たしなみ20
目覚めてからは、表面上は日々がゆっくりと穏やかに流れていった。
それでも一人でいる時には、ふと、殿下にもしものことがあったら……と考えてしまう自分が居て、メイシーは苦しくなってしまうのだった。
ラグナーラお姉様は、目覚めてから毎日邸を訪ねてくれた。
フルルーナ先生、バーサ先生、そして他の先生方達も、交代で邸にやってきて、まだ立ち上がれないメイシーの話し相手になってくれた。
ヨゼフ様はドメル先生と共に来てくれた。
最初に来てくれたのは、メイシーが目覚めてから一週間後のことだった。
「メイシー嬢……!本当によかった!」
「ヨゼフ様!ドメル先生もいらしてくださったのですか?お会いできて嬉しいです!」
ヨゼフ様は、部屋の扉が開くと、いつも以上ににこにことしてベッドの側まで近づいてきてくれた。
一方、ドメル先生は、沈痛な面持ちで、未だ扉の前で肩を項垂れて立ちすくんでいる。
「ヨゼフ様、あの……ドメル先生のご様子が……?」
「うん、まぁ……仕方ないよね?」
「えっと……ドメル先生?」
ヨゼフ様は、やれやれといった様子で肩を竦めると、メイシーと一緒に扉の方を見つめた。
「ドメル教授、どりあえずこちらまでいらしたらいかがです?メイシー嬢が困惑していますよ」
「……」
ドメル先生は、重たい足取りでメイシーのほうへ近づいてきた。
そして普段は威厳と自信に溢れた様子なのに、今は顔色を悪くして、おどおどとメイシーの様子を伺っていた。
「メイシー・マクレーガン……。今は起きていても平気なのか?また、倒れたりはするまいな……?」
「はい。私は目覚めてからは毎日きちんと早寝早起きしております。それよりも、ドメル先生こそ、体調が優れないご様子です。大丈夫ですか?」
「……すまなかった」
「え?」
(何か謝っていただくことなんてあったかしら…?)
メイシーには全く見当がつかず、困った顔でヨゼフ様を見た。その様子を見て、ヨゼフが口を開いた。
「ドメル教授は、ご自身が剣を渡したせいで、メイシー嬢をあのような状態に追い込んだのではと、かなり責任を感じておられるんだ」
「えっ!?」
メイシーは、びっくりしてドメル先生を見つめた。
「あの、あれは私の勝手でして……。ドメル先生がそのような責任を感じられる必要は全くないのです!」
しかしメイシーのその言葉は、ドメル先生には届いていないようだった。
「教師として君を危ない状態に晒したことは、代え難い事実だ。非常に苦しい弁明だが……。君に剣を用意して欲しいと言われた時に、まさか、よもや、こんな事態になるとは思いもしなかった……」
「それは勿論そうでしょう!まさか私も、こんなことになるとは予想できませんでしたから!」
ドメル先生は、硬い表情のままメイシーの言葉を聞いていた。
すると、隣にいたヨゼフ様がスッと真剣な表情に変わり、メイシーにこう話し出した。
「メイシー嬢。キツい言い方になって悪いけれど……。僕はドメル教授が不用意に貴女に剣を渡したとも思うけど、貴女も、ドメル教授への事前の説明責任を果たしたようには思えない」
「う……!!お、仰るとおりです……」
「だからメイシー嬢はドメル教授のことを許してあげてほしいし、メイシー嬢も、これからは僕らにもっと話をしてほしい」
「も、勿論です……!!ドメル先生、ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんでした!先生が気に病むことなど、全く、これっぽっちも、微塵もございません!すべて私の、単なる興味本位からの軽はずみな行動の結果なので、本当に本当に、気になさらないでくださいませ!」
「はぁ……。そういう言葉も、いま貴女が生きているから言えることなんだよ?もしあのまま死んでしまっていれば、ドメル教授だけではなく、僕らも、一生貴女を止められなかったことを悔やんだだろう」
ヨゼフ様は、いつもとは違う、鋭い口調でメイシーを責めた。
「……誠に、申し訳ございませんでした!」
メイシーは、冷や汗を流して、できる限り平身低頭して許しを請うた。
(うぅ、普段怒らない人を怒らせると、本当に怖いわ…!!)
「ドメル教授、メイシー嬢もこう言っていることですし、もう貴方も気持ちを切り替えて、いつも通りの貴方になってはいかがです?」
ヨゼフ様は、少し気遣わしげにドメル先生にそう声をかけた。ドメル先生はその言葉にしばらく考え込み、やがて顔を上げて決意表明をした。
「……思い詰めるのも、今日までとしよう。くさくさしては時間が勿体ない。まだ私にはなすべきことがあるからな」
「そうですよ。僕も言いたいことを言えて、スッキリしました」
メイシーは、ドメル先生とヨゼフ様のやり取りを、気まずい思いで聞いていた。
(うぅ、皆さんにこんなに迷惑をかけただなんて……。申し訳なくて、いたたまれないわ……)
メイシーは、小さくなって消えてしまいたい気持ちになった。
「……そういえば、殿下と、残った騎士たちは、森の奥の瘴気の発生源をすでに特定したのですよね?」
ヨゼフ様がドメル先生に話しかけた。ドメル先生はコクリと頷き、説明を加えてくれた。
「ああ。森の中央、やや北寄りの場所に、汚泥に満たされた沼があり、沼から毒霧のようなものが湧き出ているらしい。瘴気もおそらくこの沼から湧き出ているものと思われている」
(毒霧……。そんな場所、長く居られないわ)
「発生源が分かっても、沼の深さも分からず、広大なため、瘴気を完全に払うことは難しいと判断が下された。人間がこの汚れた場所に留まり続けるのは難しいため、殿下たちは一旦発生源から離れた地に野営されているようだ」
「なるほど。発生源を叩く方法と、発生源に一定留まる方法、これらが見いだせずに殿下たちは足止めを食らっているということですね…」
ドメル先生とヨゼフ様は、何やら思案し始め、会話を止めた。
(毒に対応できる素材は、前にヘルハウンドの毛皮を思いついていたわ。でも毛皮だと、戦いの最中に邪魔だし、暑いし……。結局坑夫さんたちにも、同じ理由で導入を断念したのよね)
でも、あの頃とは違う。
ヘルハウンドの毛皮や牙をメッキ加工技術で、口元を覆うマスクや、鎧、鎖帷子、ヘルメットなどに施せば、防毒効果のある防具ができるのではないか。
もし発生源の対処法が見極められず、長期戦になるようなら、現地で野営するための天幕に防毒効果を付与できれば、交代要員を増やし、瘴気発生源の調査をもっと大掛かりに行えるかもしれない。
それから、瘴気発生源周辺には高位の魔獣が湧き出るという話だったので、魔獣が忌避するものも、天幕の周りに設置できないか。
……メイシーはこのような意見を、ドメル先生とヨゼフ様に思いついたままぶつけてみた。
「ふむ。検討の価値はありそうだ」
「マスクと防具に防毒効果を付与するのか。ヘルハウンドの毛皮にどこまでの防毒効果が見込めるのか、調査しないといけないね」
ドメル先生とヨゼフが、そう答えた。メイシーは、さらに意見を続けた。
「魔獣が忌避するもの、というものが、今のところ私の製作した、あの剣しか思いつかないのですが……。その……もし、あの剣に使ったものより、高位の魔獣の素材が手に入るなら、それをメッキ加工に使ってみれば、より高位の魔獣も、近寄れないかも……と。
殿下は、アンデッドドラゴンを倒したと仰っていましたし、素材は、ありそうだなぁと……」
メイシーは、恐る恐る、見上げるようにして二人の表情を伺ってみた。
ヨゼフは思案げにメイシーを見つめ、ドメル先生は、眉間にシワを寄せ、目を閉じてメイシーの意見に耳を傾けていた。
「……もう一度、いや、もっと何度も、そしてもっと高難度の素材を使って、君が倒れた方法で魔術具を作るということ?」
「……再現性のない剣を作ってしまって恐縮ですが、はっきりと言えば、ヨゼフ様の仰るとおりです……」
「うーん。そうだな。メイシー嬢がたった一人で一気に、というところが問題だったと思う。複数人が一度に異素材メッキ加工を施す方法も考えられるし、一人の人間が、異素材のメッキ加工を、ひとつずつ何度か分けて重ねがけする、という方法も、まだ試していないよね?」
「あっ…」
ヨゼフの言葉に、メイシーははっとした表情になった。
(本当だ。私は一人でできる一番手っ取り早い方法しか考えていなかった)
「さすがヨゼフ様です!その二つの方法なら、魔獣避けが作れるかもしれません」
「……でもね、どちらも相当な危険が伴うのは予想できる。複数人が一つの対象に異素材メッキ加工を行う時は、メイシー嬢の時と同じく、素材が反発して嵐になるだろうし、一つずつ異素材をメッキ加工する場合も、回を重ねて後になるほど、反発による魔術師への危険が不可避だと思うよ」
「そ、そうですか……」
メイシーは、ヨゼフの言葉にがっかりして顔を曇らせた。
「私からも意見を言わせてもらおう」
ドメル先生が口を開いた。
「その方法での魔獣避けの実現は困難だと思うし、そもそも、野営地は、やはり瘴気の濃い場所から離すべきだと私は考える。
今は少数精鋭部隊が殿下とともに瘴気周辺を探索し、いったん切り上げた状態だが、毒霧の影響もあり、精鋭部隊へのダメージは高かったようだ。この回復には、瘴気の外で体を休める必要があり、野営地はその理由から、やはり外に置くべきだと思う。
そのためには瘴気の濃い場所から早急に離れる仕組みを、何か別に思いつけないか……と思案した」
「なるほど。ドメル教授のご意見も尤もですね。僕たちは騎士の戦い方については、素人の意見しか出せませんから。
うん……戦線を一定時間ごとに離脱して、交代要員と交代することは重要ですね。調査についてはその策が良さそうです。
一方で、高位の魔獣との戦闘が開始されると、スムーズに交代はできないでしょうね……。多分、殿下が一番危険だ」
「……殿下並に魔力が高く、戦闘能力の高い交代要員など居ないからな」
「……」
ドメル先生とヨゼフ様のやり取りに、メイシーは表情を暗くした。