兆だとして、ウロボロスの脱皮後の皮をお持ちくださいました。でも、私達がまとめている在庫素材の一覧表には、まだウロボロスの記載はありません」
「そうだな。あの魔獣には謎が多く、実際に見たり、対戦したような者も、そこまで多くはないのだ。それについては、ここにある文献に記載があるだろうが」
ドメル先生が、持ち運んだ文献の表紙をトン、と指で叩いた。
「あの、自分でも読みますが、少しでも早く情報を掴みたいので、ご存知のことはお答えいただけますか?」
メイシーが、この場の皆に声をかけた。
「もちろん」
「当然だ」
「どうぞ」
メイシーの真剣な表情に、3人全員が諾の返事をした。
「皆様ありがとうございます。まず、ウロボロスはどのような見た目でしょうか?私の想像ですと、蛇なのですが……」
「ええ、蛇よ。大きさは普通の蛇とは比較にならないほど大きいけれど」
「確か、読んだ文献には、薬草を取るために森へ入った薬師が、成蛇と思われるウロボロスに遭遇した際に、頭を起こした状態で、高さが約5メートルほどだった、と記載があったな。小さな岩場に隠れて様子を伺ったようだが、去り際に全長を目視したところ、10メートル以上はあった、とのことだ」
ラグナーラお姉様とヨゼフ様が答えた。
「そうですか。では、その生態は基本的に蛇に近いもの、と考えられますでしょうか?」
「ああ。脱皮をすることや、冬は土の中や水の中に潜って越冬することは知られている。いわゆる変温動物の特性は、持っていると言って良いと思う」
ドメル先生が答えた。
「……なるほど。それでは、産卵はしますか?」
メイシーのその問いに、ドメル先生は、ヨゼフ様やラグナーラお姉様に顔を向けて、何か知っているか?と目配せした。
「それが、繁殖については僕は記憶がない」
「私もよ」
「私も情報は持っていない。……これが、ウロボロスの生態が不明点の多いと言われる理由の1つだな」
3人は、揃って、メイシーの問いに対する答えを持ち合わせていなかった。メイシーは、難しい顔をして、自身の意見を口にしてみた。
「……今からお話するのは、皆様の情報から、私が立てた仮説です。昔、蛇を飼っている知り合いに聞いた話なのですが……」
(爬虫類好きの大学時代の友達の話なんだけど…)
「普通の蛇にとっての脱皮は、成長に合わせた垢落としのようなもので、頻度には個体差があるようです。ただ、発情期の際は、別の意味合いもあって、雄蛇は、雌蛇の脱皮後の皮を見つけると、発情が促されることがあるのだとか。スタンピード前のウロボロスの脱皮は、ですので、繁殖の前の印だったのかも、という仮説を立てました。ウロボロス自体がとても珍しい魔獣だと思いますので、雌雄が出会う確率も相当低いはず。
脱皮も、雌ウロボロスが意図的に森の入口で行った、という可能性はないでしょうか?過去のスタンピードでも、いずれも、何故か森の入口での脱皮が確認されておりますし」
「……それは、スタンピードとどうつながるのだ?」
ドメル先生が眉間にシワを寄せてメイシーを見つめた。
「ウロボロスは、死と再生の魔獣と聞きました。その呼び名をそのままの意味に捉えた時、産卵という〈生〉の瞬間に、〈死〉にまつわる何か……それが瘴気なのかはわかりませんが……。とにかく何か一緒に産み落とすことは、可能性としてはあり得るのかしら、と」
「ウロボロスが死と再生の象徴とされるのは、スタンピードの前兆を見せて、大量の魔獣が襲いかかり、人間に〈死〉をもたらすからなのかと想像していたわ」
ラグナーラお姉様がそう言った。
「そうだね。今の我々にはその理解が一番しっくりくる。神話や伝承の中では、2匹のウロボロスが互いの尾を噛み、生と死、2つの概念が永遠に混ざり合う、死と再生の象徴として描かれているけれど……そういえば、ウロボロスのそばに、たくさんの魔獣のような、動物のようなものが描かれている歴史書を見たことがあったな。あれは確か、約千年前に滅びた北の民族の伝承をまとめたものだったと思う」
「……!それは、スタンピードの様子を描いたものでしょうか?」
「どうだろう。僕は宗教上の、想像の産物かと思っていたけど、実はウロボロスとスタンピードの関係を描いたものだったのかな」
メイシーは、ヨゼフ様のその言葉に、期待を膨らませた。
「持参した書籍は、歴史書は対象にしなかったんだ。図書館から本を持ってこよう。フルルーナ先生が実験室におられたから、手紙の魔術で、至急こちらに本をお持ちいただくようお願いしてみる」
そう言って、ヨゼフ様はメイシーの便箋を借りて、サラサラと書付けて、手紙を送った。
フルルーナ先生は、歴史書を数冊、ヒューバート先生と共に持ってきてくれた。
「ヒューバート、戻っていたのか?」
ドメル先生が、顔面に大きな傷のある、長い黒髪を1つに括った、ヒューバート先生に話しかけた。
「ああ。送ってくれた防毒マスクが、かなり騎士たちの負担を減らしてくれたのでな。俺は光の魔術が使える戦闘員として呼び出されていたが、マスクがあるため、戦地の浄化にさほど人員が必要なくなった、という次第だ」
「なるほど、それは我々には吉報だな。ヒューバートにはこれから、マスク製造に入ってもらうことにしよう。ところで今、メイシー・マクレーガンの提案で、ウロボロスについて探っている。ヒューバートにも後ほど意見を聞こう」
ドメル先生とヒューバート先生が、そのような言葉を交わし、フルルーナ先生にその場を譲った。
「メナージュ侯爵令息に頼まれた本は、これらで良かったかしら?」
フルルーナ先生は盲目の目を閉じているが、気配を察知できるのか、持参した書籍のほうを正確に示した。
「フルルーナ教授、ありがとうございます。ええ、こちらで間違いございません。メイシー嬢、これが例の歴史書だ」
ヨゼフ様はそう言うと、いくつかの巻に分かれたそれらの本をペラペラと捲り、あるページで手を止めてメイシーに手渡した。
「ウロボロスの周りに描かれているもの、私には魔獣に見えます。でも古い文字のため、私には解読が難しいですわ…」
メイシーは、困って周りの皆を見つめた。
「私が読みましょう」
フルルーナ先生が助け舟を出してくれた。
「……詩のように書かれていますね。
〈死と再生のウロボロス〉
〈終わりの尾を始まりの頭が喰らう〉
〈時が満ち、終わりが産み落とされし時〉
〈終わりの黒き気配が押し寄せる〉
〈同時に、再生は黒き気配から産声をあげ〉
〈また次の死に向かって旅に出る〉」
「……解読が難しいな」
ドメル先生が、フルルーナ先生の言葉に顔をしかめた。
「でも私には〈産み落とす〉がウロボロスの産卵をイメージさせますし、〈黒き気配〉というのが、もしかしたら瘴気なのでは、と連想されました」
メイシーは、詩を聞いて、なんとなく自分の立てた仮説にしっくり馴染む気がした。
「仮にメイシー嬢の仮説が正しいとして、瘴気はどうすれば止まるんだろう?」
ヨゼフ様がつぶやいた。
「俺も意見を言っていいか?」
ヒューバート先生が口を開いた。
「瘴気は、殿下の魔力を乗せた剣で、幾度か払っている。なので、沼の中の何処から瘴気が出ているのかが正確に分かれば、殿下の一太刀で対応できると思うぞ」
「そうなのですね。ではやはり、発生の原因かもしれない、ウロボロスの卵を見つけることが解決への道筋では?」
「そうだな……。しかし、沼は広大なうえ、毒霧の泥沼だ。マスクがあるとは言え、限られた時間内に卵を見つけることや、瘴気から出現する魔物との戦闘は、一筋縄ではいかないな……」
ヒューバート先生が、難しい顔でそう答えた。
そこに、ラグナーラお姉様が声を上げた。
「あの……仮に沼の中の卵から瘴気が出ている場合、卵の中のものを仕留めれば、瘴気は消えるという理解でよろしいですよね?
……でしたら、沼を凍らせることはできないでしょうか?」
「「「……!!!」」」
「あるいは、沼を魔術で灼熱状態にすることも考えたのですが、毒が、炎によって爆発を起こす可能性もあると思い至りました。凍らせる場合は、その心配は少ないかと。それに、沼は広大だそうですが、卵が逃げることは考えづらいため、区画を区切り数日かけて凍らせれば、どの区画に卵がありそうかもあぶり出せそうです」
(ラグナーラお姉様、天才ですか!)
「なるほど、その案なら水の魔力持ちを数チームに分けて編成し、一定時間で作業を終えることもできるな」
ドメル先生が、良案に唸った。
「すごいな。早速試していただくよう、殿下に連絡しよう」
ヒューバート先生も、納得した。
ヨゼフ様とフルルーナ先生も、異論はない様子だった。
「では、沼の中にウロボロスの卵があるという仮定と、その仮定に基づいた卵の探索について、殿下へ至急お伝えする」
ドメル先生がそう言って、その場は解散となった。
すみません。このページは一度投稿したのですが、削除して、書き足して再投稿しています。