たしなみ18
(……ここはどこかしら?)
薄暗くて、周りがよく見えない。
目を凝らしていると、少しずつ闇に目が慣れてきた。
(……まだ、朝の5時だわ)
ベッドのサイドテーブルの上に置かれた小さな置時計が、カチ、カチ、と小さな音を立てて秒針を進めている。
(……頭が重い。体もだるいわ)
いま私がプロジェクトで取り組んでいる化合物が、開発候補薬になるか、ならないか。
今日から始まる動態薬物検査の過程が、決め手の一つになるのだ。
(起きなきゃ……。早めに行って、器具や装置を準備したいし、手順ももう一度確かめたい)
薬学部から大学院を経て、製薬会社に勤め始めて4年が経つ。
将来どういう仕事がしたいかは、わりと早い段階で決まった。
(……私は、薬をつくる人になりたい。それも、新しい薬を)
この分野では、有用性の高い新規化合物の探索・創出のため、10年、それ以上の期間をかけて、また、莫大なお金をかけて、開発を進めていく。
それゆえ、手がけた化合物が本当に新薬として市場に出回るのは、数千分の一とも、数万分の一とも言われる。
(私は運が良いわ)
優秀なチームに恵まれ、就職してこんなに短期間で、開発候補薬となりそうな化合物に出会うことができた。
(私は、チームでは一番下っ端だもの。皆の足を引っ張らないためにも、誰よりも頑張らなきゃ)
重たい体を起こして、立ち上がろうとしたが、なかなか力が入らない。
(……やりたいの。やらなきゃいけないの。だってこれは念願だったのよ)
『ーーーねぇ、貴女、やりきったわよ』
(……え?だれ?)
部屋には誰も居るはずはない。
私は大学に入って以来、ずっと一人暮らしだから。
『私よ。私が5歳の頃に貴女が私の体にやって来たんじゃない』
(え??……何の話?)
『ずっと一緒にいたのよ?貴女、ずいぶんと私の体で好き勝手してくれてるわね?』
(えっと……?)
好き勝手している、と言われて、何だか重たい複雑な気持ちになった。
『でも、悪くなかったわ。私はずっと貴女の目を通してすべてを見ていたから。どんどん変わっていく世界を見るのは、楽しかったわ!』
(そうかな……?私、自分がやりたいようにやっただけだよ。今まで誰にも責められはしなかったけど……。ねえ、私のやったことって、本当に正しかったのかしら?)
『なぁに?今更うじうじと、そんなことを言うの?』
(だってさ、私って、チームでも下っ端だしさ、空回りすることばかりでさ…。)
『あーはいはい。まだそちらの話が終わらないのね?……わかってるわよ。それが貴女だもの。本当は自分に自信はないし、イジけだしたら止まらないのよ。そのくせ根拠もなく、単に好きってだけで、周りも見ずに突っ走るし……。でも、今回は貴女、やり切ったわ!』
(そう?やり切ったって、なにを?)
『新しい魔術具を作ったのよ』
(ま……まじゅつぐ??)
『貴女の今戻るべき世界は、もうこちらなのよ』
(こ、こちら??)
『そちらの世界ほど、清潔でもないし、食事だって、まだまだ発展途上だけど…。でも、貴女が育てて【良くした世界】だわ』
(ふーん……そんな場所、あったかな?)
『早く戻ってきなさいな。貴女を待ってる人たちがいるわよ』
(えっ、でも、動態薬物検査が……)
『あー、そっちはもう諦めなさい!魔術の世界も、貴女には合っているじゃない!』
(そうかな……?)
『そうよ。私の体、責任を持って幸せにしてよね?』
(う……)
何だかまた、ひどくプレッシャーを感じた。
『貴女が幸せなら、私も幸せよ。こうして会えなくても、いつも一緒にいるわよ』
その言葉に、何だか胸に熱い気持ちが込み上げてきて、目からボロボロと涙をこぼしてしまった。
(ご、ごめんねメイシー!よくわからないけど、目が覚めたら私がメイシーだったの。貴女のこと、気がかりだったのよ)
『うんうん。ちょっと思い出してきた?こんなオバサンが、幼い子に乗り移ってゴメン……とか、たまに寝言で言ってたわね』
(あー!)
『いいのよ、本当に。多分私はもう先はなかったの。事故なのか病気なのか、分からないけど、多分お父様やお母様を悲しませることになっていた』
(……そんな)
『だから貴女が来てくれて良かったのよ。それにね、私、貴女の見る世界が好きよ。これからも楽しみにしてるから』
(ほ、本当?)
『ええ!だからそろそろ、目を覚まして?』
(……分かった)
メイシーが目を覚ますと、見慣れた侯爵邸の自室のベッドの上だった。
「……!お嬢様……!!」
ノアが、きれいな茶色の目を大きく見開き、驚きに肩を震わせていた。
「……ノ、ア?」
何だかしばらく声を出していなかったのか、喉がガラガラだ。
起き上がろうと腕に力を入れてみたが、まるで自分の身体じゃないみたいに、言うことを聞かなかった。
ノアが気づいて、メイシーの背中に腕を回し、慎重に上半身を起こして、枕にもたれかからせてくれた。
ノアは用意してあった吸口で、メイシーの口元を潤わせてくれた。
「……はぁ。お水おいしい……。ありがとう、ノア」
「お嬢様……!本当に、本当に、よくお目覚めくださいました…!!」
ノアは目に涙をためて、心の底から心配してくれていたようだ。
「ごめんね、ちょっと、徹夜続きの体に、負荷が高すぎたわ」
メイシーは、自分がどれくらい寝ていたのか、魔獣の大量発生がどうなったのか、ポツポツと質問してみた。
「……そうですね。お嬢様は、あれから一ヶ月間お眠りでした。ですのでまず先に、旦那様と奥様をお呼びしてまいりますね」
「一ヶ月も!?それは驚きだわ……。ええ、お父様とお母様に会いたいわ」
ノアがパタパタと階下にいた二人に声をかけると、二人は息を切らしてやってきた。
「メイシー!!私の天使!!!」
「メイシー……!」
お父様とお母様は、それぞれ私をギュッと抱きしめて、よかった、よかった、と、涙を流して喜んでくれた。
「ごめんなさいお父様、お母様。私、どうしてもメッキ加工の剣を試したくなって、つい……」
お父様は、涙目のままメイシーをじっと見つめて、ゆっくりと口を開いた。
「……メイシー。よく聞きなさい。騎士団は全員、あの盾のおかげで一人も死ぬこと無く、魔獣の大量発生は今収束に向かいつつある。怪我人は多いが、重症者であっても、すべて命に別状はない」
「そうなの!?……よかった」
皆で頑張って作った盾は、どうやら役に立ったようだ。メイシーは安堵した。
「……殿下だが」
お父様は、表情を硬くしたままこう続けた。
「魔獣の発生する原因である瘴気を払うため、今も数十名の騎士と共に森に留まられている」
「……」
「メイシーの作った剣は、魔獣を怯えさせたそうだ。戦闘の最初の段階では、森の入口近くに、もっと魔獣が押し寄せるはずだった。だが、メイシーの剣を携えた殿下の周囲では、魔獣のほうが恐れをなして、逆に森の奥に戻ろうとしたらしい」
お父様は、なおも硬い表情で続けた。
「ただ、そのせいで計算外のことが起きた」
メイシーは、その言葉に、じっとお父様を見つめた。
「ホーンラビットやレッドマウスのような低位の魔獣が森に駆け込み、森の奥から湧き出た中位の魔獣の群れにぶつかった。中位の魔獣がそれらを喰らって、一部は力をつけてしまった」
「そんな……!」
メイシーは、考えなしに作ってしまった剣が原因で、殿下の足を引っ張ったと思い、愕然とした気持ちになった。お父様は続けた。
「しかし、殿下はそれらを見事に斬り伏せた。君の剣のおかげで、力をつけた直後の大型のサラマンダーも、殿下が労することなく倒したとのことだ」
「そうなのね……!よかった」
「基本的に、魔獣の大量発生では、奥から湧き出る魔獣を、森の入口近くや、やや入った場所でひたすら屠る、という戦い方のみなのだが、今回はメイシーの剣のおかげで、殿下を中心に、瘴気の発生源を叩きに行く戦法に切り替えた」
「……」
「もちろん危険は伴うが、今までは魔獣の大量発生に、数ヶ月から、ひどい時は年単位で対処に当たっていたところを、短期で収束させられる可能性が出てきた」
メイシーは、複雑な気持ちになった。
「……私の作った剣が、逆に殿下を危険に晒してしまっていないの?」
「それはない。殿下は勝てない戦はしないさ」
(危険を避けるために作ったのに、わざわざ死地に赴かないといけないだなんて……)
メイシーは、自分の意図とは違う流れになったことに、不安を隠せなかった。
「……殿下はメイシーのことを大変気にされているようだ」
お父様は、ポツリとそう言った。
「殿下のご指示で、こちらには毎日オルドリッジ公爵令息が様子を確認にいらしている」
「メイシーの学園のお友達や、先生方も、交代で来てくれているわよ」
お父様とお母様が、メイシーを安心させるように、教えてくれた。
「そうなのね。では、皆に元気になったと伝えないといけないわ」
メイシーは、やっと少し微笑んでみせた。お父様は、メイシーのその表情に、安堵した。
「メイシーが休んでいる間、君の仲間たちは剣や鎖帷子にメッキ加工を施して、騎士たちに少しずつ提供していたぞ」
「……まぁ!」
メイシーは、皆の頼もしい対応を知り、笑顔になった。
(きっと、ヨゼフ様が先生方に提言して、できる限りでも、と、作業を続けてくれたんだわ)
「剣を使用した騎士は、魔獣との交戦が非常にラクになったと喜んだそうだ」
「よかったわ!さすがヨゼフ様ね」
「……彼はメイシーが倒れた後も、実験室でそれらを休まず作り続けたようだ。メイシーなら、そうするだろう、と」
「そうなのね……。ヨゼフ様は正しいわ。私も、もっと早く目を覚ましたかった」
メイシーが残念そうにそう言うと、お母様が怒った顔で声を上げた。
「何を言うの!貴女はもっと休息なさい。貴女はまだ13よ?こんなにも体を酷使しているだなんて……倒れる前に、無理にでも休ませればと、どんなに後悔したか……」
お母様は、最後は涙で声をつまらせながらそう言った。お父様は、そんなお母様を抱き寄せて、悲しそうな顔でメイシーを見た。
「そうだぞ、メイシー。楽しんでいるとは聞いていたが、連日眠ることもなく盾を作っていたと、後から知らされる私達のことも、少しは配慮してほしい」
「……はい。申し訳ございませんでした。お父様、お母様」
(そうだった…。ノアには黙っていて、とお願いしたのよね……)
メイシーは、両親の悲しそうな顔を見て、心配をかけてしまったことを後悔した。
(メイシーの大切なご両親を、悲しませてごめんね……)
メイシーは、心の中で本当のメイシーに謝った。




