SIDE: アレキサンド1
アレキサンドがカトリーヌと初めて会ったのは、結婚式の前日だった。
二人の結婚は、完全な政略結婚だった。
しかしアレクにとってはそれは些末なことで、貴族派の娘以外の妻を娶れるのなら、それ以上に良い選択肢はないと思っていた。
アレクは北の国からの婚姻の打診に、小さな光明を見出した気分だった。
帝国は、先々代皇帝の代から続く飢饉や疫病といった大きな荒波にかなり疲弊しており、この婚姻で北の国との結びつきを強めれば、北の国の資源を優先的に提供してもらい、魔獣討伐の武器に加工したり、加工品を輸出して食料を輸入することもできると考えられた。
北の国は帝国の騎士団の力を借りたいようで、魔獣討伐の共同戦線を張ることを望んでおり、武器のための素材を融通することは、やぶさかではないという返答だった。
少々帝国に利の多い取り決めではあるため、何か裏があるのかと疑っていたが、アレクは、自身が結婚の務めをそろそろ果たさざるを得ない年齢が迫っており、また、貴族派からの長年に渡る『婚姻を結べ』という圧力に耐えかねたこともあって、裏取りはそこそこに、この話に乗ることにしたのだった。
北の国には、そのような内情はおくびにも出さず、魔獣の共同戦線のためという名目を口実に、喜んで正妃を迎え入れることを伝えた。
北の国の間諜には偽の情報を掴ませているため、実のところはアレクが国内の貴族と縁を結びたくなかったから、という消極的な理由だったとは、伝わっていないはずだ。
カトリーヌは、北の雪解けが落ち着いた春の頃に輿入れをしてきた。
王宮に入り、共を連れてそのままアレクが一人で待つ謁見の間にやって来たカトリーヌは、長旅で疲れているところは全く感じさせず、ピンと背筋を伸ばし、きれいな礼をして顔を上げた。
彼女は美しい女だった。
北の国の女は、雪に閉ざされる期間が長いためか、肌の白い美しい者が多いと聞いていたが、彼女はなにか……触れると壊れてしまうような、ガラス細工のような、危うい美しさをしていた。
(この女は、私の敵か、否か)
アレクは束の間、カトリーヌとじっと見つめ合った。
カトリーヌは何も言葉を発さず、ただ琥珀色の瞳でアレクを見つめ、アレクの出方を伺っているように見えた。
「……長旅ご苦労だった。アレキサンド・ゼメルギアスだ。明日は頼む」
アレクが簡潔にそう口を開くと、カトリーヌはホッとして微笑を浮かべ、アレクに答えた。
「カトリーヌ・ユスティノーでございます。一日も早く帝国の一員となれるよう、努力いたします。よろしくお願いいたします」
彼女はそう言ってまたお辞儀をした。
疲れているであろう彼女に退出を促し、アレクは玉座に頬杖をつくと、一人考えこんだ。
(彼女が、私の妻なのか)
貴族派の意見をはねのけて娶った彼女は、今まで会ったどの人間とも違う何かを感じた。
敵になりさえしなければ、アレクにとっては何でも良いのだが…。
(私の決断はどう転ぶのか。今はただ、気がかりで落ち着かない。……それだけだ)
アレクは自分の妙な気分の波を追い払うかのように、玉座から立ち上がり、執務室へと移動した。
翌日、結婚式はつつがなく終わった。
彼女は国で作ったという見事な総レースのウエディングドレスを身にまとい、うるさかったはずの貴族派の者たちすらも一瞬黙らせるほどの美貌と、姫として、幼い頃から培われた上品で優雅な物腰で、帝国での最初の大仕事を終わらせた。
(正直、助かった。貴族派がこれで黙ってくれれば、私の心労も一つ減る)
アレクは式を終え、大聖堂から王宮へ戻る馬車の中で、ぼんやりとカトリーヌの美しい顔を眺めた。
カトリーヌは式の間も、こうして馬車に乗ってからも、こちらが話しかけなければ自分から口を開かなかった。
しかしふと、カトリーヌが琥珀の瞳をアレクに向けて口を開いた。
「……帝国にも、天使はいるのでしょうか?」
カトリーヌは真面目な様子でそう言った。
アレクは言葉の意味をすぐには理解できず、何度か頭の中で問われた言葉を繰り返し、考えた。
だが分からなかった。
「……どういう意味だ?」
アレクは彼女に問うてみた。
しかし彼女は逆に困惑した様子で黙ってしまった。
(……なんだ?そんなに気まずい質問だったのか?)
アレクはよくわからず、カトリーヌを見つめたまま口を閉ざした。
カトリーヌはそんなアレクの様子を伺い、おずおずと口を開いた。
「わたくしったら、突然申し訳ございません。別のお話にすればよかったですわ」
「……」
「帝国の春は、想像していたよりもずっと暖かいですわ。道々に咲く花も、北の国とは種類が違います。色とりどりでとても美しいですね」
「……気に入った花があれば、部屋にでも飾らせよう」
「まぁ!ありがとうございます、陛下」
カトリーヌはそう言って、美しく微笑んだ。
そしてまた、馬車の外を見つめた。
その日の夜も、カトリーヌはちゃんとつとめを果たした。
アレクを拒否するでもなく、恥じらいながらも身を委ねてきた。
気分を盛り上げるためなのか、最中には「好き」などと言ってアレクを受け入れ続けた。
アレクはカトリーヌのその手練手管にひととき酔いしれた。
(彼女はつとめを果たしているだけだ)
アレクは行為の後、情に流されそうになる自分を戒めるため、朝まで彼女と共寝をすることは避けた。
気だるい体を引きずり、続きの隣室まで行くと、朝はいつもそこで目を覚ました。
アレクは彼女のいる寝室にほとんど毎夜通い、ひと月後には彼女の懐妊が分かった。
カトリーヌは、気分が優れないのか、日中ぼんやりと窓の外を眺めている様子だと、侍女からの報告を聞いた。
(彼女は何を考えているのだろう)
アレクはカトリーヌの様子を知り、少しでも希望があれば叶えてやるようにと周囲の者に伝えた。
ドレスの着心地は悪くないか、寝具は快適か、部屋の日当たりや風通しはどうか。
思いつくことは改善するようにと侍女たちに依頼した。
そして、ふと思いついた。
(彼女は北の国に居る時、どのように過ごしていたんだろう)
アレクは彼女の側付きの老齢の侍女に話を聞いたり、北の国に独自に調査員を送ったりして、彼女の周囲について情報を集めだした。
彼女はアレクの目には口数の少ない大人しい女性に映っていたが、北の国では活発に動き回って過ごしていたらしい。
城の中を歩いて侍女たちとおしゃべりをしたり、温室で花を愛でたり、歳の近い貴族の子女と茶会をしたり。
変わったところでは、厨房に食材が運び込まれる様子を見るのを楽しんだり、騎士の鍛錬を食い入るように見て、時には応援したりしていたらしい。
……報告の中にはこんな記載もあった。
『カトリーヌ妃は騎士バルザックと幼い頃から兄妹のように交流し、輿入れ直前まで、とても懇意にしていた』
(……なるほど。彼女は国に想い人がいたということか)
アレクはこの報告書をぐしゃりと手で握りつぶし、火の魔術で灰にした。
(まぁ、彼女は処女だったし、深い関係ではなかったのかもしれぬが。そうか……。)
アレクは、カトリーヌが彼を想って日々を過ごしているのだろうと想像し、なんとも言えぬ胸の重さを感じた。
(政略結婚なのだ。カトリーヌの願いは叶えられないが、せめて北の国との約束は守って、騎士の魔獣討伐の負担は減らしてやろう)
アレクはその日から夜に寝所に通うことをやめた。
妊娠初期のため、医師から注意するようにと言われたことも理由だ。
彼女の周囲には、より慎重に目を光らせた。
侍女などの世話係は北の国からの者で固めてはいたが、少しでも怪しい動きをする者が居れば、すぐに報告するようにと言い聞かせた。
アレクの予想通り、貴族派の間者は、カトリーヌが出産を迎えるまで、何度か離宮に潜り込もうとした。
アレクが四六時中離宮に居るわけにもいかず、カトリーヌが一番頼りにしている老齢の侍女には、何を口にする時も、必ず光の魔術の魔法石を使うことと、毒見をすることを忘れぬようにと伝えておいた。
その甲斐もあり、カトリーヌは無事に出産を乗り越えた。
産後、彼女にはアレク自身が光の魔術を行使して、彼女をいたわった。
「このように毎日、光の魔術をお使いいただいてよろしいのですか?」
「問題ない。其の方は本当によくやった。ありがとう」
カトリーヌが産後に体調を戻すまでの間は毎日彼女の寝所に行き、様子を見た。
アレクが彼女の寝所に顔を見せると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
カトリーヌはジョイスに自ら授乳をしているようだった。
(暗殺の危険があると、カトリーヌも何か感じているのかもしれない)
アレクはカトリーヌの用心深さに、とても安心した。
光の魔術のおかげか、彼女は少しずつ体調を取り戻し、一ヶ月経つ頃には立ち眩みも少なくなり、歩き回れるようになった。
すると彼女は、今度は離宮から出て、貴族派の連中と交流を持ちたがるようになった。
せっかく毒殺や暗殺の危機を超えて息子を産んだというのに、カトリーヌ自ら貴族派の茶会になど行こうとするものだから、アレクは厳しい口調でそれを咎めた。
「なぜ茶会になど。其の方の役目は離宮でジョイスを守ることだ。離宮から離れず、ジョイスを見てやってほしい」
「まあ、陛下。北の国の女は、雪に閉ざされる城内で、夫に代わり内政を取りまとめます。わたくしにも陛下のお役に立つ役目をお与えください」
カトリーヌは頑なにそう言って聞かなかった。
彼女の表情は固く、真剣そのもので、彼女の言う『役目』という言葉には、使命感のような響きを感じた。
(北の国で、その役目を担うように言い遣って来たのか。カトリーヌが内政に関わり、少しでも帝国が、北の国を優遇するように……?)
アレクは彼女の行動を、少し見てみることにした。
だが、慣れない異国で、内情をつかみきれないまま社交の場に出た彼女は、早い段階で貴族派の地雷を踏み、完全に孤立した。
彼女がやろうとしていることはアレクには理解できたが、貴族派の連中から見れば、彼女の存在が目障りでしかなかった。
アレクは頃合いを見て彼女に再度請うた。
二人きりになれる寝室で、話を切り出した。
「其の方は離宮でジョイスを守り、暮らしてほしい。社交の場に出てほしいとは私は思っていない。帝国は北の国とは違う」
するとカトリーヌは、暗い表情でアレクを見つめた。
「……わたくしは陛下の道具ではございません。わたくしにも人としての意志がございます」
「道具などとは思っていない。しかし、其の方が内政を取りまとめるのは難しい。貴族たちはそれぞれ思惑があって動いている。彼らの意図を束ねるには、真意を知る時間が必要だ」
「そう言ってわたくしを離宮に追いやって、陛下は、わたくしに見せたくないものを隠すのですか?」
アレクはカトリーヌの鋭い口調に、口をつぐんだ。
「……陛下には、本当は他に正妃に望むお相手がいらしたのですね」
カトリーヌは、貴族派の茶会で聞いたという話をアレクに話し始めた。
それはアレクが貴族派の家にしょっちゅう入り浸っているだとか、昔から懇意にする女がいるだとか、ありもしない話ばかりだった。
極めつけに、カトリーヌは玉璽が押印された鉱山の採掘量に関する資料や、市中に出回る中毒性のあるワインの収支報告書などを出してきた。
もちろんこれらは奴らが偽造したものに他ならなかったが、カトリーヌの目にはそうは映っていないようだった。
「陛下はわたくしに言えないことがあるのではないのですか」
「……」
「わたくしは結婚式で誓いました。いつも貴方をお支えすると。でもそれは、貴方がわたくしに嘘をつかないという前提です。わたくしは、欺かれている相手に忠誠を誓えるほど、忍耐強くはありません」
「私は欺いてなどいない。そもそも其の方は私の何を知っているというのだ?」
カトリーヌは、アレクの問いに、目を丸くした。
「其の方は后としてのつとめを果たしてくれた。私にはそれで十分だ。其の方にこれ以上何かを……心まで求めることはない。……北の国のバルザックのもとへは返してやれないが、気持ちはそのままでいい」
「……!」
カトリーヌはサッと顔を赤くして、アレクを睨みつけた。
「其の方がこの国でやりたいことは、もう少し時間をかけてみつけてくれ。その間、できればジョイスと時間を過ごしてやってほしい」
アレクはそう言うと、寝室をあとにし、カトリーヌと別れた。
それからしばらく、カトリーヌは離宮で大人しく過ごしている様子だった。




