SIDE: ジョイス
彼が何を思ってこの国を離れたのかは分からない。
メイシーに特別な感情を抱いているかなど、そんな質問は絶対にしたくないし、彼だって多分、誰にも聞かれたくないから、ここを離れると決めたのだ。
……単純に、彼にとっては遺跡を巡ることが生きる喜びなのだと信じきれない自分は、どこか間違っているのだろうか?
ーーーコンコン
寝室に誰かが入る気配がした。
(グレンか…)
カーテンが引かれて、朝の光が差し込んだ。
「ん…」
天蓋の布が引かれ、光量が増した部屋に、ジョイスは顔をしかめて横を向いた。
「おはようございます、殿下」
ジョイスは聞こえた声に驚き、パッと目を開けた。
朝の光に照らされて、メイシーがジョイスを見つめて立っていた。
侍女のお仕着せにまとめ髪という姿が、いつもと違う新鮮な印象で、ジョイスの胸に不意に動悸を起こさせた。
「……本当に来たのか」
緩みそうになる顔を右手で隠して、ジョイスはメイシーに口を開いた。
「お約束いたしましたから」
メイシーは何でもないことのように、持ってきたらしいガラスの水差しに魔術で水を満たし、そこからグラスに水を注いでジョイスに渡そうと近づいた。
ジョイスは朝からメイシーに会えたことに嬉しさが込み上げて、寝台に近づいてきたメイシーの手を取り、体を引き寄せた。
「ちょ、殿下…!」
ジョイスはメイシーの手首ごとグラスを動かし、水を飲み干した。
「……其方の出した水は甘い」
「そ、そうでしょうか…?甘い?」
メイシーは目を丸くして、空になったグラスを見つめ、抱き寄せられたジョイスの近さに赤面した。
ジョイスがメイシーに口づけしようと顔を近づけると、ドアから不機嫌な声が聞こえた。
「そこまでです」
「の、ノア…」
半分開いた扉の前には、腕を組んで仁王立ちしているメイシーの侍女の姿があった。
「侍女の業務の範疇を逸脱しております。あくまで今お嬢様は、侍女として貴方の側に居るだけですから。侍女として!」
「すみません殿下。ノアさんがメイシー嬢の侍女としてどこでもついて行くと言っておられて。一応寝室には入らないと、ドアの前で待機しております」
グレンはニコニコしながら、髪を逆立てているノアの後ろから顔を覗かせた。
ジョイスは二人の姿を見て、ちょっと嫌な顔をした。
「はぁ…。うるさいのが付いてきたな。
ところでメイシー、その格好は愛らしいが、ずっとそれというわけにはいくまい」
「まぁ。そうですか?シンプルで動きやすくて良いのですが」
メイシーは自分の着ている侍女のお仕着せを少しつまみ、まじまじと見つめた。
「私と共に王宮の内外を歩くのに、その姿では誤解されるだろう?」
「誤解ですか?」
メイシーはきょとんとしてジョイスを見つめた。
ジョイスは寝台から立ち上がると、メイシーの耳元に唇を寄せて囁いた。
「妻となる女性にこのような格好をさせて楽しんでいるのだと、他の男に想像させてしまう」
「………」
メイシーはその言葉に、難しい顔をして考え込んだ。
「こ、コスプレが好きなのだと思われるということでしょうか…?」
「コスプレが何なのかは分からんが、メイシーに妙な妄想を抱く男が現れるのは阻止せねば。…其方がそれを着たいなら、この離宮の中だけだ。良いな?」
メイシーは少し顔を赤らめて、コクリと頷いた。
「すみません殿下…。これが恥ずかしいことだとは全く思いませんでした…。やっぱり私、まだ淑女には程遠いのですね…」
メイシーがしょんぼりした様子でそう言ったので、ジョイスはぐっと庇護欲を掻き立てられた。
右手をサッと振って風の魔術でバタンと寝室の扉を閉めると、そっとメイシーを抱き寄せた。
扉の外では、文句を言うノアとなだめるグレンの声がしている。
「そのように落ち込むことはない。色々なメイシーの姿が見られて、私は嬉しい」
「で、殿下…」
「他の男の前では、隙を見せないようにな。私が言いたいのはそれだけだ」
「……はい」
困ったように顔を赤らめたメイシーに口づけをして、メイシーの青い美しい瞳をじっと見つめていると、ずっと二人で部屋に閉じこもりたいという思いに傾き始めたジョイスだったが、ドアをドンドンと遠慮なく叩く者のせいで、雰囲気が壊された。
「全く。なんて無粋な」
ジョイスは寝室のすぐ隣に設けられた衣装部屋の扉を開けると、メイシーに振り返って質問した。
「さて。せっかく其方が居ることだし、今日は其方の選んだ服を着ることにしよう。女性のドレスほど大して選択肢は無いが、其方の好みはどれだ?」
ジョイスがそう言って微笑むと、メイシーは顔を赤らめてジョイスとワードローブを交互に見た。
「……殿下は何を着ても素敵です」
「ふうん?」
ジョイスがメイシーの返答を待ってじっと見つめると、メイシーは両手で顔を覆って隠してしまった。
「なぜ顔を隠す?」
「だ、だって、恥ずかしいです!」
「ただ服を選ぶだけで?」
「………」
メイシーは手で顔を隠しているが、隠しきれない真っ赤な耳が、何かがメイシーの羞恥を刺激しているのだと伝えていた。
ジョイスはメイシーの真っ赤な耳に囁いた。
「其方好みに私を変えていいんだぞ」
「……!!!」
「ふ。こんなことで恥ずかしがるのか、其方は」
ジョイスはもっと恥じらうメイシーを見ていたかったが、先程からドアを叩く音が激しくなってきた。
風の魔術を破らんとする勢いに、ため息をついて右手を振ると、また扉の外で文句を言う声がした。
「私は大体黒か紺ばかり選ぶが、其方から見たら私にはどのような色が似合いそうだ?」
「……あの…。本当にリクエストしても?」
メイシーはおずおずと、顔を隠していた両手を下げて、ジョイスを上目遣いにして見上げた。
愛らしい顔に照れた表情を浮かべて見つめられて、ジョイスは早くも理性が飛びそうだ。
(…自分がどう見えているか、メイシーは全く分かっていないのだな)
ジョイスの可愛い侍女は少し微笑み、衣装部屋に入ると、そろそろと服を手に取り始めた。
「あの…。これを着ていただいてもよろしいでしょうか?殿下に似合いそうです」
メイシーは白地に黒糸と金糸の入ったジュストコールを選び、ジョイスに渡した。
「式典以外では選ばない色だ」
「…白は特別な色ですか?」
ジョイスはふむ、と少し考えて答えた。
「白を避けるのは……騎士団の訓練に行けばすぐに汚すからという理由だ」
「ふふ、そうだったのですか」
メイシーはくすくすと楽しそうにジョイスに笑いかけた。
「一つ、また殿下のことを知れましたね。
あ、でももし気になるようでしたら、ご自分の好きな上着にしてくださいませ。では私は、扉の外へ出ますので、ゆっくり支度なさってください」
そう言ってにこりと微笑むと、メイシーは寝室の入口へと向かおうとした。
それをジョイスが引き止めた。
「……だから其方は、どうしてそう可愛いことを」
「きゃっ」
ジョイスはメイシーの腕を引き、後ろから抱きすくめた。
「の、ノアが待っています」
「しばらくは入られないように魔術を行使した」
ジョイスがそう言ってメイシーのうなじにチュッと音を立ててキスをすると、メイシーは、また耳まで真っ赤にして抗議した。
「あの!私は今日は侍女として……」
「侍女なら私の言うことを聞かないとな。まずは私のシャツのボタンを開けてもらおうか」
「……!!」
「支度をしたいんだが?」
ジョイスは意地悪くニヤリと笑ってメイシーと向かい合うと、するりとメイシーの手を自分の胸に当てた。
「……!!! じ、侍女はそこまでやりません!」
「そんなことはない。メイシーだってドレスを着替えさせてもらうだろう?」
「………」
メイシーが赤面しつつも訝しげにジョイスを見て迷い始めると、再びドンドン!と扉を叩く音がした。
「はぁ。仕方ない。私の侍女の可愛らしさに免じて、今日のところは自分で支度するとしよう」
そう言ってメイシーを扉の方へ促すと、メイシーはペコリとお辞儀をして扉の外へ出て行った。
いつもなら着替えた後、転移で王宮に移動するが、今日は供の者がいるため、ジョイスは歩いて御前会議の会議室へと向かった。
メイシーはお仕着せから、着てきた深緑のドレスに着替え、ジョイスにエスコートされながら王宮を歩いた。
メイシーの侍女が、短時間でメイシーの髪型や化粧を変えて、今はどこからどう見ても深窓の令嬢のような雰囲気だ。
(メイシーは、本当に美しい)
ジョイスはメイシーの飾り気のない自然な姿も大好きだが、こうして着飾ると一気に淑女然とした大人っぽい雰囲気になるところにも、たまらない気持ちになるのだった。
ジョイスはできる限りメイシーを見つめたくて、会議室までゆっくり歩くことにした。
メイシーは、ジョイスのそんな心中など知りもしない様子で、先程から復興の過程や現状をジョイスに質問していた。
「街の復興は、残すところ煉瓦とタイルを敷くのみで、それも街の半分は完了していると聞きました。街が新たになり、王都には行商も増えている様子です。それに、市民がお祭りの準備のために王都の外から品物を買い付けているようで、物価が跳ね上がっているそうですね」
「その通り。さらに北部の接収後の混乱も相まって、今の価格で鉱物を買い占めようとする者が出てきた。国として経済の混乱が広がる前に頃合いを見て物価の調整にかかりたいところだ。其方ならどれから手を付ける?」
「そうですね…」
のんびりと王宮の庭園を見ながら、ジョイスとメイシーは寄り添い、一見優雅に歩いているが、それに似つかわしくない話題で盛り上がっている。
先程から、二人の姿を遠目から見ている貴族たちは、仲睦まじい若いカップルの様子に微笑んだり羨んだりしているのだが、ジョイスたちのすぐ後ろに控えるグレンとノアは、二人の後ろですごい速さでカリカリとメモを取りながら、歩みはゆっくりと進んでいた。
「伊達メガネ。お嬢様は物価の急騰による貧民の増加や王都の治安の悪化を懸念されている。騎士団は地方から順に引き上げてきているという話だったが、祭りまでにどの程度騎士が王都に戻るのか具体的に教えなさい」
「はいはい、仰せのままに。殿下は治安については近衛をある程度出すことを陛下に進言されていたよ。パルナス近衛騎士団長ともこれから話を詰めると思う。人数はその後連絡できるよ」
「承知した」
ノアとグレンはメモを取りながら、二人の後ろで必要な情報を交換し合っていた。
王宮内部に入るにつれ、行き交う貴族たちが多くなり、メイシーは少し気後れした様子だったが、ジョイスがメイシーの気になっていそうな話題を振って、ずっと話しかけていたので、メイシーは話に意識を向け、そこまで緊張することもなく王宮内を歩いたのだった。
「ありがとうございます、殿下。私に合わせて下さって、何だか申し訳ございませんでした」
御前会議の部屋の前に着くと、メイシーがちょっとためらいがちにジョイスにお礼を言った。
「いつもは転移でここまで来られるのでしょう?足の遅い私を連れて歩くのは、お邪魔なのでは…?」
「何を。其方と居たいと言ったのは私だ。それに其方と話していると新しい刺激をもらえる。この時間は何にも替えがたい。其方が謝ることなど何もない。むしろ礼を言いたいくらいだ」
ジョイスがそう言ってメイシーに微笑みかけると、メイシーはホッとしたように表情を和らげた。
(本当に、メイシーは自分の価値を全く分かっていない。メイシーほど様々な視点を持ち、これまでにない魔術具を作ったり、問題を解決する方法を多角的に検討したり、そして何より、その知識や魔力を惜しげもなく人のために使える女性など、どこにもいない)
ジョイスはそんなメイシーが自分に微笑みかけてくれることが、本当に嬉しくて仕方がなかった。
「では、ここで。さすがに会議室にまでは入れませんから」
メイシーがジョイスから離れようとすると、ジョイスは名残惜しい気持ちでメイシーの手を取り、恭しく口づけた。
「私の執務室に行っているといい。其方の魔術具も運ばせている」
「まぁ、そうですか。では遠慮なく、お部屋でのんびりさせていただきますわ。失礼いたします」
メイシーはにこりと微笑んで、ジョイスに礼をすると、会議室の扉の前から離れた。




