たしなみ2-50
明け方近くの轟音と火と風の魔術のスペクタクルは、当然ながら王都中で大騒ぎとなり、最初の轟音では陛下が敵襲かと思い、王宮に風の魔術の大きな覆いを作ったそうだ。
メイシーの思念の指輪は最初の花火が上がった途端、ピカピカと光っていた。
相手が誰なのかは分かっていたのだが、メイシーはしばらく躊躇していた。
(ハイド先生の送別会が終わったら、連絡しよう)
メイシーは各所には全てが終わってから報告することで足りると思った。
実際、花火を見た陛下やお父様にはこれがすぐにメイシーの仕業だとわかったようで、「またか……気をつけるように」くらいで済んだのだ。
ハイド先生が別の国へ行かれることを告げると、お父様はとても残念そうにしていたが、メイシーが手紙のやりとりは続けると言うと、ハイド先生の様子が全く分からなくなるわけではないことに、少し安心していた。
ハイド先生が旅立った時、ずっとピカピカ光っていた思念の指輪は、予想通り殿下だった。
花火が終わったあと、メイシーが思念の指輪の会話を繋ぐと、殿下は開口一番こう言った。
「あれは何だ?メイシー」
「花火です。魔石を火薬と共に空に打ち上げました」
「あんなものまで作って用意していたのか」
そう言って、殿下は明らかに不機嫌な声音で「今から迎えに行く」と言った。
それを聞いたドメル先生は、眉間にシワを寄せて「なぜ殿下に言わなかった?ご心配をおかけしただろうに」と言ってメイシーをたしなめた。
「ほっほっ!儂らはこれで帰ることにしよう。ほれほれ、早くせんと機嫌の悪い殿下が来るぞ」
オーディン翁がそう言うと、先生方は一目散にここから去って行ったのだった。
メイシーはノアにも、殿下が来るので先に侯爵邸へ帰るようにと伝えて、その場で待つことにした。
メイシーがしばらく待っていると、殿下の転移の気配がした。
「おはようございます、殿下」
「……何のつもりだ」
「お伝えした通り、ハイド先生のお見送りです。しばらくお会いできなくなるので、盛大に門出をお祝いしました。笑ってくださいましたよ」
「ドメルたちは?棟官どもと来たのでは?」
「ドメル先生たちもここにいましたが、殿下が来られると伝えたら、帰られました。ハイド先生からは一人で来るようにと言われたのですが、先生方もお見送りしたいはずだと思って皆さんお誘いしました」
その話に、殿下は眉間にシワを寄せてメイシーを睨んだ。
(……怒った)
メイシーは殿下がイライラしだしたので、素直に謝ることにした。
「すみませんでした、殿下。時間の関係でちょっと報告が遅れました」
「一人で来いと言ったのだな、彼は。……全く、何のつもりなのだ」
「先生は、大げさにしたくないと。私にはご自宅の鍵を渡したいからとお呼びだったのです。ご本がたくさんあるようでして」
「そんなのは其方を呼び出す口実だ。彼は其方と二人きりになりたかったのだ」
「ハイド先生は、私のような子どもなど眼中に無いですよ」
「……」
メイシーがそう言うと、殿下は腕を腰に置き、メイシーを冷たい目で見た。
(う……。なんて恐ろしい目なの。やましいことなど何も無いのに、重罪でも犯した気分だわ)
メイシーはたじろいだ。
「……あの、私、ちゃんとハイド先生とは生徒として距離をとっていますよ?殿下とは違いますから」
「当たり前だ。同じにされたら其方を鎖に繋いで、金輪際、絶対に外に出さん」
(ひ、ひいぃぃぃ!)
「で……では、何をそんなにお怒りなのです?私は殿下以外の男性とは口をきいてはいけないのでしょうか?」
「……其方に気がある男が、其方に近づくのが我慢できない。其方が彼のために魔術具を作るのも不愉快だ」
「ですから、ハイド先生は、私など眼中にないのです。……こうして国を出ていかれたのですから」
殿下はそれを聞き、メイシーが悲しそうに肩を落とすのを見てさらに眉間にシワを寄せた。
「其方は彼の行動から何も感じないのか?彼は自分の感情を隠すのが上手なだけだ。思っていても悟られないようにするのが、大人の狡賢さだ」
「そうでしょうか?」
メイシーは全くそう感じていないが、殿下は自分の考えが正しいと信じて引かない様子だ。
メイシーはどうしようかと思案した。
「では、今度お手紙を書く時に、聞いてみましょうか?どなたか想う方がいるのかと。私以外の方に気持ちが向いていると分かれば安心ですか?まぁ、先生に答えてもらえないかもしれませんが」
「メイシー。其方、あの男と文を交わすのか?私というものがありながら、それはあまりにも不誠実だ」
殿下はまた怒り始めた。
メイシーは、もうどうしたら良いのか分からず、早くも匙を投げたくなった。
「殿下は私の態度に問題があると言いたいのですか?その点は……すみません。一応自分なりに考えたのですが。その……私、この世界での男女の機微だとか、恋人と友人の違いのルールなど、正直よくわかっておりません。
この前もドメル先生に、男性にむやみに素敵だと言ってはいけないと言われましたし……。魔力の同調のことも、よく知らずに聞いてしまい、ドメル先生とハイド先生を困らせてしまいました」
「……今何と言った?」
メイシーは、殿下の纏う空気がズンと冷たく重くなったのを感じ、思わず後退りした。
「魔力の同調?あの男と?其方が?」
「いえ殿下、誤解です。その作戦では、私が殿下に顔向けできなくなると、ちゃんと止めにしましたので」
「当たり前だ。メイシー、こちらに来い」
(怖いのよ!もう目とか空気とか魔力とか!!)
メイシーは重たい足取りで、こわごわ殿下に近づいた。
殿下はメイシーが遅いことに焦れた様子で、少し近づいたメイシーの腕を引き、ぐっと抱き寄せると、転移を使った。
「其方には分からせねばなるまい」
殿下の声が、耳元で聞こえた。
転移した先は、案の定、殿下の寝室だった。
天蓋の青いドレープが下がり、朝を迎えたはずなのに、カーテンは全て閉じられ、部屋は薄暗かった。
(音が聞こえて、私と連絡を取って、すぐに来てくれたんだわ)
メイシーは、殿下が本当に心配して自分のところに来てくれたのだと感じ、少し申し訳ない気持ちになった。
「殿下……。ご心配をおかけしてすみませんでした」
メイシーが殿下の腕の中でそう言うと、殿下は怒気をはらんだままメイシーを見下ろした。
「何を今更。全部其方の思い通りなのだろう?私を怒らせることも、全て」
(怖い怖い!)
「い……いえ。こんなに怒られるとは考えていませんでした……。だって、単に皆でお見送りをしただけですよ?」
「彼は其方と二人きりになりたくて呼んだ。棟官たちと一緒に行ったとしてもそんな男のところに其方がノコノコ行くのが気に食わん。しかも同調だと?そんな会話は普通しない」
殿下はそう言って眉間にシワを寄せて、メイシーを睨んだ。
「……私は、お世話になったハイド先生を皆で見送りたかっただけです。
それに同調は、あれは仕方がなかったのです。平民街の魔術具をどうすれば早く壊せるか、考え抜いたからでして……」
「もういい。其方からこれ以上他の男の話など聞きたくない」
「で、ですから、先生は先生なのですってば!」
「うるさい」
殿下はピシャリとそう言い放った。
メイシーは殿下の冷たい言い方に、ふにゃりと眉を下げた。
殿下はそっぽを向いて、メイシーと目を合わせようとしなかった。
「……そこまで殿下が怒るなら、仕方ありません。きっと私が悪かったのです」
「……」
「でも本当に分からないのです。すみませんが、子どもですら知っているような当たり前のことを含めて、男女の機微について教えていただけますか?」
殿下はメイシーの言葉に、まだ怒りの残った視線を戻すと、メイシーのゆるくなった三つ編みにそっと手をかけて、リボンをほどいた。
焦げ茶のウェーブの髪は、ハラリとメイシーの背中に流れた。
殿下は髪を撫でて一掬い取り、口元に近づけた。
「其方に触れて良い男は私だけだ」
「……はい」
メイシーは、自分の髪を撫でる殿下の優しい手つきに、ちょっとドキドキした。
殿下はメイシーをじっと見つめて、口を開いた。
「光の魔術の使い手同士が同調すると、お互いに何度も絶頂を得て恍惚とするそうだ」
「……!!!???」
「試そうか?」
「なっ、何を言うんですか!!それは絶対に子供が知って良い内容ではありませんよね!?いきなりそんな情報を教えないでください!!」
メイシーは顔を真っ赤にして両手で耳を塞いだ。
殿下は意地悪そうに微笑んでメイシーの片手をぐいっと持ち上げると、空いたメイシーの耳元に囁いた。
「知りたいのだろう?私を愛すればどうなるのか」
「!?!? そ、それはちょっと趣旨が変わっております!!」
「変わらない。其方に一番足りないのは、私を愛しているという自覚だ。他の男のことなど構っていられなくなるくらい私だけを想うこと。
男女の機微…恋人と友人の境界、というのは、要するに恥じらいを覚えるかどうかだ。私が其方に伝えたり態度にして見せることは全て二人の間だけで秘するべきことで、安易に他の男に言ったり見せたりしては駄目だ。
閨のことは追々話せばいいと思ったが、これからは随時其方に話して教えることにする。分かったな?」
メイシーは、目を丸くして赤面した。
「あの、私には刺激が強すぎて、理解が追いつきません」
「……私の言う通りに、私だけを想えばいい。そうすれば何も間違いは起きない」
殿下はメイシーに顔を上げさせて、瞳を覗き込んだ。
そして親指でメイシーの唇をゆっくりとなぞると、赤面しているメイシーに、さらに追い討ちをかけた。
「今日は其方から私に口づけするといい」
「………!!!!」
「私はとても繊細だからな。今回の其方のやり方には傷ついた。慰めてほしい」
「そ、そんな……!だから先生は先生で、ただのお見送りで……!」
「聞かない」
殿下はツーンとまたそっぽを向いて、メイシーから顔を背けた。
メイシーは、困った顔になり、殿下を見上げた。
「なぜそんなに……。私、もう少し殿下には安心していただきたいのですが。どうすればもっと、私を信じていただけるのでしょうか」
殿下はメイシーの切実な訴えに、少し興味を持ったようで、チラリとメイシーを見た。
(何とか機嫌を取らないと…!)
メイシーは、殿下に提案してみた。
「私ができそうな範囲でですが…。殿下が不安にならずに済むように、何かできることはありますか?キス…とか、そういうの以外で」
最後はモニョモニョ言葉を詰まらせながら、メイシーは何とか殿下に質問した。
「……其方が四六時中私と共に居ること。朝起きてから夜眠るまで。」
「そ…それは、無理では?」
「……」
「そんなこと…きっとすぐに嫌になりますわ。殿下は煩わしくなるはずです」
「私は嫌になどならない。其方が居れば何もいらない。いつでもどこでも其方を腕の中に収めておきたい」
メイシーはその言葉に、かあっと顔を赤くした。
(殿下は、どうしてこう唐突に甘い言葉を…)
「えっと。……貴方のご希望は分かりました」
メイシーはそう言って、少し考えた。
(四六時中…。うーん)
「では、試してみますか?期間を決めて」
「……なに?本当にやるのか?」
殿下は、言ったものの、実現できるとは思っていなかったようで、驚いた表情になった。
「だってそうすれば、殿下に何かご納得いただけるのでしょう?」
「……言ったな?」
「ええ。言いました。期間はお祭りが終わるまででどうですか?基本的には私が殿下について回る形で側におりますわ。でも、私も出かけたいので、お祭りの準備には付き合っていただけます?」
「分かった。それでいい」
殿下は表情を緩めてメイシーを見つめた。
メイシーは、ちょっとためらいがちに、口元に右手を添えて、内緒話をするポーズで殿下に何か言いたげにした。
「……なんだ?」
殿下はメイシーに顔を近づけて、左耳を傾けた。
するとメイシーは殿下の左耳に手を添えて、小声で話した。
「今日だけですよ……?」
メイシーはそう言うと、そのまま殿下の頬に素早くチュッとキスをした。
もちろん顔は真っ赤だ。
殿下はメイシーの精一杯の奉仕に、片眉を上げて不満そうにした。
「まだだ」
殿下はメイシーの腰を自分に引き寄せて、上から覆いかぶさるように唇を重ねた。
それはまるで、メイシーを食べてしまうかのような、強くて長い口づけだった。
「……っ」
息が苦しくて、殿下の背中を叩いて訴えると、殿下はしばらくして唇を離した。
「く、苦し…です」
メイシーが、ハァハァと呼吸を乱して呟くと、殿下はメイシーに光の魔術を行使して、コツンと額を当てた。
「私はもう随分前から、苦しい」
光の粒が舞う中、メイシーは殿下の切なげな表情に、胸がキュッとなった。
「……何度もしているのに其方からは唇にしてくれないのか」
「だ、だって…」
殿下は赤面するメイシーを抱き上げてベッドの淵に座ると、そのままメイシーを横抱きで膝の上に座らせて、また口づけた。
「……っ」
ちゅ、ちゅ、と音を立てて唇を吸われて、メイシーは恥ずかしさに手で口を覆った。
「も、もう終わりです…!」
「……メイシー」
殿下は熱を帯びた瞳でメイシーを見つめると、悩ましげにメイシーに尋ねた。
「其方はわざとそうしているのか?」
「な、なにを、ですか?」
殿下の色気にクラクラしながら、メイシーは必死に返事をした。
「隠されると暴きたくなるし、逃げられると追いたくなる。……其方は実は分かっていて、私を弄んでいないか?」
「そ、そんなつもりは…ひゃっ!」
メイシーは殿下に耳たぶを舐められて、ピクリと体を強ばらせた。
「……祭りまで毎日其方に触れていいんだったな?」
「あ、あの!私!一緒に居るとは言いましたが、決してそういう意味では!」
メイシーは殿下の膝から降りようとジタバタ動いた。
殿下は足を広げてメイシーを間に座らせて、後ろから抱きしめた。
メイシーは、殿下にこうして抱きすくめられると、自分の心臓の音が伝わりそうで、緊張してしまう。
でも、殿下はこのゼロ距離での会話が好きなようだ。
「どういう意味だ?」
殿下の声が耳元に聞こえた。
「その、業務としてお側に居るのはどうかと思いまして」
「……具体的には?」
「私が殿下の侍女になり、グレン様と共に近くにいるようなイメージです」
(それならやることもあるし、殿下の希望も満たせるし、私としても、恥ずかしいこともないし)
メイシーは、ドキドキしながら、頑張って自分の案を伝えてみた。
殿下はメイシーの提案にニヤリと笑うと、メイシーの耳元で囁いた。
「自分から私の懐に飛び込んで来るとは……。どうなっても知らないからな?」
殿下はそう言って、メイシーを抱きしめる腕の力を少し強くした。




