SIDE: アレキサンド3
「おい、アレク。ぼんやりしてどうしたんだ?」
ワナンが、執務机に向かって座るアレクの肩を叩いて体を揺すった。
アレクはそのワナンの声にようやく我に返り、長いこと物思いにふけっていたことに気がついた。
「ああ…。悪い、何だ?」
「本当にいいのか?平民街で復興の祭りを行うと同時に、王宮でも祭りを行うという話だが」
ワナンは少し含み笑いをしながら、アレクに返事を求めた。
「? 別に良いのではないか?たまには市民にも息抜きが必要だろう。ちょうど良い機会ではないか。貴族たちも、王宮で何か催しがあれば楽しむだろう」
「…ふ。ではジョイスにもそう伝えよう。きっと喜ぶぞ」
ワナンはいたずらっぽく笑うと、手元のメモに何かを書きつけて次の話題に移った。
「北の国への騎士団の派遣だが、そろそろ冬の対応を考えたいとタイラー騎士団総団長より意見があった。毎年冬になると出てくる北の国の魔獣について、この冬は厳冬の予兆が出ているため、より強力な魔獣の出現が予想されている。火力のある騎士と、あとは光の魔術の使い手が求められるだろう」
「……ふむ。それは北の国が、ジョイスを暗に要請していると受け取るべきなのか?」
「総団長はそこまで踏み込んだ発言はしていなかった。今年はこちらもウロボロス対策のために強力な盾など装備が充実したので、ジョイスを行かせるのも一案ではあるが、冬までにさらに武具を強化し、選抜した騎士たちを鍛えて、来る冬に備えたいとの話だった」
「なるほど。予算はどれだけ割けるのか、マクレーガン侯爵に試算してもらおう」
「御意に」
ワナンは一礼をすると、メモを胸ポケットに入れ、アレクに再び向き直った。
「ジョイスは婚約するのだとか?日取りは決まっているのか?」
「ああ…。そのことか。藪にいた蛇をつついてしまったようで、その話以来、私はマクレーガン侯の機嫌を完全に損ねているのだが、どうしたものか」
「彼は怒るとしつこいぞ」
その言葉に、アレクはうんざりした表情で答えた。
「もうネチネチと嫌がらせされている。すでに国内各地の巡行が迫っているのだが、彼は次から次に他の仕事を持ってくる。もう、彼が皇帝をやればよいのではと思うくらいだ」
「はは!彼が皇帝になれば、帝国は一気に趣が変わるだろうな。案ずるな。お前のほうが皇帝に向いている」
ワナンはアレクの冗談を、自信を失ったアレクの弱音だと思ったようで、肩を叩いて明るく励ましてきた。
「お前が居たからこそ、今があるのさ。分かる人間には、ちゃんと分かっている。お前は皇帝にふさわしいよ」
アレクはワナンの言葉に、不意に勇気づけられた。
そして、ポツリと呟いた。
「信用できる人間が隣りにいることは大事、か」
「何だ?」
「彼は、これまで誰も私に忠言しなかったような内容をどんどん言ってくる。本当に、それはもうズケズケと。」
「ぶは!」
「私の石のように凝り固まった頭を最初に砕いたのはカトリーヌだが、彼の言葉にもまた、胸をえぐられるような気分になる」
「……アレク」
「なんだ?このような業務外の話は受け付けてくれないのか?魔術長官殿」
「バカ言え。今日は終いだ。お前もこんな紙はどこかに置いて、うちに来い。いいワインがあるんだ。お前も絶対に気に入るから、今日は何本でも開けて飲もう」
「何本でも…?おい、ワナンはザルじゃないか。君と共に酒を飲んでも、こちらは全く楽しくない。何を言ったか記憶を失って、君に介抱されて目覚めるなど、そんな気持ちの悪い朝の迎え方は御免だ」
アレクは顔をしかめた。
「情けないことを言うな。いいから、つべこべ言わずについて来い!」
「……くそ、君はそうやって、すぐ年長ぶる。たった一つしか違わんくせに」
アレクは少々悪態をつきながらも、ワナンの言葉には逆らわずに、椅子から立ち上がり、ワナンと共に執務室をあとにしたのだった。
そんなこんなで、陛下が少し丸くなられたようだ、と王宮内では噂が広がった。
執務室や謁見の間では、笑い声が聞こえるようになった、という話や、オルドリッジ卿と共に貴族たちを招いて昼餐会や晩餐会を開き、親交を深めようと、以前よりも歩み寄る姿勢が感じられる、といった話があちこちで聞かれるようになったのだ。
ワナンの勧めで会う貴族たちは、貴族派たちとの交流とは全く違った。
国を良くするために研究を続ける者や、平民街の事情をよく知り、商売を通じて国を盛り立てようとする者、各国を渡り歩き、魔獣の発生状況を記録している者など、様々な角度で国を見る者ばかりで、アレクが長年簡単に報告を受けるだけで済ませていたことが、急に実感を持って目の前に広がった気がした。
さらには、初めて知る話や思いがけない視点にも触れ、アレクは興味深く耳を傾けた。
(私は、民を知ろうと行動したことがあったか?分かった気になって、深く知ろうとはしなかった。
人情の分からん人間にトップは務まらない、か。
マクレーガン侯は、私にこういうことを伝えたかったのだろうな)
アレクはまた、胸にズシンと何かが打ち込まれたような気分になった。
貴族派の処罰に関しては、誰にも相談せず、自分自身の手で沙汰を下した。
グリュイエールやマヴァンはお家取り潰し、その他悪行が際立つ家々も、それに準じた裁定を言い渡すこととした。
復興が終わり、祭りが終われば、アレクは王都から出て、彼らの領地にもすべて顔を出すと決めていた。
過去に皇帝が彼らに苦難を強いた。
しかし彼ら自身が悪事の加害者にもなった。
その事実を認め、互いに贖罪をするためには、ただの手紙では片付けられないと思ったからだ。
アレクは、彼らからのどんな罵詈雑言でも引き受けると、固く決意した。
復興は順調に進んだ。
特に、ジョイスが平民街のほとんどの建物を造成してくれ、市民たちは、その素早さに感嘆の声を上げ、深く感謝している様子だという。
(ジョイスはいい皇帝になる)
アレクは、自分が亡き後の帝国に、思い残すことはほとんど無いと感じていた。
……たった一人、カトリーヌのことを除いては。
アレクはいつものように黒の離宮へと足を運び、寝台に横たわる、石になった彼女を見つめて声をかけた。
「ジョイスは、とても良くやってくれている。あの子は君によく似た、意志の強い真っ直ぐな子だ」
アレクは、カトリーヌのことを思い出していた。
「君と会った時は、私は石のように心を閉ざし、自分を守って傷つかないようにと、そればかりだった。
……君が石になったあの日、私は君に粉々に砕かれた気がした。
あの日から、暗い道を、君の産んでくれた子の存在に助けられて、何とか歩いてきた気がする」
アレクはため息をつき、カトリーヌの手にそっと触れた。
それは冷たい石の感触で、かつて脈を打ち、生きていた彼女とは、全くの別物だった。
(私がカトリーヌを北の国へ返してやれば、彼女が石になることは無かったのではないか)
詮無きこととは思いつつ、このことだけは、アレクが一番悔やむことでもあった。
「一目見たときから、君に惹かれていた。自分がそんな気持ちを抱くことを受け入れられず、私は君のことを拒否した。
それが君をどれだけ傷つけるかなど、全く考えもしなかった。本当に、すまなかった」
アレクはカトリーヌの手をそっと撫でた。
「君の話を正直に打ち明けたが、北の国の王からは、責める言葉は一つも無かった」
大切に育てた姫が、自ら石になるなど、自分に置き換えれば、そこまで追い詰めた者を生かしておけないだろう。
それなのに、北の国の王からは「それがカトリーヌの選択だった」と、簡潔な手紙を寄せられただけだったのだ。
アレクは、もし叶うのなら、カトリーヌと共に北の国へ行きたいと思った。
国王が存命のうちに、一度でも見えたいと思った。
「あの有能な宰相なら『行きたいならすぐに行け』と言い出しそうだ。ついでに商売の話でもしてこいと、山のように魔術具を持たされるに違いない。
北の国の王に何と言われるのか恐ろしい…などと内心は弱腰でいると知れたら、鼻で笑われる。いや、大笑いして私を王宮の外に放り出すだろう。
……彼はそんな男だ」
アレクは想像して深いため息をついた。
こうしてしばらくカトリーヌと二人で過ごしていると、思念の指輪に連絡が入った。
「陛下、パルナスです」
「査問会に聖下以下の聖職者たちが到着しました」
「西の広間にお越しください」
アレクは近衛騎士団長のパルナスの声に、眉間にシワを寄せて立ち上がった。
「また愚痴と寄付の催促か。今日はさらに、聞きたくもない過去の言い訳話まで聞かねばならん。……憂鬱すぎる」
アレクのそんなぼやきは、石になったカトリーヌ以外は誰も聞いていないのだった。
西の広間の手前に転移すると、パルナスが近づいてきた。
「教会の者たちへの沙汰について、聖下が不満を持っているようです」
「だろうな。しかし何もなしというわけにはいくまい。教会で過去行われたことを認めて、組織として変わっていることを示してもらいたい」
アレクの言葉に、パルナスは難しい顔になった。
「……」
「なんだパルナス。何か言いたげだな」
「……恐れながら。陛下が、坑夫の話だけをもとに、こうして突然査問会を開くことに驚きました」
パルナスは青銀色の瞳を真っ直ぐにアレクに向けて、真意を問いたげに見つめた。
「……パルナスの目には、私は『正しくない』皇帝に映っているのだろうな」
パルナスはアレクの言葉に「滅相もございません」と頭を下げた。
「私のお仕えするお方は、どんな状況でも冷静さを失わない思慮深きお方です。私の考えが及ばぬところまで見通しておられるのだと、短慮の身ながら、考えておりました」
「良い。本音でいこう。其の方が私の動向を調べている様子なのは、気づいていた。私を調べても何もないだろうに、それでも其の方は私を見張っていたな?
北の国の指示か?」
アレクはじっとパルナスの方を見た。
パルナスは驚いた様子もなく、アレクに微笑んだ。
「……私は帝国民ですよ。ただ、父方の祖父が北の国から来た移民なのです。私の視線が不躾だったようで、申し訳ございませんでした」
アレクは、パルナスの容姿が北の国に由来していると聞き、納得した。
「北の国の王は、帝国内に案外たくさんの目を持っているな。其の方が好意的な報告をしてくれているおかげで、私の立場も幾分保たれているのか?」
「何を仰いますか。北の国では陛下は大変良い君主として認識されていますよ。毎年冬には帝国が魔獣討伐の遠征に来てくれることに、民は感謝しています」
「それはカトリーヌが来る際の約束だったからだ」
「…しかし、北の国からの資源の輸出は、もう随分前から取り決め以下です。それでも陛下は、毎年律儀に約束を果たしておられるではないですか」
パルナスはそう言って、アレクに微笑んだ。
「私は褒められることはしておらん。北の国の要望に応えるのは、単なるカトリーヌへの罪滅ぼしだ」
「北の国では、帝国同様、王妃殿下の話は広まっておりません。王が意図的にそうしているのでしょうね」
「……北の国の王は、なぜ私を責めない?大事な姫を石にされたのに、離宮の侍女たちも、王も、私を責めることはなかった」
アレクの疑問に、パルナスが思案げに口元に手を当て、口を開いた。
「祖父は昔、私に光の天使の話をしてくれました。北の国では、魔力の高い者には天使が見えるのだとか。北の国の王には、何か分かっているのですかね」
アレクはハッとした。
パルナスは続けた。
「天使は、悪意や害意のある者を示すそうです。反対に、好意も見抜くとか。北の国の王は、天使に聞いて、陛下に悪意はないと知っていたのではないでしょうか」
「その話、もう少し詳しく教えてくれないか」
アレクが真剣な顔でパルナスに詰め寄ると、バルナスは困ったような表情で首を横に振った。
「私が知るのはそれくらいです。祖父も父も、もう亡くなっておりますし、祖父は身一つで来ましたので、我が家には北の国に連なる縁は無いも同然でして」
アレクは初めて聞いた天使の手がかりに、驚き、胸が躍るような気分になった。
「つまり北の国の王は、天使…を使って、私という人間を知り得たということか…?」
「そうですね…。天使がどういう存在なのかは祖父は教えてはくれませんでしたが、推測からすると可能性はあるかと」
アレクは、パルナスからの思いがけない話に、驚きを隠せなかった。
(カトリーヌは、結婚式のあと、天使がいるのかと私に問うた。……私が魔力が高いと知っていて、天使が見えているのかと聞いたのだ。
それはつまり『自分の気持ちは知られているのか?』と……)
アレクはそう気が付き、口元に手を当てた。
「帝国にも天使が居ればよかった。そうすれば、私は……」
(彼女を失わずに済んだかもしれないのに)
そう呟くと、パルナスが返事をした。
「陛下。見えぬだけで天使はどこにでも居るそうです。祖父はそう申しておりました。ですので、どんなに隠そうとしても、悪事を働けば必ず自分に返り、身を滅ぼすという話を聞かされました」
「……そうか。できることなら、パルナスの祖父殿に、もう少し話を聞きたかったな」
アレクは苦笑いした。
「見張られていると取るのか、見守られていると取るべきなのか。いずれにせよ、襟を正して生きろということか。
……天使とは難儀だな」
アレクはそう言って、パルナスを伴って、会議室へと歩き出した。




