SIDE: ラグナーラ
「おい!ルデルニエ子爵令嬢!」
「…………………はぁ」
これで何度目なのか、もう数えるのもうんざりなキャラファエル・ヴァナスの呼び声に、ラグナーラは嫌々ながら振り向いた。
「私をマクレーガン侯爵令嬢の実験室に招待したまえ」
キャラファエルは、学園内でラグナーラの姿を見るたびに、こうして声をかけてくるのだ。
「何度も申し上げておりますが……それはできかねます」
「フン、伯爵令息の私が頼んでいるんだぞ?断れるはずがなかろう!」
「………。お断りの理由を、一体何度ご説明すればよろしいの?私にはそのような権限はないのです。あの実験室はドメル教授の許可がなければ入室できません。私の意向など、通るはずもないのです」
「そこを何とかするのが、君の役目だろう?」
ラグナーラは、盛大なため息をついてキャラファエルを睨んだ。
(ヴァナス伯と懇意にしている伯父様に叱られるかしら?……でも、もういいわ)
ラグナーラは、積もり積もった怒りのまま、キャラファエルを罵倒する算段を立てた。
しかしそれを、聞き慣れた声が遮った。
「ーーーやぁ、ヴァナス殿。聞くつもりはなかったんだけど、話が聞こえたから、つい。良ければ、僕の方から学園長に話をしようか?」
にこり、と優しい笑みを浮かべて、ヨゼフ・メナージュ侯爵令息が近づいてきた。
「おぉ!メナージュ侯爵令息!それは是非。貴方は話が分かるお方だ!」
「僕は話をするだけだよ。返事は学園長から聞いてね?」
そう言って、ヨゼフは約束を取り付けて鮮やかにその場を収めてくれた。
(助かったわ……)
キャラファエルは嬉々としてその場を去って行った。
「……ありがとう存じます。何度も声をかけられて正直とても困っておりましたの」
「学園長には僕らの困りごととして、一度相談しておこう。ドメル教授に相談しても良いんだけど、教授が些事に煩わされて実験室に来る時間が減るのは、結局僕らが困るからね。
学園長には入学式以外では会ったことはないけど、メイシー嬢の実験室の人間の言葉は、学園長も無碍にはできないだろう」
(私ったら、もう少しで罵倒していたわ。全く……私のようなしがない子爵家の人間が、そんなことで更に品位を落としては、嫁ぐ先がなくなってしまう……。ヨゼフ様の機転を見習わなければね)
ラグナーラはホッと胸をなでおろし、ヨゼフを見上げた。
ヨゼフは他に用があるようで、足早にここから立ち去ろうとしていた。
「では、また実験室で」
「ごきげんよう、ヨゼフ様」
(ヨゼフ様って、とても良い方よね。頭もよくて研究に関する知識も豊富だし。それなのに全然威張ったところがなく、あんなふうに困ったことがあると、さり気なく助けてくださるんだもの。……もっと自信に溢れて、堂々とした態度になっても良いと思うのよね)
ラグナーラは前々からそこのところを不思議に思っていた。
カフェテラスに居たヨゼフに、殿下のことを伝えに行った際には、思わずポロッと言ってしまったから。
(卑屈な男……。そう言われて、反論もなさらなかったのよ)
ラグナーラは少々言い過ぎたかも、とあの後一人で反省したのだが、本当はもっと上手に励まして応援したい気持ちはあったのだ。
「……いけない、私も、また妙な方に話しかけられる前に、早々に実験室に逃げ込みましょう」
キャラファエルは格段に話が通じないが、ラグナーラは、メイシーの実験室に通い始めてからというもの、ある程度の頻度で、見知らぬ生徒に「実験室に入れるよう口を利いてほしい」と声をかけられるのだ。
メイシーが入学翌日に第1研究棟の研修生になったという噂は、学生たちの間にすぐに広まった。
また、実験室にはドメル教授の許可を得られなければ近づけないという話も、まことしやかに語られていた。
興味本位で実験室を覗こうとした者のうち、魔術で口を縫い留められた者が出たらしい……という噂も、メイシーの実験室が、特別かつ、何かが秘匿されている場所なのかも、という想像を掻き立て、不可思議で魅惑的な存在に祭りたてあげられる要因でもあった。
(そして、数回とはいえ、殿下までも通われ……さらに今は棟官全員がメイシーの実験室に足繁く入られるようになったのだもの。生徒たちは気が気ではないでしょうね)
……そのメイシーは、あの剣を作って以来、もう3週間も眠ったままだ。
(あの子はあの子なりに、殿下を心配していたのよね……)
あのような剣、もし仮に自分に作れる能力があったとしても、ラグナーラであれば、製作に躊躇う。
己の何かを犠牲にしなければ完成させられぬような、恐ろしさを孕んだ魔剣であることは、ひと目見て想像できた。
あの日。
メイシーが大きな布袋を手に、大実験室から移動していった姿を見たラグナーラは、ドメル教授に「メイシーは一人で大丈夫なのですか?」と質問した。
ドメル教授は難しい顔をしたまま「まさかな……」とつぶやいていたが、メイシーがしようとしていることは、結局濁して教えてくれなかった。
しばらく経ってもメイシーは戻らず、さらに、何やら建物がガタガタと小刻みに揺れだしたので、ラグナーラは直感的に、メイシーが何かをしている、と感じた。
ドメル教授は、揺れが収まり次第、メイシーの無事を確認するために階下へ移動すると仰ったため、ラグナーラも同行することにしたのだ。
(………今も、思い出すだけで、震えそうになる)
黒く変色し、ズタズタになった実験室の真ん中で、全身に刃物でズタズタに切られたかのような裂傷を負ったメイシーが倒れていたのだ。
ドメル教授が、メイシーに駆け寄って生死の確認をする間、ガクガクと震える足を何とか従えて、ラグナーラは、すぐに大実験室へと先生方を呼びに行ったのだ。
実験室に居た先生方は、ラグナーラの様子からすぐさま危機を察知し、盾の作業を中断して、全員が階下の実験室へと駆けつけた。
フルルーナ教授、バーサ教授、ハイド教授は、光の魔術を何度もメイシーの体にかけておられたが、メイシーは目を覚まさなかった。
その後メイシーは何とか一命は取り留めたものの、フルルーナ教授の見立てでは、魔力の圧倒的な使用過多により、体内のすべての器官を損傷し、重体に陥った、とのことだった。
ヨゼフ様は変わり果てたメイシーの姿にしばらくは何も手につかないご様子だったものの、数日後には、大実験室へ教授陣やラグナーラを呼び出し、メイシーがやろうとしたことを引き継ぎたい、と宣言された。
動揺の真っ只中だった一同は、その言葉に奮い立ち、再び大実験室で騎士たちの装備品を製作し始めたのだ。
あれから3週間。
帝国北東部の森の戦況は、良い報せばかりだった。
メイシーの盾は、騎士たちを魔獣の脅威から何度も守り、戦闘の最中に神の加護を得られた騎士もいたようだ。
殿下はメイシーの剣で、あらゆる魔獣を一人で屠り続けているという報告が続いた。
無尽蔵に湧き出てくる恐ろしい魔獣を、どんなに高位な魔獣が目の前に立ちはだかっても、殿下が先頭に立って倒している……という話だった。
報告はたったのそれだけだったが、殿下の胸中を思えば、ラグナーラは胸が締め付けられる気持ちになった。
(……殿下はきっと、メイシーのもとに駆けつけたいに決まっている。でも、メイシーの剣を無駄にするようなこと……できるはずないのよ)
いつ、メイシーが儚くなるのかも知れない。
そんな状況で、己の使命を全うしようとする殿下やヨゼフ様は、ラグナーラにとっては、何よりも尊い存在に思えた。
あの日以来ラグナーラは、マクレーガン侯爵邸に足繁く通っている。
マクレーガン家のお邪魔にならない頻度で……とは思いつつ、気がつけば門前に立っている、そんなことがしょっちゅうだった。
何度訪れても悲しげな雰囲気の漂うその屋敷で、ラグナーラは、メイシーへのお見舞いの品や、季節のお花を贈ったり、病床で眠ったままのメイシーに実験室の皆の話を語ったりしていた。
そうしてとうとう一ヶ月が過ぎた頃、ラグナーラ達のもとに、ようやく待ち望んだ吉報が舞い込んだのだ。
「メイシー・マクレーガンが目を覚ましたらしい」
ドメル教授が、殿下のお付きの方から受けたというその報せに、実験室内は歓喜に包まれた。
「よかった……!本当によかった……!」
ラグナーラは、皆と一緒になって、涙を流して喜んだ。ヨゼフ様も、うっすら涙を浮かべ、その報せに喜びを隠しきれない様子だった。
まだ病床から起きられないメイシーの負担になってはいけないと思いながら、ラグナーラは、ひと目だけでも、メイシーが無事な様子を見たいと思い、報せのあった翌日に、メイシーのもとを訪れた。
何度も通った屋敷は、今は喜びに沸き返っているような明るい雰囲気に感じられた。
「メイシー!!」
「ラグナーラお姉様!」
メイシーの自室に通してもらい、扉が開くや否や、ラグナーラはメイシーめがけて一直線に小走りで近づいて行った。
メイシーは、まだうまく上がらない腕を少しだけ上げて、ラグナーラと抱擁してくれた。
「お姉様、ご心配をおかけして、大変申し訳ございませんでした……」
メイシーは、ラグナーラの胸の中で、最初にそう言った。
「本当に心配したわ……。でも、まずはこうして会えて話ができること、心から嬉しいわ」
「はい……!」
メイシーは、一ヶ月も床に伏していたため、痩せてやつれたように見えたが、青い瞳は相変わらずキラキラとして、ラグナーラを安心させた。
「昨日、父から聞きました。私が眠っている間、実験室の皆様は騎士の装備品を作り続けてくださった、と。本当にありがとうございました」
メイシーは、ラグナーラに満面の笑みを向けた。
「ヨゼフ様がとても頑張っていらしたのよ。またお会いした時に、あの方にその笑顔を向けてあげなさいな」
「ふふ、また皆様に早くお会いしたいです」
「そうね……あら?それ、付けてくれたのね」
ラグナーラは、改めてメイシーを見て、髪に自分の贈った髪飾りが付いていることに気がついた。
「お姉様には、可愛らしい飾りをいただいてばかりな気がしております。またきっと、何かお礼をさせてくださいね?」
「いいのよ、私が貴女を飾りたかったの。その桃色の花の飾り、やっぱり貴女にとても似合うわ!」
メイシーはにこにこと、飾りがよく見えるようにと、顔を少し動かして見せた。
「実は昨日、少しですが殿下にお会いしたのです」
「えっ!」
「あんな距離を転移で来られるというのは、一体どうやったのか……。あ、えっと、その時にもこちらの髪飾りを使わせていただいたのですよ」
「……そうなの」
「ほんの少しの時間だったので、残念ながら感想は聞けませんでしたが……。私はとても可愛らしい意匠だと思います。大切にいたしますね!」
「ふふ、気に入ってもらえて嬉しいわ」
ラグナーラとメイシーは、穏やかな会話を楽しんだ。
「それにしても殿下は、ほんのひと時で、よく我慢してお戻りになったわね?殿下はご自分を律しておられるのね」
「え、えっと……」
メイシーがゴニョゴニョと口ごもった。
「……少し、私が偉そうなことを言ってしまったのです。それで殿下は、その、お休みになる時間もなく、戻られていきました」
「あら、もしかしてケンカでもしてしまったの?」
「ケンカ……ではないような。来てくださったことは嬉しかったのですが……。まだ戦いが終わったわけではないと知りまして。騎士の方々のためにも、殿下に、お戻りください……と……」
メイシーはそう言うと、みるみるうちに表情を暗くした。青い瞳には、涙が溜まっていた。ラグナーラは、メイシーの手に触れて、メイシーの気持ちを代弁するように口を開いた。
「………辛かったのねメイシー」
「…………う……うっ……」
「そうね……せっかく戻ってくれたお方を、また恐ろしい場所へ送り込むだなんて、胸が痛くなるわね……」
「……お、姉さ……」
「大丈夫。殿下はお強いわ。殿下は貴女の無事な様子をひと目でも見たかったのね。私もそうだもの、とても良くわかるわ」
「…………ふ……えっ」
「殿下は、次に会うお約束をしてくれた?」
「……は、はい……」
「そう。では、きっと殿下は無事に戻られるわ。貴女は楽しい未来だけを想像すればいいの」
「……っ」
「大丈夫。貴女の役目は、次に会うその日まで、毎日ニコニコ過ごして、元気になることよ」
「うぅ……、は、はい……」
ラグナーラは、メイシーの顔をハンカチで拭い、顔を合わせてにっこりと微笑んだ。
「さ、落ち着いたら、また横になるといいわ。まだ体が辛いでしょうから」
「……ありがとうございます、お姉様」
そうしてラグナーラは、とても名残惜しい気持ちではあったものの、マクレーガン侯爵邸をあとにした。
(……やっぱりライオンに軍配が上がりそうよね。鷲にも素敵な出会いがあるといいんだけど)
そんなことを考えたラグナーラだった。




