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たしなみ2


マクレーガン侯爵家は、今や飛ぶ鳥も落とす勢いの隆盛を誇っていた。


この8年間のあいだに、王都の平民街の下水道整備や公衆トイレの衛生改善、くず魔石量産による上水設備の国民全体への普及、また、馬車の改良など、数々の大きな事業での功績が次々と認められたからだ。


貴族たちは、このどれもがレナルド・マクレーガン侯爵の発案によるもので、彼は相当の切れ者に違いないと噂している。


もはや今、レナルドの一挙手一投足が注目の的で、貴族の中には彼のスケジュールを把握するために尾行のプロを手配している人物もいるらしいが、彼の行動と思考がなかなか読めず、相変わらず彼については謎のベールに包まれていた。


レナルドはかなりの愛妻家であり、どのパーティにも妻と連れ立ち、常に仲睦まじい姿を周囲に見せつけている。


また、一人娘を溺愛しているようで、妻や娘の愛らしさを語らせると生き生きとして小一時間は喋り続ける。


まだデビュタント前で、他の貴族令嬢・令息との交流が全く無く、相当な「箱入り」の13歳の一人娘が、なんとこの春、飛び級で魔術学園に入学するらしいとの話が、すでに多くの貴族たちの間で飛び交っている。


……つまり、今年の魔術学園は、例年になく貴族たちの話題の的なのだ。





そんな話はつゆ知らず、メイシー・マクレーガンはこの春から通う魔術学園での生活(というか実験)への期待に胸を膨らませていた。



(あぁ、ついに!ついに!魔術学園に入学できるのね!!)


5歳で前世の記憶に目覚めてからというもの、この世界のことを知ろうと、無我夢中で知識や実験を積み重ねてきた。


最初は屋敷で実験をしていたが、ホーンラビットの角を爆発させて壁に焦げ跡を付けてしまったり、毒草を煮出すときの煙でカーテンを変色させたり……。



(そのあと離れに実験部屋を移動したけれど、あくまでも居住用の空間だから、実験向きのスペースではなかったのよね……)


換気がうまくできなかったり、排水設備が無かったり。

それでもお父様にお願いして排水タンクを外に置いたり、前世の記憶を頼りに自分で扇風機を作ったりして(お父様に見せたら、絶対に他人に見せてはいけないと言われたけど)、どうにか及第点の実験室を手作りして魔獣の素材や魔石についての研究を重ねてきたのだ。


でも、この春からは違う。


王都で、いや、この帝国で最先端の魔術研究機関であり教育機関でもある魔術学園に通えるからだ。


学園内の全ての設備は最新鋭で、珍しい素材も、無制限というわけではないが使用が許可されており、学園へは国がかなりの額を毎年支援している。


魔術学園に生徒として入学できるのは、高難易度の試験をクリアし、かつ、すでに世の中に何らかの形で貢献し、その実績が教授陣に認められた者だけに限られており、学園に「用がある」者だけが入学の資格を得られるシステムになっている。


魔術学園は、エリート中のエリートが集い、国の未来の「金の卵」を生み出す国策に基づく教育機関なのだ。







「えっと……入学式の会場はどの建物かしら?」


メイシーは、この広大な魔術学園の敷地内で、さっそく迷子になっていた。


つい先刻、荷解きや整理のためにと寮の部屋へ向かったノアと別れて「あの塔の隣の建物ですよ」とノアに教えてもらったはずの「あの塔」を目指していたはずなのだが、森のような所にうっかり入ってしまい、わからなくなった。



「歩いていたら着くかしら?」


とりあえずズンズンと森の中を散策していると、メイシーは木の根元に寝転んでいる人を見かけた。



「あの、道を尋ねてもよろしくて?」


寝転んで目を瞑っていたその男性は、ゆっくりと目を開け、体を起こした。



(うわ……なんだか、この人すごくきれいね)


瞳はまるでエメラルドのようなグリーン。

金の絹糸のような髪は肩まで伸び、それがどこか中性的な雰囲気を醸している。


洋服が男性用の軍服だったので女性ではないと判断できたが、この人にならドレスも美しく着こなせるだろう、と何だか変な妄想までしてしまうくらいの、不思議な美人さんだ。



「お休みのところ申し訳ございません。入学式の会場に向かいたいのですが道に迷ってしまって」


「……森の小道に沿って歩けば着く。ここは小道からはだいぶ逸れているぞ」


「そうですか。小道はどちらの方向に?」


この美人な男性は、はぁ……とため息をつき、少し面倒くさそうに立ち上がった。


「口で説明しづらい。小道まで共に行こう」


「まぁ、ご親切にありがとうございます」


メイシーは男性のあとを付いて、スタスタと森の中を歩き、ようやく「小道」と言えそうな、人々の通行でできた(わだち)を見つけた。



「これが小道ですね?ここを行けば建物に着くのですね。では、ここからは一人で向かいます。本当にありがとうございました」


男性は無言のまま軽く頷いた。



「私、メイシー・マクレーガンと申します。またお会いできることがあれば、どうぞよしなに」


「! あぁ、其方がマクレーガン侯爵家の娘か」


「はい、父がお世話になっているのでしょうか?」


「なに、レナルドのおかげで私もずいぶんと王都を歩きやすくなった。そうか、其方が例の娘か……。レナルドからはよく話を聞いている。レナルドにも其方にも、礼が言いたかった」


ペコリと頭を下げた目の前の男性は、顔を上げるとふわりと笑った。


(ふわぁ〜!なんか鼻血でも出ちゃいそう!破壊力がすごい!)


メイシーはとっさに鼻を押さえ、「とんでもございません。父も私も、どなたかのお役に立てたのでしたら嬉しいことです」と言った。



「私はジョイス・ゼメルギアス。其方とは同級だな。よろしく頼む」


「…は、えっ、え!?」


メイシーは青い目を見開き、この男性ーーー





ゼメルギアス帝国の皇太子を冷や汗を流しながら見つめた。



「も、申し訳ございません!まさか皇太子殿下が入学されるとは知らず……」


「よい、少し興味が出て学園にねじ込んでもらったのだ。学園では身分に関係なく接してほしい」


「は、はぁ……」


「それより入学式に出るなら急がねばなるまい?」


「あっ!」


「私の腕につかまれ」


ジョイスは右腕をメイシーのほうに差し出した。



「魔術で空間を移動する。少々圧力がかかるから、私に腕を絡めて、ほどけないようにつかまっていろ」


「は、はいぃ!」


メイシーは言われるがままにジョイスの腕をガシッとつかみ、目を閉じた。


ぐわん、と、まるでジェットコースターに乗ったときのような感覚が数秒続き、やがておさまった。


「着いたぞ」


「あ、ありがとうございます!」


(えー!今の魔術って、空間移動よね?たしか全エレメントの適性がある人だけが使えるから、実質的に王族以外にはほとんど使える人がいないっていう、あの幻の魔術!!しかも無詠唱だなんて、すごすぎて死にそう!!!)


メイシーは興奮状態で、もう魔術のことで頭がいっぱいだ。


興奮しすぎて、思ったことがブツブツと口から出てしまっていたが、ジョイスは気にした様子もなくメイシーの手を引いて会場ホールに入っていった。


入口前にいた上級生や他の新入生たちのざわめきや警備の騎士たちの呆然とした様子は、メイシーには届いていなかった。



「メイシー、其方の席はこちらだ」


「はっ!」


会場ホールは半円形で、舞台を囲むようにぐるりと客席が置かれ、中心から離れた客席には在校生や新入生の親族が、舞台寄りの客席には新入生が座るように指定されていた。


メイシーは、自分の名前の書かれた札のある椅子を見て、嬉しさでまた興奮しそうになったが、ジョイスにお礼を言わねばと思い出し、深々と頭を下げた。



「ジョイス皇太子殿下、重ね重ねありがとうございました。先程は貴重な体験をさせていただき、感謝いたします」


「私も其方と話ができて嬉しかった。では」


ジョイスはそう告げると、最前列に用意された座席に向かった。

メイシーは席に座り、周りを見渡してみた。



(今年の新入生は数十人というところかしら。毎年十名程度だから、今年は少し多いのね?)


それにしても、何故か前からも横からもジッと視線を感じる。



(な、なにかしら…)


もしかすると後ろに何かあるのかと思い、振り返ると…。


在校生や新入生の親族…だけにしてはやけに多くの人々がつめかけており、親族席の一部には軽く人だかりが出来ていた。

よく見ると人だかりの中心には両親の姿が見えた。



(お父様とお母様だわ!お忙しいから来られないかと思っていたのに、わざわざ来てくれたのね)


メイシーは目が合った両親にニコリと微笑み、手を振った。


お父様はパッと顔をほころばせて、人だかりの切れ目から嬉しそうに手を振り返してくれた。


お母様も、優雅に手を振って私に応えてくれた。



(あんなにたくさんの人に囲まれて、きっとお仕事関係でお忙しいのね)


メイシーが前に向き直ると、ちょうど入学式が始まるアナウンスがあった。


先程まで隣近所の人にジロジロと見られていた気がしたが、式が始まると、視線は舞台中央の演説台に集まった。


学園長の話が終わり、新入生の名前が一人ひとり読み上げられる。


もちろん殿下が一番に名前を呼ばれ、次になぜかメイシーが呼ばれた。



「メイシー・マクレーガン」


「はい」


会場のヒソヒソ声が何となく大きい気がしたが、メイシーは静々(しずしず)と学園長のもとへ向かい、ローブを授与してもらった。


ローブをもらい、先に舞台の端の方に並ぶ殿下の横へ行くと、殿下が声をかけてくれた。



「おめでとうメイシー」


「恐れ入ります。殿下も、おめでとうございます」


ジョイス殿下に倣い、メイシーも受け取ったローブを羽織ってみることにした。


全員がローブを受け取り、舞台に並ぶ。



「以上の23名を今年の魔術学園の新入生として迎える」


学園長の言葉で、会場がワッと沸き立った。

そして客席からは盛大な拍手と歓声が上がった。












入学式を終えて、メイシーは寮の自室に移動した。


部屋にはノアが控えており、ノアを見てメイシーは少しホッとした。



「慣れない行事に出ると疲れるわ〜!」


「おかえりなさいませ。お茶でもお淹れしますね」


ノアの紅茶と手作りのクッキーをつまみ、今日の出来事をノアに話す。



「会場に着く前に迷子になってしまったの。ノアは教えてくれたのにね、私が方向音痴なのが悪いのよ。でも途中で皇太子殿下にお会いしてね」


「えっ」


「今年の新入生なのですって。皇太子殿下が新入生だなんて、知らなかったわ」


「お嬢様がご存知ないのも無理ありません。皇太子の入学は昨日決まったようですので」


「ええー?!どうしてそんなに突然……?何かやんごとない理由があるのかしらね?」


「やんごとない……。そうですね、お嬢様のお耳に入れることではないかと思われます」


「そうよね、下々の人間には特に知らせることもないわよね」


「いえ、お嬢様は下々ではございません」


「ふふ、気を遣わないで。たかが13の小娘に、政治のことは理解できないわ。

そんなことより!殿下がなんと空間移動の魔術を使ってくださったの!!私も一緒に会場前に移動したんだけど、すごいわね!」


「会場前に……でございますか」


ピリッ、とノアの表情が硬くなった。


「そうなの。迷子にもなってみるものね!森からホール前に一瞬で着いたのよ!あの、グッと圧迫感のある感覚、ちょっと怖かったけど、殿下の腕にしがみついてたから、なんとか耐えられたわ」


「腕に、しがみつかれたのですか」


ノアの表情がますます厳しいものになった。



「あ、あの、ごめんなさい…貴族の習慣としては、よくない……わよ、ね?」


「会場に向かう多くの貴族が、お嬢様と皇太子が連れ立って会場にいらしたのを目にしましたね。それに皇太子がお嬢様のお手を引いて」


「そ……そうね?」


ノアは硬い表情で考え込むと、紙と羽ペンを取り出し、サラサラと何か書き出した。


「幾重にも守りを。鳥になり、かのお方の元へ」


ノアの囁きと共に、紙はみるみる形を変え、小さな鳥になった。

鳥は部屋を一回りすると、窓を通り抜けて夕陽の空を飛んでいった。



「旦那さまへご報告いたします」


「え!お父様に?私、殿下にそこまで失礼な態度はとっていないと思うんだけど…」


ノアは何を報告したのかしら…とよく理解できないで居ると、部屋の扉をノックする音がした。


メイシーは居住まいを正し、ノアは扉を薄く開けて、訪問者の姿を確かめている。



「お嬢様、皇太子殿下からのお手紙です」


ノアは苦虫を噛み潰したような顔で手紙を見つめ、メイシーに恭しく手渡した。


メイシーが中を(あらた)めたところ、手紙には「明日の昼食を共にしないか?」とだけ書き添えられていた。



「昼食を一緒にどうか、ですって。うーん、明日は午前中に学園内の設備の見学をするだけだから、行けなくもないけど…」


本心で言えば、メイシーは見学だけではなく、続けて実験をしたいのだ。


今やりたいのは、自前の研究室では実験しづらい、危険魔獣素材を使った実験なので、見学後に許可が下りれば、そのまま部屋を貸してもらいたい。


ランチは、ノアにササッと食べられる物を用意してもらうか、最悪無しでも構わないとさえ思っている。


「ねぇ、これって断ったら不敬にあたる?」


「いいえ、お嬢様。昼食会は王命ではなく、あくまでも皇太子の気まぐれの類で、自由意思での参加可否を問われていると思われます」


「気まぐれって。ふふ、そうよね、殿下も学園では身分に関係なく接してほしいとおっしゃっていたし、私の都合を聞いてもらっても問題ないわよね」


メイシーは机に向かい、ノアの用意してくれた便箋にサラサラとお断りの言葉を書きつけた。

ノアは封をして、扉の前で待つ侍従に手紙を渡した。



「はぁ〜!楽しみだなぁ、実験!!」


「お嬢様がお喜びのようで、私も嬉しく思います」




メイシーはその夜、ワクワクした気持ちで眠りについた。



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